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初恋の君へ〜書くことを辞めた作家が、もう一度筆を執るまで〜

作者: 早水せを
掲載日:2026/07/30

「だからっ、書かないって言ってるでしょう!」


 部屋に、怒号が充満する。

 スマートフォンを片手に、肩で息をする。


 いい加減、堪忍袋の緒も限界だ。


「で、でも、あの、そろそろ新作……」


「嫌です。いいですか? 私はもう、書くことを辞めたんです」


 私は大袈裟に、ため息をひとつついた。


 おどおどした担当編集の声も、もう聞きたくない。


「そういうわけで。さようなら」


 乱暴に電話を切る。


 すると、また孤独な部屋が出来上がった。



 そうだ、私は書くことを辞めたのだ。



 無意識に、本棚に目が行く。


『異世界に行ったらしたいこと!』、『最強聖女は攻略対象全員を愛していた』、『魔女たちの戦線』……。


 数多の背表紙には、全て「早川美玲(はやかわみれい)」という文字が踊っていた。



 しがないWeb小説家だった私が、書籍化まで漕ぎ着け、さらにはコミカライズまで。



 でも。



 私は嫌になってしまった。


 書くことが。

 キーボードを叩くことが。



 学生の頃から言葉を紡いできた、早川美玲ともあろう私が。



 自嘲気味に、頰を歪める。


 きっかけは、エゴサだった。


 見てしまったのだ。



 私の作品を、批判する人々を。



 Webのときにも、たびたびアンチコメントは来ていた。

 思えば、そのときから少しずつ心がすり減っていたのかもしれない。


 でも、書籍化されてからの批判は、その比ではなかった。

 多くの人の目に触れるからこそ、批判も増える。

 それはわかっていた。

 けれど、書籍化に舞い上がった新人には、世間の評判は痛かった。


「もう辞めたい、書くことさえ嫌になってきたんです」


「まあまあ、ファンレターもこんなに来てますし、もう少しだけ……」


 そんなやりとりを、何回したことだろう。


「流行りじゃなくて、新しいことにも挑戦したいです」


「売れませんよ? いいんですか?」


 ……もはや、過去も関係ないことだ。


 私は書くことを――小説家を、辞めたのだから。


 これからは、普通の人間として……早川玲香(はやかわれいか)として、生きていく。


 お金は、小説家だったころの収入でたくさんある。

 しばらくは、ニート生活を満喫しても良いだろう。


「つまんないな」


 そう呟いてみたけれど、返事をしてくれる人などいない。

 ……別にいいけど。

 小説を書いていた頃は、キャラクターが周りにいるみたいで、賑やかだったな……。


 違う、私は辞めたんだ。


 頭を振って、なんとなくテレビをつけた。


『暑い夏に! 一口、いかがですか?』


「うわっ」


 画面に映ったのは、アイスのCM。

 そして、かわいらしい顔をした男性。

 芸能界に疎い私でもわかる、輝くようなイケメン。

 俳優の、三笠秋斗(みかさあきと)だ。


 ……相変わらず、まだ俳優なんかやってるんだ。

 本当は、ふわふわかわいいキャラじゃないくせに。

 上手く、「三笠秋斗」を演じているんだね。


 彼は、私の中学校の頃のクラスメイトだ。

 子役の頃から注目されていて、中学校もまともに通っていなくて……。

 忙しそうだったけれど、眩しかった。


 私も、何者かになれたなら。


 そう思ったときもあった。


 思えば、小説家を志したのは、彼の影響だった。

 テレビの中で輝く同級生を見て、何も影響を受けないほど感受性は弱くない。


 アイドルのようなルックス、まばゆいオーラを発している彼のようには、輝けないかもしれない。

 でも、私にだって輝ける場所はあるはず。


 そう思って始めたのが、Webでの小説投稿だった。


 もともと本を読むのは好きだったし、妄想もたくさんしていたし。

 そんな私に、ぴったりだと思って。


「そうだった……いつか、三笠くんに演じてもらうのが夢だったっけ」


 大きな夢物語だ。


 いつか、私の……早川美玲の作品がドラマ化したら、主演は三笠くんがいい。


 そう、頭の中で描いていたっけ。



『早川、文章上手いよな』


『えっ、そう……なのかな』


『上手いよ。将来、小説家になれる』



 そのときの彼の表情を、熱い鼓動を、まだ覚えている。


 そういえば、何を思ったのか、「Webで小説書いてるんだ」と勢いで言ってしまった気がする。


 そのときの彼は……。



『さすが早川だ。将来本が出たら、絶対買うからな!』



 短いCMは、終わってしまった。


 なぜか、熱いものが頰を伝った。


 あれ?

 これが、私の望んでいたことだっけ。


 これが、思い描いていた将来だっけ……。


 あのとき、誓ったじゃないか。



『三笠くんが、堂々と主演を務められるような物語を届けるから』


『俺も、早川が堂々と主演に名指しできるよう、頑張るよ』



 今書いているものは、本当に彼に演じてほしい、彼も演じたいと思えるようなものか?

 ……違う。


 筆を折ることが、本当にあの頃望んでいたことか?

 ……違う。


 私は願っていた。

 繋がりが切れても、三笠くんがいつか見つけてくれるように、と願いながら、毎日言葉を紡いでいたのではないか。

 心ない言葉にも負けずに、頑張って来られたのではないか。


「このままじゃ、ダメだ」


 テレビを消す。


 そして向かったのは、デスク。


 私はまだ、「早川美玲」を辞められない。

 夢を、叶えるまでは……!


 久しぶりに電源を入れたノートパソコンが、歓迎するように光を発した。


 ―――


『せ、先生……!』


「はいはい、新作のプロットです。これ以外はまだ書けません。これを出版してくれないと、今度こそ辞めますからね」


 先ほどまでイライラをぶつけていたからか、謎のツンデレムーブをかましてしまう。


 そんなことはどうでもいい。


 目的を思い出せた。

 眠っていた想いを、思い出せた。

 それだけで十分だ。


「ちゃんと、届けたいから。絶対バズらせましょう」


 私は、今度は静かに電話を切った。


 もう一度、彼のもとへ。


 ―――


「久しぶり」


「久しぶり、早川」


 目の前には、テレビで見るのと同じ、キラキラとした男が立っていた。


 私も未だに信じられないが、本物の三笠秋斗だ。


 こうやって会うのは中学校ぶりなので、なんだか照れる。

 目もちゃんと合わせられない。


 やがて、彼の声が沈黙を壊した。


「毎回、読んでた」


「はっ?」


「『魔女戦』も、『いせした』も……今回のもね」


 やばい。


 信じられないけど、嬉しすぎて過呼吸になりそうだ。


「早川美玲が私だって、わかってたの?」


「確信してたわけじゃないけど……勘、かな」


 勘?


 少し首を傾げると、三笠くんははにかむように微笑んだ。


「『早川』って名字と、『Web発の作家』っていう帯の文。立ち読みしたら、学生の頃に読んだ早川の文体と似ていたから……」


 そこまで、見ていてくれたんだ。


 感動という陳腐な言葉では言い表せないような、体の奥底の震えが止まらない。


「三笠さん、そろそろです!」


「はい! ……じゃあ、行ってくる。早川美玲の物語を、形に」


 三笠くんの背中を見て、小さく手を振った。


 いよいよ三次元で形になる、私の紡いだ世界。


 タイトルは――『初恋の君へ』。


 流行りでもない、叩かれてもいい、そうやって正直に書いた言葉。

 少し照れくさいけれど、ちゃんと届いただろうか。


 三笠秋斗にスポットライトが当たったとき、私はこう思った。


 辞めなくて、よかった、と。

お読みいただき、ありがとうございます。


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