宝石が繋ぐ物語
「料理長、久しぶりです!」
「椿…? 椿なの? 嗚呼、本当に良かった!」
「料理長、苦し……ぐぇ……」
挨拶もそこそこに、筋肉質な腕に抱き込まれた六花。思わず潰れた蛙のような声が漏れる。
「先帝陛下は見る影もないほど弱ってらっしゃるし、陛下も殿下も酷い怪我だし、そのうえアンタまで変な武器で撃たれて重症だって聞いて、アタシどうにかなりそうだったのよ!?」
「ごめんなさ…」
「あの事件の日、アンタを一人で行かせた事をずっと後悔してたんだからっ! アンタが自分勝手ですぐ無茶して皆に心配かけるじゃじゃ馬娘ってわかってたのに、どうしてって!!」
「…酷い言われよう……ふぐ…」
ぎしぎしと骨が鳴るほど抱きしめられ、六花は必死で料理長を押し返す。しかしそもそもの筋肉量が違い過ぎた。完敗だった。
「ぐるじ…じぬ」
「日の出蘭、程々になさい」
懐かしい声がして、料理長の腕が緩まった。どうにか腕から抜け出し、ぜーはーと息を整える。一応怪我人である事を忘れないでほしかった。
「夕顔じゃなーい! 久しぶりねぇ!」
「先帝陛下に呼び戻されたのよ、まったく。田舎で余生を楽しむつもりだったのに」
女官時代のひっつめ髪をばっさり切った夕顔は、心なしか血色が良く見える。後宮から離れて伸び伸びと暮らしていたのだろう。
再び魔の巣窟に呼び戻された夕顔はハァと溜息を零し、六花の向かいに座る。不意に伸ばされた腕が、柔らかく黒髪を撫ぜた。
「後宮を守ってくれてありがとう。よく頑張ったわね。…本当は、貴女ひとりに後宮を任せ出て行くのは不安だったの。でもそれは杞憂でしかなかった。貴女は私が思っていた以上に上手く立ち回って、誰ひとり命を落とす事なく国を救ってしまった。これは本当に凄いことだわ」
「夕顔様…」
「椿。貴女にはずっと宮正として後宮を守ってほしいけれど………多分貴女に女官は勿体無いわね。若者はもっと広い世界を見ないといけないわ」
祖母という存在に会ったことはないが、もしいたとしたら夕顔のような人のことを言うのだろうと六花は思った。
「もう一つ、貴女にお礼を言わなくてはならないわね。柊妃様のお墓、元柊家の領地にある菊園に決まったそうよ。先程女大公様が教えてくださったの」
天青女大公の行動の早さには脱帽する。そしてその裁量にも。先帝の寵妃であるが故に妬み僻みの対象にされ、心身ともに疲れ果てていた柊妃。彼女の実家から取り寄せた菊の花だけが、後宮内で唯一の癒しであったのだ。
「憶えていてくれてありがとう、椿。鈴菜達はいないけれど、これで漸く柊妃様も浮かばれるわ…」
夕顔の目にうっすらと涙が浮かぶ。
その時ふと、六花は思い出した。かつて後宮で暮らしていた頃、ばあやと呼んでいた存在がいたことを。
「夕顔様。これを憶えておいでですか」
蛋白石の首飾りが、しゃらんと音を立てる。七色に輝くその石を凝視し、夕顔の瞳が驚愕に見開かれた。
「どうして、それを………」
「私が六花です」
ハッと息を吸い込み、夕顔は瞳を揺らした。衝動的に名前を言ってしまったが、夕顔に隠し事をする方が罪なように思えたのだ。
夕顔の目からぽろりと涙が零れ落ち、六花は思わず夕顔を抱き締めた。
「六花………本当に六花なの?」
「はい」
「いつも鈴菜におぶさって眠っていた六花なの?」
「はい」
「紫季殿下の後ろをついて回っていた六花なの?」
「はい」
「私のこと、ばあやって呼んでくれた、あの六花なの………?」
「はい」
暗くなるまで遊んでは紫季と一緒に叱られた。厳しくて優しい夕顔の事を紫季がばあやと呼ぶものだから、六花もつられてそう呼ぶようになったのだ。
「嗚呼、嗚呼、こんなに嬉しいことはないわ。生きていて良かった。再び貴女に会えるだなんて…嗚呼、六花。生きていてくれてありかとう。私の可愛い孫娘…」
子供のない夕顔にとって若い女官は娘のようなものだった。その中でも、幼い子供を守りながら必死で柊妃の女官を務める鈴菜の事を、特別に気にかけていた。
生き急ぐかのような鈴菜を心配し色々と世話を焼いているうちに、まるで自分の娘のように愛するようになった。守れなかったことを十二年経っても悔やみ続けるくらい、愛していた。
「ばあや。私、今とっても幸せだよ。だから、そんなに泣かないで」
「これは嬉し涙よ」
後宮中を血眼で探し回っても亡骸すら見つからなかった幼い孫。せめて六花だけでも生きていてくれたら。幾度となく願っては、絶望に打ちひしがれる日々が続いた。
「嗚呼、今日はなんて幸せな日なの」
十二年越しに漸く、夕顔の願いが叶ったのだ。
「ちょっとぉ、何なのよアンタたち! アタシにもわかるように盛り上がんなさいよ!」
「今感動の再会を果たしてるのよ。少し黙っていなさい」
ひとり取り残された料理長がぷんぷん怒りながら何かの焼き加減を見ている。天火の蓋が開いて、ふわりと甘い香りが漂った。
「嗅いだことのない匂い! それは何のお菓子ですか!?」
「乾餅とかいうバルテアの焼き菓子よ。欖ちゃんが料理本を持ち帰ってくれたから、試しに作ってみたんだけどどうかしら」
こんがりきつね色に焼けた円盤を口の中に突っ込まれ、もごもごと咀嚼する。ほんのり甘い香りとさくっとした触感が口腔を満たし、幸せな気分になるお菓子だ。
「水分が取られる感じがするけど、食感がとっても面白いです! 甘くて美味しい!」
率直な感想を聞いて満足げに笑った料理長を見て、六花は鹿瑛のことを思い出した。弟子を取る気はないのか。何気なくそう口にすると、料理長は黙り込んでしまった。
「ごめんなさい…何か気に触ることを言ってしまいましたか?」
「貴女は気にしなくて良いのよ。…ねえ、話してあげても良いのではなくて? 日の出蘭」
気遣わしげな夕顔に促され、料理長は席に着く。見たことのないような表情で遠くを見つめながら、訥々と語り始めた。
「もうだいぶ昔の話になるけど、お弟子ちゃんがいた時期があったのよ。二人とも飲み込みが早く実力もあって、可愛がっていたつもりだったんだけど…」
一度言葉を切って息を整える料理長を、六花は固唾を飲んで見守る。
「陰でね、女装が趣味なんて気持ち悪い。狙われている気がする。そう言っているのが聞こえてしまって………そんな陰口慣れているはずだったのに、お弟子ちゃんにそう思われていたのが衝撃で、その場で破門してしまったのよ」
それ以来、一度も弟子をとっていないと料理長は言った。相手が信頼していた人だった分、かなり深い心の傷になっているのだろう。
「むかつく」
「へ?」
「料理長の好みは筋骨隆々で野生的かつ色っぽい壮年男性なのに。陰口言うようななよなよした男、こっちが願い下げなんですよ! 人格治して出直してこいってんだ!」
「口が悪いわよ、六花」
「だって!」
「だってじゃありません。腹立たしいのはもっともだけれど、言葉遣いは丁寧になさい」
夕顔に叱られてぶすくれる六花は、乱暴に乾餅を口に運んだ。
「捻じ曲がってしまった心を入れ替えてから仕切り直してはいかがかしら? これでどうですか」
「…ぎりぎり及第点ね」
「おほほほほ! 再び料理長の前に現れようものなら、わたくしがケチョンケチョンにして差し上げますわ!」
「今のは落第よ」
「えぇ!?」
そんな遣り取りをぽかんと口を開けて凝視する料理長。
「アンタたち見てるとずっと悩んでいたのがばかみたいだわ………そうね。そうよね。捻じ曲がってるのはあの子達の方よ! アタシはちっとも悪くないわ!」
「おおー! その調子です、料理長! ところでおかわりありますか?」
「たーんとお食べ!」
ドンと音を立てて山盛りの乾餅が机に置かれる。ごっそり掴んで布巾に包み始めた六花を、夕顔は呆れ顔で見遣った。
「さて、そろそろ日が暮れるわ。六花、貴女は帰りなさない」
「…ばあや。料理長」
「なに湿っぽい顔してんのよ! 一生会えないわけじゃないんだから」
「生きてさえいれば、いずれまた会えるわ」
生きてさえいれば。夕顔は何気無く言ったわけではないのだろう。その言葉の重みが、六花にはわかってしまう。
「ムリすんじゃないわよ! アンタすぐ面倒事に首を突っ込むんだから。あと、しっかりご飯食べるのよ! アタシのお料理が食べたくなったらいつでも来なさい! それと、嘉月君と仲良くね! 怪我も早く治すのよ! 女の子なんだから傷が残るような事すんじゃないわよ! あと…」
「日の出蘭、六花が帰れないでしょう。………六花。貴女のお母様の分も、精一杯生きなさい。いつかおばあさんになって、幸せだったと思えるように。お母様がくれた命、大切にするのよ」
「はい…料理長、ばあや。行ってきます!」




