その7
車に戻りキーを回す、後は、このまま一気に山道を下るだけ、もうこんなところからは早く出たかった。
大丈夫、エンジンはかかる、そしてルームミラーで後部座席の二人を確認した、これから何があっても彼らが守ってくれる、そういう安堵感から思わず
「なぁ、さっきのあの部屋、一体何が居たんだ?」
そう口にしてしまった、するとブチが重たい表情で言った。
「お話したいのは山々ですが、どうせなら山道を降りた後にしませんか?ここに長居はしたくないですし、さっき見たヤツとはケタ違いですよ。」
「・・・わかった、とりあえず出よう。」
とアクセルを踏もうとした、その時
「あれ?」
すっとんきょうな声を上げるシマ、そのまま車のドアを開け外に出ると、さっきまで死に物狂いで脱出劇を繰り広げていたホテルに向かって走り出してしまった。その奇行とも言える行動に
「シマっ!どこ行くんだ!もうここには用は無いっ!」
必死で叫ぶと彼は少し足を止め
「確かめたい事があるっス!ちょっと待ってて下さい!」
そう言うと、再び走り出したどんどん小さくなっていく彼、今度は、それを追ってブチまで出て行った。さすがにホテルを出たとはいえ狭い車内、ここに一人残るのは嫌だった、なので
「ちょっと待ちなさい!」
手早く車に鍵をかけると、ブチとシマの背中を追いかけた。
少し走ると私達がさっき入った入口の前、そこに立ち尽くすブチとシマの姿があった。すぐに追いつき
「ブチ!シマ!一体どうしたっていうの!?」
彼らに言うと、ガラス張りの扉から中をジッと見つめたままの無言のままの二人。私が声が聞こえているにも関わらず、返事もしないで中の様子を見ていた。
一体何が?そう思い二人に近づこうとしたその時、シマが呟いた。
「・・・社長、ここ、取り壊すのやめにしないッスか?」
シマが静かに呟く、その隣に立っていたブチも静かに頷いている。
「え・・・!?どういう事?」
彼らに近寄り話しかけようとするとシマが開いた掌を私に向け、待ったをかけた。
「社長は見ない方がいいッス、そしてもうここを離れましょう。」
とだけ言うと私の腕を取った、気が付くとブチも私の腕を抱えている。そして、ずるずると私を引きずると、無言で歩き始めた。
「え!?ちょっ!一体何が見えたっていうの!?」
ひきずられながら二人に言うと、それにブチが言った。
「とりあえず車に戻ってからお話します。」
再び車の中、車はガタガタと真っ暗で道の悪い山道を降りていた。
いつ話し始めるのか、そう思いつつ悪路を運転していたのだが、一向に口を開こうとしない彼ら、周囲を覆うのはタイヤが砂利を踏む音だけだった。
ややしばらくして、舗装された県道に出た。さすがにここまで来ると十分とはいえないが、道端に設置された街灯が夜道を明るく照らし、明るかった。
やっと戻って来れた、そう思いため息をつく私。徐々に、人の営みを感じる事の出来る街中まで戻ってきたその時
「そろそろ話してもいいスかね?ブチさん。」
シマが口を開く、そんな彼に
「あぁ、いいんじゃないか?」
そう答えるブチ、それを待っていたかのように、シマが話を始めた。
「それじゃあ、さっき俺達があそこで何を見たのか・・・お話してもいいっスか?」
いつも軽口を叩く彼にしては珍しく重い口調だった。その彼の出す雰囲気に言葉がつまり
「あぁ・・・。」
とだけしか言えなかった。私の言葉にシマは続けた。
「それじゃあお話しするっス、さっきあそこで俺達が見たのはガラスの向こう、フロントの広間にさっき見た幽霊が集結してたんスよ。」
「えっ・・・!?」
思いもよらないシマの言葉に驚いた。それと同時に、私達はとんでもないところに足を踏み入れてしまったということを改めて実感し、言葉を失う、そんな私の思いを知ってか知らずか、淡々と続けた。
「正直、顔は潰れてたりしていて、表情はわからないのが多かったんスけど、表情のわかる者は、満足そうな顔をしていたり笑顔だったり・・・俺達は確かに襲われたんスよ。とはいえ、あいつらは俺達を捕まえてどうこうしようとか、取り憑こうとかは、考えてなかったような気がするんスよね。これは俺の推測でしかないんスけど、彼らはただ自分たちの拠り所を守る、それだけだったんじゃないかって。あそこは確かに物件としてはいい所っス、でも死んでいるとはいえ、彼らの居所を奪う権利はないと思うんスよ、それに、ホテルに適した場所ならまだいくらでもあると思うんスよね。」
いつも冗談ばっかり言っている彼にしては珍しく、最後まで重たい雰囲気を出しつつ話を終えた。
その時、一つ疑問が頭に浮かんだ。それは、根本的な問題。どうしてあんな目に会った場所にわざわざ戻ったのか、それをシマに聞いた
「そういえばさっき車を飛び出す時に言っていた『気になる事』って、あれは何なの?」
すると
「あの時、シートベルトをしようと手を伸ばしたら、ふと窓の外に見えづらいところだったんですが車が停まってるのが見えたんスよ。来た時は絶対無かったっス。最初、夜景を見に来たカップルか何かかと思ったんですがエンジン音がしない、もし、エンジンかけっぱだったら、いくら慌てていたとはいえ、この無音の空間で聞こえないはず無いんスよ。エンジンがかかってないってことはエアコンを使ってない、そういうことになるっスよね?こんな寒い日に暖房も入れないなんて不思議だし、仮に中に人が居たら、間違いなく窓は曇っているはずなんですよ。そうなると、車に人は居ないということは、ちょっと考えたらわかります。ってことは中の人はどこか?ってことになりませんか?あの光景を見まるで半信半疑だったんスが、扉から中を覗いてみると案の定・・・ってわけですよ」
そう答えるものの、言っている意味がわからないので
「どう言う事?」
聞き返す、すると今度はブチが
「あそこの中に幽霊に混じって、若い女の人が居たんです。勿論、ちゃんと生きている人ですよ。明らかに、周りの幽霊とはちがって、輪郭がはっきり見えるんです。それに見た感じでわかりました、彼女は生きている人間なんだって。その時悟りました。今回、俺達はまんまと一杯食わされたれたってわけです。上と下から挟み撃ちにされ、降りてきた先にはたくさんあるドアの中で一個しか開かなかったドア、そして社長に目をつぶって貰っていた部屋の・・・」
そこまで言って口ごもる、そんな彼に
「いいわ、全て聞かせて、あの部屋の中で何があったのかを。」
「わかりました、実はあの部屋天井に大きな穴が開いてまして、そこからグルっと・・・。」
「グルっと?」
「顔を半分だけ出した人が俺達を見てたんですよ、じっと。」
「なっ!?」
「さすがの俺もパニックになりかけました。でも、入り込んだ部屋に違和感を覚え、ちょっと考えたんです。どうして畳敷きの部屋に似つかわしくないパイプ椅子なんて転がっていたのか?確かに、ここに面白半分に来た誰かが座るために、放置したとも考えられます。でもね、ダメなんですよ、壊れていて座れないんです、それは見ただけでわかりました。じゃあ何でか?後ろと上を押さえられた、本当に俺達をどうこうしたいなら、窓を放置するなんておかしいんですよ、そこまでしながら窓から覗く人・・・いや幽霊の姿は無かった、わざとなんですよ、『ここから出れますよ』みたいな感じだったんです。」
「そうか・・・。」
「外に出るためにはガラスを割らないといけない、でも素手で無理に割ると怪我をする可能性もあるだろう、それを防ぐためにあそこに椅子を投げて置いたんじゃないかって思うんです。まぁ、ターゲットがパニックになってからの行動なんて、あっちも予想を立てるくらいしか出来ないんでしょうが、俺達はまんまと相手の敷いたシナリオに乗ってしまったってわけですよ。」
「誘われた、ってこと?」
「多分。さっきシマも言ってましたが、半信半疑だったんです、でも、中の女性の存在を見て確信に変わりました。最初は文句の一つでも言ってやろうと思ったんです。『どうしてこんなことをしたのか?』って、でも思い直したんです。生きている人間が幽霊に混じっている、もしかしたら彼女の指示じゃないかもしれない、でも普段なら相入れない存在同士が一緒に居る、そのくらいココを守りたかったんじゃないか?そう考えたら怒る気も失せました、これで以上です。」
言い終わると、再び黙ってしまった。ブチやシマの予想通りだとすると、ここは、幽霊たちにとって無くてはならない拠り所、無くなれば居場所を奪われることになるのだろう。
居場所・・・か、そんな彼らの言葉を思い起こしながら、昔の記憶が頭をよぎった。
■□■
「・・・今日も一人、か。」
学校から帰ると、当然のように置いてある、テーブルの上のメモを見た。
『晩御飯用に置いて行きます』
いつものようにお札が一枚、私が学校に上がると時を同じくして、ずっとこんな生活が続いていた。
軽く着替えを済ませ、近所のコンビニで適当な物を買って帰り、誰もいないリビングのテレビをつけて、その前に座り、腹を満たすだけの食事を摂る。いつものこととはいえ、大きい家の中は、一人で居るには広過ぎた。
たまによぎる寂しさ、でも、それを誰にも言う事も出来ずただ一人耐えた。本当は学校であったこと、友達と遊んだこと、両親に聞いてほしいことも山ほどあった。
でも、両親は朝から晩まで働きづめ、たまの休みは、自分たちの用事のために使われていた。
そして、一歩外に出れば社長令嬢、周りは羨望と好奇の眼差しで私を見る。学校でも、昔から慣れ親しんだスーパーでさえ、私の居場所なんてどこにもなかった。
そして、親の後を継ぎ、大会社の社長となった今、社会的には羨ましがられる立場なのだろう。
でもやっぱり会社でも、部下達は私の事を恐れ、妬み、嫉み、腫れ物に触るような態度や言葉で接してくる。
私の安心出来る居場所は一体どこなんだろう。
思わず視界がぼやけた、そして自然に一滴、二滴と涙が頬を伝うのを感じたその時、シマの声がした。
「社長、もしかして・・・泣いてるんスか?」
まったく、私は体だけ大きくなっても、やっぱり小さな子供のままなのか。
「シマ・・・何・・・を言・・・ってる・・・?」
精一杯、涙声になるまいと、我慢したにも関わらず声が掠れてしまった。昔そうだ、私は一度何かが崩れるとガラガラと引きずられてしまうのだろう。
今日は厄日だ、バイトくんだりに守られ、心配され、今度は気まで遣われている。悔しさと寂しさ、そんな感情がが胃の中で暴れ出した。
それに負けじと歯を食いしばると、今度は涙がとめどなく溢れ、流れた。
嗚咽だけは、絶対聞かれてはいけない、泣いていることだけは悟られたくない。声だけでも漏れないようにと奥歯を噛み締めていた時、また後ろからブチが言声が聞こえた。
「社長・・・今日くらいは無理しなくていいですよ、俺達は何も見なかった、そういうことにします、男の約束です、シマ、わかってるな?」
「わかってるっス。社長、こんな狭い車内くらい肩書きなんて投げ捨てて、普通の女の子に戻ってもいいんじゃないかと思うスよ、なんかもう見てらんないス。社長は立派っスよ、みんなわかってるんじゃないかって思うんスよ。だから・・・。」
シマの言っていることの最後の方は、よく聞き取れなかったけど、二人の言葉を聞いているうちに、もうどうでもいい、そんな気持ちになっていた。
あの廃墟で三人で夜景を見て、幽霊に襲われて、腰を抜かしたり、悲鳴を上げたり、笑ったり泣いたり、挙句の果てに弱い自分も晒してしまった。
その結果、男の人に抱えられて、人の体温の暖かさに気がついた。
もうブチとシマ、この二人には素の私を見せてもいい、そんな気持ちになっていた。
そう思うと今日のこと、そして会社でのこと、それが頭をぐるぐると怒涛のように駆け巡る、それが涙となって押し寄せてきた。
その時、二人に対して自然と言葉が出た。
「ブチ・・・シマ・・・ちょっとだけ、ちょっとだけ泣いてもいい・・・?」
思わず二人に話しかけていた、すると
「えぇ、勿論。」
「それがいいス。」
その言葉に引き寄せられるように、私は静かに路肩に車を寄せた。
つづく