第8幕 夢と現の狭間で
酒宴が始まって半刻。徐々に床に転がる屍が増えていく。屍の殆どは大将軍らに潰された新人騎士たちで、慣れた者は隅の方で悪酔いしている。
真っ赤な顔で「舞姫〜!こっち来いよ!」などと言われて素直に従う六花ではない。酔っ払いの呼び掛けをするりするりとかわしつつ、柏の実紋の衣を捜す。のだが。
「いない…」
どこにもないのだ。柏の実の紋が。禁軍の騎士は漏れなく全員参加を義務付けられているというのに。
酒楼の入り口で呆然と立ち尽くしていた六花の背中に、またもや『舞姫』の言葉がかかる。振り向きざまに苛立ちをこめて渾名を否定すると、地べたで酒盛りしていた三人の騎士はきゃっきゃと笑った。
「柏様はどこへ?」
つかつかと騎士達に近寄り、蒼士の居場所を問う。危なくなったら蒼士の所に避難すれば良いや、なんて高を括っていた六花だったが、騎士の口から耳を疑うような言葉を聞いてしまった。
「逃げた…?」
騎士が言うには、彼は酒の手配をしてくると出て行ったきり帰ってこないという。注文を受けた酒屋の運び手曰く、代金を払った直後に忽然と姿を消したらしい。
「あいつ見かけによらず下戸なんだよ。笑えるだろ?」
「毎回大将軍らに吐くまで潰されてちゃ、逃げたくもなるだろうなぁ」
しみじみと蒼士の悲しい過去を語られて同情しないわけでもないが、蒼士がこんな男らしくないことをするとは意外である。鮮やかな手口は蒼士らしいと言えば蒼士らしいが。
たった一人の頼れる人が消えたからには、この状況を一人で切り抜ける他無い。騎士の言葉に甘えて、まだ酔いの回っていない三人に混ざることにした。
騎士たちの話を聞いていれば、後宮や花街の女性のことばかり。相槌を打ちつつ聞き流していた男たちの会話に、唐突に亜嵐の名前が登場した。
「それにしても、酉大将軍には驚いたよなぁ!」
「まさかとは思ってたけど、まぁコイツならあり得る」
まじまじと六花の顔を見て頷く騎士たち。当の本人は全く話の流れを掴めない。
「でさ、夜の大将軍はどーなの? 優しくしてくれんの?」
「あー、それは気になるな」
キョロキョロと周りを見回して誰もいないことを確認した騎士が、六花の耳に顔を近づけてそんなことを聞いた。
「別に、普通にいつも通り優しいですけど」
「あの人はけっこう激しい方だと思ってたんだけどなあ」
「流石は寵姫だけある」
六花には問いの主旨がわからない。ウンウンと勝手に納得されているけど、一体何が激しいのか。
「でも『寝てろよ』ってことは、毎晩だろ…?」
「まい、ばん…だと……」
「クソッ! ちょっと羨ましいぜ!」
何となく悪い予感がした。六花と騎士らで話が噛み合っていないし、何かとんでもない勘違いをしているような…
「あの、何の話を……」
何かを言い合っている三人に向かって言うと、ゆっくりと此方を向く三対の目。
「お前…そんなに良いのか」
完全に目が据わっている。
いつの間にこんな状態になっていたのだろう。
「ちょっと味見させてくれよ」
やばい―――
本能でそう直感し咄嗟に逃げようとしたのだが、時既に遅し。
大きな手で足首を掴まれ、気付いた時にはもう、視界に天井が映っていた。
床石は凍りつくほど冷たいのに、六花の身体からはぶわっと汗が噴き出した。
ここまできてわからないほど、六花も子供ではない。
『夜』『優しい』『毎晩』それに『寵姫』
漸くその言葉が繋がった。
騎士たちは、亜嵐は男色でその相手が六花だと勘違いしているのだ。
「待て! 勘違いだ!」
六花を見下ろす騎士にそう叫ぶが、聞こえていないのか聞いていないのか手の力はさらに強まるばかり。
「手を離せ!」
酔っ払いのくせに、無駄に鍛えているだけあって腕を解くことができない。無骨な手によってしっかり着込んだ軍服は肌蹴られ、中につけた鎧が露わになる。必死で抵抗を繰り返すが、三人がかりでは六花に勝ち目などあるはずもなく。
そんなこんなのうちに男たちは鎧の紐を解き始め、遂に六花の怒りは沸点に達した。
「…っらア!!」
覆い被さる騎士の股間を、怒りに任せて蹴り上げる。
そしたら、絶叫した後「ぐぎゅう」と変な声を上げて倒れた。
亜嵐には最後の手段だと教えられていたこの技。残された二人の騎士まで股間を押さえている。
さっさと起き上がって足元を見下ろすと、倒れた男はピクピクと痙攣していた。
騎士の断末魔が聞こえたのだろう、周りがざわざわと騒がしくなる。
「氷雨!何やって………」
珍しく焦った様子で駆け寄って来た零。股間を押さえて痙攣する男と、鎧が半分脱げた状態の六花を交互に見て、何かを察したようだった。
スッと剣を抜いた六花の肩を叩き、許してやんなと零が言う。
「…亜嵐様は男色ではないし、私はお相手などしていません」
その言葉と共に、壁際でガクガク震える残りの騎士に向かって剣を薙ぐ。顔面すれすれ…ではなくほんの少し肌に食い込む程度に突きをお見舞いした六花は、零によって羽交い締めにされ酒楼の外に連れ出された。
投げやりな気分で零の酒を奪い、一気に喉に流し込む。何故こんなものを美味しいと感じるのか。喉が消毒されているような気分だ。
「…だいじょーぶ?」
やけ酒を煽る六花を止めはしないものの、珍しく心配そうな声。
「大丈夫じゃない」
「怖かったんだろ」
六花が震えているのは恐怖しているからだとでも思っているのか。ぽんぽんと頭を撫でてくる零の手を振り払って「怒ってるんだ!」と噛み付くように言った。
怒りに任せてゴクゴクと美味しくもないお酒を煽っていると、なんだか頭がくらくらしてくる。
「おい氷雨、もうやめときな」
零にお酒を奪われて彼を睨みつけるが、なぜか彼が二人に見える。少し飲み過ぎたかもしれないと思った時にはもう遅かった。
「ひっく……」
頭がふわふわして、微妙な気持ち悪さが六花を襲う。
何かを言った零は六花を木陰に凭せ掛けると、六花を置いてどこかへ行ってしまった。
真っ暗な空に浮かぶ三日月。
にやりと笑ったようなその形は、月すらも己を馬鹿にしているようで。
「舞姫じゃない!」
月に向かって怒鳴って、返事が無いことに尚更腹を立てた。
「んー………」
眠気と共に酒楼から聞こえてくる喧騒が遠くなる。夢の中にいるような気分だ。ふわふわした雲の中を漂っているような…そんな心地良い気分に浸っていると、月よりも星よりもずっときらきらとした何かが視界を横切った。
「むらさき………ほうせき…?」
途端に、幼少期の記憶が蘇る。
どんなに美しい花でもくすんで見えてしまうような…光を浴びてきらきらと輝く、淡い紫色の宝石。
紫苑の花の色の、あの眼は。
ゆらりと立ち上がった六花は、月明かりに照らされた宝石に誘われるように距離を縮める。
そして、紫銀の眼を持つ青年が六花を見つめた。
ふわり、と雪が舞う。
彼を彩る霞草のように。
紫苑の花と同じ色の眼。
月明かりにきらめく色素の薄い髪。
凛々しく、でも優しい眉。
うら悲しげな雰囲気を醸し出す長い睫毛。
昔と何一つ変わらないその作り物のような美しさが、奥底に眠っていた記憶を呼び覚ます。
「シキ、………」
成長していくらか男らしくなった彼は、六花が十二年間思い続けてきた人だった。
「やっと見つけた」
彼に縋り付くように抱きついた六花は、これ以上ないほどの幸せな気分に浸りながら、意識を手放したのだった。




