第15話:距離を置きたいのに師匠が密着してきます。単独での自主練禁止令は過保護の極みです!
恋心を自覚してしまった、翌朝。
熱はすっかり下がったものの、私の心臓の調子はどう考えても異常だった。
(……無理。今日、どんな顔をして師匠に会えばいいの……っ!)
着替えるために鏡の前に立っても、思い出すのは昨日、熱っぽい頬を撫でられた時の優しい感触と、「自慢の弟子だ」と囁かれたあの甘い声。
それだけで顔がカッと熱くなり、両手で頬をバシバシと叩いて気合を入れ直す。
今までなら「これは敵の洗脳魔法に対する~」などと立派な戦術的理由をでっち上げて正面から立ち向かえた。
しかし、己の恋心という『真実』を知ってしまった今、あの至近距離でのスキンシップに耐えられる自信が全くない。
(とにかく、今日はなるべく距離を置こう。真正面から向き合ったら、絶対に心臓が爆発しちゃう!)
私はそう決意し、師匠が起きるよりずっと前の、まだ星が出ている早朝の中庭へとこっそり抜け出した。
いつも彼と一緒にやっている素振り五百回を、一人で先に終わらせてしまおうという作戦だ。
「いーちっ! にーっ! さーんっ!」
冷たい雪の降る中、一人で重い木剣を振るう。
身体を動かしていれば、少しはこの胸のドキドキも誤魔化せる気がした。
「きゅうじゅうはちっ! きゅうじゅうきゅうっ! ひゃ……っ!」
「早起きだな、ルナリア」
「ひゃうっ!?」
背後から突然かけられた低く響く声に、私は木剣を取り落としそうになった。
振り返ると、そこには漆黒のガウンを羽織っただけのヴァルター様が立っていた。
いつもより少し乱れた黒髪。そして、私を心配そうに見つめる青い瞳。
(は、早すぎます! 師匠! まだ四時前ですよ!?)
「し、師匠! おはようございます! 私の熱はもう完全に下がりましたので、心配ご無用です!」
「嘘をつけ。昨日あれほど熱が上がっていたのに、一日で治るわけがないだろう」
ヴァルター様が、雪を踏みしめてズカズカと距離を詰めてくる。
そして、いつものように私の額に手を当てて熱を測ろうと、大きな手を伸ばしてきた。
「っ!」
私は反射的に、サッと一歩後ろに下がって、その手を避けてしまった。
空を切った、分厚い掌。
「あ……」
やってしまった、と思った。
距離を置きたい一心で、無意識に師匠を拒絶するような真似をしてしまった。
ヴァルター様は空中に残された自分の手を見つめ、それから、ふっと悲しそうに目を伏せた。
「……そうか。まだ身体が辛いのに、俺が無理やり特訓を強いるから、嫌になったか」
「えっ?」
「すまなかった。俺は不器用で、手加減というものを知らない。お前が俺を恐れて避けるのも無理はないな」
(違います! 怖いんじゃなくて、好きだから避けちゃったんです!)
そう叫びたいのに、口がパクパクと動くだけで声が出ない。
「今日の特訓は休みにする。……一人で部屋に戻れるか?」
いつも絶対的で揺るぎない師匠が、背中を向けて立ち去ろうとしている。
その背中がひどく寂しそうで、私は気付けば、自分の口から言葉を絞り出していた。
「ち、違いますっ!!」
ヴァルター様がピタリと足を止める。
「私はっ、剣を振るのが好きです! だから師匠のことも、嫌いになんて……っ、ぜ、絶対に、恐れたりなんかしていません!!」
(ああっ、もう! 私、何言ってるの!?)
告白まがいの言葉に、顔から一気に火が噴き出した。
俯いて木剣をギュッと握りしめていると。
ザクッ、ザクッ、ザクッ。
雪を踏む音が近づき。
次の瞬間、私の手ごと木剣を包み込むように、分厚くて温かい手が重ねられた。
「っ!」
顔を上げると、そこには至近距離で私を見下ろすヴァルター様がいた。
その顔には、先ほどの寂しそうな表情など微塵もなく。
代わりに、ひどく安堵したような、それでいてどこか獰猛な笑みが浮かんでいた。
「……そうか。嫌われていないのなら、良かった。もし、これほど熱心で見どころのある弟子に見限られたら、どうやって引き留めようかと本気で悩むところだった」
耳元に落ちる、甘くて低い声。
ドクンッ!!!!
私の心臓が、本日最大級の警鐘を鳴らす。
(ち、近いです! 師匠! 氷の死神の整いすぎたお顔立ちが、今の私には致死量です……っ!)
戦術的思考の防壁がない今の私には、この物理的な距離感は完全にオーバーキルだ。
パニックになる私をよそに、ヴァルター様は重ねた手にぐっと力を込めた。
「だが、病み上がりに無理をするのは許さん。今日から、俺の目の届かない場所での『単独の自主練』は一切禁止する」
「えっ!?」
「お前はまだ実戦を経験したばかりで、隙が多い。いつどこに魔獣や間者などの危険が潜んでいるか分からんからな。だから特訓中も、そうでない時も……常に俺の手の届く範囲にいろ。命令だ」
(それって要するに、二十四時間密着宣言ですよねーっ!?)
距離を置こうとした結果、むしろ退路を完全に断たれてしまった。
……中庭を見下ろす城の窓辺で、早起きの騎士たちが「(公爵閣下、ついに一人での行動まで禁止し始めましたよ)」「(ああ。嫌われていないと分かった途端に、『見込みのある弟子を危険から守らねば』という過保護が完全に暴走しちまったな……)」と、温かいお茶を飲みながら呆れ返っていたことなど。
自ら墓穴を掘ってしまった私が、気づけるはずもなかった。




