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その6

 廃ホテルの屋上、周りに何も無い空間で、風に吹かれ眼下の景色を眺めた。あまりの綺麗な夜景に思わず


 「きれい・・・予想以上だわ・・・」


 一人呟く、と、その時、少し後ろに居た、ブチとシマが、寒いのか、身を寄せ合いながら


 「社長、もう帰りましょうって!もう冬になるのに、こんなところに長居したら、風邪ひいちゃいますよ。それにここ、何か居る気配がビンビンするんですよ。いや、霊感とか強いわけじゃないんですけど」

 「そうっスよ、自分も何かビンビンきてるのがわかるっス、もうここに来てからもう結構時間が経ってるじゃないっスか、もう角度とかそのへんの事はキレ者と言われてる社長ならもう把握出来てるはずっス、もうこの辺にして帰りましょうって!」


 寒いことが原因なのか、それとも周りの雰囲気がそうさせるのか、二人はカタカタと震えていた。そんな怯えた声を出す彼らに


 「ブチ・・・それにシマ、すまない、もうちょっとだけ、今ここには夜景と私達だけ、この綺麗な景色を見てるとな、その間は、色んな嫌な事を、忘れることが出来るような気がするんだ。だから、もう少しだけ、少しだけでいいんだ。」


 振り向きもせず、眼下の夜景を見つめながら言うと、ブチが


 「わかりました、お付き合いしますよ。何だか知らないけど色々あるんですね。私達は、午後からの出勤ですけど、社長はまた、早いんですよね?心配しないで下さい、帰りは私が運転します。何なら寝ててもかまいませんから。」

  

 ため息混じりに言っている。そんな彼に


 「すまない、ブチ。お言葉に甘えようかな。」


 そう返した。何だろう、外見的には、ちょっと太ってるし、別に格好良くもない、でも、そんな彼の声を聞いていると、何故だか安心出来て、素直な気持ちになれる。

 何かこう、幼馴染というか、懐かしい感じを、彼に感じていた。すると


 「でも、大変ですよね、社長って仕事は、ここに来る間の話で、色々と覆されたようなきがしますよ。」


 再び、ブチの声がした。そして


 「そうスよね、俺達のイメージする『社長像』って、高級クラブで、女の子侍らせて、ガハガハ言いながら、好き勝手してるか、ゴルフに興じてるか、そんな感じッスもんね。」


 続けてシマが言う。

 そうだよな、やっぱりそんなイメージだろう。あの重役達だってみんな、そう思っているんだろうな。


 「バカたれ、私は女だ、クラブにも行かないし、ゴルフだってしないんだ。そんな余裕があったら、会社をいかに存続させるかに、時間を()くさ、それにな、大概社長ってのは、みんな真面目に働いてるぞ。」


 「わかってますって、その化粧っけの無さを見たら、遊んでいるようには見えないスもんね。今度、勝負の時には、メイクしてあげますよ、こう見えても俺、一時期、メイクアップアーティスト目指して、学校通ってたっスから。」


 「・・・意外だな。」


 「人は見かけによらないって、このことっス、社長なら、俺がちょちょっとやれば、すれ違う人が、振り向くくらいに綺麗に仕上げてみせますよ。改めて見ると、結構美人なんスよね、社長って。背もあるし、それに、胸もあるし。」


 「なっ・・・!?」 


 突然のシマの言葉に固まっていると、ブチが


 「だーかーらー、お前は、どストレート過ぎるんだよ。ちょっとは相手見て言葉選ぼうな。」


 そう言いつつ、シマの頭を『ゴンッ!』っと叩いた。

 


     ■□■


 それからしばらく、三人で夜景をその目に焼き付けた。そして、ふと腕時計を見る。その、小さな文字盤は、午前三時半ちょっと前を指していた。

 もう、ここに二時間くらい居るのか、そろそろ戻らないといけないか。両脇に居る二人に声をかけた。


 「・・・ブチ、シマ、そろそろ帰ろっか。」


 すると、私の言葉に、二人はホッとした表情を浮かべつつ


 「そうですね、帰りましょう。」

 「さっさと車に戻るっス。」


 ゆっくりと、建物に続く鉄の扉前に達、ノブに手をかけ引っ張った。すると


 【ギギギ・・・ギ・・・ギイィィィィ】


 錆びているため、このような音がするのは当たり前のことなのだが、場所が場所なため、余計恐ろしく感じる。そう思うのは私だけではないのか


 「社長、やっぱ気味悪いスね、この音・・・」


 シマが不安げな声を出すと、そんな彼に、ブチが口を尖らせ少し怒ったように言った。


 「こんな時にそんな事言うなよ、余計怖くなる、とりあえず黙って出口に急ぐぞ」


 そう言うブチも、やっぱり怖いのか、少し震えているように見えた。

 冷静になって思うと、真夜中、世間一般で言われるところの『出る』時間なのだ。しかも、いわくつきの廃ホテルのど真ん中に居るのだ。

 私は、霊なんて非科学的なものは信じていない。とはいえ、ボロボロに朽ち果てた、この真っ暗な空間は、私達に『恐怖』という概念を植え付けるには十分すぎる程だった。

 思わず足がすくんだものの、朝一までに、会社に戻らねばならない。グループ会社の報告の書類の山が、私を待っているのだ。

 をれを思い出すと、すくんだ足を踏み出す原動力となった。そんな私の心境を察してなのか、二人の前に出たその時、ブチが


 「社長・・・とはいえ、女の子なんですから、俺達の間に来て下さい、その方が安心でしょ?」


 そう言いつつ、私の右側に立つブチ。そして


 「ま、こういう時には女子が男子の間ってのは暗黙の了解ってとこスかね。」


 左側にはシマ立つと、不意に私の腕を組んできていた。それを見ていたのか、ブチも、私の腕を組む。私はされるがままに、三人並ぶような格好で、懐中電灯の明かりを頼りに階段を下りた。

 目の前に広がるのは、真っ暗で、不気味な空間。そして両脇には同年代の男性、こんな経験は初めてで、不思議と心臓の鼓動が高まっていった。なんだろう?この気持ち、風邪でもひいたんだろうか?

 とにかく、それを落ち着かせるため、二人に話しかけた。


 「あのね、私が小さい頃、お爺ちゃんの家に泊りに行った時、寝る部屋が真っ暗だったんだ。ほら、小さい頃って、無意味に暗闇が怖かったじゃない?私もそうだった。それでお爺ちゃんに泣きながらそのことを言ったら『いい歌を教えてやろう』って、これを歌いながら行きなさいって。それがね今から歌うから、ちょっと聞いてて。」


 そう言いつつ、階段をゆっくりと降りながら歌った。


 『♪おばけなんか ないさ・・・おばけなんて うそさ・・・ほんとうに おばけが・・・でてきたら どうしよう・・・れいぞうこに いれて・・・カチカチに してやろう・・・だけどちょっと だけどちょっと・・・ぼくだって こわいな・・・おばけなんて ないさ・・・おばけなんて うそさ・・・』


 「こんな感じの歌。フフ・・・面白いでしょ?小さい頃の記憶だからうろ覚えだけど『冷蔵庫に入れて』って下りが面白くて何度も歌ってた」


 そう言って、二人を見ると


 「あー、知ってるっス、歌詞はなんとなくだけどメロディくらいなら覚えてるっス」


 「私もです、大の大人がこんな歌、大声で歌うのもアレですが、幸い俺達しか居ないみたいだし、出口まで歌います?」


 そう言うとブチがすぐさま口ずさみ始めた。それに引っ張られるかのように私もくちずさむ。

 歌いながら、ゆっくりと階段を降りて、そのまま五階、そして四階の廊下に下り、三階に続く階段に、一歩踏み出そうとしたその時のことだった。


 【パキッ!パキッ!】


 どこからか指を鳴らすような音、それに続き


 【ズルズル・・・ズルズルズル・・・】


 今度は、何かを引きずっている音がした。その音と異様な雰囲気に


 「な・・・何・・・?」


 思わずブチとシマの腕を強く握った。すると


 「何・・・でしょう・・・」

 「なん・・・スかね・・・」


 顔を見合わせ二人。するとまた


 【ズルズル・・・ズルズルズル・・・】


 再び不気味な音がした。すると、シマが怯えた声を出しながら


 「何か・・・上の方、今来た所からするみたいっス」


 そう言いつつ後ろを振り返った。すると、そのまま目を見開いたまま、『かっ!?』と空気が漏れるような声を出し固まってしまった。


 「ちょっと!どうしちゃったのよ!?シマっ!」


 声をかけると、ゆっくりと階段の上の方を指さした。それに、思わず彼の視線の先を目で追った時、目に映ったもの、それは



 ボロボロの軍服を纏い、顔が半分白骨化した、かなり大きな男の姿だった。



 しかも、それが壁にもたれかかり、体を引きずりながらヨロヨロと階段を下りてきていた。

 さっきの引きずるような音は、アレが動くたびに服と壁が擦れる音だったのか。

 驚き固まる私達に気付いたのか、少し足を止め、掌をめいいっぱい広げ、ゆっくりと腕を伸ばしながら


 「ゥアアァァァァァァァァ・・・」


 声にならないうめき声を上げた。

 その姿に、瞳孔がこれ以上ないくらい開いてゆき、思わず声を上げそうになったその時


 「ぎぃやああぁぁぁぁぁっ!」


 いつの間に見ていたのか、真っ先に悲鳴を上げたのは右隣のブチだった。そして、声と同時に、私の腕を強く引っ張ると、私を引きずるように、階段を駆け降りてゆく、そして、その悲鳴に我に返ったのか、遅れてシマが後ろから付いてきた。

 少しして、追いついたシマの手をしっかりと握った。そのまま三階をすり抜け二階へ、走っている間も、さっきのうめき声が


 「・・・ゥアアアァァァァァ・・・・」


 と、少し小さくなったもののまだ声が聞こえていた。

 何かにとりつかれたように、一階へと続く踊り場を駆け抜け、一階まで降りたその時、そこまで転げ落ちるように走り続けたのと、3人手を繋いでいたのもあり、もんどりうって床に転がった。

 慌てて体勢を起こすと


 「はっ・・・!はっ・・・!ヤッ・・・ヤバいっス!一体何なんスか!何なんスか!あれはっ!」


 シマが息も絶え絶えに、怒気をはらんだ声を出した。すると


 「知らんっ!とっ・・・とにかく早く出よう!出口はもうすぐだ!」


 勢いよく立ちあがるブチだったが、今までのことで、すっかり私は腰が抜けてしまった。そして、シマも私と同じようなことになったらしい。

 いつまでたっても、起き上がらない私とシマの腕を、ブチが引っ張り上げ、二人分まとめて肩を担いた。

 

 「社長、ここは一階、後一息、出口までもうすぐです。さっさと帰りましょう!」


 荒い息を吐きながら、そう言って笑った。さっき、私達の中で最初に大きな悲鳴を上げ、一目散に逃げ出していた彼が、今は一番しっかりしていた。

 そんな彼を見つめ無言で頷く、そして長い廊下を、一歩、また一歩とゆっくり踏み出したその時


 【キィ・・・キィ・・・】


 廊下のずっと先から、かすかに錆びた車輪のようなものが回転する音がした。それに


 「またかよ・・・もう勘弁してくれって」


 そう呟くブチ、私は彼の肩によりかかる格好のまま、考えた。ここはL字型に伸びる廊下の角の所だ。真っ直ぐ行くと、出口につながる通路、そして、左側に伸びる廊下は、確か、大浴場だった所へ続いているのだが、道はあれど、床が抜けていたり、ところどころ下地に使っていた建材がむき出し、しかも腐っていて歩けるどころの騒ぎではない。うっかり地下に落ちるともうそこから上に上がる階段は、ガレキで塞がれているため通れない、上には得体の知れない軍服の男、左はダメ、そうなると音のする方しか行く道はない。

 やっぱり、音がする方へ進むしかないのか。そう思い、ブチとシマに声をかけた。


 「・・・ブチ、とりあえず進みましょ、あの音は風の音かもしれないわ」


 私がそう言った矢先


 【キィ・・・キィ・・・】


 さっきと同じ音がした。まだ遠くに居るようだけど、音が若干大きくなっているような気もする。すると


 「・・・社長、行くんスか?」


 不安そうな声を上げるシマ。そんな彼に


 「上には戻れない、そして左には行けない、となると前に進むしかないでしょ?」


 恐怖で涙がこぼれそうになるのを、必死で堪え、しっかりとした口調で言う。でも、本当は私だって怖い、もう声を上げて泣きたかった

 でも、父から会社を託されたあの日から、から何があっても、人前で泣かないと決めた。そうせざるを得なかったのだ。大勢を抱える会社の長として、絶対に弱みは見せたくなかった。

 弱みを見せること、それは、私が、私であることの存在意義がなくなるということだ。

 とはいえ、ここに来て、さっきの得体のしれない何かに驚き、更に腰まで抜かした上、バイトとはいえ会社の人間に肩を担がれている。

 自分自身が決めたこと、それを曲げてしまった。そんな自分が嫌なのにこれ以上部下に弱みは見せられない

 その思いが、力の抜けた足に力を込めさせた。


 「ブチ、ありがと。もういい、もう歩けるから、そして、ここからは私が先頭で行く。『株式会社オレノ』の社長として!」

 

 強くそう言うと、手をかけた彼の肩から腕を抜き、ゆっくりと出口に向かって歩き出した。

 その間も【キィ・・・キィ・・・】と不気味な音は近づいてくる、そして私の後ろをゆっくりと付いてくるシマとブチの気配を背中に感じていた。

 歩みを進める廊下を、割れた窓から月明かりが射し込んだ。更に進んだその先に、徐々にではあるけど、ボーっと何かが立っているのが見えた。

 目を凝らして良く見ると、真っ白い服を着た何かが、大きな車輪のついた鉄の塊を押しているのだ。


 「クソッ!」


 吐き捨てるように言うと、ギリっと唇を噛んだ。

 挟み撃ちってわけか、しかも、どうみてもこの世の者とは思えないアイツは、廊下のど真ん中を、私達の方に向かって進んできている。

 廊下の構造から、三人いっぺんに、横をすり抜けるのはほぼ無理ということはすぐにわかった。

 この絶体絶命の事態を把握したその瞬間、高鳴る心臓とは裏腹に、体の余計な力が、スっと抜けて行く、それと同時に、不思議と涙がとめどなく流れた。

 泣いているのは絶対悟られたくない。そんな思いから、後ろの二人に、振り向かないまま


「シマ・・・ブチ・・・私の我がままに付き合ってくれてありがと。そして、こんな目に遭わせてごめん。あなたたちには、迷惑ばかりかけたけど、最後に社長らしい事するわ。これから私が、アレを全力で食い止める。その間にあなたたちは、ここから出て車で逃げなさい!」


 そう言って後ろ手に車のキーを投げた。確認はしていないが、床に落ちたのだろう、チャリンと堅い音がした。それと同時に


 「早く行きなさいっ!」


 そう、二人に叫んでいた。もう覚悟は出来ている、私だって、みすみす取りこまれるつもりはない、最期の時が来るまで、全力で抵抗してやる!そう思い一歩踏み出そうとしたその時だった。


 「ブチさん!社長を抑えるっス!」


 シマの叫び声が聞こえた。その声に呼応するかのように


 「おおぉぉぉぉぉぉっ!」


 ブチの声、その瞬間、腰のあたりに大きな、温かい手に掴まれる感触があり、私の体が宙に浮いた。

 慌てて首を捻ると、そこにいるのはブチの丸い顔があった。私は強い力になすがまま抱えられているのだ。

 またしても、部下に弱みを見せてしまうという恥ずかしさが体を走ると同時に、それとは正反対の感覚、何かこう、全て身を委ねてしまいたいような気持ちもあった。

 その感覚が大きく、そのまま流されそうになったものの、私の心の中で、社長としてのプライドの方が少し勝ったのか、気を取り直し、ブチに怒鳴った。


 「ブチ!何するのよ!早く逃げなさい!私は社長として部下を危険な目に遭わせた!その償いはしないといけないの!だから放せっ!・・・お願い・・・だから・・・放してよっ!」


 必死に体を攀じってもがくも予想以上に彼の力は強く、そのままギュっと抱きしめられ動けなくされてしまった、必死にもがく私にブチの声がした。


 「うるさいっ!こんな時に社長だ部下だそんなつまらんものは関係ないだろっ!いいから良く聞けっ!みんなここから無事に出るんだ!それに・・・男は女を守るもんだって父ちゃんが言ってた!お前もそうだろっ!シマっ!」


 怒鳴りながらも、目の前のアレが怖いのか、声は震えている。


 「当たり前ス!とはいえ、俺が小さい頃、父ちゃんは事故で死んでるんで、爺さんなんスけどね、男は小さいときからそういうのを叩きこまれてるっス!」


 そう言うと目の前で手当たり次第ドアに手をかけて、手当り次第ガタガタやりながら、続けた。


 「キレ者と名高い若社長にしては、諦めが早くないッスか?廊下の窓の下は切り立った崖、脱出は不可能スけど、客間側の窓の外はそうじゃなかったはずっス。ここは廃墟、窓の1個2個壊したくらいで苦情は来ないっス!出口がダメなら作ればいいだけっスよ!アレ・・・?ってゆうかどこも開かないっスね。」


 その間にもゆっくり、ゆっくりと鉄の塊を押した何者かが近づいていきていた、それに慌てた様子のブチが


 「シマ、開かないならいっそのこと蹴破れっ!」


 私を抱えながら大声を出す、そんな彼にシマが


 「蹴破るも何も、作りがいらなく頑丈で無理ッス、でも一個くらい・・・って、あった!」


 声と同時に、ドアノブのついた扉、それが勢いよく開いた。気が付いた時には、すぐそこには得体の知れない何かが近づいてきてしまっていた。

 月明かりに照らされたどの顔は、光の加減のせいななか、顔が青白く、見開かれた目の真ん中には白い点のような瞳、カサついたように見える肌、棒切れのように細い腕、そして捻じ曲がった指、口は半開きのまま、私たちに腕をゆっくりと腕を伸ばしてきている。

 あまりの異様な姿に目が釘付けになり、目をそらすことができなくなっていた、このまま取り込まれてしまうのか・・・思わず固く目を閉じた時、シマの声がした。


 「ブチさん!早くっ!」


 そう言うと滑り込むように入るシマ、それに続きブチが、私を抱えつつ入り、勢いよくドアを閉める、かなりささくれてはいるが畳敷きの部屋、そしてその先には大きな窓が見える。

 そして、床には椅子が何脚か転がっているのが見えた。いつの間にか、部屋の真ん中くらいまで来ていたシマが


 「ほぅら、思った通りッス、しかもおあつらえ向きにパイプ椅子も転がってる、後は窓を叩き割って出れば車までもう少しッス!」


 そう言いつつ彼が、椅子を拾おうとした矢先、私のの頭の上から


 【クスクスクス・・・クスクスクス・・・】


 複数の笑い声、あの得体の知れない何かから逃げきりゴールは目前・・・のはず、なのにまた新たな何かが居るのだ、今まで何度となく味わった絶望感から思わず


 「今度は・・・今度は何よ、もう・・・もう嫌・・・嫌あぁぁぁぁぁぁっ!」


 もう既に感情を剥き出しにして叫ぶしかできなかった。散々恐怖を味あわされた揚句、部下に守られてしまう結果となり、社長としての威厳も尊厳もことごとく粉々にされていくのを感じていた。

 しかも、この状況で私がしていることといえば、バイトの男にしがみついているだけ。会社では偉そうに親くらいの年齢の部下を相手にしていても、結局は小さな女の子でしかないのか・・・。

 色んな思いが交錯し、それと同時に、涙が後から後から流れていた。肩を震わせ嗚咽を漏らすことしかできない私に、ブチが静かに言った。


 「・・・社長、ここは俺達が何とかします、とにかく目を固くつぶって、そして・・・上だけは俺がいいと言うまで絶対見ないでください。約束してください。」


 私はその言葉に、小さく頷くことしか出来なくなっていた。

 それを感じたのか、彼が再び、頭を抱え、私を抱き寄せた。その時、私の額が、ブチの胸のあたりに当たった時、彼の心臓がドクドクと脈打っているのが聞こえてきた。

 その音を聞いていると、周りをグルッと幽霊に囲まれ、かなり危険な状態なのに、安心できた。そして、この人に抱えられている間は何があっても大丈夫、根拠は無いけど、そんな気さえしていた。

 そして彼の心臓の鼓動に合わせるように私の鼓動が共鳴していく、そして大きな何かに流されてゆき、自然とブチの背中に手を回すと、力いっぱいギュっと抱きしめた。それを彼は感じたのか


 「シマっ!早くやってくれ!男二人がかりで女一人守れんようじゃなぁ!」


 目を固く閉じた真っ暗闇の中、私の耳にブチの声がした、すると今度はシマが元気に


 「任せるッスよ!」


 そう一声叫ぶと同時に、ガラスの割れる音がした。そのとき、ブチが私の耳元囁くのが聞こえた。


 「もう大丈夫です、後は外に出るだけ、でも、まだ目は閉じたままでお願いしますよ。今シマが外に出ています。今度は俺達の番、やっと帰れますね。」


 その声と同時に身体が揺れた。ブチが歩いているのだろう、少しすると、身体が浮いた。多分、彼が私を抱えながら、窓を乗り越えているのだろう。

 身体が安定すると同時に、晩秋の冷たい風が体を()でた。その冷たさが、建物の外に出たということを実感した。

 それでもまだブチは、目を開けていいとは言わなかったので、ドクドクと響く心臓の音を聴いていた。

 その音を聞いて思う、いつまでもこうしていたい、そんな不思議な感覚、ブチは小太りだし、お世辞にも格好がいいとはいえない風体、でも私は幸せだった。

 そのまま彼は私を抱えたまま何事もなかったように歩き続けた、徐々に晩秋の冷たい風が私の体を冷やしていったとき、ふと、我に帰った。

 私は、何をやっているのだろうか?そして、少しとはいえ彼を好きになりかけたこと、そんなことはありえない、幽霊のせいでどうかしていたのだ、そう思った。

 そう考えている間も、彼は当然のように私を抱え、歩いていた。あの部屋を出る前に言った「いい」という一言を少し待つも、いつまでたってもそんな素振りは見せなかったので


 「・・・ブチ、ってゆうか、私はいつまで目をつぶっていたらいいんだ?そしていつ降ろしてくれるんだ?」


 そう訊いてみると


「あ、いや、できればもう少しこのままで、何と言うか・・・女の子ってこんなに柔らかかったもんかなー、なんて、アハハハハハ・・・」


 照れたように言うブチに


 「・・・お前、減給な」


 そう言いながらも、腕に力を込めている自分がいた。


 つづく

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