レオンハルトの場合
「生き残りが居たのね」
眩い黄金の長い髪を一つに纏め、純白の鎧を身に付けた戦乙女が舞い降りた。
俺の魂も迎えに来たんだと、思った。
行き先は天国か地獄か。
戦乙女の差し出された手を取る。
此処には、もう何も無い。
家族も住んでいた家も畑も家畜も、燃え尽きてしまった。
全て、失った。
魔獣が何もかも奪い去った。
唯一、俺に残ったのは憎しみの心だけだった――。
あの日、天界から遣わされたと思っていた金色の戦乙女は女ではなく、エーレンフェストという名の魔剣士――というのは仮の姿で、実際は何処にでも居るおっさんだった。
「おい!エーレンフェスト!!早く起きろ!!」
「う~ん、もう少し…」
朝、俺の仕事はこのおっさん…もとい、この剣の師匠であるエーレンフェストを起こす事から始まる。
あまりの寝起きの悪さに、毎朝辟易する。
見た目は、春の日の日差しのような微笑を浮かべた女神。
中身は、何も出来ないどうしようもないダメなおっさん。
飯を作らせたら、殺人シェフと化す。
掃除も洗濯も、さらに汚れを増やす。
どこをどうすれば、そうなるのか疑問に思うほど。とにかく、面倒この上ない。
俺が、初めてエーレンフェストの屋敷に連れてこられた時、「ここはゴミ屋敷か!?」とあまりの悲惨な状態に唖然とした。
そんな屋敷を俺が一人でせっせと綺麗にして、ようやく半年過ぎた頃、人が何とか生活できるほどにした。
少し冷め始めてる朝食を、エーレンフェストは美味しそうに食べながら「仕方ないでしょ!昨夜は、魔導書を読んでいて、つい…」と言い、えへっと微笑む。
「いいおっさんが“えへ”とかキモい!」
「失礼ね!おっさんとか言わないで!!」
だったら、いくつなんだよ?と問うが、答えはいつも「ヒミツ」と返される。
次期、賢者候補とまで言われてるくせに、実力はあっても中身がこれじゃあ…と情けなくなる。
魔術と剣術は最高クラスなのに、それ以外は何をさせてもダメとは……。
「食べ終わったら、皿は下げとけよ」
「いつも、ありがとう。レオン」
エーレンフェストを起こして朝食を取らせれば、日課の剣の鍛錬の時間。
午後からはエーレンフェストに教えを受ける。
俺には、魔術師としての才能は全く無かった。だけど、剣士の素質はあったようだ。
今の俺は魔獣を倒す為だけに生きている。
――俺は、強くなる。
この憎しみは、魔獣の血のみでしか流せない。
夢を見ていた。
あの日の事は、もう随分夢見る事はなくなってきたと言うのに。
エーレンフェストに拾われたのは八歳の時、それから勇者が召喚されたのは十年後。
勇者とともに魔獣を倒した。
もう、憎しみの対象は存在しない。だから、自分の好きな道を選んだ。
勇者の後を追って、異世界に来た。
ただ、勇者の傍に居たかった。
守りたいと、助けたいと、救いたいと。
勇者は、俺が好きになった女だ。
滅茶苦茶な女で、予測不可能な行動を取る。
きっと、一生掛かっても理解出来ないだろう。
後悔は無い。
やっと、生き残って良かったと心から思うようになったからだ。
――メグム。
左の手首にある腕輪に視線を落とす。
真ん中に、輝きを失った魔石が一つ。
昔、ばあさんから「お守りだから、常に身に付けておきなさい」と貰った物だ。
装飾品なんて女みたいで嫌だ!って言ったら、母親が効果抜群だから、持ってて損は無いと言って外す事を許してくれなかった。
その結果、魔獣の炎から俺だけ無傷で生き延びた。
――確かに、効果抜群だったな。
異世界生活にも慣れてきた。
一人で買い物にも行ける。電車にも乗れる。基本、好き嫌いも無いから食べるにも困らない。
剣も魔法も無い世界。
「おはよ~」
中を伺うような小さな声とともにドアが開く。
「レオン?起きてる?」
「あぁ」
久し振りに見た夢のせいで、なかなか起きる気になれなかった。
メグムが覗き込んで俺をじーっと見てる。
「具合、悪い?」
「いや」
メグムの問い掛けに短く答えると、メグムは額に軽くキスを落としてくれる。
「うん、熱は無いね」
そう言って、メグムはカーテンを開けて、朝の光を部屋に満たしてくれる。
朝ご飯の準備が出来たから呼びに来たと言うメグムは、あの頃にメグムと変わりは無い。
戦いに明け暮れていた勇者メグムは、とても綺麗だった。
長く黒い髪を靡かせて、剣を構える姿はまさに戦いの女神だ。
何も恐れず、前だけを見て、突き進む。
なのに人知れず、声を殺して泣き咽ぶ。
召喚されたばかりの頃のメグムは、まるで小さな少年のようで、こんなチビに何が出来るのかと思ったけど、エーレンフェストはたった数ヶ月で剣も魔法も教え込んでしまった。
エーレンフェストが凄いのか、メグムが凄いのか。
今のメグムも、綺麗だ。使命を果たし、元の世界に戻って来たという事もあるのか柔らかく笑うようになった。
この世界で、俺はどんな方法でこの女を守っていけばいいんだろうか?
魔獣は、もう居ない。
勇者を守る剣士は、この世界には必要ない。
最近のこのマンションの朝は、ゆっくりと時間が進み和やかな空気が漂う。
メグムの内定が決まり「後は、卒業までにいくつかのレポートを提出すればOK!!」と、嬉しそうに話す。
――仕事か…。
確かに、今はカフェでバイトをしている。
今は、それでいいのかもしれないが、この先の事を考えれば何かしなければいけないとも思う。
今日は朝からメグムはレポートの資料集めにと大学へと行き、アレクシスはエーレンフェストの所へと出かけた。
リビングで誰も観ていない付けっ放しのテレビを観る。
テレビというものは、不可思議だ。
四角くて薄いのに、人が映り込み、声が聞こえる。
ユーリが仕組みを教えてくれたが、俺もアレクも、メグムすら理解出来なかった。
「まぁ、細かい事はいいじゃない!それより、これがリモコン。使い方は――」
メグムが、テレビはリモコンで作動するというのを教えてくれた。
他の電化製品の扱い方と利用方法を簡潔に話してくれた。
こんな便利なモノがこの世界にあるなら、魔法なんていらないねとアレクは一人呟く。
――確かにな。
「今日は、バイトは無いのか?」
顔を上げると、目の前に湯気の上ったマグカップが。
「俺は、午後から。ユーリこそ、出かけないのか?」
と、マグカップを受け取りながら訊けば「俺も、午後からだ」と同じ答えが返ってくる。
マグカップの中身はコーヒーだ。
苦いのか酸っぱいのか、よく分からない味だが嫌いじゃない。
メグムは砂糖を入れたりミルクを入れたら美味しいよ!と言っていたが、俺は別にこのままでも十分飲めるから何も入れない。
目の前のソファに座り、隙の無い動きでコーヒーを飲む男。
現世ではメグムの従弟だが、過去においては自分は王だと言い、しかも、メグムの夫だと公言する。
ノンフレームの眼鏡に神経質そうな目。
実力もエーレンフェストと互角なのか、それ以上なのか、未知数だ。
何より“メグム至上主義”で、他のものなど全く以って関心が無い。
こんな時でもなければ訊けないだろうと、聞きたかった事を口にしてみる。
「ユーリは、俺が居なくなればいいと思うか?」
「……どこか、行く当てでもあるのか?」
質問に質問で答えるのは間違いだと思うが、ユーリ相手に正面から攻めても勝てない。
「メグムは、俺が居なくても平気だろ?」
「……愛は、去る者は追わない」
――だろうな。そもそも、俺達が強引に後を追って来たに過ぎない。
「ユーリは、メグムを一人占めしたいんだろ?」
「……ふっ」
――む、むかつく!!鼻で笑うこと無いだろ!!
「お、俺はっ――」
「愛を自分だけのものにしたいか?」
俺は答えない。ただ、目の前の魔王を睨み付けるだけ。
ユーリは、持っていたマグカップをテーブルに置き「愛は――アレは愛される事を知らない」と、前置きをして話し始めた。
愛される事を知らずに育った少女は、何も求めない女となった。
想いを与えても、同じだけの想いをただ返すだけ。
気持ちが離れてしまえば、それを受け入れるだけ。
誰かに必要とされたいと願いながら、見捨てられた存在なのだと思い込んでいる。
それは、昔から変わらない。
何度転生しても、気の遠くなる月日を生きてきても、姿かたち名前が変わっても、記憶を封じても、根底にあるものは変わらない。
それが、工藤愛だ。
普通の感覚なら、一度に複数の男と付き合うのは倫理観に反する事だ。
だが、愛は――。
「愛は、誰の事も愛さない」
「それはっ――」
「どうせ捨てられるだから、愛する必要もない」
「………」
「愛を愛に求めるのは止めろ」
「――ユーリは、それでいいのか?」
ユーリは、また鼻で笑う。
アレが誰と居ようが、誰と付き合おうが、誰と愛し合おうが、俺という存在を表に出せば誰もが愛の元から去って行く。
最終的に、傍に居るのは俺一人だ。
最期を看取り魂を転生先に送り自分が後を追う。
「初めて本気になった女だ。愛が嫌だと言っても放さん」
午後。
バイト先のカフェに向かえば、何故かメグムが居た。
「レオン!大丈夫?」
駆け寄って、俺の額に手を当て顔を覗き込まれる。
「やっぱり、熱は無いよね」
メグムは少し考えて「無理なら私がレオンの代わりに入ろうかと思ってたんだけど」と、心配そうな表情で言われる。
「大丈夫だから」と答えれば「無理は禁物だからね!」とまるで姉が弟に気遣うような空気が流れる。
――そう言えば、ずっとメグムには“弟”って言われていたな。
夕方。
アレクシスもバイト先にやって来た。
三人のコンビネーションは、今も昔もそつなく無駄がない。
相手の動きや呼吸まで感じ取る事が出来る。
――まさか、こんな事にまで役に立つとは。
給仕するのは、苦じゃない。
幼い頃から、エーレンフェストの世話で、料理も掃除も習得したからな。
時折、メグムの視線を感じるが素知らぬ振りをして仕事に徹した。
「レオン、メグム、今日はどうしたの?何かあった?」
アレクシスの疑問も当然だ。
バイトを終え、休憩室に向かう。俺はアレクを無視して帰り支度をする。
じーっと無言で半ば睨むような目で、メグムは俺を見る。
アレクシスは、これ以上何も言わず成り行きを見守るつもりなんだろう。
朝から、ずっとイラついてた。
メグムに俺の本当の気持ちを分かって欲しいだけなんだ。
だから、こんな事を言いたかった訳じゃない――なのに。
「メグムにとって、俺って、何?」
一瞬、何を言われたのか分からないという顔をして、メグムはじーっと見詰めながら瞬きを数回する。
きっと、メグムの脳内では、俺の言葉を理解しようとフル回転中なんだろう。
「私にとって、レオンは――仲間。それに、家族」
“家族”という言葉に片眉がピクっと反応してしまった。
「それは“弟”って、意味だろう」
メグムが異世界に召喚され、魔獣討伐の旅の間、ずっと言われ続けてきた言葉だ。
――レオンハルトは、弟!姉である私がしっかりしないとね!!
年下という事で、完全に弟扱い。さらに、メグムは姉という立場から何をするにも先頭に立ち、「危険だ」と何度言っても譲らなかった。
投げやりな俺の“弟”発言にメグムは見る見る内に眉間の皺が深くなる。
やはり、従姉弟だと納得する。その表情は常に不機嫌なユーリにそっくりだ。
「――“弟”ね…。例え、何であってもレオンは“私のレオンハルト”よ!!」
「は?」
ぐっと胸倉を捕まれ、上目遣いに思い切り睨まれる。
「私だって、色々考えて悩んで――内定だって漸く取ったというのに!!」
「???」
「扶養家族を抱えて、頑張らなきゃ!って、毎日必死に就活してたのに!!」
「!?」
「全てを捨てて、私と一緒に居たいって気持ちを、後悔させたくないって!!」
「!」
「だから!絶対、私が幸せにしてあげなきゃって!幸せにしてやるんだからっ!!」
「!!!」
身体が勝手に動くとは、この事だ。
両腕が、怒りに任せて“幸せにしてやる”発言をする元女勇者を力任せに抱き締める。
「あわわ!イテテ!イテテテ!!!」
「く、苦しい~~!」と訴えても無視して、さらに抱き締める腕に力を込める。
煩いな、黙らせようと強引な口付けを与える。
「んーーっ!んーーっ!!ファフェフーー!!ファフフェヘーー!!」
仕方ないなって感じで「レオン、そろそろ帰ろうっか」と、アレクが俺の背中をツンツンと突く。
「メグム」
「ぜぇ、ぜぇ」
肩で息をして、呼吸を整えようとしているメグム。
「我慢出来ない」
「ぜぇ?」
「帰って、ヤろう」
「ぜぇ!?」
「早く、ヤろう!」
「ぜ!!」
「すぐ、ヤろう!!」
「ぜぇーっ!!」
担いで走った方が速いだろうと、メグムを肩に担ぐ。
うががーっ!!と訳の分からない言葉を叫びを聞きながら全力で駆け出す。
俺達の後を、やれやれと頭を振りつつアレクが続く。
マンションに着くと、ユーリはリビングでノートパソコンに向かっていて――。
俺はメグムを担いだままユーリに約束を取り付ける。
「メグムの転生先が決まったら、俺も転生してくれ!!」
ユーリは画面に視線を向けたまま、片手を挙げて手を振る。
俺は、了承したという意味に取る。
俺だって、本気だ!
この世界まで来たんだ。どんな事があっても、メグムの傍に居たい。
腕の中でもがくメグムをベッドに下ろし、動きを封じる。
「メグム、好きだ!」
「レオン…」
「好き過ぎて、狂いそうだ」
「………」
メグムへの気持ちを持て余して、自分自身制御出来ない。
いっそ、狂い堕ちてしまおうか。
少し不安気に、メグムは俺を見上げてくる。
「レオン、私もあなたに狂えば信じてくれる?」
「っ!!」
これが幸せではないとしたら、一体何を幸せと言うのだろうか。
夢を見ていた。
広がる畑の向こうに我が家が見える。
畑の中の人影が揺れ、こっちに近づいて来る。
「久し振りだな、レオンハルト」
「立派になったわね、レオン」
――父さん、母さん。
人影は父親のものだったようで、いつの間にか母親は父親の隣に立っている。
「今じゃ、魔獣を倒した英雄だな」
「もう、モテて大変よね。剣士様」
二人は、俺が居るのも忘れて盛り上がる。
脳天気というか、ミーハーというか…。
「そうだ!後は可愛い嫁さんが来て欲しいなぁ」
「そうね!早く可愛い孫の顔を見てみたいわ~」
――は?嫁?孫?
「楽しみだな」
「楽しみね~」
勝手に盛り上がるな!少しは落ち着け!!
夢の中でも、相変わらずだ。
あの頃と何一つ変わらない。
――父さん、母さん。俺、
「まぁ、これからも適度に頑張れ」
「あなたの幸せが、私達の幸せよ」
母さんは俺の左手首を取って腕輪を外し「おばあちゃんから、預かったのよ」と。
そして「効果抜群だったでしょう」と、言って新しい腕輪を着けてくれる。
「元気でな」
「元気でね」
本当に嬉しそうにどこか寂しそうに、笑いながら二人は去って行った。
目覚めは悪くない。
腕の中には、黒髪の女が何やらムニャムニャ言いながら微笑みながら眠っている。
――メグム。
柔らかな身体を抱き締めると、俺の首に腕を回してくるから起きているのかと顔を覗き込めば気持ち良さそうに眠っている。
ふと、夢の出来事が気になって左手首を見る。
真新しい腕輪には、緋色の魔石が光り輝いていた。
『レオンハルトの場合』 END
2014/09/05 改行修正