第6話:本物の戦場と不器用な死神の背中。
城門を抜けた先は、視界を白く染め上げる猛吹雪だった。
ゴォォォォッという風の音が、耳を劈く。
足首まで埋まる雪。
普通の令嬢なら、立っていることすら困難な過酷な環境だ。
だが、私の身体は不思議と寒さを感じていなかった。
頭からすっぽりと被せられた、分厚くて重たい毛皮の外套。
そこから微かに香る師匠の体温と、落ち着くような香木の匂いが、私を凍える外気から完全に守ってくれている。
(なんだか、師匠に包まれているみたい……っ)
いやいや、雑念を払えルナリア。ここは戦場だ。
『一歩でも離れたら破門』という言いつけ通り、私はヴァルター様の斜め後ろ、わずか半歩の距離を絶対にキープして歩き続けた。
やがて、討伐隊の足がピタリと止まる。
「――来るぞ」
ヴァルター様の低く、よく通る声が雪原に響く。
同時に。
ズシン、ズシン、と。
地響きのような足音と共に、吹雪の向こうから『それ』は姿を現した。
巨体。鋭い爪。赤い双眸。
辺境を脅かす凶悪な魔獣の群れだった。
全部で五頭。どれも立ち上がれば三メートルは優に超える、恐ろしい熊のような怪物だ。
(……これが、本物の魔獣)
息が止まりそうになる。
膝が震え、手にした白銀の短剣を取り落としそうになった、その時。
「ルナリア」
前を向いたままのヴァルター様が、静かに私の名を呼んだ。
「よく見ておけ。これがお前の求めた、生き抜くための『力』だ」
ザンッ!!!!
一瞬の出来事だった。
ヴァルター様の姿がブレたかと思うと、先頭にいた最も巨大な魔獣の身体が、斜めにズレて、崩れ落ちた。
……一撃。
分厚い毛皮も、強靭な筋肉も、彼が振るう真剣の前では紙切れと同義だった。
「ひるむな! 公爵閣下に続け!!」
討伐隊の騎士たちが一斉に斬り込んでいく。
圧倒的だ。
これが、辺境を護る『最強の氷の死神』。
私はその恐ろしくも美しい剣技から、一瞬たりとも目を離せなかった。
足の運び、剣の軌道、そして何より、迷いのないその背中。
怖いという感情よりも先に「あんな風になりたい」という憧れが、胸の奥で熱く燃え上がる。
あっという間に、四頭の魔獣が雪原に沈んだ。
そして。
「ルナリア」
不意に、ヴァルター様が剣を下げた。
残った最後の一匹。
群れの中では一番小柄な個体が、威嚇するように低い唸り声を上げている。
「最後の一匹だ。お前がやれ」
「えっ……」
「自分の身は、自分で守るのだろう? お前の口先だけの覚悟ではないこと、ここで証明してみせろ」
冷酷な声。
けれど、私を見る彼の青い瞳は、決して私を見捨ててなどいなかった。
剣を下げてはいるものの、その重心はいつでも飛び出せる位置にある。
もし私が危うくなれば、一瞬で魔獣を斬り捨てる態勢をとってくれているのだ。
(師匠は、私を試してくれているんだ)
途端に、震えていた足にピタリと力が入った。
私は外套を少しだけ翻し、白銀の短剣を構えて前に出る。
『グルルルゥッ!』
魔獣が私を標的と定め、飛びかかってきた。
巨大な爪が迫る。
怖い。でも、特訓の記憶が私の背中を押す。
『――足元がおろそかになっている。重心を低くしろ』
私は大きく足を開き、雪を蹴って、極限まで重心を低く沈めこんだ。
ヒュンッ!
私の頭上数十センチのところを、巨大な爪が空を切って通り過ぎていく。
(今だ!)
低く沈み込んだ体勢から、バネのように跳ね起きる。
右手には、師匠から託された白銀の短剣。
「やぁぁぁぁっ!!」
渾身の力を込め、無防備になった魔獣の喉元へ、短剣を真っ直ぐに突き立てた。
嫌な感触と共に、短剣が急所を貫く。
短い断末魔を上げ、魔獣は私の目の前でドサリと崩れ落ちた。
「……はぁっ、はぁっ……」
肩で息をしながら、へたり込みそうになった、その瞬間。
「よくやった」
雪を蹴る音と共に、ヴァルター様が私の腕をぐいっと引き寄せた。
すっぽりと、彼の大きな胸の中に閉じ込められる。
「っ!?」
至近距離。
分厚い胸板の感触と、少しだけ早くなった彼の心音。
頭の裏に添えられた大きな手が、私の髪をくしゃくしゃに、ひどく愛おしそうに撫でてくる。
「万が一には俺が斬るつもりだったが……初めての実戦にしては、見事な動きだった」
耳元で囁かれる、かすれた低い声。
頭の上から降ってくる、優しい熱。
ドクンッ!!!!
まただ。
この異常な胸の高鳴り。
顔が一気にカッと熱くなり、耳の先まで茹で上がりそうになる。
(ち、近すぎる! 師匠、戦場でのハグは心臓に悪すぎます……っ!)
いや、違う。落ち着け、ルナリア。
これはただの確認だ。師匠は、大切な『弟子』が怪我をしていないか、五体満足かどうかを触診して確かめているだけ。
それに、この異常な鼓動は!
(そう、これぞまさに『師匠の分厚いマントによる、急性の熱中症』!)
極寒の雪原とはいえ、命がけで動いた直後にこんな分厚い毛皮で密閉されたら、熱がこもって身体がパニックを起こすのも当然だ!
「は、はいっ! 師匠の特訓のおかげです!」
真っ赤になった顔をマントに押し付けながら、私は己の心臓の音を誤魔化すかのように必死に声を張り上げた。
「(……少しスパルタすぎたか。だが、これで彼女が一人でも生き延びる確率が上がったはずだ)」
と、不器用な師匠が弟子の頭を撫でる手をいつまでも離そうとしなかったことに、周囲の騎士たちが密かに目を丸くしていたのだった。
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