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第3幕 入軍式

 その日の夜更け。

 庭の見える腰掛けに腰を下ろし、船を漕いでいた六花(リッカ)は、門が軋む音で目を覚ました。黒猫がピクリと動いて六花の膝から飛び降りる。しなやかな動きで走る猫を追い、六花は庭へ飛び出した。


「お帰りなさいませ、亜嵐(アラン)様!」

「遅くなるから寝てろって言ったろうが」


 帰宅早々虎のような目付きで睨みをきかす亜嵐。この家の主人である彼は深夜になってようやく帰宅したのだ。


「お帰りをお待ちしておりますと言いましたから」


 また近衛東軍の(イン)大将軍と飲み比べでもしたのだろう。危なげな足取の亜嵐を手伝うのは最早日課となっている。文句を言う割にはおとなしく介抱されているから可愛いものだ。


「今年はお気に召す方はいらっしゃいました?」

「今年もハズレだ。もっと骨のある奴はいねえのか!」


 彼の特等席である毛皮の椅子にかけさせ、お茶をいれる。このとき茶器を二つ用意することを忘れない。そうすれば、お茶を飲み干すまではお喋りしてくれると六花は知っている。


「…ハク家のガキ以来、まともに使えるのが来やしねえ。門衛にすら勝てねえ野郎が禁軍に入りてえだぁ? 笑わせやがる!」


 亜嵐の茶器からお茶が溢れた。こんなぼやきは聞き慣れたものだが、ここまで荒れているのは柏家の御曹司が寅大将軍に引き抜かれて以来だろうか。


「その方たちを育てるのが亜嵐様の仕事ではないですか」


 亜嵐を宥めるように言えば、「きつくしごいてやらねえとなあ」と恐ろしいことを口にする。

 亜嵐の言うしごきは想像を絶するものだ。六花も今まで数え切れないほどしごかれてきたが、剣ひとつで虎狩りに行かされた時は本気で生死の境を彷徨った。


「虎狩りはやめてあげてくださいね。この国から虎が絶滅しちゃいますから」


 チッと舌打ちした亜嵐に二杯目のお茶を注いでいると、酒のせいで少し赤くなった目が、六花の髪に挿した花を凝視した。


「どうかなさいました?」

「…いや、何でもねえ」


 珍しく歯切れの悪い亜嵐は、何かを考えるように髭をいじっている。


「お前、明日暇か」


 最後の一杯を注ぎ終え、茶器を片付けはじめた六花に亜嵐がそう問いかける。

 自宅で箱入り娘という名の引きこもり生活を送っている六花に、予定などあるはずもない。コクンと頷けば、「早く寝ろ」と部屋を追い出されたのだった。






「……さま、お嬢様!」


 ゆさゆさと身体を揺らし、六花の安眠を妨害するのは使用人の加乃カノ。数少ない使用人のうち唯一の女性である彼女は、三十歳未婚でありながらまるで母のように六花の世話を焼く。


 窓の外を見るとまだ空が白み始めたばかりで、亜嵐が出るのはまだまだ先なのに。


「お館様の命です、これにお着替えください!」


 見たことのない衣を差し出され目を白黒させていたが、そんなこと御構い無しに加乃は六花のぼさぼさ髪を整え始めた。


 白を基調としたその衣は、じゃらじゃら揺れる金の装飾や謎のヒラヒラで飾られてはいるが、どこからどう見ても男物である。

 どうやら外へ連れ出されるらしい。あれよあれよと完璧な男の子に仕立て上げられた六花は、亜嵐と一緒に馬車に揺られていた。


「いきなりどうなされたのです…」


 張り切りまくりの加乃に髪やら服やらを散々いじられた挙句、「これで絶対女の子とはばれませんわ!」という嬉しくないお墨付きまでもらった六花は、顔に疲労を滲ませた。


「ちいと声が高いな、低めで喋れ」


 まるで質問の答えになっていない返事をし、亜嵐は新人名簿を眺めはじめた。しっかりと鎧を身につけ、彼の武勲である雪豹の毛皮を羽織っていることを考えると、向かう先が禁城であることは間違いない。


 亜嵐に拾われて以来、城だけは避けていたはずなのだが。結局何も教えられないまま城門に辿り着いた六花は、十二年ぶりに禁城へと足を踏み入れた。




 晴れ渡る空の下、城内の円形競技場には既に大勢の新人と思しき男たちが整列しており、それを囲うように禁軍や親衛隊、さらに官吏までもが参列している。


「まさか、入軍式…?」


 緊張した騎士らの見つめる先には、壇上に豪華な椅子がひとつ。もしかすると、もしかしなくても玉座だ。


「そのまさかだ。少し頼み事があってだな」


 フフンと鼻を鳴らす亜嵐。

 機嫌が良いときは必ず何か企んでいると言っても良い。肌寒い季節にも関わらず、汗が肌を伝う。のこのこ付いてきたことを激しく後悔しつつ、六花は亜嵐に続いて控え室に入った。


「入軍式の後、禁軍対抗試合があることは知ってんな?」


 亜嵐と寅大将軍の仲が悪い原因は、ほぼこれにあると言っても過言ではない。

 近衛西軍と東軍の合戦形式で行われるそれは、武器は木刀のみ。額の小皿を割られた時点で戦闘不能となり、相手の大将の皿を割った方が勝者となる。


 去年一昨年と二年連続で白旗を揚げるという屈辱的な結果を残した西軍は、激昂した亜嵐による地獄の特訓がなされたという。

 皇帝の警護と場内警備以外に仕事がほとんどないとは言え、何故こんなことに力を入れているのかと言うと、その対抗試合が新人の配属に大いに関係するからである。勝利した軍の大将軍に、めぼしい新人を自軍に引き入れる権限が与えられるのだ。


「それと私と何の関係が?」


 恐る恐る亜嵐を見上げながら聞くと、彼はニヤッと口角を上げた。


「おい」


 精鋭中の精鋭である禁軍の兵士を顎で使うことのできるのは、亜嵐と寅大将軍だけだろう。


氷雨ヒサメ、そいつを受け取れ」


 氷雨、とは六花の男装時の偽名だ。

 控えていた兵士が持つ一振りの刀を見て、六花は眩暈を起こしそうになった。声を低くするのも忘れて彼の名を叫ぶ。


「亜嵐様!」

「ただの応援だ。そうカッカすんじゃねえ」


 亜嵐は仕組んでいたのだ。六花が断ることをわかっていたから、引き返せないところまで来てこんなことを頼んだ。

 刀身は鏡のように反射し、金の鍔には宝石が埋め込まれている。これまた金の柄頭からは馬の尻尾のような飾りが垂れ、剣を振るうたびシャラシャラと揺れた。


 こんな無意味かつ無駄な装飾の施された剣など、使い道は一つしかない。


「陛下の御前で、剣舞をせよと…?」


 混乱している六花を見て、亜嵐はにやにやと笑う。


「それじゃあ頼んだぜ!」


 六花の肩をポンと叩いた亜嵐は、六花の制止を無視して風のように去って行った。




「流石、酉大将軍だね…」


 亜嵐と入れ替わるように控え室に入ってきた若い騎士は、放心する六花を見て苦笑いをこぼす。


「僕はハク蒼士ソウシ。君が噂の甥っ子さんかい?」


 柏蒼士ーーー

 亜嵐がよく口にする『柏家のガキ』のことだ。柏家は伽羅皇国随一の貴族で、リウ家やトウ家には劣るが皇家とも縁のある上級貴族。

 武勲で名を成した酉家や寅家とは違い、生粋の貴族と言えるだろう。


「…ええ、氷雨と申します」


 氷雨が甥っ子設定というのは初耳なのだが。なるほど酉家の家紋である雪の紋入りの衣はそういうことだったらしい。


 華美に着飾った六花をまじまじと見つめる蒼士。彼は想像していた強面の厳つい大男とは似ても似つかぬ、顎が細く切れ長の目をした美丈夫だった。さらに垂れ目に泣き黒子という最強の組み合わせで色気を振りまいている。

 六花は回らない頭で、この人モテるだろうなと場違いなことを考えた。


「それにしても…酉大将軍も気が利くじゃないか」


 いつの間にやら後ろに回っていた蒼士が、そっと六花の肩に手を置く。


「むさ苦しい男の剣舞なんて観れたものではないからね。君みたいな麗しい少年が舞ってくれることに感謝するよ」


 耳元で低く喋る蒼士に若干引きながらも、六花は妙に納得してしまった。


「やれやれ…今年は本当に西軍に負けるような気がしてきたよ。カイ、君がもう少し可愛ければ士気も上がるだろうに」


 蒼士がチラッと視線を送る先には、黒いヒラヒラに身を包んだ赤毛が印象的な少年。無理矢理女装させたかのようなちぐはぐな衣装は、快の健康的な肌の色や赤毛には全く合っていない。見た瞬間士気を削がれること請け合いだ。


「そ、そっちが規格外なんですよ! そんな可愛い奴が来るなんて聞いてない…」

「寅大将軍はこういう所融通がきかないからねぇ」


 髪色に負けないくらい顔を真っ赤にして怒る快に対し、蒼士はカラカラと笑う。

 六花が思わず苦笑すると、快は「あんまりだ…」と呟いていた。


「さて、仕上げをしないとね」


 蒼士は六花の頭に重いものを乗せ、器用な手つきで顎紐を結んだ。頭を動かす度にシャランと涼しげな音がする。鏡に写る己の姿を見れば、衣や剣と揃いの金の冠が頭上で揺れていた。


「女のようではありませんか?」


 繊細な花模様の細工が施された冠から、金の歩揺が下がっている。些か華奢すぎる装飾品に六花は口をへの字に曲げた。


「君にはとても似合うよ」


 褒められているのか貶されているのかはさておき、六花は優しげな微笑みを向ける蒼士を信じることにした。


「さあ、そろそろ行こうか」


 窓の外をちらりと確認し、蒼士が言う。

 少しだけ緊張するのを励ますようにぎゅっと刀の柄を握りしめ、確かな足取りで競技場を目指した。

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