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At the sunny side 8


まるでスローモーションのように、僕の婚約者が、僕と正体不明の女の前に割り込んできた。

その一瞬に、彼女はなんと言ったのだろうか?

僕を、禁断のその名で、又しても彼女は呼んだのではないか?

何気なく握っていたはずの、乗馬用の鞭を持つ右手がわなわなと小刻みに揺れ出す。

僕は無意識で、それを握り込んだ。

スローモーションのまま、婚約者が僕と女の前に割り込んできて、正体不明の女を必死に自分の背中に隠しながら、こともあろうに僕をなじるような視線で見詰めてくる。

「そんなものしまって!エディ」

僕の右手を睨むように見詰めた彼女が、また、二度と聞きたくなかった愛称を、まるで今までも呼んできたような雰囲気で、当たり前の様に言った。

今度は聞き間違いではない。

あの強烈な一瞬、その不快な言葉を聞き逃してやったのに。

そう思った瞬間、僕を取り巻くすべての世界が本当に真っ白になった。

無意識で、僕の体は右手側に一歩下がった。ほんの少し出来た距離を無意識で確認しながら、僕の右手が思いっきり斜め後方に動き、そのまま弧を描くように動いた。

空気を割くような音が後からついてきて、何かを思いっきり弾いた音がテラス中に反響して、辺り一面に重く響き渡った。

「・・つぅ」

その呻き声に、ハッとした。

クロウが零した呻き声と血の匂いに、真っ白で埋め尽くされていた僕の意識が戻る。

僕の前で、僕の執事が首筋から一筋の血を流しながら片膝を付いて蹲っていた。その彼の背越しに、二人の女の引き攣った顔が見える。

「きゃぁ~!!」

と、今更ながら、劈くような悲鳴が二人の女の口から同時に上がる。

ほんの一瞬だが、完全に理性を手放していた僕に目ざとく気づいた僕の執事クロウが、その身を挺して、僕の振りかぶった鞭から彼女達を守っていたのだ。

「お気が済みましたか、・・我が主」

と、疼痛に耐えるような声で、だが同時にしっかりと、僕に視線を合わせて諫めるように言う。

僕はクロウを鞭打っていた。

そのことに気付いて、反射的に握り込んでいた鞭が手を放なれる。

片膝付いたまま苦痛に耐えていたクロウが、息を整えながら僕の鞭を拾い上げる。

彼は、少しも僕を非難する様子を見せずに、

「このようなものをご婦人に御向けになるなど、いつものウイリアム様らしく、あられませんよ」

と、まるで何事もなかったように冷静なままそう言うと、まだ、滴っている血を拭きもせずにすっと立ち上がる。

それを合図にしたのか、息を呑んで事の成り行きを見詰めていた数人の使用人たちの壁が割れ、その内の一人がクロウの背に駆け寄ってきて、彼の右手に掴まれた鞭を無言のままそっと受け取った。

そしてそのまま、何の言葉も挟まず引き上げてゆく。

僕は、それを黙ったまま見詰めていた。

「どうか、お気を鎮めて下さいませ」

まったく、いつもと変わりのない音階と瞳でクロウが僕にそう言う。

僕は、無言のままクロウの首に滴る血を見詰めていた。



「酷いじゃない、エディ!クロウドさんに何てことするのよ!?」

この女、又しても僕をエディと呼んだ。

だが、クロウを鞭打ったせいか、一気に冷静になっていた僕は、今度はただ彼女を睨むだけで何の行動にも出なかった。むすっと、不機嫌さだけは隠せない声で、取り敢えず言って置きたい主張をする。

「だから、僕をエディと呼ぶな!お前に、僕をエディと呼ばれる謂れはない。僕はウイリアムだ!」

ようやく、一番に申し渡しておかなければならなかった事実を、彼女に言い渡すことに成功した。

だがこともあろうに、彼女は僕の言葉を完全に無視して、クロウの首筋に伸びた鞭跡を覗き込んでいる。

そして、徐に膨らんだスカートから白のガーゼのハンカチを取り出すと、うっすらと裂けたのであろう首筋の傷にガーゼを当てる為に、クロウを膝間付かせていた。

「ごめんなさい、痛かったわよね」

彼女が、何故だがクロウに謝っている。

しかも、大粒の涙を零しながら。

僕がしたことにより、僕の執事がケガをしたはずなのに、何故だか関係ない彼女が謝っている。

その不可解な展開に、僕は理解が出来ない。

しかも、彼女がクロウに対して謝罪するだけでも不可解なのに、何故だか涙まで零しているのだ。

まったく、僕には理解できない光景が目の前で公然と繰り広げられている。

何の権利があるのか、婚約者が僕のクロウに当然の体で話し掛けている。しかも、完全に僕を無視して二人は会話を続けていた。

「いいえ、大したことではありません」

と言ったクロウに、

「でも!」

と彼女が食い下がるように呟く。

そんな彼女に、クロウは少し微笑んで、

「どうか、私のためになどお泣きくださいませんように」と、続ける。

もちろんその笑みは、この僕にも届いていた。

彼は、僕にも気にする必要などないのだと、その笑みで伝えてきていた。

『我が主』と、彼はあの時言ったのだ。

まだ僕は6歳だが、間違いなくクロウの主人だった。

彼は、このヴィコルト家に先祖代々ずっと仕えてきたデビアスの人間で、生まれてきた頃からずっと、僕の側に居ることを両親によって許された人間である。

それを、彼自身も認めているのだ。

だからクロウは、僕の為に彼女達を僕の鞭から守ったのだろう。

その身を挺してでも、僕を守るのが本来の彼の仕事なのだ。

彼を打てば、珍しく感情の整理が出来ていない僕を、助けることになるだろうとあの一瞬で判断したのだ。だから本来なら、大人と子供の間にあるどうしようもない体格差を利用して、僕から強引に鞭を取り上げることも出来たはずなのに、あえて彼はそうせず僕らの前に割って入った。

そして、その身で僕の混乱を収めてくれたのだ。

クロウは、僕に仇成す暴漢ではない者を、僕が我を忘れて本気で鞭打つなどあり得ないと読んで居たのだろう。僕を付け狙う変質者どもと、彼女達は根本的に違うのだ。いくら頭に血が上っていたとしても、完全に判断できなくなるぐらいたかが外れる訳がないと、彼は踏んでいたのだ。

だから、僕の混乱を彼はその身で受け止めた。

響き渡った鞭の音で、僕の理性は完全に正常に戻った。

僕はその瞬間、自ら無条件降伏をしていた。

僕が手放した鞭を拾う間、何の落ち度もないはずの彼を打ち据えたはずの僕を、なんとも言い難い穏やかな笑みで、彼は見上げていた。

その瞳には、何の非難も恐れもなかった。

その一部始終を間近かで見届けたはずの彼女が、酷く興奮したまま大粒の涙を流しながら、クロウの首筋に浮かび上がった傷口をそっと撫ぜるようにして押さえている。

「こんな・・酷い事」

彼女が、自分が零した言葉に涙ぐみながら、また僕を睨む。

「酷すぎるわ、エディ!!」

だから、酷いのはどっちだ?!

僕は一瞬叫びそうになった。

「もう何度も言ったと思うが、僕には君に!エディと呼ばれる筋合いなどないはずだ!」

と、些か語気を強めて間髪を入れずに突っ込んでみる。

だが、彼女の反応は恐ろしく鈍い。全く、僕の主張が聞き入れられていない。いやむしろ、聞き入れる積もりがないのかもしれない。

僕の背中が、嫌な予感に微かに引き攣るのを感じた。

また近くに、攻撃に使えそうなアイテムがないか無意識レベルで探索する。だが、生憎適当な小物が見つからない。腹立たしくて、湧き上がってきた怒りを抑えるために僕は右手を握り込む。

そんな僕に構わず、無礼で言いたい放題の婚約者が、また僕に何の事か良く分からない事を言い出した。

「それに、貴方、女の子にあんなもの向けるなんて一体どうゆう積もりなの?!」

急に先程の場面を思い出したのか、明らかに非難の声で、僕に詰問するように彼女が声を張り上げる。

「顔に怪我でもしたら、どうする積もりなのよ!!」

そんな事知ったことか、と正直に答えればいいのだろうか。

一瞬本気で思ったが、僕の視線の先で蹲ったまま、クロウが声にならない声でその言葉は控えるようにと伝えてきていた。そのためなんと返せばいいのか分からなくなる。

答えない僕に、彼女の涙で溢れた瞳が徐々に怒りに満ちていく。

「それに貴方、さっきまたおかしなことを言ってたわ!」

固唾を飲んでことのなりゆきを見守っていた使用人たちの誰かが持ってきた救急箱から、軟膏を取り出し、彼女の指一杯に掬うと、それをクロウの首筋に塗り込んでいく。

流石に、直接傷口を触られるのは痛いのだろう。クロウが低く唸った。

だが、彼女は止める積もりはないらしい。そのまま構わず、クロウの首筋に幾らか強引に薬を塗り込む。

「どうして、もう何度も会ったことのある女の子の名前を、鞭まで握って聞き出そうとしているのよ!」

ほんとに酷い人!!と、また、僕を非難する。

だが、僕は彼女の言葉のある部分で引っ掛かっているせいで、彼女の非難を半分聞き流してしまった。

「会ったことがある、だと?」

完全に、僕にはそんな記憶はない。

なのに彼女は、自分の後ろで所在なく立ち竦むあの無礼者を差して、そう言い切った。

「当り前じゃない、彼女はいつも私に同行してもらってる、私の親友よ!」

と、彼女が思いっきり不機嫌そうに僕を睨みながらそう言った。


そう言われてみて、初めてあの無礼者に見覚えがある事に合点がいく。

「そう言われてみれば、確かに」

婚約者の隣にはいつも、見かけない女がくっついていたな・・と、記憶が映像で蘇る。

敢えて写真で例えるなら、いつも半分だけしか僕の視界には映ってはいなかったので、正しく正面から見た覚えがなかったのだ。

どうして、見た覚えがない女がこの屋敷に居るのかと不信感しかなかったが、正確には僕の認識不足なだけで、全くの見ず知らずではなかったらしい。

その瞬間、また非難に満ちた彼女の声が上がる。

「まぁ!本当になんて失礼なの!!」

どうやら僕の口は、思ったままに動いていたらしい。

彼女は、キッと僕を睨んだまま立ち上がるとあの無礼者の傍まで下がり、彼女の手を取るとぎゅっと握り合い、何故だか良く分からないが見つめ合った。

「あんな失礼な子ほっておいて、あっちに行きましょう」

と、一瞬僕に振り向きながら、わざとフンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。そして僕から顔を背けて、自身の親友に微笑むとそう言った。

「ちょっと待て、失礼とは誰のことだ?」

普通なら、女同士の戯言など聞き逃してしまうところだがその時は違った。何故だか、僕の口が勝手に彼女達の行動を阻害してしまうような事を言い出した。

「貴方に決まってるわ!」

「何故僕が、失礼なんだ」

「失礼なのはそっちの方だろう?」

この際だから、はっきりさせないといけない。

僕は、映像関係の機器の持ち込みを、誰にも許可などしてはいない。

カメラなどと言う機械を勝手にこの屋敷に持ち込んだのはそっちの方だろう。確かに、僕の金髪しか写り込んではいなかったのだが、ルール違反を最初に仕出かしたのは僕じゃない。

と一気に彼女に詰め寄った。

だが、彼女は一向に僕を非難めいた視線で見詰めるのを止めず、

「確かに、カメラの事はソニアにも非があるかもしれないけれど、貴方は彼女に、以前から何度も会ったことがあるのに、一度もきちんと彼女を見たことがなかったなんて酷い事、本人の目の前で当たり前のように言い出すのよ?!本当になんて酷い人なの!空気が読めないどころの話じゃないわ!」

「酷い事なのか、それは」

僕は首を傾げてしまう。

涙を溜めてまで誹る様にいう婚約者に、違和感しか感じない。

自分の事なら、もしかしてそう感じてもおかしくはないのかもしれないのだが、取り敢えず彼女自身の事ではないのだ。

あくまでも、ソニアとかいう名前の彼女の友人が、この僕の記憶にほとんど残っていなかったというだけの話なのに、一体何故そんなに彼女は感情を高ぶらせた上、まるで自分の事のように怒りを感じて、感情を揺さぶられているのだろうか。

良く分からないな・・

「もう!貴方、さっきからわざと聞こえるように言いたい放題言ってるの?!」

その言葉で、また僕の口がするすると考えたまま動いていたことに気付く。

「兎に角、貴方みたいに酷い人、願い下げよ!!」

願い下げとは、こちらのセリフだ!

「酷いのは、君も同じだろう?!」

とまた僕の口が、勝手に動き出す。

「はぁ?どうして私が酷いのよ!」

彼女が本気で分からないという表情で僕に振り返る。

だから僕は、彼女でも理解できるように噛み砕いて説明してやる。

「さっきから、僕の事を何度もエディ呼ばわりしているのは君じゃないか」

母から、僕の本名について聞いたのだろうが、その名を君に開示した覚えは僕にはない。だから、その名で僕を呼ぶのは、無礼でしかない。

と、説明してやる。

流石に、ここまで言えば理解できるだろう。彼女も、一応上流階級の家の者だ。それなりの教育を受けているはずだ。

「いちいち、人の神経さか撫でる事ばかり言うのね!」

ええ、私の家は貴方の家に比べればわらの家ですけど、一応それなりの進学校でそれなりの成績を取ってますわ!と、返ってきた。

何のことだが、良く分からない。

何故そこで、そんなに顔を赤らめて言い返す必要があるのか、全く僕には理解できない。第一、そんな話を僕はしただろうか?

彼女は、何故だか僕の抗議とは全く違うことろに反応してきて、全く予想だにしていなかった返事で勝手に盛り上がっていく。

「貴方の家に比べたら、ほとんどの家がわらの家以下ですけど、それが何か?!」

中世から続く貴族と庶民、一緒にされても困るんですけど?!と、続ける。

「だから、一体誰がそんな話をした?」

僕は、そんなどうでもいい事をいった覚えはない。

何しろ僕は、彼女の家の事も学校の事も、一応それなりに知っている。

彼女はつい2年前に母親を病気で亡くし、父親しか身内らしい人間がいなかった。その為、ロンドンの寄宿舎付きの進学校で生活をしている。今の今まで、認識していなかったが、このソニアとかいう娘と同じ部屋に同居しつつ、勉学を共にしているのだ。

それに、彼女の父親が経営している会社はそれなりに順調に業績を上げていた。僕らの婚約がある一定の富裕層に向け公表されてからというもの、業績は鰻登りになっていた。

だから、それなりに必要な情報は知っていたのだ。

ただ、ついさっきまで、彼女自身の情報に穴があっただけで。

なんだか、嫌な予感がする。

このまま、彼女とは一生噛み合わないままなのではないかと・・・

僕が一人、内心頭痛しか生まない未来予想に暗くなりかけたころ、急に声のトーンを落とした彼女が、

「何が気に入らないのか分からないけど、親がくれた名前を勝手に替えて使うなんて、貴方の方が間違ってると思うわ」

と言い出した。

ようやく、幾らか本題に近い所に話が戻ってきた。

僕は、内心安堵しながら今回こそ彼女に分からせようと息巻く。

「僕の意志でウイリアムと名乗っている。だから、僕を今後一切!エディと呼ぶな」

と、もう一度念を押す。

流石にここまでストレートに言えば、理解できるだろう。成績の話で言えば、決して彼女は馬鹿ではなさそうなのだから。

「・・アリア様がお可哀そうよ」

彼女の返事は僕にとって、大変に意外なものだった。つい、返さなくてもいい返事が僕の口から零れた。

「はぁ?何故そこで母が出てくる。しかも、可哀そうってなんだ?」

いつもなら絶対声には出さない類の疑問が、何故だかするする口をついて出てくる。

おかしい・・、僕は何か危険な薬品でも彼女に盛られたのだろうか。そんなはずはないのだが、あまりにもいつもと違う対応を返してしまう自分が、信じられない。

僕の目の前で、何故だか分からないがまた涙ぐんだ彼女が、

「だって、貴方がまだ赤ちゃんだった頃からずっと呼んできた愛称を呼べないなんて、きっと物凄くお寂しいはずよ」

という。

「そんなものは、君の個人的な見解だろう」

ともっともな反応が自然と僕の口から零れる。

それに反応するように、彼女がまたキツイ目で僕を睨む。

「私、アリア様と大分仲良しになったのよ」

と、どうでもいい話を彼女はぶち込んできた。

彼女の話によると、彼女は僕の母と大分個人的に交友を育んだらしい。全然、僕には共感できないが、彼女の話によると母はだいぶ素敵な大人らしかった。

具体的にどこがそんなに気に入ったのか聞いてみたい気もするが、僕には、母の素敵な一面など思いつきもしない。僕にとっての母は、僕の都合を考えず無理難題を押し付けてくる、とっても厄介な人物なのだ。

しかも、やたらと僕に触れたがる。

僕は、他人に触れられることが好きではないのだ。

それが母でも、僕ではない人物という点では僕にとっては同じことだった。だから、母の手の届きそうな距離にはあえて近づかない。いつでも距離を置いて、僕は母に対面していた。

「貴方に触れられないから、代わりに猫のセバスチャンを抱きしめていらっしゃるのよ」

本当は、猫じゃなくて貴方がいいのに。

彼女が、何故だか小さく呟く。

「貴方が大好きなのよ・・」

大好きだと言われても、正直どう返答すればいいのか良く分からない。第一、君にそんな事を言われる理由が見つからない。

「ねぇ、なんとかいったらどうなの」

少し頬を膨らませ、怒っているのか恥ずかしがっているのか判別がつきにくい顔をする。

「ところで、僕の名前に関しての話だが、君はきちんと理解できたのだろうな」

と、僕が本題に戻したのが誤りだった。

見る見るうちに彼女の表情が変化し、顔中真っ赤に染まりまた僕を睨んでくる。大きな瞳も怒りに燃え滾っている。

何故、それ程いきなり感情が沸騰したのか分からない。分からないが、完全にさっきまでの落ち着いた様子は消え去り、猫が毛をさか撫でているような雰囲気で、彼女が僕に対峙している。

「もういいわ!!私、今後一切貴方をウイリアムとは呼ばない!」

彼女の、唐突な宣言に理解が出来ない。

何故、どうやったらそういう結論に達するのだろうか。

本当に理解できないが、彼女が真っ赤な顔を更に赤くして、全身小刻みに揺らしながら僕を見据えてくる。

「貴方はエドワードよ、だから、エディなの!」

「はぁ?」

もはや、二の句が告げない。






小型機で我が家のヘリポートへ着陸した私は、今夜の予定の一部をキャンセルすることにする。

出迎えた私の執事に命じて、午後からのスケジュールを調整する。ロンドンのビルに戻るより、このまま屋敷で書類整理という名の残務を片付ける方が、些かなりとも効率的だと判断したのだ。

私の執事は、私の命じた道理にすぐさま時間調整をするために、一番手短にある電話へ足早に向かった。

私はその背を見送って、屋敷へ歩を進めた。


我が家のヘリポートは、屋敷から幾分か離れた林の中央に設えてあった。

ヘリは、小型ジェットと違い小回りが利いて大変便利な乗り物なのだが、風には問題があった。辺り一面の物を巻き上げてしまう恐れがある為、それなりに広大なスペースが必要になるのだ。

最近では、ビルの屋上などというデットスペースが適任なのではないかと議論に上がってきていたが、まだ、ようやく規制が緩和されたばかりの為、都市部といえど左程導入には消極的だ。

アメリカのように、真新しいビルばかりが林立する、真新しい都市部は導入に積極的らしいが、ロンドンのように古い町並みを愛する人々が大勢いる古都では、なかなかヘリポートの建設は進んではいなかった。

わが社でもヘリを移動手段として導入していたが、ロンドンではまだ、ヘリポートを建築できるようなビルを建設する許可がほとんど下りてはいなかった。その為、ロンドン郊外にある我が屋敷の敷地内に、ヘリポートを増設したのだ。



私は自分の執務室に戻る途中、表の庭を横切っていた。

あまり聞かないような甲高い声が、屋敷に木霊する勢いで当たり一面に響いている。

「アレは一体何事だ?」

私の問いに、いつの間にか追いついてきた私の執事が

「お坊ちゃまが、マリー様と揉めておられるようです」

と答えた。

その返答に、思わず私は足を止め振り返る。

私のすぐ後ろで、私の執事が真顔で立っていた。

「それは、本当か?」

と、思わず確かめた。

息子が、誰かと揉めているという事態がまったく信じられない。

あの子は、まったく子供らしからぬ子供なのだ。全くと言っていいほど手の掛からない子で、既に知識だけに留まらず、生活態度まで大人のように規則正しい。しかも、完成された礼儀作法も身に付ていた。

唯一、朝が苦手な低血圧症であることぐらいしか、あの子に弱点らしいところは見つけられない。

それぐらい、あの子は既に大人な対応を身に付けていた。それにそもそも、子供らしい我儘や発想を、あの子は生来持ち合わせてはいなかった。

アリアの方が、どうかすると子供のような時があったぐらいだ。

私の驚きに、私の執事が同意して見せる。彼から見ても、あの子の様子は本当に驚きだったようだ。私はいつぞやのアリアの発言を回想してみる。

『あの子たち、本当に仲良しね』

彼女が今の様子を見ていたらなんと表現するのだろうなと、ふと思う。

取り敢えず何を言い争っているのか良く分からないが、遠巻きにして通り過ぎることにする。どうせここからは、あの子と言えど私の存在には気付かない。

私は、言い争っている二人から十分に距離を保って庭を横断する。庭から、私の執務室に直接入れるようになっているのだ。

まだ二人は言い争っていたが、結局私の存在には気付かなかったようだ。私は執務室のガラス戸を開け、中に入った。誰もいないはずの私の部屋には先客がいた。薔薇の庭が望める窓の前で、私の妻が何やら嬉しそうに立っている。

その後ろ姿を見たためか、何故だか鈍い頭痛が私を襲った。

「あら貴方、お帰りなさい」

本当に良く分からないが、彼女は満面の笑みを浮かべて私を振り返った。

彼女が覗き込んでいる先では、我が息子が、珍しく声を荒げて自身の婚約者と意見交換をしているというのに、何がそんなに嬉しいのだろうか。

分からないが、彼女の機嫌は最高にいいままだった。

「ただいま、愛しの君」

見るからにルンルンの妻の腰を抱き寄せ、キスを交わす。

「ねぇ貴方ご覧になって」

ひとしきり愛を交わして、彼女の唇からいつぞやのセリフがまた、当たり前の様子で零れ出した後、

「本当に、マリーを花嫁に選んで良かったわ。あの子ったら、マリーのとこが好きなのね」

と、何の根拠があるのかそう言った。

何処をどう見たなら、そういう結論に達するのかこの際講義して欲しいところだが、アリアが嬉しそうにはしゃぎながらそう断言する。

だが私にはあの二人、どう見ても好き合っているようには見えない。

しかし妻には、私には理解不可能な解釈が、揺ぎ無い真実として解読されているらしい。

何時もの事だが、彼女は少し理解を超えている。だが不思議なことに、致命的なところでは彼女の勘は外れたことがないのだ。

息子には悪いが、私は私の妻のファンタジーを壊したくはない。彼女が幸せになる為に必要なものは全て、私が整えてやりたい。

だから、このまま息子の不幸には目を瞑る事にする。

それに、アリアの予見が正しいのなら、きっとあの娘は息子の良き理解者になる。

女性とは、実に不思議な生き物である。

ウキウキと嬉しそうに、息子たちの喧嘩を覗き見る我妻を他所に、私は仕事を再開した。







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