At the sunny side 4
「僕は初代じゃない、僕をエディって呼ぶな!!」
と家中の者に宣言したのは、4歳の誕生日のことだった。
僕の家には、将来伯爵家を継ぐ予定のある子供に、エドワードという名前をファーストネームにつけるという伝統が、ここ数百年受け継がれてきた。
何故ならフランスから移住してきた初代が、当時のイギリス国王から直接賜った名が、エドワードだったからだ。
その栄誉を子々孫々まで伝え残すために、代々ずっとこの名がファーストネームとして受け継がれてきたのだ。
そう、僕の祖父の代までは確実に。
僕の父も、ヴィクトール・エドワード=ド=ヴィコルトという名なので、全く伝統を無視して名付けられた訳ではなかったのだが、父はセカンドネームにエドワードという名前が付いていたので、呼び名はエディではなくヴィクだった。
もっと幼少の頃から、何となくその事実が気になっていた。
おまけに皆、伝説と化していた初代を、何故だか僕の上にはっきりと重ねて見ていた。
初代は、フランスという国が形作られる以前から続く豪族の一門の出で、生粋のフランス伯爵家の跡取りとして生を受けた。フランス国王の懐刀と呼ばれるほど頭が切れ、ギリシャ神話に出てくる太陽神のように勇敢でなおかつ勇猛だった。その上、神懸かり的なまでに神々しい美貌を誇っていたらしい。
いつも純白のマントを優雅に纏って、最前線でフランス軍を率いていた。
その容姿は、敵にすら称えられた。
まるで天使のように美しく、悪魔のように恐ろしい、白の悪魔と。
かの君の登場で、その開戦はすぐに勝敗が付くとまで呼ばれていた。
それほどに敵には恐れられ、味方には絶大な信望を得ていた。
何度も祖国の危機をその手腕で救い、フランス国王からも絶大の寵愛を一身に集めていた。
そのはずだったのに、ある日を境に境遇が一変した。
イギリスとの長期に渡った戦争を解決するために、人身御供として、イギリスに渡るようにフランス国王から勅命を受けたのだ。
無論、断れるはずがない。
イギリス国民からしたら、私はまさしく憎い敵である。
自国民を何十万も海の藻屑に変えてきた、正真正銘白い悪魔だった。
当然、その命を持ってして、地獄で眠る同胞に詫びろという事なのだろうと理解した。
それをもってここ数十年間ずっと続いてきた戦争を終結し、両国とも痛み分けにする他、うまく事を収める方法が無かったのだ。
ここで普通なら敵国に赴いたとたんその身を拘束され、重罪人として処罰されるためにイギリス国王が待つ王都に連行される。
もちろんそのことは想定していた。
だというのに、事実は全く違っていた。
片田舎のぼろぼろの入り江に上陸したとき、そこには、王家の紋章が織り込まれた旗を翻した騎士団がいた。
しかも、皆首を垂れて出迎えていた。
もちろん誰も、剣すら持ち合わせてはいない。
そのあまりに丁重な出迎えに違和感を覚えた。
皆、憎い敵に敵愾心を露わにしていたが、誰も無礼な振る舞いも誹りすら口に出すものはいなかった。
それどころかまるで、これから仕える主人を出迎えるように、丁寧に片膝を付いて出迎えた。
その丁寧な対応は、王都に付くまで一切変わらなかった。
ただの一度も、重罪人扱いを受けることはなかった。
それどころか王族級の扱いを受けた。
そして、王宮の謁見の間まで白の軍神を護衛したのだ。
そこから先は、その丁重なもてなしである程度予想が付いていた。
フランス国王からの書状を直接イギリス国王に手渡して、フランスとの戦を正式に終結へと導く。
語学に堪能だったため、第三者の介入は必要なかった。
自分より10は年上の国王相手に、フランスとの不可侵条約を締結する。
これで、この親書が無事にフランス国王の元に届いた瞬間、私の罪が全国民の前で詳らかにされ、私は処刑されるのだ。
それも、たいして悪い事ではない。
そもそも戦争なんてしていたところで、国や国民を疲弊させるばかりで、たいして利益などないのだ。
私一人で済むなら安いものだ。
別に、生きていることにそれほど執着を感じたことがなかったので、自分の命がどういう扱いを受けようとも、どうでもよかった。
今まで続いてきた伯爵家も、犬にでもくれてやればいいと本気で考えていたので、そもそも命乞いなどというものは選択肢にも挙がっていなかった。
ただ一つ望みが叶うなら、二国間の国民に遺恨を残さない方法での処刑だった。
正式な書簡を書き上げる最中に、そのことだけを、個人的に国王に陳情した。
イギリス国民にとっては最たる憂さ晴らしになり、祖国の人々には、その地位に準じた潔い死であったと受け止めてもらえるような死に様を、私に与えて欲しいと希望した。
それをもって、このつまらなくも憂鬱な戦争がやっと本当の意味で終わるのだと説いた。
生意気な物言いに、その場での手打ちがあっても不思議ではなかった。
だが私が夢想していた未来は、私の目の前にはついにやってはこなかった。
それどころか何をトチ狂ったのか、イギリス国王に気に入られ、臣下に列するようにと命じられた。
私に、断る権利はそもそもなかった。
正式にフランスとの不可侵条約が締結した後開かれた戦勝会で、並み居る貴族たちの前で国王自ら紹介された。
これからはイギリスのためにこの頭脳を使うと、衆人環視の中で誓を立てさせられた。
そこでフランス名であるエドアールを改め、エドワードというイギリス名を国王自ら賜った。
それだけでも十分過ぎるほどの破格な措置だろうに、その場で、フランスに居た頃に倣って爵位まで授かることになったのだ。つい3年前まで権勢を振るっていたある死に絶えた伯爵家の称号と、その領地と居城の全てを受け継ぐことになった。
もちろん名前の改変はあったが、何故か家名は、そのままフランス名を名乗る事が許された。
不満は限りなく渦巻いていただろうが、誰一人意を唱える者はいなかった。
皆、国王の気まぐれには慣れっこだったのだ。
そのうちに、敵国のスパイとして始末すればいいと考えたのかもしれない。
その日から何の因果か、白の悪魔と恐れられたこの私が、イギリス王家に仕える第一位伯爵として、新たなる人生を始めることになってしまったのだ。
それは、とても古い本に書かれていた史実だった。
書いたのはどうやら初代本人で、さらに秘密の情事についても、事細かく詳細に書き連ねていた。
僕はそれを、偶然発掘してしまったのだ。
一気にお終いまで読んだ。
初代が伝説化されていたのは、過大評価ではなかったことがこれを読んですぐに分かった。
そして、その人生に物凄く退屈していた事実も。
まだ3歳の僕が、もう既に感じ始めている退屈を、数百年前の初代も感じていたのだ。
読み終わった瞬間、物凄い疲労感に襲われた。
まるで僕に対する、預言書のような内容に眩暈がした。
僕の人生はまだ始まったばかりなのに、初代のように退屈に苛まれるようになるかもしれないと、この日記が僕に告げていた。
何故なら、初代は僕に似ているのだ。
その思考も行動力も、周りより突出した知性も、そして何より外見がそっくりだという事実が、一番に引っかかっていた。
僕の家に、初代の肖像画はない。
何故だかわからなかったが、この日記を発見するまでは、確実に初代の容貌を知る術はなかった。
ただ、神懸かり的に美しかったと、言い伝えだけが残されていた。
その言い伝えを証明できそうなほど美しい肖像画が、まるで隠すように額から外され、僕が偶然発見した古い日記に差し込まれていたのだ。
その絵の人物は横を向いていた。
肖像画としては珍しい構図だった。
そもそも普通は、その権力を誇示するためにわざわざ画家に多額の資金を投じて描かせるため、どんな醜男でも、毅然として前を向いているポーズが選ばれる。それに、どんなに自信のないぼんくら貴族でも、せめて絵の中だけでも威勢のいいふりをして、正面を向くものなのだ。
だというのにその肖像画の人物は、自らの容姿をわざと隠すように、そっぽを向いたままである。
まるでその繊細な美貌を嫌がっているのか、それともただ単に、絵を描かれるのが物凄く不本意なのか、
不機嫌そうに何かを睨みつけていた。
その横顔が、僕に似ていた。
僕よりもだいぶ年上の顔立ちだが、ぎくりとするほど僕に似ている。
まるで僕自身の将来の顔を見せられた気分だ。
それほどに、気味が悪いほど僕に似ていた。
その顔が、証拠だった。
これは、間違いなく初代だ。
不機嫌に彩られたその横顔に、僕の憂鬱が重なる。
初代の不機嫌が、僕には理解できるような気がした。
つまりこの顔が、初代も僕と同じように、全然気に入っていなかったのだ。
この顔のせいで、必要以上に他人の関心を引いてしまい自らを危険に追い込む。面倒ごとはほぼ全て、この顔がもたらしているようなものなのだと、その不機嫌な横顔が、僕に初代の苦悩を教えてくれているようだった。初代が感じていたように、己の外見が一番の最悪を呼び込む魔法だと、この頃の僕はもう自覚していた。
だからこの瞬間から、僕は僕であることにこだわり始めた。
僕を褒めたたえる言葉に、”エドワード様の再来”という言葉があった。
もちろん初代を指している。
僕が偶然見つけるまで封印されるようにしまわれていたのに、何故か皆、初代の姿形が僕に似ていただろうと確信していた。伝説にまでなっている人物の事なので、あらゆる分野で慣用句化されていたのも真実だったが、あまりにも単純に、皆僕を初代の生まれ変わりのように崇めていたのだ。
確かに僕は、普通の子供よりもだいぶ知的に突出していた。
頭を使う事しか、暇を潰す術が見つからなかったから、与えられるままに知識を深めた。
そのことがまた、僕を初代に重ねさせる要因になったのかもしれない。
皆僕を褒めたたえるために、初代を引用していたに過ぎなかった。
それは十分わかっていたが、僕は、その例えを聞くたびに密かに腹を立てていた。
初代の顔が僕に瓜二つだという事実を僕しか知らないはずなのに、当然のことのように皆が僕に初代の姿を重ねていることが気に入らなかった。
僕は僕なのに、初代の亡霊を僕に重ねている皆に、何故だか無性に腹が立った。
僕を初代と混同されているかんじがして、どうしても許せなかった。
とうとう腹に据えかねて、僕の誕生会で宣言した。
「僕は初代の生まれ変わりなんかじゃない!僕は、僕の人生を自ら選ぶ!!」
「今日から、その名で僕を呼ぶな!」
その日から僕は、ファーストネームであるエドワードを捨てて、ウイリアム=ド=ヴィコルトになったのだった。
それから2年が経っていた。
僕の呼び名は完全にウイリアムに正され、誰一人僕をエドワードと呼ばなくなっていた。
もちろん両親や、産まれた頃から僕に仕えている僕の執事であるクロウドにも、僕をエディと呼ばせなかった。
僕はもう、飽き飽きしていたのだ。
初代と混同されることも、初代と並ぶほどと形容させることにも。
もちろん僕は超能力者ではないので、使用人たちの心の中まで覗ける訳ではない。
彼らが内心僕をどう呼んでいようと、僕に誰を重ねて見ていようと、はっきり言ってどうでもよかった。
ただ僕に、不機嫌と不快感しか呼び込まないその名を、聞かせないでくれればよかった。
誰も呼ばなくなったその名を、僕だけが熊のぬいぐるみに使っていた。
何故なら僕にとってはその熊は、最初から”エディ”だったから。
エドワードという名の呼び名ではなく、元々”熊のエディ”という分類だったのだ。
僕にとってそれは、初めから”エディ”という名の熊で、同じ年ごろの誰かが居なかった僕を案じ、父が僕のために用意した友のような存在だった。
例にもれずこの僕も、その辺にいる子供のように、いつでもそばにある熊のエディを知らぬうちに擬人化していた。自分の考えを整理するためには、自分以外の何かがあった方が素早く精密にできるため、僕はいつも熊のエディを相手に思考を巡らせていたのだ。
彼が寡黙なところも気に入っていた。
うるさく話し掛けないし、僕の思考をかき乱すこともしない。
おまけに日がな一日中、文句も言わずに僕の空想や思考遊びに付き合ってくれるのだ。
こんなこと人間ならできるはずがない。誰しも自分が一番大切な生き物だから。つい、自分の意見や見解を披露したくなる。
それが、邪魔なのだ。
僕には人間の子供の友達よりも、熊のエディの方が何倍も心地いい存在だった。
だから、そのままを受け止めていた。
彼は見た目は熊のぬいぐるみだが、僕にとってはそれ以上の存在で、エディという名の友だった。
そのため、熊のエディに改名をさせる必要性に気付いていなかった。
第一、屋敷の者たちはもう誰一人僕をエディ様と呼ぶものはいなくなっていたし、両親すら諦めて、僕をウイリアムと呼ぶようになっていたのだ。
いまさら初代の亡霊に、苛まれることなどないと信じ込んでいた。
それが一番の大きな過ちだった。
僕の名前の秘密が、まさか熊のエディによって暴かれてしまうだなんて・・・。
しかもその相手が最悪だ。
僕の婚約者に、エディという名が知られてしまうだなんて、とんだ計算違いだ。
おまけに何を血迷ったか、エディを彼女に渡してしまった。
だから僕は朝が嫌いだ。
致命的に頭の回転が悪くなる。
「一度、彼女には言って置かないとな」
僕の熊のエディについて彼女が見聞きした事実を、他の者には他言無用と念を押さないといけない。
それから決して、熊のエディの名を、僕以外の誰かの前で口にしないように言い渡しておかないといけない。
彼女は何か途轍もない事をしでかしそうだ。
母と似た波動を感じる彼女に、そこはかとない不安を覚えながら、痛む頭を庇いつつ、僕はやっとだるい躰をなんとか動かして、ベッドから這い出したのだ。