第10話:魔力循環のための額の密着。なるほど、魔力酔いに対する耐性訓練ですね!
「剣術の基礎と体術は教えた。次は『魔力』だ」
午後。書斎での座学の時間。
ヴァルター様は、分厚い魔物図鑑をテーブルに置き、私に向き直った。
「魔力ですか? でも私、魔法なんて使えませんよ?」
「火や水を出せと言っているわけではない。身体能力を底上げし、武器に威力を乗せるための『魔力循環』だ」
ヴァルター様によれば、最前線で戦う騎士たちは皆、無意識に体内の魔力を巡らせて身体を強化しているらしい。
筋肉量で劣る私が魔獣と渡り合うためには、絶対に欠かせない技術だという。
「ですが、どうやって魔力を巡らせれば……。そもそも、自分の魔力がどこにあるのかも分かりません」
「最初は誰でもそうだ。だから、俺の魔力を少しだけお前の中に流し込み、無理やり『道』を開いてやる」
そう言うと、ヴァルター様は私の座る椅子の前へと歩み寄り。
なんと、コトリと片膝をついて、私を見上げる体勢になった。
「えっ? し、師匠?」
「目を閉じろ」
言われるがままに目を瞑ると、私の両手が、分厚くて温かい手にすっぽりと包み込まれた。
(……あ、手が……)
そして。
ふわりと、彼特有の香木の匂いが近づいてきたかと思うと。
コツン、と。
私の額に、ヴァルター様の額がピタリと合わさった。
「ひゃっ!?」
「動くな。魔力の波長を合わせる。……俺の熱を感じろ」
耳元……いや、文字通り「鼻の先」で、低く甘い声が響く。
交じり合う吐息。
繋がれた両手から、そして密着した額から、彼の中にある圧倒的な熱(魔力)が、じわじわと私の身体へと流れ込んでくるのがわかる。
ぽかぽかとして、ひどく心地いい。
けれど、状況は全く心地よくなんてない。
ドクンッ!!!! ドクンッ!!!!
私の心臓が、本日も元気に限界突破の警鐘を鳴らし始めた。
(ち、近いです! 師匠! 額と額って! 吐息がかかってます……っ!)
顔から火が出そうだ。
全身の血が沸騰し、彼から流し込まれる魔力の熱なのか、自分の体温の熱なのか、もはや区別がつかない。
いや、違う。落ち着け、ルナリア。
これはただの魔力循環の特訓だ。師匠は、出来損ないの弟子に「魔力の道」を教えるため、最も効率的で直接的な手段を取ってくれているだけ。
なら、どうして私の身体はこんなにも熱く、そして頭がくらくらとしてしまうの!?
(……はっ! そうか! これが本に書いてあった『急性魔力酔い』!)
間違いない。強大すぎる魔力を一気に流し込まれたことで、私の小さな魔力の器が悲鳴を上げているのだ!
師匠は今、あえてご自身の規格外の魔力を注ぎ込み、私の器の限界値と『魔力への耐性』をテストしているんだわ!
ここで気を抜けば、膨大なエネルギーに耐えきれず、私の身体が内側から破裂してしまう!
「……っ、破裂しません!」
「……ん?」
私は額を密着させたまま、目をカッと見開いて宣言した。
「どれだけ規格外の魔力を注ぎ込まれても……私の器は絶対に、弾け飛んだりしませんから!」
私がギラギラとした決意の瞳で至近距離から睨みつけると。
ヴァルター様は一瞬ポカンとして、繋いだ私の手を少しだけ強く握り直した。
数秒の、甘く重たい沈黙。
「……っ、くっ、ははははっ!」
やがて彼は、私の額からコツンと離れると、肩を震わせて大爆笑し始めた。
「魔力循環の初歩で『破裂しない』と宣言する奴がいるか。どれだけ俺を凶悪な爆弾魔だと思っているんだ」
「笑い事ではありません! 私はいつだって真剣に――」
「ああ、わかっている。お前のその真面目さが、俺の魔力をすんなりと受け入れた」
彼は笑い涙を拭いながら立ち上がり、そのまま私の頭を大きな手でわしゃわしゃと撫で回した。
「今の感覚を忘れるなよ。次は一人で巡らせる練習だ」
「はいっ! 次はもっと強い出力でも耐えてみせます!」
魔力暴走(という名の勘違い)を乗り越え、私の魔力はまた一つ鍛えられたはずだ。
……部屋の隅で魔物図鑑の整理を手伝っていた宮廷魔術師が、「(公爵閣下……魔力の通り道を繋ぐだけなら、少し離れて手を握るだけで十分なはずでは?)」「(ああ。ご本人は『少しでも操作を誤って妻の身体に負担をかけてはならない』と極度に恐れるあまり、無自覚に一番魔力制御が安定するゼロ距離の密着を選んでしまっている……)」と、呆れたように眼鏡を押し上げていたことなど。
次なる魔力酔いに備えて必死に呼吸を整えている私が、気づくはずもなかった。




