雨の降る学校で
『ねぇ、知ってる? 雨が降る夜の学校に行くと、幽霊に会えるんだって』
それは同じ部活の友人から聞いた噂であった。
私の通う学校には根も葉もない怪談話で溢れており、その中でもひと際有名な怪談があった。
それは雨の降る夜に学校を訪れると、恐ろしい姿をした女の幽霊と出くわすというのだ。
勿論、それは只の噂話で、私は幽霊の存在など全く信じていなかった――あの恐ろしい経験をするまでは。
「あー、やばい。もうこんな時間……」
その日、高校二年生である私、伊藤早希は、体育館でバスケの自主練習に励んでいた。
他の部員は既に帰宅していて、気付けば夜の八時を過ぎていた。
急いで帰らないと親が心配しちゃうな――そう思った私は急いで制服に着替え、体育館を後にした。
学校の玄関口に向かって歩いている途中、ふと窓の外を眺めると、大粒の雨が降っていることに気づいた。
「うっわ……もー、最悪……」
天気予報では曇りの予報であったため、あいにく私は傘を持ってきていなかった。
このままだと間違いなくずぶ濡れになって帰る羽目になるだろう。
その場で窓の外を眺めながら呆然と立ち尽くしていると、コツ、コツと足音が聞こえてきた。
前を振り向くと、スラリと背の高い、肩まで髪の伸びた女子高生が私に近づいてくるのが見えた。
見た目はかなり美人なのだが、肌が余りにも色白でどこか生気を感じられなかった。
「こんばんは」
彼女は私に挨拶すると、行儀良く頭を下げた。
「あ、えっと……こ、こんばんは」
まさか挨拶されるとは思っていなかった為、私はぎこちなく挨拶を返した。
柔和に微笑む彼女の右手には、青いナイロン製の傘が握られていた。
「あなたが窓の外を見ていたからちょっと気になっちゃって。もしかして傘を持ってきてないの?」
「う、うん……そうなんだよね」
「そっか。良かったらこれ使って」
彼女は躊躇う様子も無く、私に傘を差し出してきた。
ありがたい話ではあるが、私が傘を受け取れば彼女が帰るときに困ることになるだろう。
「そんな……悪いよ」
「大丈夫、大丈夫。私、折りたたみ傘を持ってるから。その代わり……って訳じゃないんだけど、明日傘を返しに来て欲しいの」
「うん、分かった! あなたの名前とクラスを教えて!」
私が訊くと、彼女は窓の方を眺めた。
うっとりとした表情で外を眺める彼女の横顔はまるで美術品に飾られている絵画のように美しいと感じた。
「三年B組の……神崎雨華」
なんと……まさかの上級生だったようだ。
てっきり同学年かと思って、普通にタメ口で話してしまった。
謝ろうとした次の瞬間、ピカリと眩い閃光が走り、余りの眩しさに私は目を瞑った。
大きな雷鳴が轟き、ゆっくりと目を開けると、雨華の姿はどこにも無かった。
「あれ……?」
私は狐につつまれたような気分になった。
あの一瞬で彼女がいなくなった……?
しかし、彼女が渡してくれた傘は間違いなくこの手に持っている。
そこで私は例の噂を思い出したのだった。
「まさか……幽霊?」
不可思議な現象に遭遇したせいか、いつもの学校がまるで恐ろしいお化け屋敷に思えてきた。
怖くなってきた私はその場から走り出し、学校を後にした。
家に着く頃には雨はすっかり止んでおり、空には大きな満月が浮かんでいた。
雨華の正体が何者なのか今は分からないが、ひとまず明日、傘を返しに行ってみようと思うのだった。
次の日、私は雨華のクラスに訪れた。
当たり前だが、教室の中は上級生だらけで私はとても緊張したのだった。
「……よし!」
意を決して教室に入り、扉から一番近い前の席に座っている先輩に話し掛けた。
「あの……すいません。このクラスに雨華さんって人、居ますか?」
「雨華さん? そんな名前の人、このクラスにはいないけど……」
「そうですか……分かりました、ありがとうございます」
他の何人かの先輩にも確認してみたが、やはり雨華はこのクラスにはいないようだ。
雨華から渡されたこの傘……一体、どうしたら良いのだろうか。
私は雨華の傘を見つめながら、その場に立ち尽くしていた。
「ちゃんと返しに来てくれたんだね」
「ひっ……!」
振り返ると、いつの間にか背後に雨華が立っていた。
相変わらず雨華は生気を感じさせない白い肌で、まるで何かを確かめるようにこちらを見つめていた。
「あ、あなた……一体、何者なの?」
「来て欲しい所があるから、一緒に付いて来てもらえる?」
私の質問には答えず、雨華はどこかに向かって歩き出した。
よくよく考えれば、このまま付いて行くのは危険だったのかもしれないが、無視するのが怖かった私は雨華の後を追うのだった。
「ここって……」
雨華が連れて来た場所は何年か前に閉鎖されたという屋上であった。
屋上に繋がる扉を潜った瞬間、少し冷たい風が私の頬を撫でた。
「屋上よ。実は私、五年前に……ここから飛び降りたのよね」
雨華は涼しい顔で衝撃的な事実を話したのであった。
やはり雨華は生者ではないようだ。
しかし、先程と違って不思議と恐怖は無かった。
「どうして……飛び降りたの?」
「…………当時、同じクラスにいたリーダー格の女子がね。好きだった男子に告白したんだけど、私のことが好きって理由で振られたらしくって。それが原因でいじめが始まったの。いじめに耐えられなくなって私はここから飛び降りたのよ」
「そ、そうだったんだ……酷い話だね」
私はいじめを受けたことが無いから、雨華の苦しさは想像するしかないが、相当辛かっただろう。
それに雨華には全く非が無く、身勝手な理由だ。
「ううん。いじめ自体はもうどうでも良いの。でも……自殺なんてしちゃったから私、成仏できなくなっちゃって。私のことが見える人をずっと待ってた」
「私以外に見える人はいなかったの?」
「いたわ。でも、あなた以外は私の姿は物凄く怖く見えるみたい。私を見るなり、すぐ逃げちゃったわ。きっと死んだときの姿で見えちゃうのでしょうね……」
夜の学校で、しかも死体の姿で幽霊が見えたとなれば、恐怖で逃げてしまうのも無理のない話だろう。
私の眼にはそれほど怖く見えてないのは何か理由があるのだろうか。
「きっとあなたとは波長が合ったのでしょうね。だから、私のことも禍々しい姿には見えない。あなたと出会えて幸運だったわ」
「あなたが成仏するために、私はどうしたら良いの?」
「私が持っている道具の中で一番思い入れの強い道具を生者に渡してもらう……それだけよ」
「一番思い入れの強い道具って……もしかして、この傘のこと?」
「ええ。この傘は母から買ってもらったお気に入りの傘だったわ。母さんも私のことを追って死んだから……早く謝りに行かないとね」
雨華の話を訊いていて、心がズシリと重くなった。
もしも雨華が生きていれば、楽しい大学生活を送り、充実した社会人生活を送れていたかもしれない。
「雨華の苦しみは理解できないけど……自殺するなんて、本当に馬鹿だよ。大馬鹿だよ!」
「そうね。確かに私は愚かだったわ。だから……あなたは絶対にそんなことしちゃダメよ」
「うん、分かった。約束する」
私は雨華に誓うと、彼女に傘を差し出した。
雨華は傘を受け取ると、バンドを外して、ばさりと傘を広げるのだった。
「雨が……降るわね……」
ポツリと雨華が呟くと、本当に空から雨が降ってきた。
雨華はゆっくりと落下防止用フェンスに向かって歩き出す。
雨脚は雨華が一歩、また一歩と歩くたびに強まっていくのだった。
「待って! 雨華!」
「あー、もう。本当、雨って嫌い。空が泣いてるみたいでさ。泣きたいのは私の方だって思っちゃうから……」
ピカリと空が激しく光り、ゴロロと雷の音が鳴る。
気づけば雨華の姿が消えていた。
先程までの雨が嘘のように空には晴天が広がっていたのだった。
「私も……泣きたいよ。雨華……!」
誰かにということでも無く、空に向かって独り言を呟くと、
『ありがとう』
という声が聞こえてきたような気がした。
その日の夜、私は自分の部屋で宿題を終えると、椅子の上でうたた寝をしてしまうのだった。
「ここは……学校?」
夢の中で私は学校の玄関口の前にいた。
意識はやけにはっきりしているが、私はこれが夢であることを認識できていた。
『上だよ』
雨華の呼ぶ声が聞こえたような気がして、見上げると、誰かが屋上の渕に立っていた。
今にも飛び降りそうな雰囲気で私はハラハラした。
『見てて。これから血の雨を降らしてあげるから……』
「んな……!」
屋上の渕に立っていた人物を誰かが背後から推し、突き落とした。
突き落とされた人物は物凄いスピードで落下し、地面に激突する直前で消えてしまった。
「き、消えた……?」
次の瞬間、空から赤い雨――いや、血が降ってきた。
私の顔や身体は生臭い血で真っ赤に汚れていくのだった。
「う、うわあああぁぁぁ!」
そこで私は目を覚ました。
おぞましい悪夢を見たせいで、びっしょりと大量の汗をかいていた。
「ゆ、夢か……」
一人で自分の部屋にいるのが怖くなった私は家族のいるリビングに移動することにした。
しかし、そこで私は恐ろしいニュースを見てしまったのだった。
『本日、同時刻に複数の女性が飛び降り自殺を図る事件が起こりました。自殺を図った女性は全員死亡しており、また、全員〇△高校の卒業生とのことで、警察は集団自殺との見解で調査を進めています』
そのニュースを見た瞬間、私の背筋は凍り、咄嗟にトイレに駆け込んだ。
「お、オエエえええェェぇ!!」
ドボドボと胃の中にあったものを全て便器に吐き出した。
さっきの夢とあのニュースを見た瞬間、私は理解してしまったのだ。
飛び降り自殺を図ったのは――雨華をいじめていた人達であると。
ふと私の脳裏に過ったのは雨華がいじめていた奴らを屋上から突き落とし、大量の血の雨を降らす光景であった。
「雨華……あなた、本当に成仏出来たの……?」
雨華が私にお願いしてきた成仏の儀式――もしかしたらあれは雨華をいじめた奴らを呪う為の儀式だったのかもしれない。
だとすると、彼女達が飛び降り自殺を図ったのは私のせい……?
「ち、違う……私は悪くない、私は悪くない。だって、私は……」
その日をきっかけに私は幽霊の存在を信じるようになった。
ポツリ、ポツリと降り注ぐ雨を見る度、私はいつも雨華のことを思い出してしまうのだった。




