第7話:凱旋後のお姫様抱っこと武器手入れ。背後からの密着指導は心臓に悪すぎます
城の巨大な鉄門が、重々しい音を立てて開かれる。
猛吹雪の雪原から帰還した討伐隊を、城の使用人たちが安堵の表情で出迎えた。
初めての実戦を終えた私は、アドレナリンが切れたせいか、生まれたての小鹿のように膝をガクガクと震わせながら歩いていた。
「……っ、ふぅー……っ」
なんとか自分の足で歩いているものの、全身の筋肉が悲鳴を上げている。
緊張の糸が切れた途端、手足が鉛のように重くなってしまったのだ。
「ルナリア様っ!!」
エントランスに駆けつけてきたメイド長のマーサが、血まみれの外套を羽織った私を見て、悲鳴のような声を上げた。
「あ、あああ、なんてこと! お怪我が!? すぐに医者を――っ!」
「だ、大丈夫よマーサ。これは全部、魔獣の返り血だから」
私は引きつった笑顔で、持っていた白銀の短剣を掲げてみせた。
「私、ちゃんと自分の身を守れたの。師匠の教えのおかげで、一匹討伐したわ!」
「ひ、一匹!? 奥様がご自身で!?」
マーサが白目を剥きそうになっている。
無理もない。数週間前までドレスを着て震えていた「飾りの妻」が、血まみれで魔獣を狩ってきたなどと聞かされたら、誰だって混乱するだろう。
「……ふふっ、私だってやれば……あっ」
誇らしく胸を張ろうとした、その瞬間。
限界を迎えていた足首がカクンと折れ、私は大理石の床に向かって前のめりに倒れ込んだ。
(あ、やば――)
ガシッ!!
床に顔をぶつける直前。
強靭な腕が私の腰と膝裏にスッと差し込まれ、ふわりと身体が宙に浮いた。
「えっ?」
見上げると、ヴァルター様の端正な顎のラインがあった。
私を軽々と持ち上げ、見事な『お姫様抱っこ』の体勢で抱え上げたのだ。
「し、師匠!? 何を……っ!」
「馬鹿弟子。初陣で限界を超えて動いたのだ、魔力も体力も底を尽きているだろう。意地を張るな」
ヴァルター様は涼しい顔でそう言うと、私を腕の中にすっぽりと収めたまま、迷いなく階段を上り始めた。
「お、下ろしてください! 自分で歩けま――」
「暴れるな。落とすぞ」
「ひゃっ」
腕に少しだけ力が入る。
密着した胸板から、彼の大股な歩みの振動がダイレクトに伝わってくる。
周囲を見回すと、討伐隊の騎士たちや使用人たちが、何やら顔を赤らめて一斉に視線を逸らしていた。
(ひぃぃっ! みんな見てる! 恥ずかしい!)
そのまま私室へと運び込まれ、柔らかいソファの上にそっと下ろされる。
マーサが慌ててお湯と着替えの準備に走る中、ヴァルター様は私の前にしゃがみ込んだ。
「まずは、その短剣をよこせ」
「え?」
「血を吸った刃は、すぐに手入れをしないと錆びる。生き抜くための武器を粗末にする奴は、戦場では真っ先に死ぬぞ」
厳しい声に、私はハッとして白銀の短剣を差し出した。
ヴァルター様は布と油の入った小瓶を取り出すと、私の隣……ではなく、なぜか私の背後に回り込み、ソファの背もたれに腰掛けた。
「し、師匠?」
「貸せ。手入れの仕方を教えてやる」
スッ、と。
背後から、彼のがっしりとした両腕が伸びてきた。
私の両手を、分厚くて温かい手で外側から包み込むように握りしめる。
(なっ!?)
完全なる、バックハグの体勢である。
背中には彼の硬い胸板が密着し、耳元からは彼の微かな吐息が聞こえる。
至近距離どころの騒ぎではない。完全にゼロ距離だ。
「刃に布を当てろ。俺の指の動きを覚えろよ」
「は、はいぃっ!」
ヴァルター様の大きな手に誘導され、私の小さな手が刃の上を滑っていく。
シャッ、シャッ、という冷たい鋼を拭う音が、静かな部屋に響く。
獣の血の匂いが消え、代わりにツンとした刃物油の匂いと、師匠の香木の匂いが混ざり合って鼻腔をくすぐった。
「……柄の近くは血が固まりやすい。力を入れて拭え。そう、そのまま……」
耳元で囁かれる、低くて甘い(ように聞こえる)指導の声。
背中から伝わる、圧倒的な体温と鼓動。
ドクンッ!!!! ドクンッ!!!!
私の心臓が、本日最大級の警鐘を鳴らし始めた。
顔から火が出そうだ。
指先まで一気に血が上り、頭がクラクラしてくる。
(ち、近すぎます! 師匠! 完全に背中が密着してます……っ!)
いや、違う。落ち着け、ルナリア。
これはただの指導だ。師匠は、出来損ないの弟子が指を切り落とさないように、安全第一で手取り足取り教えてくれているだけ。
それに、この異常な心拍数と頭のクラクラは!
(……間違いないわ! これはきっと『刃物油の揮発成分による、一時的な戦士の酩酊状態』ね!)
閉め切った部屋で、強い油の匂いを嗅いだのだ。
おまけに背後から死神の覇気を浴びせられ続けているのだから、神経が錯乱して動悸が激しくなるのも医学的に当然のこと!
「……どうした? 刃先がブレているぞ。疲れたか?」
「い、いえっ! 大丈夫です! 完全に覚えましたから!!」
私は勘違いで沸騰しそうな顔を必死に前に向けたまま、コクコクと激しく頷いた。
「(……少し刃が欠けたか。次に俺の工房へ行くとき、ついでに打ち直してやるか)」
と、不器用な師匠が弟子の初めての武器のメンテナンスにかこつけて、誰よりも過保護に彼女を抱え込んでいたことに、扉の隙間から覗き見していたマーサが(……ごちそうさまです)と密かに拝んでいたのだった。
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