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第4幕 舞姫と皇子様

 シャンシャンと鈴を鳴らしながら円形競技場に向かった六花リッカたちだが、観覧席になにやら異様な雰囲気が立ち込めていることに気がつく。試合を中断するほどの何かが起こっているらしい。


「少し見てくるよ。ここで待っていて」


 俄かに真剣な顔つきになった蒼士ソウシは二人を置いてさっさと歩いて行ってしまう。ぽつんと取り残される六花たちだが、蒼士が戻ってくる様子はなく、辺りは騒がしくなるばかり。


 ここまで来て出番がないのも悔しい。六花はそんなことを考え、親衛隊と思しき青年に声をかけてみることにした。


「あの、何が起こっているのですか?」


 つい、と袖を引っ張って尋ねると、青年は華美な装飾を施された六花を見て驚いたような顔をした。

 曰く、皇帝が体調を崩し観戦席を途中で立ったという。しかし皇帝が病に臥していることなど百も承知で、今更驚くべきことでもない。玉座が空のまま行事が進められることもしばしばだ。


「何故このような騒ぎに?」

「それは…見ればわかるだろ。皇子殿下だよ」


 青年の目線を追って見ると、藤色の衣を着た少年が競技場を見下ろしていた。

 六花と同じくらいの歳の少年。とても美しく優しそうな彼は、戦帝と呼ばれる皇帝とは全く違う雰囲気を持つ。


「どうして…」


 そう呟く青年の瞳が不安げに揺れる。

 それもそのはず。かの少年―――璃玖リクは末の皇子であり、皇位継承権は皇太子に次ぐ二番目。皇帝が名代を立てることすら初めてなのに、それが皇太子ではない末子なのである。周囲が驚くのも当前だ。


「陛下はあの皇子に継がせる気なのか…?」


 十二年前の継承戦争の折、幼い彼は戦乱の火の粉が降りかかるのを恐れて禁城を離れていた。戦争にすら参加していない弟皇子に皇太子が皇位を譲るなど考えられない。


 それなのに、何故今になって璃玖が表に出てきたのか。跡取りには無関心だった皇帝が、どうして璃玖を名代に立てたのか。

 そして…またもや十二年前のような戦争が起きるのではないか。

 そんな空気が渦巻いていた。




 璃玖は場の空気に気圧され、立っているのがやっとという表情だ。頼りない…そう思えてしまうのも仕方のないこと。

 たかが禁軍の対抗試合。皇帝の仕事など、試合を見届けることだけだ。しかし、今まで名代を務めることなど一度たりともなかった皇子が何の前触れもなく顔を見せたことは、周囲に大きな衝撃を与えたようだった。


「…大丈夫かな」


 六花はぽつりと呟く。こんな状況に一人ほっぽり出されて、どれだけ不安なことか。皇子の味方が、この中に何人いるのか。

 司会進行役の官吏でさえこの異様な雰囲気を鎮められずにいる。右を見ても左を見ても、皇子に向けられる眼差しは厳しいもの。

 彼はひとりぼっちだった。




 その後どうにか対抗試合は再開されたが、騎士たちは気もそぞろといった様子で本来の力を発揮できていないようだった。亜嵐アランの怒声すら耳に届かない。観客席も落ち着かず、そわそわと試合に集中できない様子。

 そんなぎこちない雰囲気のまま前半戦は終了し、休憩となった。


「こんな雰囲気の中で剣舞なんて…」


 カイは小さくそう口にする。

 そろそろ出番が近づいている六花たち応援団だが、この状況で騎士たちの士気を上げるなど無茶だ。西軍は僅差で負けている。亜嵐の叱咤激励すら意味を為さないのに、六花に出来ることなどあるのか。


 ちらりと皇子に視線を向けると、表情にこそ出さないが彼の瞳は微かに感情的な色を帯びている。それは憂いだろう。

 彼もこの状況をどうにかしたいのに、どうにもできないことを憂いているのだ。六花と同じように。


 六花には今、しなければならないことがはっきりしたような気がした。


「行かなきゃ」


 柄を握りしめ、そう己に言い聞かせる。

 ぎょっとした快は六花を引き止めるが、出番は出番だ。亜嵐や蒼士から降板の指示はないのだから、剣舞を披露することに変わりはない。


「次期皇帝になられるかもしれないのでしょう? そのようなお方の最初の行事を失敗に終わらせるわけにはいきません」


 不安そうな表情をさせているのは六花たち周囲の人々のせいだ。それでも世間は皇子が頼りないからだと言う。

 そうなる前に空気を変える。それができるのは六花たち応援団だけだ。


「…わかった。僕もできる限りのことはしよう」


 言いたいことが伝わったのだろう。快が骨張った手を六花の肩に乗せた。


「君は皆の注意を惹きつけるんだ。その後で、僕が笑わせてみせる」


 快はビラビラした服でなかなか男らしいことを言う。お互いに頷き合った六花と快は、競技場へ向かって歩き出した。




 後半戦の始まりを告げる太鼓の音。これから応援合戦の始まりだ。出鼻を折るわけにはいかない。何としてでも成功させなくては。

 ドキドキと高鳴る心臓に手を当て大きく深呼吸した六花は、璃玖を目指して足を進める。しゃん、しゃん、と、歩調に合わせて涼やかな音が競技場に響き渡った。


 鬱陶しい装飾のおかげか、競技場の中央に出る頃には客席は静寂を取り戻していた。

 競技場に設置された壇上で立ち止まった六花は、片膝をついて両手を組む。そして璃玖に深く礼をし、ゆっくりと顔を上げた。


 意思の強そうな空色の目が真っ直ぐに六花を見下ろす。とても美しい目だ。

 一瞬にして不安が払拭される心地がした。

 彼はきっと素敵な皇帝になる、と。


 私は貴方を信じます。

 だから、私を信じてください。


 六花が心の中でそう伝えると、軽く見開かれた璃玖の瞳。視界の端で亜嵐が頷くのが見えた。

 そして剣を携えそっと立ち上がった六花は、静寂に染み渡るように流れ出す音楽に身を任せるのだった。




 剣舞を終え、璃玖に向かって膝を折った六花。

 何百、何千もの視線が背中に突き刺さるのを感じる。先程までのそわそわした雰囲気とは打って変わって、競技場はしんと静まり返っている。どうにか快との約束を果たすことができたらしい。

 ほっとして力が抜けそうになるのを必死で我慢して両手を組んだ時。深々と礼をした六花の耳に拍手の音が届いた。


 音につられてふわりと顔を上げる。璃玖が手を叩いている姿が目に飛び込んできた。


「見事であった」


 少年らしさの残る声が競技場に響き、六花の鼓膜を揺らす。

 あまりの事に六花が茫然と立ち尽くしていると、まばらに拍手が増えていった。亜嵐と寅大将軍、それに蒼士や快、禁軍の兵士たち。


「身に余るお言葉、光栄に存じます」


 声が震えそうになる中どうにかこれだけ言い切った六花は、優しげな表情の璃玖に一礼し、拍手に見送られながら競技場を後にしたのだった。






 控え室の扉を閉めた瞬間、六花は剣を長椅子に投げ捨て冠やら首飾りやらの装飾品ををむしり取った。

 競技場からはドッと笑い声が聴こえる。快が上手くやっているらしい。


「良かった…」


 ぽろりと呟いた己の声が、どうしようもなく震えている。あれだけ沢山の視線の前に晒されて、足がすくまない人がいるだろうか。

 好意的なものばかりではない。好奇、悪意、憎悪など様々な感情を一身に受けて平静でいられるわけがない。

 璃玖はずっとそれに耐え続けている。これからもずっと、耐え続けねばならない。それはなんて残酷なことだろう。


 これで皇太子が黙っているはずがない。十二年前のような戦が起こってしまうのだろうか。璃玖も戦に巻き込まれてしまうのだろうか。

 紫季のように。


 誰かひとりでも、何かひとつでも彼を守ってくれるものがあれば良いのに。何の力もない六花には、そう願うことしかできなかった。





 その夜、三年振りの勝利を収めた近衛西軍大将軍、つまり亜嵐の邸では、歓迎会という名の酒宴が催されていた。

 禁軍の酒宴はそれは惨憺たるもので、明日の朝には広間に積み重なっているであろう屍の山を想像し、六花は溜息をつく。外にいても聞こえてくる馬鹿騒ぎにもう一度溜息をついた六花は、降りかけた馬車にもう一度乗り込み両脚を抱え座り込んだ。


 何となく家の門をくぐることができず馬車の中で縮こまっていると、外から宴会に参加しているはずの蒼士の声が聞こえた。


「お邪魔しても良いかな」


 人の良さそうな笑みを浮かべる彼。その手には二人分の茶器とお菓子の乗った盆がある。返事の代わりに場所を開けると、蒼士は六花の隣に座って温かいお茶を淹れた。


「ありがとうございます」


 受け取った湯のみを両手で包むとじんわりと温もりが広がって、身体が冷え切っていたことを知った。


「お礼は酉大将軍に言うんだよ。君がここにいると教えてくれたのは彼だからね」


 大将軍である亜嵐が酒宴を抜け出すわけにはいかない。それを分かっていても、やはり寂しいものは寂しい。亜嵐が気に掛けてくれていたことを知り、心が温かくなるようだった。


「今日の剣舞、素晴らしかったよ。よく頑張ったね」


 あの雰囲気の中で。

 蒼士は言いこそしなかったが、その言葉が続くことは明らか。


「怖かったろう」


 蒼士は大きな手で六花の頭を撫でる。子供扱いにも見えるが、柏蒼士はなかなか面倒見の良い男なのだ。


「大丈夫ですよ」


 亜嵐や蒼士、快がいることで六花はどうにか舞台に立ち続けることができた。

 しかし彼はどうだろうか。彼にはこうして労ってくれる人がいるのだろうか。


「あの、蒼士様は…」


 皇子殿下を、どう思いますか?

 六花は言いかけた言葉をぐっと呑み込む。聞いて良いことではない。


「…なんでもない、です」


 禁軍は皇帝の軍。

 いずれ蒼士は皇太子か璃玖のどちらかを主とし、服従することになるだろう。皇帝となった人物を守護するだけの蒼士に、主人の選択権などない。

 しかし今の璃玖に必要なのは、そんな強制的な主従関係ではない。『皇子』ではない彼自身を支え導く人が必要なのだ。


 急に押し黙った六花に何を思ったのか、蒼士は六花の頭を撫でていた手を頬に滑らせ、六花の顔を自分に向けた。


「大丈夫だよ。彼のことを気に掛けている人は、君の思っているほど少なくない」

「蒼士様も?」


 もしかしたら、蒼士も同じことを思っていたのかもしれない。


「ああ、僕もだよ」

「そっか…」


 璃玖はひとりではない。

 影で見守っている人は沢山いる。


「良かった」


 いつか、新皇帝に代わる時が来る。それはもう遠い未来ではないだろう。

 争いの無い平和な国になると良い。十二年前のような悲劇が、再び起こることのないような国に…


 伽羅皇国の民として、犠牲になった人々のためにも、心からそう願わずにはいられなかった。

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