第二章 偽装05
躰がやたら熱く、天井がぐるぐる回って見える。頭も目を開けるのが辛いほど痛む。手を当てた感じだと、優に40度はあると思う。
人の躰と言うものは不思議だ。こんな時でさえ尿意を催す。
トイレに立った僕の躰は、フワフワと宙に浮いているようで、歩いている感覚が、まったくない。
僕の認識では、そう取られていた。
だからあの言葉も、僕の中では夢の中の出来事であり、認めがたいものに過ぎない。
「おやまぁ、風邪をお引きになられましたか」
うっつらうっつらとしている意識の中、苗代の声を聞いたような気がする。
「病院に行くぞ」
ぐったりとシートに凭れ掛かった僕の目には、遠い日々の母の姿が映っていた。
細く開いたドアから灯りが漏れ、母さんが誰かと話しているようだった。
聞くのが怖い気がした。母の声に混じって聞こえて来ていたのは、明らかに男性のもの。
震える思いで、僕は一歩ずつ慎重に足を進めて行く。
深刻な顔で話す母さんが見えた。
「あの子の目は」
「時期に何も見えなくなる」
何を言っているの?
「生きる道は一つしかないんだ。諦めろ」
「そんな」
母さんが泣き崩れ、僕はそっとドアを閉めた。
ずっと分かり切っていた。
そう生まれた時から決まっていたことじゃないか。
僕の中のもう一人の僕が、冷ややかに笑う。
「あんたは悲しい夢に浮かされているだけ、全部忘れて新しい人生を作りなさい」
皺くちゃな手が何度も僕の手を撫でる。
消去、したはずなのに……。
どのくらい意識が飛んでいたのか定かではなかった。
気が付くと僕は病院のベッドの上に居て、手には点滴の管が繋がれていた。
「お目覚めですか。バカでアホな童貞君」
苗代のにやけた顔から目を逸らし、僕は顔に布団を頭から被る。
「おまえさ、何であんな雷の時に、木の下なんか行ったわけ? 俺、初めて見たよ。雷に人が打たれる瞬間」
皆無。
そう僕の記憶は皆無に等しい状態だった。
医師の診断では、雷に打たれ、一時的なものらしい。
キョトンとする僕のために、苗代が詳しく説明をしてくれた。
どうやらこういうことらしい。
僕は苗代の車から飛び出し、雨宿りをするつもりで木の下に逃げ込んだ。それまでははっきりと覚えている。
そこから少し僕の記憶と違っていた。
幸い、雷が落ちたのは雨宿りをしていた木じゃなかったが、近くにいた僕は被雷してしまった。それに気が付いた苗代が手はずよく、救急車を呼び、僕を近くの大学病院へ運ばせた。
そして僕は、一週間以上目を覚まさなかった。
その話が本当なら、僕はあの女性とのやり取りも夢の中で行ったことになる。あの暖炉の暖かさも、彼女が顔を近づけた時に香った臭いも、全てが夢とは到底思えない。
「ま、いいか。身元引取り人としては、童貞君が無事だったことを素直に喜ぶべきなんだろうから。それより、このレポート提出はいつになるんですかね」
バサッと何かを置く音が聞こえ、僕はそっと蒲団を下げる。
「締切が近づいてんだよね。作者側からも再三催促されちゃっているし」
この期に及んでこの人は。
「ああそうそう。お前うちを辞めるのは構わないけど、ここの治療費、かなりの額になるらしいけど大丈夫? 社会保険とか使えなくなっちまうし。それに何て言ったかな通販会社の」
「滿永さん」
「そうその人が、大事な書類がなくなったからお前を訴えると言い出して、その口止め料とかもみ消し料とかで、何だかんだ300万くらいかかっちゃったけど」
何だかまた、熱が上がって来た気がする。
ぐったりする僕を見て、苗代がにんまりとする。
「俺の下が嫌なら、親父のところで稼がしてやるよ。あの人、ああ見えても政治家だから金はたらふく持っているだろうし、お前のことは、あの人も気に入っているしな。仕事は秘書の補佐。まぁ簡単に言えば雑用係だな。車の運転とか、後援会のサポートとか掃除とか」
「……頼む。出て行ってくれ」
これ以上、苗代の話を聞いていると吐きそうだった。
「また来るね~。今度電話番号教えてよ。一緒に飯でも食いに行こうよ」
挨拶代わりに口説く苗代に対し、満更ではないと言う声で、冗談は止して下さいと言う看護師の声。
気を遠くなってきた。
この記憶をすべて消去すべくため、僕は強く目を瞑る。
いつだって僕はこうして生きて来た。これからも変えるつもりはない。




