舟遊び
突如開催が決定した船遊びの準備で、翌日の後宮は上を下への大騒ぎであった。女官総出で弁当を用意し、衛士は汗だくになって屋形船を運び込んでいる。
「陛下とお話しできるなんて夢みたい!」
「皇太弟殿下もご公務が終わり次第参加されるらしいわ!」
「ついに皇国の秘宝を目にすることができるのね!?」
「俺らも船に乗せて貰えるらしいよ」
「え、まじ? 警備じゃねえの?」
「ってことはさ、女官とお近づきになれるってことだよな? な?」
いきなり大仕事を申し付けられた女官や衛士は文句をたれているかと思いきや、実はそうでもない様子。それぞれ下心はあるものの、思いの外楽しんでいる姿を見て六花は複雑な気持ちになった。
「椿、何ぼんやりしてるのよ! 陛下と皇太弟殿下にお会いするんだからしっかり化粧するわよ!」
「あ、うん」
正直今更だと六花は思ったが、他の女官が気合を入れる中すっぴんで行く勇気はない。半刻《1時間》かけて桃の作品と化した六花は、璃玖や朱李に会うのが少し恥ずかしくなった。
「ねえ椿、首飾りとか持ってないの?」
「一個だけならあるよ。これ」
「素敵ねえ! どうして今まで隠してたのよ」
引き出しの奥から取り出した母の形見の蛋白石。桃は目を輝かせてじっくり眺めてから、六花の首にそれを着ける。
「お仕着せには派手じゃない?」
「今日は派手なくらいで丁度良いの。こんなに綺麗な首飾り、隠している方が損よ!」
やはり六花は今更だと感じたが、桃に褒められて悪い気はしない。少しだけ襟元を開いて、わざと蛋白石が見えるようにした。
桃と連れ立って今日の会場である人工池に向かえば、既に殆どの女官や衛士が集まって皇帝を今か今かと待ち構えている。想像より遥かに大きい屋形船には弁当が用意され、皇帝の乗る一隻では料理長が見事な手捌きで刺身を切り分けていた。
「陛下がいらしたわ!」
「表情が柔らかくなられたと思わない?」
側近を引き連れ歩く皇帝を仰ぎ見れば、僅かに眦を下げて準備の整った池を眺めている。女官たちは初めて見る皇帝の優しげな表情に頬を染めた。
「皆、急な触れにも関わらず良く準備を整えた。今日は皆の為の行事だ。遠慮せず楽しむが良い」
代表して礼を告げる女官長の手を引いて、皇帝は一等豪華な一隻に乗り込んだ。皇帝を追いかけるも、粟妃が乗り込む前に定員に達した船は陸を離れた。粟妃は顔を真っ赤にして女官長を睨んでいた。
「桃!」
「あ、耀くん」
衛士の制服をいつも以上に着崩した耀が桃に駆け寄り、じっと桃の顔を見つめる。
「…何かついてる?」
「いーや。いつもと少し違うと思って。陛下や殿下のため?」
「別にそういうわけじゃないわよ」
「じゃあ俺のために可愛くしてきたの?」
「な、なに言ってんのよ! そんなわけないじゃない!」
「ふうん…そっかそっか。そういうことにしといてあげる」
早々に睦み合いを始める桃と耀を半目で見守るその他数名。これで付き合っていないというのが驚きである。
早く付き合えば良いのに。
二人を見て誰もがそう思ったが、当の本人たちは生暖かい視線には全く気付かないため、わざわざ口出しする者もいないのであった。
「耀くんこそ、今日は着崩しすぎじゃない? 胸元開けすぎよ」
「嫉妬しないでよ桃。他の女の子には見せないって」
「はあ!? バッカじゃないの!」
痴話喧嘩を始める桃と耀からじりじりと距離を取る六花たち。精神衛生上必要な距離感というものがあるのだ。
「ぼへえ…そういうのは向こうでやってくれってんですよ!」
「梓…性格変わってるよ。気持ちはわかるけど」
「耀の胸元ですか…民部卿の鬘の次くらいに興味ありますね」
「椿、それは興味無いって言うんだよ。っていうか、ヅラだったのあの人…」
「あら、恋愛話には食い付くのに実際に見るのはだめなの?」
「それとこれとは違うんですよぅ! 実際に見てしまうとこう…爆発しろ、みたいな気持ちになるんですっ!」
髪を振り乱して荒れる梓を菫と二人がかりで押さえつけていると、要らぬ邪魔が入った。軟派三人組の残り二名だ。
「あれ? 梓ちゃんじゃん」
「うわー、久しぶり! 俺らのことおぼえてる?」
「ひぃ! 軟派男!」
一瞬にして菫の影に隠れる梓だが、色々な意味で耀に置いてけぼりを食らった二人も必死だ。
「軟派男ってひでえな。誰にでも声かけてるわけじゃねえよ?」
「わ、私だって男のひと全員から逃げてるわけじゃありませんんんん!」
「うわ、今のはちょっと傷付いた。とって食いやしないからさ、ちょっと船でお喋りしようよ。ほら、お友達も一緒に乗ろ?」
「え、あたしも!?」
「いーからいーから」
「間に合ってますうううう!」
「ふふ、皆楽しそう。春だものね、青春しなきゃ」
「楽しそうですかね…?」
引き摺られていく梓と菫を見送って、取り残された睡蓮と六花。微笑ましそうに睡蓮は笑うが、六花の脳内では荷馬車に乗せられた子牛の映像が流れていた。
「それにしたって、どうしていきなり舟遊びなのかしら」
「人伝じゃない国民の生の声が聞きたいって、陛下がおっしゃったらしいわよ〜」
ひょっこり現れた料理長が睡蓮の疑問に答える。そして流れるように睡蓮の隣に腰掛け、睡蓮の髪飾りをいじった。
「へえ…驚いたわね。もっとお堅い方だと思っていたわ」
「長く後宮にいるけど、こんなの初めてなのよね。お料理も張り切りすぎちゃったわ!」
「私も食べたかったわ。料理長のお弁当」
「フフっ! 今日はアタシが睡蓮のお弁当を評価してあげる!」
「お手柔らかにお願いね」
異様に仲の良い二人を前にして、心に風穴が空いたような感覚に襲われる。後架のために二人の側を離れて漸く、六花はその感情の意味を知った。孤独だ。
改めて周囲を見渡してみると、青春を謳歌する女官と衛士ばかり。純粋に楽しんでいる様子が少しばかり羨ましいと思った。
睡蓮たちの所には戻るに戻れず、六花は弁当を一箱くすねて池畔の一角を陣取ることにした。
女官でいっぱいになった皇帝の船が目の前を横切り、長く嘆息する。皇帝が変わろうとしているのだと知って、複雑な気持ちにならざるを得ないからだ。
どうして助言などしてしまったのか。いずれ、皇帝を追放することになるのに。
己の心が痛まないように、相手に悪のままでいてほしいと贅沢なことを思う。相手のことを知りたいのに、情が移ってしまうのが怖い。そんな矛盾した思いが心を乱すのだ。
「はあ…考えるのはやめよう」
弁当の蓋を開けた瞬間、好物の胡麻団子を見て六花の心は浮上する。本人が思っているよりずっと忘れっぽい性格なのであった。
池のほとりからぼんやりと皇帝を眺めつつ弁当を咀嚼する。皇帝の船にあぶれた桃や梓たちは二隻目の船に乗り込んでいたらしい。その中に嘉月の姿を見つけて、六花は意外に思った。
嫌々だった割には大はしゃぎで手を振る梓に軽く手を振り返していた時、どこからか鋭い視線を感じる。
きょろきょろと目だけを動かして相手を探す。しかしそれは目星をつけていた粟妃ではなく、皇帝の側に立つ側近から向けられたものだった。
一瞬だけ目が合って、すっと逸らされた視線。しかし明らかに悪意のこもったそれに六花はどきりとした。
「ご覧になって、皇太弟殿下よ!」
不意に船上の女官が六花の方を見て騒ぎ出す。池のほとりに腰掛けたまま振り返れば、公務を終えた璃玖と朱李の姿があった。公務後とあって正装のまま訪れた璃玖は物語の皇子様のよう。近衛侍衛隊の制服を着こなす朱李は皇子を護る騎士そのものであった。
岸辺で待機組の女官がじりじり璃玖との距離を詰める中、我関せずと弁当を食べ進める六花。単純に腹が減っていたのもあるが、皇帝のみでなく璃玖の支持者から嫉妬されるのは御免なのだ。
六花の気持ちを汲んでか璃玖は六花に見向きもせず遠ざかって行くが、朱李は真っ直ぐに六花目掛けて歩みを進める。そっぽを向いて食べ続ける六花の隣に朱李が腰掛けてしまったため、たった今構成された騎士様支持者の会の会員から悲鳴が上がった。
「…空気読んでくださいよ」
「殿下が来るよりマシでしょ?」
「朱李くんの支持者に虐められたらどうしてくれるんです」
「あんたが虐められるとは思えないんだけど。どっちかと言うと虐める方でしょ?」
「失礼な! 朱李君は私を何だと思ってるんです?」
「え、何って………同志、とか?」
朱李は首を傾げる六花の隙をついて、弁当から胡麻団子をつまみ口に放り込む。仲睦まじく弁当を分け合っていると勘違いした支持者たちから再び悲鳴が上がるが、最後にとっておいた好物を取られた六花は涙目で朱李に肘を入れた。
「殿下が次の船に乗れって」
「拒否権は?」
「馬鹿なの? あるわけ無いじゃん。殿下といた方が安全なんだから、早く来て」
「…やっぱりそう思う?」
朱李や璃玖は六花に向かう視線に気付いていたようで、朱李は六花を守る為に璃玖からわざわざ派遣されたのだ。きれいに完食した弁当を置いて立ち上がった六花は、朱李に続いて璃玖の元へ向かった。
女官に囲まれて苦笑いの璃玖が船に乗り込み、六花と朱李もそれに続く。比較的平和な面子の船が出ようとしたその時、甲高い声がそれを止めた。
「お待ちになって。わたくしも乗せて頂戴」
粟妃がにたりと微笑んだ瞬間、隣の朱李がぶるりと震え上がった。




