第13幕 柳家の奥方
「来てしまった…」
たかが門のくせして物々しい雰囲気を醸し出すとは何事か。そんなお門違いな苛立ちを胸に、目の前に聳え立つ柳家華京邸の門を見上げて六花はぽつりと呟いた。
「どちら様でしょうか」
「お客様がいらっしゃるとは聞いておりませんが」
二人の門衛が六花の入場を遮るように槍を構え、ついでに睨みつける。どうして柳家は何から何まで威圧的なのか。いくらなんでも門衛が客人にとる態度ではない。
「当主様に用がありまして、酉家から参りました」
六花は良家の姫君らしい愛想笑いを浮かべてそう告げるが、門衛は眉を顰めて明らかに信じていない様子。
確かに町娘のような服装で馬車にすら乗らずに現れた小娘が、あの柳家の当主の客人だとは信じがたい話だろうが。
「御当主からそのような話は伺っておりません」
「今日のところはお引き取り願います」
事前に連絡を取らなかった自分も悪いとは思うが、見るからに胡散臭いという視線を投げかけられるのは六花とて不愉快だ。
「確認を取ることもせず、客人を門前で追い返すのですか」
「確認など取るまでもありません」
「我々も小娘に付き合っているほど暇ではないのでね」
一体誰に似たのか、六花の沸点はそれほど高くない。
懐から一瞬にして短刀を抜いた六花は、強行手段に出る…わけにもいかないため、それを門衛の眼前に突き付けた。
「しっかり見て!」
短刀の鞘に施された吹雪の紋。螺鈿と金で施されたその細工は酉家の家紋に他ならない。
使用方法を間違えている気がしないでもないが、亜嵐がくれた大切な守り刀だ。
「なっ…!」
「っこれは失礼致しました!」
漸く六花の言うことを信じた門衛二人に平謝りされて、逆に狼狽えてしまう。許しを請う二人にどうして良いのかわからず目を泳がせていると、背後からころころと笑う声が聞こえた。
「面白い茶番ですこと」
「奥方様!」
鈴の鳴るような声につられて後ろを振り向くと、艶やかな茶髪の女性が馬車から降りるところだった。
奥方様と叫んだ門衛の額にいくつもの汗の粒が浮かぶ。しかし柳家の奥方ということは、まさか。
「この者どもも悪気はないのよ。最近妙な訪問者が多くて気が立っていたの。許してやってくれないかしら」
その女性の顔を直視した瞬間、六花は言葉を失った。
国中の美姫を集めても、彼女より美しい女性はいないだろう。そう断言できるくらい目の前の女性は美しかった。
六花が何も言えずにこくこくと頷くと、「良い子ね」と彼女は笑い、屋敷の中に案内してくれた。
先日と同じく応接間に案内された六花。この部屋の長椅子で居眠りしたのは記憶に新しい。
「あの…御当主は、」
奥方様と呼ばれた女性に遠慮がちにそう尋ねた瞬間、六花の身体は柔らかいものに包まれていた。
「本当に可愛い! うちにもこんな女の子が欲しかったのよ。それなのに産まれてくるのは吊り目の男ばかり」
目の前の女性に抱きしめられているとわかったのは、まるまる十秒経過してからのこと。突然の出来事に呆然と突っ立っていると、女性の手がもぞもぞと動き出した。
「ほっぺもぷにぷにだし髪もサラサラ…あら、胸は成長中なのね」
髪や頬、二の腕、さらには胸やお尻まで身体中いたるところを触られて、流石に突っ立ったままではいられなくなった。
「な、ななな、なにを!?」
女性の手から逃れるように壁にへばりつくが、女性はにっこり笑って距離を詰めてくる。女同士だから、なんて問題ではない。とにかく逃げなければと六花は本能的に悟った。
じりじりと後退するが、やがて背中が壁に行き当たる。
最早これまでかーーー
そう六花が覚悟を決めた瞬間。
「…何をしているんだ」
それはもう絶妙な時機で、柳家の当主は現れた。
「ずるいわ! 私に黙ってこんな可愛い子と密会だなんて!」
唐突に会話に割り込んでくるこの女性。信じられないことに柳家当主の奥方であり、これでも二児の母、らしい。
「…女官になる決心がついたため後見人を見繕え、と?」
当主はそんな割り込みをものともせず、華麗に無視を決め込む。
「ええ、そういうことです」
無視されたことを気にもせず、六花の髪をいじりはじめる奥方。気にならないと言えば嘘になるが、今はそれどころではない。どうしても当主の協力を得なければならないのだ。
六花が後宮女官になるためには、問題が二つ。
一つ目は、適当な後見人。二つ目は登用試験についてだ。
身分だけなら申し分ないが、六花に対し異様なまでに過保護な亜嵐が後宮女官になることを許すとは思えず、ましてや後見人など以ての外。
それに今回は、下手に酉家の名を語れば亜嵐の立場が危うくなる恐れがある。そのため貴族の侍女を装って後宮に潜入しようというわけだ。
「どうして煌漣さんにそれを頼もうと思ったの?」
いつのまにか隣に腰掛けていた奥方が、ふと疑問をこぼす。煌漣とは、目の前に座っている柳家当主の名だ。
亜嵐では都合が悪いから、なんて答えを求めているわけではないことくらい、わかっている。
「ご当主がそう望んでいらっしゃるから、でしょうか」
「…そうなの? 煌漣さん」
ふわっと顔を上げて、正面に座る当主を見つめる。
ゆるりと目線を六花に向ける当主の表情は変わらない。しかしそれが間違いでないことは明白だった。
「無鉄砲だが、阿呆ではないようだな」
六花の格好を見て小さく笑った柳煌漣。勢いのまま来てしまったことを笑われているのだ。恥ずかしくなって目を泳がせていると、当主は悪びれもせずこんなことを言う。
「お前が女官になるよう誘導したのは事実。後宮に手駒を置いておくのも悪くない」
当主はいつぞや六花が叩き斬った鉄扇を手の中で弄んでいる。まるで手のひらで転がされているような言い方が気に食わないが、決意したのは自分自身だ。
「後見人については探しておいてやる。だが後押しはせんぞ」
「ありがとうございます。私に出来得る限りの努力はいたしましょう」
柳家の当主の協力を得られたことで、一つ目の問題は解決した。
あとは、登用試験に合格するのみだ。
女官の登用試験は一般教養の他に礼儀作法、舞、楽について評価され、総合的に見て女官に相応しいかを判断する。
酉家の令嬢として一般教養、礼儀作法は幼い頃に叩き込まれいるため問題ない。舞についても体を動かすのは得意な方で、たまに練習もしている。
問題は楽だ。
「うーん…悪くはないけれど取り立てて素晴らしいわけでもないわね」
どうにか琴で一曲弾き終えた六花に、柳家当主の奥方である夏智はそんな評価を下す。
思いの外厳しい評価をつけられ、六花はおずおずと問うた。
「受かるでしょうか?」
「受かりはするでしょうね。礼儀作法も学力も申し分なし、舞に関しては女官にしておくには勿体無いくらいの腕前だわ」
総合的には高い評価にほっと肩を撫で下ろすが、夏智はそんな六花の頬を軽く摘んで横に引っぱった。
「安心するには早いわ。女官の役職は成績順で決まるのよ? 上位の女官に虐められることだってあるんだから」
女官になっても、自由に動ける立場でなければ何の意味もないと言う。しかし試験まで残り七日では、上達の見込みはほぼ無いに等しいだろう。
「落ち込んでる顔も可愛いわねえ。うちの娘にならない?」
真面目に批評をしたかと思いきや、六花の頬を摘みながらこの発言である。何故この人が柳家当主の奥方なのか疑問に思わずにはいられないほどの自由人だ。
「あの、私は…」
「そんな不安そうな顔しなくても大丈夫よ。この夏智様にお任せなさいな」
そんな夏智の一言で登用試験までの一週間の間、六花は柳家に泊まり込み夏智に師事することとなった。
何を隠そうこの女性、琴の腕前は皇国一と謳われるほどの弾き手で、かつては公主に指南していたという。
流石に都合が良すぎると六花は半信半疑であったが、夏智の演奏を聴いてそんな疑いも吹き飛んだ。
「まずは弾き方から教えておきたいところだけど…時間がないし、今のままでも問題はなさそうね」
「はぁ」
「とりあえず、曲を憶えなさい。どこが盛り上がるところなのかを考えながら、一音一音大事に弾くのよ」
夏智の指導は思いの外厳しく、朝から晩まで琴漬けの生活に六花は泣きそうになりながらも必死で練習を続けた。
そして七日はあっという間に過ぎ、ついに女官登用試験の日がやってきた。
「ほら、そんな不細工な顔はおやめなさい。可愛く笑っていれば良いのよ」
「いひゃいれす、」
六花の頬を引っ張り上げて笑顔を作ろうとする夏智。緊張でガチガチに固まっていた六花は、こんな時でも変わらない夏智にほっとする。
「最後に一つだけ、一番大事なことを教えてあげるわ」
見送りだと言って禁城までの馬車に乗り込んだ夏智は、ぱちんと片目を瞑って言った。
「六花。舞を舞う時、誰のことを思って舞っているの?」
いきなりそんな質問をされ、六花は返答に困る。
誰のこと。それは十二年前に亡くなったはずの彼のことで。頬を染めて言い淀む六花を見て、夏智は愛おしそうに微笑む。
「あのね、楽も同じなの」
「え…?」
「大切な人のことを思って演奏すれば、人の心を動かすことができるのよ。愛しい人のことを思って弾きなさい」
紫季に音色を届けるために。
想いを伝えるために。
「はい。私、頑張ります」
一週間もの間付きっ切りで指導してくれた夏智のためにも、こんなところで落ちるわけにはいかない。
守りたいもののために、背中を押してくれた人のために。
絶対に、受かってみせる。
六花はそう心に誓った。




