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断罪4回目、もう疲れました。〜自ら「国外追放」を選んだら、敵国の皇帝がなぜか全力で私を甘やかしてくるのですが?〜  作者: こうと


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第5話 帝国の舞踏会

 鏡の中に映る自分を見て、私は自分の感覚を疑った。

 そこにいたのは、三日三晩、泥にまみれて国境を彷徨っていた追放令嬢ではない。月の光をそのまま織り込んだような銀糸のドレスに身を包み、肌は真珠のような光沢を放ち、瞳は自信に満ちた輝きを取り戻している。


「……これ、本当に私なのですか?」

「ああ。世界中の誰よりも、何よりも美しい。……私の目に狂いはない」


 後ろから、レオナルト様が音もなく近づき、私の肩に大きな手を置いた。

 鏡の中で、二人の視線が重なる。

 レオナルト様は今夜、漆黒の礼装に身を包んでいた。帝国の象徴である黒鉄くろがねの意匠が施されたその姿は、まさに「氷の皇帝」の名に相応しい威厳を放っている。


けれど、私を見つめるその瞳だけは、氷どころか、すべてを焼き尽くさんばかりの熱を帯びていた。


「この碧い宝石サファイアも、君の瞳の色に合わせた。王国の宝物庫にあったものよりも、こちらの方が君の肌によく馴染む」


 レオナルト様が私の首元に指を滑らせ、大粒の宝石が嵌まったネックレスを整える。


 ……まただ、と思った。

 なぜ彼は、私がかつて王宮の夜会で、ジュリアン王子から贈られた安物のエメラルドが「自分の瞳の色に合わなくて嫌だ」と、誰にも聞こえないほど小さな声で、鏡の前で独り言を漏らしたことを知っているのだろう。


 当時の私は、その不満を口にすることさえ許されなかった。王子の贈り物を否定するなど、公爵令嬢としてあるまじきことだと自分を律していたから。

 なのに、彼はまるでその「封じ込めた記憶」を一つずつ拾い上げ、宝箱に詰め直して返してくれるかのような振る舞いをする。


「準備はいいか。今夜、この帝国のすべてが君の前に跪くことになる」


 レオナルト様が差し出した手に、私はそっと自分の手を重ねた。




 ◇





 舞踏会場の巨大な扉が開いた瞬間、空気の振動が変わった。

 黄金の光が溢れ出し、オーケストラの演奏が止まる。

 広大な会場にひしめき合っていた帝国の有力貴族たちが、一斉にこちらを向き、言葉を失ったように固まった。


 私の心臓は、壊れそうなほど激しく脈打っていた。

 王国での舞踏会は、私にとって処刑場も同然だった。

「悪役令嬢」「冷酷な女」「王子の愛を邪魔する毒婦」。

 会場に入れば、扇の影で嘲笑われ、飲み物をわざとかけられ、誰も私をダンスに誘おうとはしなかった。三度の人生のすべてで、私は壁際で独り、時計の針が進むのを待つだけの存在だった。


 だから、今回も自然と身がすくむ。痛罵に耐えるために、顔を強張らせる。

 しかし――。


「……おお、信じられん。あの美しさは……」

「あれが、陛下が数年前から探しておられたという、運命の方か……」

「なんと神々しい。王国の連中は、あのような至宝を捨てたというのか?」


 会場を包んだのは、罵倒ではなく、地響きのような「感嘆」だった。

 レオナルト様は私の腰をグイと引き寄せ、自分との距離をゼロにする。その独占欲を隠そうともしない仕草に、周囲の貴族たちが息を呑むのが分かった。


「紹介しよう。私の最愛であり、この帝国の唯一の母となる女性、エルゼだ」


 レオナルト様の声が、冷徹に、けれど確固たる意思を持って会場の隅々まで響き渡った。


「彼女は王国に捨てられたのではない。私が、私のすべてを賭けて、彼女をあの腐った国から救い出したのだ。――以後、彼女に失礼を働く者は、私への反逆と見なす。その首が胴から離れる覚悟がある者だけが、彼女を直視することを許そう」


 あまりに物騒な「愛の宣言」だった。

 けれど、その瞬間、波が引くように会場の全貴族が一斉に跪いた。

 ドレスの裾が擦れる音だけが響く静寂の中、私は帝国の中心で、皇帝の隣に立っていた。


「……エルゼ。私の目だけを見ていればいい」


 オーケストラが、再び演奏を開始した。

 一曲目――本来ならば皇帝が独りで、あるいは皇太后と踊るはずの伝統的な楽曲。

 けれどレオナルト様は、迷うことなく私をダンスフロアの中央へと誘った。


 驚いたのは、その足運びだった。

 帝国のダンスは、王国とはステップの踏み方が微妙に異なる。練習する時間もなかった私は、恥をかかないよう必死に付いていこうとしたが、その必要はなかった。


 レオナルト様のリードは、完璧を越えていた。

 私が右に重心を移そうとするコンマ一秒前に、彼の指先が優しく私を誘導する。

 私の呼吸が浅くなれば、それに合わせてステップの幅を微調整し、私がドレスの裾を踏みそうになれば、絶妙なタイミングで体を支えてくれる。


「……陛下、まるで私の次の動きが、すべて分かっているみたいですわ」

「ああ、夢のような時間だ。……この時間が、永遠に続けばいいとさえ思う」


 レオナルト様は私の手を握る力を、痛いほどに強めた。

 その瞳は、情熱を通り越して、どこか「悲痛」な色を帯びているように見えた。

 初めて踊るはずなのに、私たちの体は、何年も共に過ごしてきた恋人のように完璧に調和していた。


(どうして? スパイの調査で、ダンスの癖まで分かるはずがないわ)


 不気味なほどの心地よさに、私の脳裏に微かな違和感が走る。

 ……かつて、三度目の人生で、暗殺者に追われて森を逃げ惑っていた時。

 私の手を引いてくれた「名前も知らない誰か」の、大きな手の感触。

 泥だらけで、死の恐怖に震えていた私の背中を支えてくれた、あの時の感覚と、今のレオナルト様の腕の感覚が、どうしても重なってしまう。


 そんなはずはない。

 三度目の私は、あそこで独り、野垂れ死んだはずなのだから。




 ◇





 舞踏会の熱狂は最高潮に達し、多くの貴族たちが私に挨拶をしようと列を作った。

 けれど、レオナルト様はそれを許さなかった。


「挨拶なら後日でいい。彼女は疲れている。……下がれ」


 一言で貴族たちを追い散らすと、彼は私を連れてバルコニーへと出た。

 夜風が、火照った肌に心地よい。

 帝都の夜景は、王国のそれよりもずっと眩しく、力強かった。


「……陛下、せっかくの舞踏会なのに、あんなに皆様を遠ざけては、皇帝としての面目が……」

「私の面目などどうでもいい。君が他の男の視線に晒されるだけで、私は不愉快なんだ。……今の君は、あまりに美しすぎる。私だけの部屋に閉じ込めて、一生外に出したくないほどにな」


 彼は私の髪を一房掬い、愛おしそうに唇を寄せた。

 その言葉は、冗談の響きを持っていなかった。

 四回目の人生。

 私は自由を求めて国を捨てたはずなのに、今、もっと巨大で、もっと甘い「独占」という名の檻に囚われようとしている。


「……陛下は、本当に私がお好きなのですね」

「好き、という言葉では到底足りないな。……エルゼ、君はまだ、自分がどれほど価値のある存在か分かっていない」


 レオナルト様は、私の頬を両手で包み込んだ。

 その瞳には、私の知らない「私」への、計り知れない思慕が渦巻いている。


「君が私を見つけ、私の国を選んでくれた。……その事実だけで、私はこの世界のすべてを敵に回してもいいと思える。君に明日を見せるためなら、私は何だってする」


「……どうして、そこまでおっしゃってくださるのですか?」


 私の問いに、レオナルト様は答えなかった。

 代わりに、彼は私の額に優しく、けれど壊れ物を扱うような慎重さで、誓いの口付けを落とした。


 その瞬間、夜空に大きな花火が上がった。

 帝国の建国記念日にしか上げられないという、伝説の魔導花火。

 会場から歓声が上がる中、私はレオナルト様の腕の中で、理由の分からない涙が溢れそうになるのを必死に堪えていた。





 ◇





 同じ頃。

 王国の国境付近では、一台のボロボロになった馬車が走っていた。


「くそっ、どういうことだ! 帝国の門が一切開かないだと!?」


 馬車の中で叫ぶのは、第一王子ジュリアンだった。

 エルゼがいなくなって数日。王宮の機能は完全に停止し、近隣諸国からのクレームは山積み。さらに、エルゼという「防波堤」がいなくなったことで、王宮内の派閥争いが激化し、ジュリアンの立場は危うくなっていた。


「マリア! お前、エルゼがやっていた帳簿を代わりにできると言っただろう!」

「だ、だって! あんな数字の羅列、見てるだけで頭が痛くなるんですもの! お姉様は性格が悪いから、私にいじわるするためにわざと難しく書いていたんですわ!」


 マリアが泣き叫ぶが、今のジュリアンにはそれを宥める余裕はない。

 彼らは、自分たちが捨てた「道具」が、実は「国を支える心臓」だったことに、ようやく気づき始めていた。


「ええい、とにかくエルゼを連れ戻す! 帝国に借金があると言っても、あいつが謝れば皇帝も許してくれるはずだ! あんな可愛げのない女、帝国でも持て余しているに決まっている!」


 ジュリアンは、まだ現実を見ていなかった。

 彼が「可愛げがない」と切り捨てた女性が、今、帝国の皇帝によって、神のごとく崇められていることを。

 そして、その皇帝が、彼女を二度と王国に返さないために、すでに王国の息の根を止めるための最終準備を終えていることを。








「……さあ、エルゼ。今夜はゆっくり休むといい」


 帝都の城。レオナルト様は、私の部屋の入り口まで私を送り届けると、最後に私の首筋をそっとなぞった。

 その手が、一瞬、激しく震えたのを私は見逃さなかった。


「……陛下?」

「……いや、何でもない。ただ、君が消えてしまわないか、確かめただけだ」


 レオナルト様は、そう言って寂しげに笑った。

 その笑顔が、私の記憶の片隅にある、名前も思い出せない誰かの「最期の表情」に似ている気がして、私は一晩中、眠りにつくことができなかった。

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