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紫苑の花を君に 〜武闘派令嬢の英雄譚〜  作者: 紺
第二章 西香編
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龍の置き土産

「殿下、夜分に失礼いたします。おや、皆様お揃いで」


 一人だけ飄々とした様子の柏家当主が、朱李、璃玖、大将軍を見渡して、最後に六花へ視線を向けた。


「よくぞ戻られました、六花嬢」

「ええと、ご心配ありがとうございます?」


 満面の笑みで六花に手を差し伸べた柏家当主は、こっそりと唇の前に人差し指を置く。


「六花嬢。貴女は一昨日から昨日にかけての夜更け、私と共に禊池付近で散歩をした事は覚えておいででしょうか」

「夜更けの散歩は昨夜の事と記憶しておりますが…」

「ほう…()()()側とこちら側とでは時の流れ方が異なるようですね。詳しいお話は後ほど伺うとしましょう。そして貴女は散歩中、私が目を離した隙に忽然と姿を消した」


 あくまで公表するつもりがないらしい柏家当主は、埋蔵金や魔術諸々の部分を丸々省いた説明を行った。あたかも唐突に六花が消失したかのようだが、嘘は言っていない所が憎い。


「…ええ、相違ありません。何かに呼ばれたような心地がして、確かにここではない何処かへ足を踏み入れました。しかし直ぐに眠らされ、一日分の記憶が一切無いのです」


 六花が滞りなく言いきれば、当主は完璧だとばかりに頷いた。彼の目が矢鱈ときらきらしているのは見間違いではなさそうだ。どうせこの後質問責めにさせるのだろう。


「長い時を過ごしたような気もするし、たった一瞬だったような気もする。気が付けばここに横たわっていて、殿下に揺り起こされました。以上が、今言える全てです」


『ここで見た情報は決して口外なされぬよう、約束をしていただけますか?』

『…ええ。初代伽羅皇国皇帝、迦楼羅帝に誓って』


 軽々しく立てた誓いを後悔しつつ、喉まで出かかった記憶をやっとの事で飲み込んだ。一人で受け止めるには膨大すぎる奇跡を目の当たりにして、それでも知らないふりを続けるのは余りに精神を消耗するのだ。


 腑に落ちないことが山ほどあると璃玖の表情が物語っていたが、扉の外に気配を感じ、彼は口を閉ざしたままとなった。




 次第に気絶から復活した騎士たちが集まり出し、亜嵐の影に六花を見つけて軽く悲鳴をあげた。まるでお化けに遭遇したかのような反応である。


「あの威圧はなんだ? 一瞬死んだかと…」

「それに祝詞の夜に神隠しなど、余りに不吉ではないか」

「無礼者! 殿下の御前で何ということを!」

「しかし気絶者が多過ぎる。緘口令を敷いたとて、噂が広まるのは時間の問題だ」

「祝詞を失敗した年は大災害が起こるって噂は…」

「馬鹿! それを殿下の前で言う奴があるか!」

「でも、さっきの威圧だってもしかしたら何かの前触れかも」


「お前ェら、皇子殿下の御前だ! 口を慎めよ」


 興奮した騎士達に向けて、亜嵐が声を張り上げる。しかし得体の知れない威圧に対する恐怖はそう簡単には消えず、ガタガタと震えたままの者さえいる。


 禁軍の騎士を震え上がらせる程の威圧をうっかり垂れ流す龍を思い出し、遠い目をする六花。一体誰が後始末をつけるのだ。ちょっとしくじりました、なんて言える雰囲気ではない。


 ちらりと璃玖を見てみれば、硬い表情のまま服の裾を痛いほど握りしめていた。




「璃玖皇子殿下。僭越ながら、この場を取り仕切る役をお任せいただけますかな?」

「ああ、頼む」


 場にそぐわない程落ち着いた声色で、柏家当主が名乗り出た。場を収める役を買って出てくれた事に感謝しつつも、彼の思惑がわからない。不安な表情を隠しきれないまま、六花は耳を傾けた。



「そちらの茶髪の騎士殿、先程不吉だとおっしゃいましたな。そちらの真ん中分けの騎士殿も、大災害の前触れだと。ええ、ええ。確かに様々な理由で祝詞を中断した年は大災害に見舞われるという迷信が存在します。よろしいですか、迷信、でございますよ」


 師匠(せんせい)と呼びたくなるような口上に、人々は例外なく引き込まれた。念を押した柏家当主は多くの視線を受け、満足げに笑う。


「大災害に理由をつけたい、誰かに責任を負わせたい愚か者が、たまたま祝詞中に空腹で倒れた皇族に罪をなすりつけた。それが迷信の始まりです。笑止千万でございましょう? 聡明な騎士殿であればお解りになられるはず。今、殿下に罪をなすりつけようとしたことを。厳しい事を申しますが、それは文明人のやる事ではございません。何より殿下は無事祝詞を終わらせたのですから、非難されるべき対象には成りようも無いのですが」


 恥じ入ったように身を縮こめる騎士数名。璃玖への懸念を一瞬にして晴らしてしまう手腕は鮮やかで、六花は素直に感心した。


「さて殿下、無礼な騎士をどう処分なされますか? 歳若い騎士見習いとて、将来は殿下の懐刀となるのです。未来に憂いの無きよう、適切な裁きを下して頂きたく存じます」


 騎士たちが一斉に息を飲んだ。禁軍の騎士を名乗るには、少なくとも三年間に亘る修行と試験をこなさなければならないのだ。その努力がこんな所で水の泡になるとは思ってもみなかったのだろう。

 亜嵐の表情が硬くなり一歩前に出かけるも、璃玖の声がそれを遮った。


「…柏殿。気遣い感謝するが、処分の必要はない。貴殿からの叱責で十分であろう」

「殿下、慈悲深き審判に感謝し、近衛一同より一層精進して参ります」

「近衛の存在が殿下の憂いとならぬよう、厳しく躾けて参ります」


 ついに耐えられなくなったのだろう。亜嵐と寅大将軍が前に出て、殿下へ膝をつく。騎士たちは二人の大将軍に倣い、こうべを垂れた。


「殿下の寛大な御心に私からも感謝を申し上げます」


 柏家当主は胡散臭いほどにこやかな表情で収拾をつける。そしてチラリと六花に目を遣り、再び璃玖に向き直った。


「そろそろ本題へと移りましょう。目下の課題は先刻の威圧は一体何なのか、という謎を解明する事にございます。しかし我々は誰一人としてその答えを持ちません。何せ前例がない事ですし、人為的なものとも思えない。ただ、これは推測の域を出ませんが、殿下の祝詞が何らかの引き金になったのではないかと考えます。そして祝詞開始直後に消失し、終了直前に帰還した…あえてここでは舞姫殿と呼ばせていただきましょう。二つの事柄の関連性を見出さずにはいられません」


 ついに来た。心構えをしていた割には、どきりと心臓が高鳴る。


「もしもの話です。殿下の祝詞によって()()()()へと通ずる路…いえ、落とし穴が出来上がり、舞姫殿がうっかり嵌ってしまった。そして落とし穴が塞がる前に、何者かによって()()()()へと押し戻された。どうして『落とし穴』かと申しますと、自力で落ちる事は可能ですが、自力で這い上がる事は不可能だと予測される為です。先刻の威圧は彼女を押し戻す何者かによる力の暴走であり、帝陵ないしは迦楼羅帝に程近い存在故に殿下の祝詞に引き寄せられた結果、場所と時間が狂ったのではないか。以上が私の推論でございます」


 誰もがぽかんと口を開け、柏家当主を見つめていた。当事者である六花にすら意味がわからないのに、偶々居合わせた騎士たちにわかるはずもない。


「俄かには信じられぬが、先程の威圧は舞姫返還に伴う弊害であり、我々を害する目的はないということか?」

「害するなどとんでもない! これは皇子殿下の成し得た奇跡にございます。舞姫殿、貴女もそう思われませんか?」


 璃玖が上手く要約したと感心した直後、話は六花に飛び火した。若干狼狽えつつも、折角変わってきた流れに乗らない手はない。



 あの龍は決して怖いものじゃない、と六花は思った。何十年、何百年…或いは途方もなく長い時を過ごしながら、友の帰りを待ち続ける優しい龍だ。ちょっと詰めが甘いだけで、不吉などではない。そして、璃玖だって。


「璃玖皇子殿下。発言をお許しください」


 璃玖の前に膝をつく。

 璃玖は一瞬目を見張って、「構わぬ」と言った。


「神隠しに遭っている間の事は、ほとんど覚えていないと申し上げました。しかしただ1つだけ。夢うつつの狭間で、天啓とも取れるお告げを聞いたのです」

「…言ってみろ」


 六花は頭を下げたまま、柏家当主をちらりと見遣った。ここで()()情報は口に出してはならないが、()()()情報なら口に出しても良いはず。

 たとえ屁理屈であろうと、璃玖に責を負わせたまま逃げることなど出来はしない。


「私の愛するこの国は…真夏の空のように澄み渡った魂を持つ、良き君主に恵まれるだろう、と」


 璃玖の目が限界まで見開かれ、六花を映した。時が止まったように見つめ合う二人。

 彼の目を一目見れば、その天啓が誰を示すのかなど議論の余地はなかった。


「いやはや、これ以上ない祝福の言葉。この場に居合わせることができた幸福を迦楼羅帝に感謝いたします。皇子殿下の御代に幸あらんことを」


 恭しく拱手した柏家の当主。六花もつられて拱手した。

 一瞬の後、歓喜の雄叫びが帝陵を満たした。


「皇子殿下、万歳!」

「皇太子殿下、万歳!」


 狂喜乱舞と言っても良い程の喜びように、璃玖は呆然と立ち尽くす。まだ皇太子ではないと呟く彼の声は、騎士たちの歓声に掻き消された。


「皇子殿下」


 六花の両隣に膝をつき、剣を置いた大将軍。一斉に静まった騎士たちが、二人に習って忠誠を誓う。


「殿下が即位された暁には、近衛東軍が剣となり殿下の望みを叶えん事を、我が剣、初代迦楼羅帝に誓います」

「近衛西軍が盾となり殿下を護らん事を、我が盾、初代迦楼羅帝に誓います」


 最早威圧への恐怖心など雄叫びに飛ばされてしまったらしい。誰もがきらきらした目で璃玖を認めている。期待している。


「寅大将軍、酉大将軍、そして禁軍の騎士たちよ。そなたらの誓い、しかと受け取った。皇族の名に恥じぬよう、初代迦楼羅帝にも劣らぬ立派な君主になってみせよう」


 剣を掲げた璃玖の姿は気高く美しく、騎士たちの目に強く焼き付いたのであった。

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