第6話 愚か者達の終焉
その日は、驚くほど晴れ渡っていた。
帝都バルシュタイン城の正門に、一台の薄汚れた馬車が到着したという知らせを受けた時、私はレオナルト様と一緒に中庭で紅茶を楽しんでいた。
「……来たか。想定より三日も遅い。無能を極めると歩みまで遅くなるらしいな」
レオナルト様は冷淡に言い放ち、ティーカップを置いた。
現れたのは、かつての私の婚約者、クライン王国の第一王子ジュリアン。そして、聖女の皮を被った男爵令嬢マリアだった。
かつての煌びやかな面影はどこにもない。
ジュリアン様は服も髪も乱れ、目の下には深い隈がある。マリア様は自慢の桃色のドレスを泥で汚し、必死に私の顔色を伺っている。
「エルゼ! 探したぞ! さあ、冗談は終わりだ。今すぐ王国へ戻るぞ!」
開口一番、ジュリアン様は叫んだ。謝罪でも、心配でもない。それは、自分の所有物が勝手に逃げ出したことを責める飼い主の口調だった。
「……冗談? 何をおっしゃっているのですか。私は正式な手続きを経て国外追放された身です。サインをなさったのは、殿下、貴方でしょう?」
「あれはただの脅しだ! 貴様がいなくなったせいで、王宮の予算も、隣国との貿易協定も、すべてが滅茶苦茶だ! 公爵家も破産寸前で、父上も激怒しておられる! 貴様が戻ってすべてを元通りにすれば、今回の不始末は不問にしてやると言っているんだ!」
あまりの言い分に、私は怒りを通り越して、乾いた笑いが漏れた。
三度の人生。私はこの人のために命を削って働き、そして三度殺された。
四度目の今、この人はまだ、私が自分のために尽くすのが当然だと思っている。
「お断りいたします。私はもう、王国の人間ではありません」
「黙れ! この売国奴が! 帝国に色目を使って、これほどの贅沢を……!」
ジュリアン様が私に掴みかかろうと腕を伸ばした――その瞬間。
「――その汚らわしい手で、私の妻に触れるな」
空気が凍りついた。
レオナルト様が立ち上がり、私の前に立ち塞がる。
彼が放つ圧倒的な殺気に、ジュリアン様は膝を突き、無様に床を這った。
「レオナルト陛下! これは我が国の女を連れ戻しに来ただけです! この女は、我が国の資産を持ち逃げした大罪人で……」
「資産? クライン王国の資産は、今朝すべて我が帝国が『買い取った』。君たちが乱発した不渡り手形をすべて買い集め、担保となっていた王国の北部の領土も、今は帝国の直轄地だ。君たちの国は、もう地図から消えるのを待つだけの、ただの借金まみれの土地だよ」
「な……っ!? そんな、馬鹿な……!」
レオナルト様の冷徹な通告に、ジュリアン様は言葉を失った。
隣で震えていたマリア様が、今度は私に向かって泣きついた。
「エ、エルゼ様! 助けてください! 私、殿下に酷いことをされているんです! お金がなくなってから、殿下は私を叩くし……エルゼ様なら、なんとかしてくれますよね!?」
「マリア。貴女が私を突き落とし、陥れた人生を、私は一度も忘れていません。……貴女の望み通り、私は貴女の前から消えてあげたのです。これからは二人で、その『地獄』を分け合って生きていくといいわ」
私は、三度の人生で溜め込んできた絶望を、すべてその言葉に込めた。
レオナルト様が騎士たちに命じる。
「この塵どもを門の外へ放り出せ。二度とバルシュタインの地を踏ませるな。……ああ、それから。彼らが国へ帰る道中、誰からも助けを得られないよう、『指名手配』の手配をしておけ」
「は、はい! 陛下!」
悲鳴を上げながら、引きずられていく二人。
それが、私を三度殺した者たちの、あまりに無様で、呆気ない終焉だった。
◇
特使を追い払い、胸のつかえが取れたはずだった。
けれど、その夜。私はレオナルト様の様子がおかしいことに気づいた。
自室へ戻る途中、執務室のドアが少しだけ開いている。
中を覗くと、レオナルト様が椅子に座り、苦しげに肩を押さえていた。
「レオナルト様……? 失礼いたします」
慌てて駆け寄ると、彼は上着を脱ぎ、包帯を替えようとしていた。
そして、私は見てしまった。
彼の広い背中に、斜めに大きく走る、醜く抉れたような「傷跡」を。
「……! その傷……!」
私は息が止まった。
それは、三度目の人生。私が暗殺者に背中を刺され、命を落とした時と、全く同じ場所、全く同じ角度の傷だった。
「……見てしまったか、エルゼ」
レオナルト様は弱々しく笑い、服を整えた。
その瞳には、どうしようもないほどの哀しみと、逃れられない運命を呪うような色が宿っていた。
「陛下……どうして、そんな傷が……。貴方は、戦場で負ったものだとおっしゃいましたが……これ、は……」
私の指が、震えながら彼の背中に触れようとする。
彼がなぜ、私の好物を知り尽くしていたのか。
なぜ、私を救うために完璧な準備をしていたのか。
そしてなぜ、私と同じ場所に、死の記憶を刻んでいるのか。
「……私の傷は、君の痛みだ。エルゼ」
彼は私を強く、壊れ物を扱うように抱きしめた。
「君が独りで死ぬたびに、私の体にはこの傷が増えていった。君を失う絶望を、忘れないために。……君を今度こそ救うために」
「陛下……何を、言っているのですか……?」
「話さなければならないな。……私が、君に出会ってから、どれほどの孤独を歩んできたのかを」
窓の外では、雪が静かに降り始めていた。
レオナルト様の口から語られ始めたのは、私が知る由もなかった、「もう一人のループ者」の、あまりに孤独で、狂おしいほどの純愛の記憶だった。




