史林へ
「えーっと、何から質問したら良いですかねェ」
史林へと向かう馬車の中、戸惑いを顕に景佳が言った。チラチラと視線を寄越す先には長過ぎる前髪で目元の隠れた女。見られている張本人は顔料の匂いを発する鞄を大事に抱えたまま、ガチガチと歯を鳴らしていた。
「…誰?」
横目で軽く睨む朱李と、成り行きを見守る景佳、そして蒼白な顔の前髪女。三対の視線が六花に集中して、六花は春嶺焼きを食べる手を止めざるを得なかった。
「彼女は凱央っていう通り名で活動してる絵付け職人。本名はハナちゃん。普段はハナちゃんとして宿の手伝いをしながら、夜は凱央としてお皿に絵を描いてるんだって」
「通り名と本名の差異がすごくて話が入ってこないんだけど。それでそのハナちゃんさんを誘拐してきた理由は?」
「私の剣に絵を描いてもらおうかと思って! 史林の図書館なら図案の参考になりそうな本もあるでしょ?」
良い考えでしょうと笑う六花に、朱李は何かを諦めたような深い溜息を吐いた。
「好きにしなよ。俺は寝るから」
それきり黙ってしまった朱李。実は枕が変わると眠りが浅くなる繊細なたちなので、長旅がそう得意ではないのだ。オロオロと視線を彷徨わせる凱央もといハナの肩をたたいて、六花は首を振った。
「長旅で疲れてるだけだから大丈夫! ハナちゃんは気にしなくて良いよ」
「で、ですが…」
「疲れさせてるのはお嬢だと思いますゥ」
「実は私もそう思う」
それなら自重しろ。朱李の口からそんな呟きが漏れた。
一行が史林に辿り着いたのはそれから五日後の昼下がり。遠方に見える史林の関所に目を凝らして、六花はぱっくりと口を開けた。関所の屋上に団栗紋と雪の紋の旗が交互に並び、門衛らが拱手して六花たちを出迎えていたからだ。皇族並みの大歓迎である。
「なんで?」
「あー、親父が張り切ってるだけだから気にしなくていいよ」
関所を越えてみれば、その歓迎具合が門衛に留まらないことを知る。町の住民たちが大通りの脇に集まり、花吹雪を散らしてくれるのだ。
「嫁入りと勘違いしてないですかねェ」
「…俺まで不安になるからそういうこと言わないで」
「ご安心ください朱李坊ちゃん。酉家の姫君に粗相の無いようにと侯から御触れがありました故、このような形で歓迎させて頂きました。朱李坊ちゃんの花嫁行列ならば更に派手な歓迎をお約束致しましょう。七十五頭の金の駱駝と五十三羽の孔雀を用意しておきます」
「いや、それは遠慮しとく」
お迎えに来た騎士に前後左右を固められ、六花たちは史林の都へと馬を走らせる。近道だからと大通りを逸れ学院の所有する森を進む一行は、微かな金属音に足を止めた。
「戦闘訓練じゃあないね。何か聞いてる?」
「は、昨夜学院に不届き者が侵入致しまして、準㊙︎文書を盗難されましました。領軍第一〜第三部隊が捜索に当たっております」
「それ、もっと早く言ってくれないかな。現場に急いで」
「ですがご令嬢方をお連れするわけには…」
「酉家のご令嬢だよ? あんたより遥かに強いから。非戦闘員はハナちゃんさんだけだ。全力で守れ」
「御意!」
道を進むにつれ激しくなる剣戟音が、ぴたりと止んだ。馬車を急かす一行の前を塞ぐのは気を失った男が数名。既に戦闘は終わっている様子。一瞬置いて、箱馬車の上にどすんと何かが乗っかった。
「あれぇ、お嬢じゃないっすか! おっきくなりやしたねぇ!」
窓から覗く逆さの顔はよく見知ったものだった。司馬の愛弟子であり、昔よく六花と遊んでくれた彼女は、くるりと宙返りして馬車から飛び降りた。
「司麻! 久しぶり! ここで何してるの?」
「史林の領軍を鍛えろって師匠に言われたんすよ。それも単騎で。本当に弟子使いの荒い師匠っす!」
「そこの倒れてる人たちは?」
「さあ、なんかコソコソ逃げてるっぽかったんで伸しときやした!」
放浪癖のある彼女らしい適当な返事だったが、史林の騎士から準㊙︎文書が見つかったと声が上がった。野生の勘は当たるのだ。
「不届き者を捕らえてくれたこと、柏家を代表して礼を言わせてほしい」
「お嬢に良くしてもらってるんで、お安い御用っすよ。だが領軍が弱すぎて話になりやせん。鍛えさせてもらうっす」
「双剣の司馬の弟子にそう言ってもらえると助かるよ。遠慮せずにしごいてやって」
朱李の許しを得た司麻は同乗の誘いを断り、さっさと馬に乗って行ってしまう。自由人なの、という六花の言葉に、朱李は仕方なさそうに首を振った。
煉瓦造りの小さな家が連なる史林の都は、柏家華京邸の庭を彷彿とさせた。赤煉瓦で統一されているのは採れる土の関係なんだとか。地面も煉瓦で隙間なく舗装され、土埃が立つことはない。道が狭いため花道を作ることはないが、領民たちは窓から顔を出して六花たちを歓迎した。
落ち着いた雰囲気ながら美しく洗練された都市。それが史林の都だった。
馬車は大門を越え、広大な邸宅の前で停車した。民家と同じ煉瓦造りではあるが、その面積は民家を横に五十、縦に四つ並べた程もある。そして尖塔がいくつもついていたりする。大豪邸というより最早城だ。
「ようこそいらせられました、六花嬢。つまらない場所かとは存じますが、伸び伸びお過ごしいただければ幸いにございます」
「突然押しかけてしまって申し訳ございません。領を挙げての歓迎感謝いたします。それに、西香の堰堤建設に関してもご助力いただけるとか」
「なに、堰堤建設に関われるのは我々にとっても有意義なことにございます。これを機に酉家との結び付きを強めたいとの思惑もございますので、どうか遠慮などなさりませんよう」
甘さの中にほろ苦さを混ぜたような優雅な微笑みで、市松模様の似合う洒落者───史林侯は六花を出迎えた。
「朱李も長旅ご苦労だったね。暫く部屋で休むと良い」
「いや、いいよ。堰堤建設の交渉に立ち合わせてもらうから」
「疲れていては良い案は浮かばない。交渉の席は明日設けるので、夕餉の刻限までゆっくりしていなさい」
気の抜けた顔で頷いた朱李がふらっとその場を去り、史林侯は六花に向き直る。荷物と馬車は気づかないうちに使用人たちの手で運ばれて行った。
「六花嬢もお疲れではございませんか? 既に部屋は用意してありますので、少し休憩なさってはいかがですか?」
「では、ご厚意に甘えて…」
六花はこの直後、厚意に甘えた事をひたすら後悔することとなった。
六花が案内されたのは、様々な動物(?)を模った土人形が所狭しと並べられた部屋だった。気遣わしげな使用人の表情が全てを物語っている。史林侯の一存でこの部屋を充てがわれたのだろう。
「続き部屋となっておりますので、お休みの際はそちらをご利用くださいませ」
早速続き部屋を確認した六花は、安堵の溜息を吐いた。ごく普通の客室だ。気の利く使用人で助かったとしか言いようがない。小声でもう一部屋客室の準備があると言った使用人はかなりの敏腕だと思う。六花はその申し出を断り、居心地の悪い部屋にとどまった。
「ヒェ」
隣の部屋から聞こえてくる情けない悲鳴は景佳のもの。彼の部屋にも土人形が並んでいるようだ。青い顔で六花の部屋に駆け込んできた景佳は、同様に並ぶ土人形たちを見て愕然と肩を落とした。
「史林侯はふざけてるんですかァ? 気味が悪くて眠れねェですよ!」
「…本気で歓迎してくれてるんだよ。大丈夫、呪われたりしないから」
「そういう問題じゃねェですゥ!!」
六花とて気味が悪いのは同じだが、これを断れば史林侯は悲しい気持ちになるだろう。それならば、少し寝心地の悪い方がずっとましだ。
「お嬢、顔色悪くないですかァ」
「気のせい」
「…それなら良いんすけどォ」
そうは言いつつ部屋で休む気になれない二人は、学院の図書館へ案内してもらうことにした。
〇〇の領主って書くのが面倒になってきたので、『侯』に統一します。侯爵ではなく領主の意味で読んでくださいませ〜




