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紫苑の花を君に 〜武闘派令嬢の英雄譚〜  作者: 紺
第二章 西香編
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金糸雀

 十歩先の景色が霞むような雨が降り続いていた。窓硝子を叩く雨粒が風に乗って波紋を作る。既に鎖樋は意味を為さず、軒先から珠暖簾の如く雨水が流れ落ちていった。


 薄暗い室内にはほっそりした女の姿。華奢な指先には檸檬色の金糸雀(カナリア)がとまり、首を傾げながら瞬きを繰り返している。

 重たい義足の音とともに扉が開け放たれて、金糸雀が狂ったように室内を飛び回った。


「この金食い虫が、何故忌み子を逃がした!? あと少しで亜嵐を呼びつけられたものを!」

「騒々しいのは控えてくださるかしら。金糸雀が逃げてしまいますわ」


 壁掛け時計の上にとまった金糸雀に、女の指が伸びる。それに飛び移った金糸雀は、大人しく鳥籠に誘導されていった。


「ここに柏家の御曹司に逆らえる者がおりまして? 現実的に考えてくださいな」

「たかが柏家のボンボンだろうが! 遅れを取る理由にならん!」

「霄石様、少し情報に疎いのではありませんこと? 彼は近衛の五千騎将でしてよ? 敵対しようものなら西魁軍の方が大打撃を受けることでしょう」


 淡々とした女の返答に気を悪くしたのか、義足の男は杖で床を叩きつけた。


「亜嵐、つくづく忌々しい奴め! 何度計画を邪魔すれば気が済む!? どれだけ毒に耐性をつけさせれば生き延びる!? 致死量などとうに超えていたというに!」

「まあ、そんなに酷いことなさっていたのね。私の娘なのですから、大切にしてくださらないと」

「この女狐が、良く言うわ! 傭兵なぞけしかけおって、何が目的だ!?」

「今殺してしまっては勿体ないではありませんか。本来生贄の儀式は湖が凍り付く季節に行われるもの。まだその時ではございません」


 薄らと微笑んだ女に懐疑的な視線を向けた男。雨は降り続いている。


「………貴様、何を企んでる」

「決して霄石様の邪魔は致しませんわ」

「その言葉、違えるなよ」


 遠ざかる義足の音が消えて、珠々里はチリンと鈴を鳴らした。隻眼の男が隣室から姿を現し、女の足元に跪く。


「参謀長は酉大将軍を下せるかしら」

「難しいかと」

「その割には自信過剰でないこと? 何か策でもありそうなものだけれど」

「策があったとして、参謀長の能力は中の下程度です。酉大将軍には遠く及ばないでしょう」

「それならもう用済みね。雨季が終わったら始末してしまいなさい」


 女は薄紅色に染まった唇の端を持ち上げ、棋盤の目に置かれた軍配の駒を指で弾いた。棋盤から落ちた駒は動かない。


「旦那様はいかがなされますか」

「おやめなさい。貴方の口からそんな言葉は聞きたくないわ。あの人は領主の足枷になる。利用価値があるから生かしているだけよ」


 隻眼の男は女の足を持ち上げ、その甲に口づけを落とす。その様子を見た金糸雀が、唄うように美しく鳴いた。








 氷雨と別れた六花たちは、莝郷の病の原因を探るため、朱李の実家がある史林の学院へと向かっていた。そろそろ西香を出ようというところで一行を待ち受けていたのは、九十九商会の抹槻とトァだ。


「まさか、私を待っていたんですか?」

「血判まで捺しておいて忘れたとは言わせませんよ、お嬢様」

「口調変わってる…服装も、馬車まで!」


 草臥れた幌馬車から雨漏りひとつない箱馬車へと変わり、馬車を引く瑞も毛並みが整えられている。九十九商会が帝都まで送ってくれることになり、六花たちは有難く馬車に乗り込んだ。


「抹槻さんったら私にまで敬語で喋るのよ? お姫様にでもなった気分だわァ」

「何をおっしゃいますかトァ様。貴女様はわたくしめの最愛の姫君ではございませんか!」

「抹槻さん…御者なんですから前を見てくださいな」


 ニコニコしながら抹槻を無視したトァは、広くなった馬車で武器を中心にした積荷の紹介をはじめる。様々な趣向の短剣、長剣を見せられそれぞれの特徴を聞かされるが、六花には違いがわからない。ふと顔を上げて、明らかに異質な肩掛けを見つけた。


「それ、お嬢が莝郷の帰りに羽織ってたやつじゃねェかァ? 忘れてっちまったんだなァ」

「え…私のじゃないよ、それ。莝郷の誰かが掛けてくれたのかな」

「莝郷にこんな異国的(エキゾチック)な肩掛けがあるかよォ」


 莝郷の男に襲われたときのことを思い出す。白く染まった頭で誰かの声を聞いたような気はするが、気を失っていたので詳細はわからない。


「記憶にないけど、こんなに綺麗な肩掛けなんだから持ち主に返してあげないといけないよね。まだこの近くにいれば良いんだけど…」

「その持ち主には関わらない方が良いと思うよ」


 剣の(こしらえ)に目を走らせながら、朱李は鋭い口調で言った。


「その紋様、昔学院で見たんだ。古代アサーティールの神殿を飾る紋様にそっくりなんだよ。かつてアサーティールの支配下にあった場所は幾つかの国に分かれているけど、その中でも有名なのはシャムス教国と軍国バルテアだからね。どちらも友好国とは言えない」

「バルテアって、まさか…」

「ねえ、誰に会ったのか本気で思い出せないわけ?」


 朱李の視線が六花を射抜く。地下水路での戦いを引き起こした犯人、鷭の故国が関連しているとなると穏やかではない。


「でも、その人は私を助けてくれたんだよ? 偶然通りかかっただけかもしれない」

「偶然…? それならこんなに分かり易い証拠を置いていく理由がない。わざと置いていったに決まってる。何が目的かはわからないけど、用心した方が良さそうだ」


 再び武器の性能確認に戻った朱李は、なにかを考えているのかそれきり口を閉ざしたまま。不穏な空気を振り払うようにトァが茶菓子をすすめ、六花はありがたくそれを受け取った。






「はぁ、何なんだよその手形…関所素通りとか有り得ねえ」

「それも待ち時間なしなんて初めてよねェ」


 別れ際、氷雨から受け取った雪の紋が入った手形は、一般のそれとは違い極彩色に彩られていた。西香を出てからというもの全ての関所で要人(VIP)専用出入口に案内され、審査なしで通過しているのはそのせいだ。領主の許しがなくては発行できない最高の身分証明らしい。


「お嬢様、九十九商会で働く気はございませんか?」

「手形目的の勧誘はやめてください」

「六花に商人は向いてないよ。すぐに騙されて商談にならない」

「失礼な! 朱李くんだって物価も知らないぼっちゃんのくせに!」

「否定はしないよ」


 通常運転の言い争いをはじめる六花と朱李を、九十九商会の二人は驚いた顔で見ていた。想像していた貴族の印象(イメージ)とまるで違っていたからだ。


「ところで剣はどう? 亜嵐様は気に入ってくれるかなぁ」

「切れ味はかなり良いよ。これで耐久性に問題が無ければ採用も有り得るかもね」

「それなら問題はひとつだけだね!」

「ああ、致命的な問題がね」


 予想外な駄目出しをくらい、身構える抹槻とトァ。六花と朱李が口を揃えて言ったのは、地味の一言だった。


「じ、地味…?」

「剣自体に文句はないんですけど、拵が地味すぎるんです。華やかな禁軍の軍服には似合わないし、まるで高級感がない。中身が優れている分拵の粗雑さが際立ってしまっています」

「実力主義とはいえ、禁軍は貴族が多いからね。量産型の武器よりも一点物を欲しがる傾向にある。多少値が張っても特注品として売り出して、それぞれの好みに対応した方が貴族受けは良い」

「例えばこんな感じで」


 六花は亜嵐に貰った懐刀を取り出した。螺鈿細工で雪の紋が施されたそれは、六花の為だけに作られた特別な品だ。亜嵐がどれだけ六花を大切に思っているのか、一目見ただけで理解できる程、傑出し洗練されたものだった。


「こりゃあ、また恐ろしく金と手間のかかった代物だな。勝てる気がしねえ…」

「そうねェ、西香の鍛冶職人ではここまでの物は作れないわ」

「益々帝都へ興味が湧いてきたな! おいお嬢、大将軍お抱えの鍛冶職人を紹介してくれ!」


 早くも敬語の飛んだ抹槻に、六花は態とらしく首をかしげる。ほあほあしたオジョーサマに見せかけながら、ちゃんと学習しているのだ。


「何と引き換えに? 当然私に利益があるんでしょうね?」

「くそ、強かになりやがって………これでどうだ?」


 抹槻が指差したのは一振りの剣。金属飾りの施された立派なものだったが、六花はその隣の簡素な剣に目を奪われた。


「そっちは可能な限り軽量化したもんだ。まだ試作段階だが、よく出来てると思う」

「これで手を打ちましょう」


 細くて軽い丈夫な剣。これこそ六花が求めていたものだった。全面漆塗りで飾り気のないそれは、余計な装飾が丸々排除されている分、非常に軽い。

 日常的に帯剣している騎士たちは脚の形が左右非対称の者が多い。それだけ剣が重たいということ。舞い手である六花にとって、それは致命的な欠陥となる。


「本当にそれで良いんだな?」


 抹槻はまるで理解できないと表情で訴えたが、安く済ませるため敢えて口出しはしなかった。

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