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紫苑の花を君に 〜武闘派令嬢の英雄譚〜  作者: 紺
第一章 後宮編
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後宮警備24時

「私達もお邪魔して良いかしら?」

「どうぞ。みんな練習熱心なんだね!」


 睡蓮の問い掛けに快く応じたのは、爽やかに汗を散らす一人の女官。スミレという名の彼女は、女官には珍しい体育会系の少女だ。


「睡蓮に桃、梓、椿! 合ってる?」


 自己紹介もまだなのに、菫はすらすらと六花たちの名を挙げていく。


「ひえぇ、すごいですぅ…」

「驚いたわね。まさかもう全員の名前を覚えたの?」


 そんな桃の質問になんでもないかのように頷く菫。人の名前を覚えるのが苦手な六花にとっては羨ましい才能だ。


「それじゃあ嘉月さんって人知ってる?」

「椿様の()い人なんですよぅ!」


 定期的に繰り出される梓の爆弾発言にも慣れてきたと思っていたが、好い人なんて言葉に六花の頬は真っ赤に染まる。


「ち、違いますから! ただ知り合いかもしれないってだけで、何でもないですから!」

「あら、その割にはお顔が赤いわ。照れているのね?」


 追い討ちをかける睡蓮をぎっと睨むが、余裕の微笑みを返されて六花は口を噤んだ。


「椿は黙ってて。それで菫、嘉月さんのことを知ってる?」

「勿論知ってるよ! 後宮衛士の超絶美青年のことでしょ?」


 超絶美青年は嘉月の代名詞か何かなのか。

 訂正に疲れた六花が関係ないことをぼんやり考えていると、菫が言いづらそうに話し始めた。


「彼はやめた方が良いよ〜? だって、これまで何十人もの女官に告白されてるのに、誰一人相手にしなかったって」


 何十人、というのが本当なのか盛った数なのかはわからないが、嘉月は相当人気があるらしい。やはり物腰の柔らかな超絶美青年に惚れる女性は多いよう。


「心に決めた人がいるとか、女性には興味がないとか色々噂されてるけど、本人はそんな噂すら否定しないんだよ? どう考えても脈ナシじゃん!」


 それを聞いた六花はほっとしたような、でも何か引っかかるような、もやもやした気持ちが芽生えるのを感じた。

 色々と勘違いしている桃は、六花を慰めるように肩を抱く。


「椿…」

「いや、だから別に好きとかじゃなくて」


 慰めは不要だと桃を振り返ったとき、真っ暗な窓の外にぼんやりとした灯りが見えた。急いで窓に駆け寄ると、闇に紛れて焦げ茶色の髪が揺れている。


「椿様、外に何か?」

「少し出てきます。皆さんは練習していてください」


 早口でそう言い残した六花は、闇に飲まれた焦げ茶を追って静かに走り出した。




 提灯(ランプ)の灯りを目印に、するすると音を立てずに追いかけて行く。夜目でもわかる艶やかな茶髪はまだ記憶に新しい。

 衛士の記した後宮の出入り帳によれば、昼の時点で阿比は後宮から出ていたはずであり、今ここにいる理由はない。

 では何故こんな時間に後宮をうろついているのか。誰の許可を得て後宮に入ったのか。一体何が目的なのか。


 物陰に隠れて阿比の動向を窺っていると、庭の整備用の器具庫に入っていくのが見えた。音を立てないようにして器具庫に近付くが、扉を閉められて中の様子がわからない。六花は裏手に回り格子窓から漏れ聞こえる声に耳をそば立てた。


「阿比先生…お願いよ。わたくしを選んでちょうだい」

「いけない子だね 。こんな夜更けに私のような男を人目の無い所へ呼び出すなんて」

「貴方になら何をされたって構いませんわ。お父様だってわかってくださるはずよ」


 ただの逢い引きのような会話ではあるが、何かがひっかかる。

 女官たちの恋愛まで禁止されているわけではないが、阿比の胡散臭い微笑みを信じきれる程六花は阿比のことを知らない。何か事が起きてからでは遅いのだ。


「君のお父上からも頼まれているんだ。私もそのおかげで救われた」

「このくらい、どうってことありませんわ。わたくしは貴族ですもの」

「そう言ってくれると嬉しい。…それならもう少しだけ、私を助けてくれないか。半分、いや四分の一で構わない。そうすれば、君を優遇してやれる」


 会話の雲行きが怪しくなり、六花は耳を澄まして二人の会話を拾う。

 “救われた” “半分” “優遇”

 まるで何かの取引のような言葉の羅列に、六花の心臓は早鐘を打った。


「わかりましたわ。お父様に頼んでみます」

「ああ、頼む。愛しい私の姫君…」


 狭い器具庫に衣擦れの音が響き、間髪入れずにくぐもった声と水音が聞こえる。流石にまずい雰囲気になってきたなと思案していると、ガラガラと扉が開いた。


「明日もここで待ってるわ」

「必ず来よう」


 二人分の足音が聞こえなくなるまで遠ざかって、ようやく六花は潜めていた息を大きく吐き出した。




 貴族派の女官と阿比との接触。

 この時分に阿比が“優遇”できるのは、一週間後に控えた舞姫の試験以外に考えられない。阿比を助けるという名目で何らかの賄賂が動いているのだろう。


 善爺に報告したところで、貴族の家が関わっている以上確たる証拠が無ければ捻り潰されてしまうため、今は兎に角阿比のことを探るしかない。




 六花が女官宿舎に戻った頃には既に就寝時間が近付いており、広間は灯りが消えていた。結局練習できなかったなと思いつつ部屋に戻ると、桃が円卓に突っ伏して眠っている。ひとりで六花の帰りを待っていたようだ。


「桃、風邪ひくよ」

「ん……椿?」


 ふわぁと大欠伸をする桃を見て、六花の心は暖かくなる。六花が意味もなく笑っていると、桃は無言で手を握った。


 じんわりと桃の温もりが伝わり、冷えた身体が体温を取り戻してゆく。春が近いとはいえ夜はまだまだ冷える。長時間外にいれば身体が冷えきってしまうのは当然のことで、六花にとっては取るに足らないこと。


「ばかね。冷え切ってるじゃない」


 それでも、心配してくれる人がいることが幸せだと六花は思う。ここへ来た目的とは異なっていても、桃や梓、睡蓮、菫の笑顔を守る為だと思えば何だってできる。


 必死で舞の練習をする庶民派の女官たちを差し置いて、賄賂を受け取った貴族を踊り子に指名するというならば。

 六花は不正を正さねばならない。六花にはその義務があるのだから。


「椿ってほんとに馬鹿。でも、信じてるわ」

「桃…ありがとう」


 何も言えないことがもどかしい。でも桃はそんな六花の立場を理解して何も聞かないでくれているのだ。


 先帝のこと、皇太弟のこと、そして阿比のこと。やることは山積みで、立ち止まっている暇など六花にはない。


 みんなの為にも、己が頑張らなくては。

 六花はそう自分に言い聞かせ、パチンと両頬を叩いた。




「あー、これですね。阿比殿、戌の初刻(20時)に入宮、亥の三刻(23時)に退宮しています。入宮の理由は忘れ物らしいですけど、それにしちゃ長いですね」


 机の上に帳簿を広げ、昨夜の記載を指差す耀。門衛の管轄である帳簿を見るには、衛士の許可が必要なのだ。


 亥の三刻(23時)ということは、女官と会ってすぐに帰ったようだが、六花が広間に訪れた時既に戌の三刻(21時)は回っていたはず。あの女官に会う前に何をしていたのかが気になるところ。


「…俺、何か手伝いましょうか?」


 耀は不安げな表情で、考え込む六花を覗き込む。六花が何かを追っていることを察してしまったらしい。


「お言葉は嬉しいですが、耀さんまで危険な目にあわせるわけにはいきませんから」


 衛士にどれだけの力があるのかは知らないが、宮正という立場や強力な後ろ盾のある六花とは違うのだ。下手に巻き込むわけにはいかない。

 ではまた、と六花がその場を去ろうとすると、耀は六花の腕を掴んで言う。


「危険なら尚更、椿さん一人にさせられませんよ。相手は阿比って男なんでしょう。君みたいな女の子が敵う相手じゃない」


 声を落として言う耀は本気で六花の心配をしているようで、邂逅時の軟派男はどこへやら、男らしい台詞に六花は目を瞬かせる。

 桃といい耀といい、他人を簡単に信用しすぎなのではないかと思う反面、純粋に心配されることが少しだけこそばゆい。


「…捕縛の際は、手を貸していただくかもしれません」

「ん、了解」


 そんな妥協案に頷いた耀は六花の腕を離して、いつもの人懐っこい笑みを浮かべる。

 六花はだんだんと増えていく友達という大切な存在に、心を揺さぶられるような心地がした。

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