白亜の図書館
史林の学院は柏家本邸から門一つ隔てた場所にあった。伽羅皇国の官吏の約半数を輩出する名門中の名門であり、研究施設としての役割も持つ。その広大な敷地面積はなんと禁城を上回るほどだという。
研究棟と講義棟、医学棟、図書館、大講堂、学生寮の六棟と、研究施設として薬草園や農場、森まで有しており、あまりの規模の大きさに六花と景佳は気後れした。
門衛に恐ろしく緻密な地図を渡され、それを頼りに学院の図書館を目指す。地図をぐるぐる回す六花に呆れ、景佳が案内役を務めたのは些細なこと。
辿り着いたその場所はまるで白亜の宮殿。他の煉瓦造りの建物とは一線を画し、知識という宝を詰め込んだ宝箱のように悠然とした佇まいで訪問客を出迎えた。
「見事なもんだなァ」
「…うん。この建物を見るだけで、どれだけ先人の知恵や文化に敬意を払っているのかが伝わるね」
壁全面に白く光り輝くざらざらした塗料のようなものが塗られており、小さな窓には磨り硝子が嵌め込まれている。吸い寄せられるように壁に触れていると、くすくすと笑う声が聞こえた。
「珍しいでしょう? それは漆喰と言って石灰石を原料に作られた塗料なの。煉瓦よりも火事に強いのよ」
朱李に似た灰色の髪の女性。すらりとした彼女はひらひらした裙ではなく官吏のような服を身に纏っている。よく見れば目の色も灰色で、柏家らしい色彩をしていた。
「朱李くんのお姉様ですか?」
「ええ、私は柏瑶珠。ここで司書をしているの。貴女が噂の六花さんね」
「はい、朱李くんや蒼士様、史林侯にお世話になっています」
「あの朱李が女の子を連れてくるとはねえ。まあ詳しい話は追い追い聞くとしましょう。図書館に興味があるのでしょう?」
「はい! 堰堤と四肢の欠損する病気について調べに参りました」
「それなら既に見繕ってあるわ。案内してあげる」
瑶珠に続いて図書館の扉をくぐれば、溺れるほどの本で壁が埋め尽くされていた。左右には本棚が永遠に並び、吹き抜けの大階段の先には更に三階まで本棚が続いている。かなりの重量に床が抜けないのか心配になってしまう。
「驚いた? ここは禁城の書庫より広いの。蔵書数も国一番よ」
誇らしげに笑う瑶珠は本棚の間を縫って、図書館の奥へと進む。机に向かう人々は年齢も服装も様々で、皇族であろうと浮浪児であろうと知識を求めに訪れた者を拒むことはない。ここでは全ての人が平等だった。
「お嬢、あれ…」
小声で六花を呼び止めた景佳が、山程積まれた書籍に埋もれている女性を顎で指す。齧りつくように資料を読みふける彼女の目は爛々と輝いて、六花たちのことなど気付いてもいなかった。
「ああ、凱央さんも貴女の連れだったわね。彼女、絵の資料を片っ端から搔き集めてああして積んでるの。植物紋様の図鑑が欲しいだとか鉱物図鑑を全て見せてだとか、司書への注文も多くて大変なのよ。あんなに積み上げて今日中に読み終えるつもりなのかしら…」
「え…俺とは全然喋ってくれなかったんですけどォ」
「ハナちゃん興味のあることしか喋らないから」
「無邪気に心抉るのやめてもらえますかァ?」
「まるで研究者のような方ね。さあ、こちらへどうぞ」
図書館の奥に並ぶ扉の一つを開け、瑶珠は六花を招き入れた。その中にはうず高く積まれた堰堤に関する資料と設計図、模型、地図が所狭しと並び、そしてその奥で草臥れた白衣の男が寝息を立てている。
「教授! この部屋に泊まらないでと何度言わせるおつもりですか!? 今日は客人をお連れすると申しましたでしょう!」
「んあー、うーん」
一人掛けの椅子を四つ並べて寝床にしている彼は、一週間くらい洗っていなさそうな頭を掻いてからモゾモゾ起き上がった。
「ああもう! そのような姿で客人の前に立たないでくださいな!」
「はーうるさいうるさい。司書殿のお小言は聞き飽きてしまった。おや、君は?」
「酉家当主の妹、六花と申します。よろしくお願いします」
「うん、僕はここで治水の研究をしている比呂。堰堤建設の責任者になると思うのでよろしく」
好き放題伸びた髭とよれよれの服装がどうにも不信感を抱かせるが、その口調はとても理性的なもの。彼は寝ていた椅子をひとつ、六花に譲ってくれた。
「それで堰堤の話だけれど、大体の計画は立てておいたよ。場所は龍脈の上流、龍の谷と呼ばれる渓谷付近。主に史林産の煉瓦を使用するつもりだ。施工にかかる期間は早くて十五年。天候の関係でさらに延びる可能性が高い」
「十五年!? そんなにかかるんですか!?」
「遊水池とは違うのでね。材料費も人件費もすごいことになると思うけど大丈夫かい?」
「それは…大丈夫だと、思いたいです」
どれだけの借金を抱えることになるのだろう。しゅんと項垂れた六花の肩に、瑶珠の手が置かれる。
「大丈夫よ、ある程度は史林が負担するわ。お父様もそう仰っていたもの」
「いいえ、そういうわけにはまいりません。ただでさえお世話になっているのに、これ以上負担にはなれません」
「史林としては問題ないのだけれど、そう仰るならば交換条件はどうかしら」
瑶珠はにこりと笑いながら、しかし射抜くような視線で六花を見つめる。ゴクリと唾を飲み込んだ六花は、瑶珠の出した条件に目を点にした。
「史林の有事に西魁軍を借受けたい? それだけで良いのですか?」
「それだけって…貴女西魁軍の実力を知らないの? 総力を挙げれば禁軍をも上回ると言われているわ」
「禁軍の騎士の方が強いと思うのですが…」
「一人一人の実力はね。でも少数精鋭の禁軍に対して西魁軍はおよそ八万。数が圧倒的に違うわ。それに実戦経験は西魁軍の方が上よ。西香の周囲は未だに争いが絶えないから、いざという時臨機応変に対応できるの。以上を鑑みると西魁軍に軍配が上がるでしょうね」
的を射た批評に六花の口からはへぇ、という感想しか出てこない。理知的な目がきらりと光って六花を見据える。
「恐らく明日の交渉でお父様から同じ条件が出されるはずよ。考えておいてね」
「は、はい!」
「うん、良い返事ね」
瑶珠は六花の頭に手を置いて、ぽんぽんと撫でる。六花がきょとんとすれば、バツの悪そうな顔で手を引っ込めた。妹と間違えたのかもしれない。
「話はまとまったかい? 僕はそろそろお腹が減ったな」
ぐぎゅるるると腹が大きく鳴いた。景佳がビクつくほどの大音量で。
「本当に緊張感の無い教授でごめんなさい。普段はこんなだけれど、治水の研究者としては国一番だから安心してね」
「いやあ、照れるなあ。ところで本日の夕餉は何かな? 確か農学のところの学生が牛の解体をしていたような気がするね」
「教授、それは昨日の話ですよ。貴方が徹夜で堰堤の模型を作っている間に美味しくいただきました」
「なんと、一日経っていたか! 光陰矢の如しだね」
そんな遣り取りに六花と景佳が顔を見合わせて笑えば、比呂と瑶珠は困ったような顔で微笑んだ。
翌朝、窓から入る日光で目を覚ました六花。枕元の海星を探して、昨夜景佳に貸してしまったことを思い出す。土人形ばかりの部屋で眠るのを嫌がった景佳が海星を貸して欲しいと泣きついてきたのだ。土人形より強そうだからという漠然とした理由で。
「ん…?」
窓枠に一つだけ置かれた土人形と目が合った。角の生えた蛇の頭のようなそれをじっと見つめて、六花は首をかしげる。
「こんなの置いてあったかな」
六花はそんなことを呟きながら着替え、侍女に運ばれてきた朝食を摂る。そして史林侯との会談へ赴く頃には、土人形のことなどすっかり忘れていた。




