初恋の君へ〜書くことを辞めた作家が、もう一度筆を執るまで〜
「だからっ、書かないって言ってるでしょう!」
部屋に、怒号が充満する。
スマートフォンを片手に、肩で息をする。
いい加減、堪忍袋の緒も限界だ。
「で、でも、あの、そろそろ新作……」
「嫌です。いいですか? 私はもう、書くことを辞めたんです」
私は大袈裟に、ため息をひとつついた。
おどおどした担当編集の声も、もう聞きたくない。
「そういうわけで。さようなら」
乱暴に電話を切る。
すると、また孤独な部屋が出来上がった。
そうだ、私は書くことを辞めたのだ。
無意識に、本棚に目が行く。
『異世界に行ったらしたいこと!』、『最強聖女は攻略対象全員を愛していた』、『魔女たちの戦線』……。
数多の背表紙には、全て「早川美玲」という文字が踊っていた。
しがないWeb小説家だった私が、書籍化まで漕ぎ着け、さらにはコミカライズまで。
でも。
私は嫌になってしまった。
書くことが。
キーボードを叩くことが。
学生の頃から言葉を紡いできた、早川美玲ともあろう私が。
自嘲気味に、頰を歪める。
きっかけは、エゴサだった。
見てしまったのだ。
私の作品を、批判する人々を。
Webのときにも、たびたびアンチコメントは来ていた。
思えば、そのときから少しずつ心がすり減っていたのかもしれない。
でも、書籍化されてからの批判は、その比ではなかった。
多くの人の目に触れるからこそ、批判も増える。
それはわかっていた。
けれど、書籍化に舞い上がった新人には、世間の評判は痛かった。
「もう辞めたい、書くことさえ嫌になってきたんです」
「まあまあ、ファンレターもこんなに来てますし、もう少しだけ……」
そんなやりとりを、何回したことだろう。
「流行りじゃなくて、新しいことにも挑戦したいです」
「売れませんよ? いいんですか?」
……もはや、過去も関係ないことだ。
私は書くことを――小説家を、辞めたのだから。
これからは、普通の人間として……早川玲香として、生きていく。
お金は、小説家だったころの収入でたくさんある。
しばらくは、ニート生活を満喫しても良いだろう。
「つまんないな」
そう呟いてみたけれど、返事をしてくれる人などいない。
……別にいいけど。
小説を書いていた頃は、キャラクターが周りにいるみたいで、賑やかだったな……。
違う、私は辞めたんだ。
頭を振って、なんとなくテレビをつけた。
『暑い夏に! 一口、いかがですか?』
「うわっ」
画面に映ったのは、アイスのCM。
そして、かわいらしい顔をした男性。
芸能界に疎い私でもわかる、輝くようなイケメン。
俳優の、三笠秋斗だ。
……相変わらず、まだ俳優なんかやってるんだ。
本当は、ふわふわかわいいキャラじゃないくせに。
上手く、「三笠秋斗」を演じているんだね。
彼は、私の中学校の頃のクラスメイトだ。
子役の頃から注目されていて、中学校もまともに通っていなくて……。
忙しそうだったけれど、眩しかった。
私も、何者かになれたなら。
そう思ったときもあった。
思えば、小説家を志したのは、彼の影響だった。
テレビの中で輝く同級生を見て、何も影響を受けないほど感受性は弱くない。
アイドルのようなルックス、まばゆいオーラを発している彼のようには、輝けないかもしれない。
でも、私にだって輝ける場所はあるはず。
そう思って始めたのが、Webでの小説投稿だった。
もともと本を読むのは好きだったし、妄想もたくさんしていたし。
そんな私に、ぴったりだと思って。
「そうだった……いつか、三笠くんに演じてもらうのが夢だったっけ」
大きな夢物語だ。
いつか、私の……早川美玲の作品がドラマ化したら、主演は三笠くんがいい。
そう、頭の中で描いていたっけ。
『早川、文章上手いよな』
『えっ、そう……なのかな』
『上手いよ。将来、小説家になれる』
そのときの彼の表情を、熱い鼓動を、まだ覚えている。
そういえば、何を思ったのか、「Webで小説書いてるんだ」と勢いで言ってしまった気がする。
そのときの彼は……。
『さすが早川だ。将来本が出たら、絶対買うからな!』
短いCMは、終わってしまった。
なぜか、熱いものが頰を伝った。
あれ?
これが、私の望んでいたことだっけ。
これが、思い描いていた将来だっけ……。
あのとき、誓ったじゃないか。
『三笠くんが、堂々と主演を務められるような物語を届けるから』
『俺も、早川が堂々と主演に名指しできるよう、頑張るよ』
今書いているものは、本当に彼に演じてほしい、彼も演じたいと思えるようなものか?
……違う。
筆を折ることが、本当にあの頃望んでいたことか?
……違う。
私は願っていた。
繋がりが切れても、三笠くんがいつか見つけてくれるように、と願いながら、毎日言葉を紡いでいたのではないか。
心ない言葉にも負けずに、頑張って来られたのではないか。
「このままじゃ、ダメだ」
テレビを消す。
そして向かったのは、デスク。
私はまだ、「早川美玲」を辞められない。
夢を、叶えるまでは……!
久しぶりに電源を入れたノートパソコンが、歓迎するように光を発した。
―――
『せ、先生……!』
「はいはい、新作のプロットです。これ以外はまだ書けません。これを出版してくれないと、今度こそ辞めますからね」
先ほどまでイライラをぶつけていたからか、謎のツンデレムーブをかましてしまう。
そんなことはどうでもいい。
目的を思い出せた。
眠っていた想いを、思い出せた。
それだけで十分だ。
「ちゃんと、届けたいから。絶対バズらせましょう」
私は、今度は静かに電話を切った。
もう一度、彼のもとへ。
―――
「久しぶり」
「久しぶり、早川」
目の前には、テレビで見るのと同じ、キラキラとした男が立っていた。
私も未だに信じられないが、本物の三笠秋斗だ。
こうやって会うのは中学校ぶりなので、なんだか照れる。
目もちゃんと合わせられない。
やがて、彼の声が沈黙を壊した。
「毎回、読んでた」
「はっ?」
「『魔女戦』も、『いせした』も……今回のもね」
やばい。
信じられないけど、嬉しすぎて過呼吸になりそうだ。
「早川美玲が私だって、わかってたの?」
「確信してたわけじゃないけど……勘、かな」
勘?
少し首を傾げると、三笠くんははにかむように微笑んだ。
「『早川』って名字と、『Web発の作家』っていう帯の文。立ち読みしたら、学生の頃に読んだ早川の文体と似ていたから……」
そこまで、見ていてくれたんだ。
感動という陳腐な言葉では言い表せないような、体の奥底の震えが止まらない。
「三笠さん、そろそろです!」
「はい! ……じゃあ、行ってくる。早川美玲の物語を、形に」
三笠くんの背中を見て、小さく手を振った。
いよいよ三次元で形になる、私の紡いだ世界。
タイトルは――『初恋の君へ』。
流行りでもない、叩かれてもいい、そうやって正直に書いた言葉。
少し照れくさいけれど、ちゃんと届いただろうか。
三笠秋斗にスポットライトが当たったとき、私はこう思った。
辞めなくて、よかった、と。
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