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At the sunny side 5 

僕は今朝の失敗を取り戻すべく、急いで身支度をすることにした。

寝室に隣接しているドアを開けるとそこは、僕専用のバスルームだ。

いつでも、完璧な気遣いが出来る僕の執事が、僕が起き出す時間に間に合うように設定したタイマーで、バスの準備を整えている。

他人に触れられることが我慢が出来ない程嫌いなので、僕は伯爵家の令息でありながらも、自分の着脱及び身体に関わる全てを、自分ですることにしている。

当然、誰にも体を触れさせないし、髪を梳く事さえさせない。

だから、入浴も必ず自分一人で行う。

もっと幼かったころは流石に自分で!という訳にはいかなかった為、執事や母にこの身を任せてきたのだが、もう子供ではない。

執事以外の他人に、ほんの僅かな時間でも肌に触れられるなどあり得ない。

だから、もっぱら最近では、自分の事は自分でしている。

バスに浸かって、まだ寝ぼけた体を温める。ちゃぷんと、耳に心地いい音楽のような水音が響いている。うつらうつらしながらお湯を満喫する。僕は、バスタブに熱めの湯を張って入る日本式の風呂が気に入っていた。どれぐらいの間、夢現でぼんやりしていたのか分からないが、体がかなり熱くなったためかようやく気分が晴れてくる。そのお陰でやっと湯から出る気になった。

バスタブを跨いで、シャワーブースに移る。コックをひねって、適温のお湯を勢いよく浴びながら、体を洗う。子気味のいい水音がバスルームに木霊していた。

浴びながら、ほんの少し腕を伸ばしてお気に入りのシャンプーを手に取ると、今度は無造作に髪に撫でつけ泡立てた。

どんなにいい加減に洗っても、少しも痛む様子がない僕の髪は、流れ落ちる水滴さえ輝かせる。

丁度いい所に置かれたタオルを取り、無造作にごしごしと水滴を拭った。

こんなことすら、本来の身分で考えると使用人にさせるらしい。

考えるだけで、吐き気がする。

僕と真実血の繋がった母でさえ遠慮したいのに、赤の他人など信用できる訳がない。

体を流れ落ちる水滴を拭いながらバスルームの扉を開ける。

洗面室には、今日の衣装が昨日の内に用意されているのだ。

ただし、僕の衣装を決めるのは基本母上だった。

シルクで出来た肌触りのいいブラウスは、僕も気に入っている。その滑らかな肌触りには一つも文句はない。ただ、その昔のデザインを踏襲した、胸の辺りに幾重にも豪華に施された飾り布が気に入らない。おまけに腕は膨らみ、絶対的に必要のない袖口にも同様にあしらわれている。

母上は、何故こんな邪魔なものがお好きなのだろう。

分からないが、どうせ聞いても更に理解しがたい理由が戻って来る気がして、もはや聞く気もしない。

腕を通すと、金細工で飾られた僕の瞳と同じ色のカフスボタンをはめる。

この金のカフスも厄介なのだ。

飾りの為だけに、何重もの金の鎖が付いている。

動くたびに五月蠅いし、どこかに引っ掛けて切ってしまっては母の不興を買うかもしれない。

僕の日常を考慮するなら、ただの飾りボタンに変えて頂きたいところだ。

何故なら、頭のおかしな変質者どもとの闘いの日々を、僕は過ごしているのだ。もしも、枝や何かしらの家具に引っ掛かりでもしたら、それこそ貞操の危機を招いてしまう恐れがある。だが、そのような事実をわざわざ母に言うほど僕は馬鹿じゃない。

そんな事をもし母に言ってしまったら、完全に僕の自由がなくなってしまう。

母が僕を囲い込もうとするのは、わかり切った事実だった。

だから仕方なく、今日も母のコーディネート通りに服装を整えてゆく。膝上5㎝のズボンに足を入れ、肩から黒いサスペンダーを締める。真っ白い長靴下を履いて、お気に入りの黒の革靴を履いたら着替えは完了だ。

どうでもいいが、僕はこのビラビラした飾りが本気で好きではなかった。

一度だけ、それとなく母に意見したところ、

「本当は、私が、全部したいところなのよ?」

と、真顔で返答された。

母にすべてを委ねたら、どんな衣装を着させられるか分かったもんじゃない。

それ以降、どうにか僕でも許容範囲内で選ばれているらしいその服を、無言のまま受け入れることにしている。


笑顔で僕を脅すあの人を、どうか父上諫めて下さい。

本気で父に直訴したいところだが、そんな馬鹿気た争いごとに父を巻き込むのは甚だ申し訳ない。

僕はまだヴィコルト家の持つ仕事関係の全容を知らないが、父が動かしている会社がどれ程大きくて複雑かは、大まかにだが把握している。

何故なら父のPCのパスワードは、もう知っているのだ。

もちろん、父に直接教えて頂いた。

家庭内ハッキングなど、やってやれなくはないが、面倒なのでしない。それに僕は、効率の悪い事はしない主義だ。第一、跡取りになり得る子供は僕しかいないため、父に何かがあったならすぐにでも僕が父のポジションをカバーしなくてはならないのだ。

だから僕が望めば、父は特に何も言わずに大概の情報を公開してくれる。

最近はもっぱら、勉学よりも経済活動とやらに関心が芽生えてきたぐらいだ。

机の上でする教科という括りのある学問よりも、不確実な現象が随時起こる、経済活動のほうが面白そうだと最近はかなり本気で思っている。だが、どうやら父は、僕が父の仕事に関心を寄せていることに、それとなく反対を表明していた。

「お前にはまだ早い。もう少しだけ、退屈だろうが勉学を積みなさい」

いつだったかそう言った父は、父の母校である王立高大統一校への進学というのか途中転入を、その日のうちに決めてしまっていた。

父の決定に異議を唱えることなど僕にはできない。

父は、間違いなくこの僕を従えることのできる唯一の存在なのだ。

僕は、胸中に限りなく疑問譜を溢れ返しながらも父の決定に頷いていた。

それに、父の言う”お前にはまだ早い”という言葉に一体どのような意味が込められているのかは、僕には少しも理解できなかった。というのか、全く意味がわからない。だが、結局気にするのは止めた。何故なら、どうせ僕には理解できないからだ。

僕には、人として大切な感情とやらに欠陥があるらしく、他人の行動を予測する技術には長けていても、そこに付随する感情を読むことは苦手だった。

それでも、特段に困りはしない。

何故なら、悪意に彩られたマイナスな感情を読むのは得意だからだ。

それ以外に、他人の感情を読むことに意味などこれまでの人生の中で僕には見出せなかった。

僕に降りかかる火の粉を元から立つために最低限必要な情報でもある悪意を、間違えずにきちんと読めさえすればいいのだ。それ以外の人間の感情になど、例えどのような意味があったとしても僕にとっては邪魔でしかない。他人の感傷など気にしても無駄だ。どうせ僕には1gも理解できない。そんな訳の分からないものにかまけても、なんら有益など得られない。

例えそれが、血を分けた実の両親であっても、僕にとっては謎だらけの人々だ。

それに、父が卒業したその学校とやらにも、それ程の価値があるとは僕には到底思えなかった。

だが、父は明らかに今の僕よりも上の存在だ。

このヴィコルト家の当主であり、数十万もの人々を束ねる統治者で、そろそろ900年を数える伯爵家の歴史を担う偉大な方なのだ。

そして何より、父は今の今まで一度たりとも判断ミスをしていない。

いつでも完璧に、全てを見越して動かしていらっしゃる。

それぐらいのことは、生まれたころから屋敷に幽閉中の僕でさえ、教えられるまでもなくキチンと理解出来ていた。


そして、この僕を、この世に導き出した存在なのだ。


父は、本来の婚約者を見限って、母を妻としてこの家に迎え入れていた。

本来ならば、親が決めた許婚と強制的に婚姻を結ばれてしまうはずなのに、どうやったかまでは定かではないものの、父は自身の父親を強請ゆすり、強引にも花嫁を交代させたのだ。


そのおかげで、今僕はここに生きている。


もしも、決められた相手とそのまま婚姻を結んでいたなら、僕はこの世に誕生しなかったのだ。

「余計なことをしてくれる」

つい零れ落ちた独り言は僕の本心だ。

いっそそのまま、許婚と大人しく結婚してくれれば、僕はこの世にすら存在せず、この退屈な日々に出会わずに済んだのに。

退屈過ぎる人生に対する恨み言が、いつものように僕の中に沸き起こる。

(生まれてこなければ、こんなにも退屈に悩まされずに済んだのに)

もう、何度目か忘れた台詞が僕の喉の奥に張り付いていた。そのざわめきを伴う感傷が、苦い味を残しながら僕の喉を、いつものようにゆっくりと滑落していく。

鏡に映った自分と視線が合う。


そこに映った僕は、退屈を絵に描いたような顔をしていた。


退屈から逃れるために、もう随分と以前から僕は勉学に没頭していた。なのに、最近ではそれすらすでに興味を引かなくなっていたのだ。


僕は別に、正確な円周率などには興味はない。

否、どうでもいい。

幾つ小数点以下の数字が並んでいようとも、そんな事実に感嘆は浮かばない。

ただのどうでもいい数字の羅列ぐらいにしか感じられなかった。

宇宙についても、インフレーション理論を理解できるレベルで興味はつきた。

それ以上を理解出来なくても、別に恥とも思わない。

だいたいほとんどすべての人間が、インフレーション理論を完全には理解出来てはいないのだから。

それに、僕は天文学の講師に憧れを抱いている訳でもない。

アイザック・ニュートンの万有引力の法則や、アインシュタインの相対性理論を読破したのは、ただ単純に面白そうだったからだ。

だから重力波がどうとか、ブラックホールが存在するのはどうしてなのかとか、138億光年先の世界にインフレーション理論を証明する証拠があるかもしれないとしても、それらに大して関心は動かなかった。

それに、元素記号表に空いた未知の誰も知らない元素にだって、それ程の興奮も興味も感じなかった。

もし元素に深い思い入れがあったなら、何かを発見し、その存在を証明することに時間を割いたかもしれない。

だが生憎、左程僕の中には、元素についても関心は生まれなかった。

化学はいつか莫大な利益を生むものだが、それを僕がする必要性を見つけられなかったのだ。

どれも知的好奇心をくすぐりはしても、それに強く惹かれたりはしない。

物理も化学も数学も、与えられた式を解くことに面白みはあっても、専門に特化した知識にそれ以上の関心も探求心も、僕の中にはまったく浮かんではこなかった。

だから、必要でかつ関心のあるレベルの知識だけで十分だった。


大体、僕は効率の悪いことをするのが嫌いだ。


研究とは、大概の場合、非常に効率の悪い事柄の連続なのだ。

仮説を立て、証明するための研究をし、実験材料を集め、資材を組み立てる。

国や大学を巻き込み、莫大な資金を投入し、地道な実験を積み重ねても答えはNOかもしれない。

そうなると、また最初からやり直しなのだ。

その過程に、面白みを見つけることが出来る者だけが、研究者という道を歩んで行くことが可能なのだ。

結論として、僕にはまったく向かない。

僕は実験にも、仮説を立て証明することにも、それ程面白みを感じない。

それらを実現しようと努力する人々を眺め、資金提供を申し出ることぐらいはしたとしても、それまでだ。

自から進んでそんな面倒なことはしたくない。

僕は効率を、何より人生のモットーとしているのだから。


結果として、僕は早々にすることが無くなってしまっていた。


だったら、そんな聞くに堪えない泣き言を洩らすまでもなく自殺をすればいい。と何処かで誰かが言いそうだが、そんなに現実は甘くはない。

僕は目下、この家の一人息子なのだ。

僕以外に、この家を継いでいく誰かは残念ながらいない。

ほぼ900年も続いてきた一種の怨念が、僕の意志を尊重してくれることはないのだ。


僕には生まれてきた以上、この家の為に、後に続く誰かを生み出す義務が最初から課せられていた。


世間一般的に言えばまだまだ子供であるはずの僕に、父はもう随分と昔に命令してきた。

「お前の血を引く誰かを、この家の為に用意しなさい。それが、この世に生まれてきた最大の意味であり、お前に課せられた義務だよ」

父は威厳に満ちて、退屈に顔を曇れせ始めた僕に言った。

その言葉で、父には僕の中の何かが見えているのだと知った。

僕が、自分の存在にどんな意味があるのかと疑問を持っていることを、父だけは確実に知っているのだとその言葉で確信したのだ。

退屈の余り、生に対してすらそれ程頓着していない僕がいることも、とうの昔に父は知っていたのだ。

だが、そんな義務を負わされるぐらいなら、いっそ僕以外の誰かに生まれて来て欲しかった。そうすれば、その誰かが僕の立場を踏襲してくれただろうに。

考えても詮無きことだが、かなり以前から本気でそう思っている。

だが、いくらそれを望んでも、僕は僕でしかない。

他の誰かにはなれないし、他の誰かが僕のようになりたいと望んだとしても、それも永遠に叶わない。

今がすべてで、もしもは未来にしか存在しない。

時間はけして、巻き戻ったり行く先を変更したりもしないのだ。

だから、今をよりよく生きていくしか術はない。

もう何度検討したか分からない禅問答が、自分の中から答えとして返って来る。


母が急に、僕に婚約者などという娘を押し付けてきたのも、きっと父が言う、僕に課せられた義務がその根本にあるのだ。僕は父と違って、自分の意志で誰かを選んだりはしないだろうと、母は無意識に気付いているのだ。

確かに、僕には誰かと一緒に居たいなどという発想も、そもそもそう思う感情もない。

はっきり言ってしまえば、一人の方が断然居心地がいい。


エディさえいれば。


そこで、現実に思考が呼び覚まされる。

ようやく自分自身との会談に終止符を打って、僕は鏡の前から離れ一歩退く。サッと、上から下まで見渡して、不備がないか確認した。

母上に、ついうっかり捕捉されるような惨事にならないように気を引き締める。

今朝も、母が好きそうな出で立ちだ。

きっと母的には、満点の出来栄えだろう。

(どう見ても女の子・・だな)

フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いたが、横目で鏡に映る自分を睨む。

もう少し、男らしいデザインでもいいだろうに・・とは思うのだが、服装に限って言えば僕に拒否権はない。

母の思いのままなのだ。

鏡に映った自分は、どう見ても華奢で線の細い女の様だ。冷静に考えて、美しいとは思う。つまり、僕の容姿にはこの服装は自然に馴染んでは、いる。

そうではあるが、やはり、どう考えても好きにはなれない。

僕の唇から重い溜息が漏れる。

ここ数年、暇つぶしも兼ねて武道にも精進しているのに、一向に男らしい肉体には成れていない。

武道の師範たちは、僕の才能を諸手を上げて褒めたたえてくれているのに、バランスよく身体は成長をしてはいても、生まれついた容貌はさらに磨きが掛かり、体つきそのものもまるで女の様なままなのだ。

お陰で、母が選ぶ嫌がらせのようなこの服装も、全く違和感なく僕に似合ってしまっている。

(これでは、何のために武道に精を出しているのか分からないな)

週末ごとに遭遇する変質者どもに鉄拳をくらわすぐらいにしか、武道は僕に役だってはいないのだ。

まだ6歳のこどもなのだから、と師匠たちは口々にそう言うがどうも信じられない。

僕の脳裏に初代の肖像画が浮かび上がる。伝説にまでなって今も語り継がれている初代は、残念ながらかなりの美丈夫だった。

そして僕は、そんな彼に似ているのだ。

僕は別に、魔女に審美眼を狂わされた頭のおかしな子供ではない。

だから当然だが、醜いよりは美しいものが好きだ。

当然、自分の容姿も醜いよりは綺麗がいい。

だが、ものには程度がある。

僕は、絶世の美女のような容貌は、さらさら望んではいないのだ。

鏡の中の、美少女のような僕を睨んで、もう何度目か分からない決意表明を自分自身にする。

【僕はけして、このままの姿でいるつもりはない。いつか、必ず、男らしい容姿を手に入れてやる。何故なら僕は、男なんだ】

僕は踵を返し、寝室に隣接した僕専用のバスルームから出て行く。



一刻も早く、彼女を捕まえなくてはならない。

彼女に渡してしまった僕の親友を、取り戻すのだ。

僕は決意に満ちて、僕の寝室を後にした。





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