粟妃と海星
扉の向こうに現れたのは、取り巻きの女官をぞろぞろ引き連れた粟妃。六花は暫く呆然と固まっていたが、すぐに我に返って深く頭を下げた。
妃は兎も角、貴族派女官たちを前にして六花の気分は急降下する。せめて園遊会までは舞姫のことを秘密にしておく手筈だったのだが、そうもいかなくなってしまった。
「こんな所で何をなさっているの! 消灯時間は過ぎていますのよ!?」
貴族派女官の牡丹がつかつかと前に出て、六花に向かって怒鳴りつけた。こそこそと賄賂を贈っていた時とはまるで態度が異なることに、気持ちの悪い違和感を感じる。
「舞の稽古をしておりました」
「貴女にそんな事をする必要は無いでしょう! 雲鶴様も、どうして私たちを差し置いて、こんな小娘に!?」
「こやつに稽古をつけろと陛下から命を受けておる。文句は陛下に言うべきじゃろう」
『陛下の命』
その言葉を聞いた貴族派女官たちがざわざわと騒ぎ始め、六花は聞こえないようにため息をついた。元踊り子たちの視線が一気に厳しくなるのを感じた。
「舞姫はあなたなの?」
扇子でぺちぺちと手を打ちながら、六花に近付く粟妃。頭を下げる六花の目に自己主張の強すぎる首飾りや指輪が映り、成金という言葉が頭を過る。ねっとりとした声が耳について不快感を増長させた。
「ねぇ椿の花。質問に答えなさい?」
「陛下には、そのように呼ばれております」
粟妃は扇子を使って六花の顎を上げさせ、問いの答えを促す。六花が淡々と事実を述べれば、粟妃は気味の悪い笑みを浮かべて、貴族派女官たちは黙り込んだ。
「ねえ椿の花。陛下はどんな方かしら? お優しいの? それともお厳しいの? 陛下から衣装を贈られたそうね。それはどんな物なの?」
それはわかりやすい妬みの感情であった。
何ともないように振舞っていても、皇帝に構ってもらえない事で相当気が滅入っていた粟妃。六花の喉元を食い千切ってやりたいという激しい嫉妬の炎が揺れる。
「どうやって陛下に取り入ったの? 身体を使ったというのは本当? 陛下はどんな風にあなたを抱くの? 陛下はどんな風に愛を囁くのかしら? ねえ、教えてくれない?」
指の肉に大粒の宝石がついた指輪が食い込んでいる。おそらく抜けなくなってしまったのだろうと六花は思った。その指は六花の喉元に伸ばされ、尖った爪の先が触れる直前で六花は一歩後退した。
「陛下と私は至って健全な関係ですので、くだらぬ憶測はおやめください」
「あら、違うの? 彼女たちに聞いたのよ?」
「事実にそぐわぬ虚言に惑わされませぬよう」
鋭利な爪で何をしようとしたのかはわからないが、抑えきれない悪意がひしひしと伝わってくる。
「粟妃様になんで口の利き方を!」
「舞姫だからといって許されるわけではなくてよ!」
主人が竜胆から粟妃に移ったことで、取り巻きたちは勢いを増す。粟妃に毒されたとしか思えなかった。
舞姫の座を奪われた女官と、皇帝の寵愛を得られない妃。嫉妬に狂った女たちの思い込み程恐ろしいものはない。
「何とか言ったらどうなの!?」
「どうせ媚び売って舞姫になったのでしょう? 園遊会が楽しみね」
「失敗して笑い者になれば良いんだわ!」
遅かれ早かれこうなるとはわかっていても、気分が良いものではない。しかしここで言い返しては宮正としての立場が無い。
なるべく穏便に済ませようとした結果、騒ぎに気付いた女官長が叱りに来るまで六花への罵倒は続いた。
園遊会を翌日に控えたその日の朝食の席で、六花の恐れていた事は起きた。六花に出された朝食の汁物の中に、虫のようなものが紛れ込んでいたのである。
「椿、どうしたの?」
「ううん、何でもない」
貴族派女官たちがちらちらと六花を伺っているため犯人は明らかだ。食べ物を粗末にする事を嫌う六花にとって、罵詈雑言を浴びせられるよりも不愉快な仕打ちである。
「椿さまー? 食べないのですか?」
「気分でも悪い?」
「ええ、食欲があまりなくて」
桃や梓、菫は気付いていないようだが、睡蓮は何かを察したのか六花の器を覗き込んでいる。汁物意外にも被害が及んでいると判断し、六花は一口も食べないままお盆を流しへ返した。
「何か入っていたの?」
「いいえ、何も。胃の調子が悪いだけですよ」
「そう…」
追いかけてきた睡蓮が心配そうな顔をするが、六花は笑って嘘をつく。女官食堂が使えなくなったところで、衛士の食堂に潜り込んでも良いし、料理長に頼めばもっと美味しい朝食を作ってくれる。六花にとって大した影響はないのだ。
「料理長に胃に優しいお料理でも作ってもらいますから。心配しないでください」
「そうね、それが良いわ」
睡蓮は納得して自分の席へ戻っていく。そして六花は悔しそうな貴族派女官たちの視線を浴びながら、料理長の所へ向かった。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末さまでした」
六花の計画通り、料理長はお腹を空かせた六花に女官食堂より豪華な朝食を恵んでくれた。そして仕方ないわねと言いながら、昼食と夕食も用意してくれると言う。
「料理長、ありがとうございます!」
「それは良いんだけど、一体どうしちゃったのよ。また喧嘩でもしたわけ?」
「…あー、似たようなものだと思います」
料理長が事実を知ったら、怒り狂って手が付けられなくなるだろうと考えるが、わざとでも虫が混入するようなずさんな管理は良くない。これからの事を考え朝食を食べ損ねた経緯を伝えたところ、料理長の怒りは予想をはるかに上回った。
「汁物に虫!? お料理への冒涜だわ! 早く犯人とっ捕まえて処刑よ処刑!!」
「料理長、落ち着いて…」
「これが落ち着いてられるもんですか!」
バキィッと音を立てて料理長の握っていた木製の箸が折れる。指圧だけで箸を折ってしまうような馬鹿力に、六花は驚愕した。
「椿! アンタは宮正なんだから、遠慮してないで女官を罰して良いのよ!?」
「でも、現行犯ではないので」
「現行犯なんて甘いわ。やられる前にやるのよ!」
料理長は何やら物騒な事を言い出すが、六花としては園遊会を何事もなく終わらせたい。
「やっぱり園遊会まではこのままにします」
「…わかったわ。女官食堂の方は私がしっかり指導しておくから」
「お願いします」
お気に入りの花柄の箸を折ってしまい、傷心の料理長を慰めていた所で時鐘が鳴った。泣く泣く料理長と別れた六花が仕事部屋へ向かうと、貴族派女官たちが鬼気迫る表情で女官宿舎へ走って行くのが見えた。
はて、と首を傾げながら仕事部屋の前に立った六花は、昨夜きちんと閉めたはずの鍵が開いている事に気付く。
「やられた…!」
最悪の事態を想像し、さあっと血の気が引いていく。室内を確認すれば、床に陶器の破片が散らばり、仕分け済みの棚の鍵が無理矢理こじ開けられていた。
幸い今朝の分はまだ届けられていないため、毒物の持ち出しは無い。それに仕分け済みの棚には粟妃宛ての悪意のある品物や、処理に困っていた物ばかり。
被害に遭ったのはどことなく粟妃に似た豚の陶器人形のみで、他の物は一切手をつけられていない。必死の形相で逃げて行った割には、部屋中引っ掻き回されているわけでもないのだ。
六花が疑問符を浮かべながら、破片を片付けようと振り向いた時、机の上の古い木箱が眼に飛び込んできた。その木箱に入っていたはずの瓶は床に転がっている。
一瞬ですべてを理解した六花は、にやにやと笑いながら瓶を拾い上げた。
「お前は魔除けだね」
瓶も中身も無事なようで、六花は少し安心する。中に浮かぶ目玉をよく見れば、虹彩の模様が五芒星のようで可愛らしい。六花はその目玉を海星と名付け、窓際の花瓶の隣に飾った。
暖かい日光を浴び、海星の瞳孔が少し縮んだような気がした。




