第1話 お望み通り国外追放お受け致しますわ
「エルゼ・フォン・クライン! 貴様のような性根の腐った女との婚約など、本日限りで破棄させてもらう!」
きらびやかなシャンデリアが輝く、王宮の大広間。
楽団の演奏が止まり、着飾った貴族たちの視線が一箇所に集まる。その中心で、私の婚約者である第一王子・ジュリアンが、勝ち誇ったような顔で私を指さしていた。
彼の傍らには、守ってあげたくなるような潤んだ瞳で私を見つめる男爵令嬢、マリアが寄り添っている。
(ああ、始まったわ。予定通り、寸分狂わずね)
私は、扇で隠した口元で小さく、誰にも気づかれないほどの溜息を漏らした。
これで「四度目」だ。
私は、この全く同じ光景を、過去に三回も経験している。
一度目の人生。私は、公爵令嬢としての誇りに賭けて、無実を訴えた。
マリアが仕組んだ「偽の証拠」――彼女の宝飾品を盗み、庭園の池に突き落としたという狂言――に対し、理路整然と反論した。けれど、恋に狂ったジュリアンには何も届かなかった。
私は「反省の色なし」として地下牢に放り込まれ、一ヶ月後、凍えるような朝に断頭台に送られた。首筋を滑る冷たい刃の感触。それが、私の最初の「死」の記憶だ。
二度目の人生。私は「死」の恐怖から、今度はなりふり構わず跪いた。
マリアの足元に額を擦り付け、身に覚えのない罪を認め、慈悲を乞うた。
結果はどうだったか。ジュリアンは冷たく笑い、「汚らわしい」と私を蹴り飛ばした。修道院送りとなった私を待っていたのは、マリアを崇拝する者たちによる陰湿な虐待だった。最後には、毎日出されるお茶に盛られた砒素によって、私は内臓を焼かれるような苦しみの中で孤独に死んだ。
三度目の人生。私は「関わらないこと」を選んだ。
王子に一切近づかず、マリアの視界にも入らず、ただ静かに領地で過ごそうとした。
けれど、運命という名の呪いは私を逃さなかった。マリアが勝手に階段から落ち、それを「エルゼの仕業だ」と言い張ったのだ。逃げようとした私は国境付近で王子が放った暗殺者に捕まり、背中を深々と刺されて、冷たい雨の中で泥を舐めながら息絶えた。
特別な力なんて、私にはない。
ただ少し人より記憶力が良くて、公爵令嬢としての教育を完璧にこなしてきただけ。
この国を守る魔法も、奇跡を起こす聖女の力も持っていない、ただの人間だ。
だからこそ、三回死んで、私はようやく理解した。
この国にいる限り、私はどうあがいても「悪役」として殺されるのだと。
「……さらに! 罪を認めぬ貴様には、国外追放を……」
「はい。承知いたしました、殿下」
ジュリアンが言い切るより早く、私は深々と頭を下げた。なんの罪かは分からない。でももうそれで良いのだ。
会場に、不自然なほどの沈黙が落ちる。
「……えっ?」
ジュリアンの間抜けな声が響いた。
彼はもっと、私が取り乱すことを期待していたのだろう。あるいは、三度目の時のように逃げ出し、それを追う愉悦を味わいたかったのかもしれない。
「今、何と言った?」
「ですから、国外追放を謹んでお受けいたします。今すぐこの場を立ち去り、二度と皆様の御前には現れないとお約束しましょう。あ、こちらに用意しておいた『婚約破棄同意書』と『公爵家嫡子権利放棄書』がございます。殿下のサインをいただければ、今夜中にこの国を去りますわ」
私はドレスの隠しポケットから、魔法印の押された書類を取り出した。
三度死ねば、準備も万端になる。私はこの日のために、私有財産を換金し、魔法袋に詰め込んできたのだ。
「貴様……本気か? これは国外追放だぞ? 平民以下の扱いになり、誰も守ってはくれぬのだぞ!」
「ええ、存じております。ですが、殿下とマリア様の輝かしい未来のお邪魔になるくらいなら、野垂れ死ぬ方がマシですわ」
私は微笑んだ。
その微笑みに、ジュリアンが一瞬だけ怯えたように身を引く。
「書類を。……早くしてください。馬車の時間がこざいますので」
私は事務的にサインを促した。
ジュリアンは呆気に取られながらも、周囲の視線を気にしたのか、乱暴にペンを走らせた。
これでいい。私はもう、この国の公爵令嬢でも、王子の婚約者でもない。
「では、皆様。さようなら」
私は一度も振り返らず、会場の扉を開けた。
背後でマリアが「エルゼ様、本当に行っちゃうの……?」と白々しい声を上げていたが、もう私の耳には届かなかった。
◇
王都を出て三日。
私は、ガタゴトと揺れる粗末な貸し馬車の中にいた。
「……ようやく、静かになれるわ」
窓の外に広がるのは、王国の北端。
かつて三度目の人生で私が命を落とした、忌まわしき「死の森」へと続く荒野だ。
この森を抜ければ、隣国であるバルシュタイン帝国に至る。しかし、帝国は「氷の国」と呼ばれ、冷酷な皇帝が統治する軍事国家だ。王国とは国交もほとんどなく、迷い込んだ者は二度と戻れないと言われている。
でも、私にはもう、そこしか行く場所がなかった。
平民として生きるにしても、この国にいては王子の追っ手が来るかもしれない。なら、誰も私を知らない場所へ行くしかない。
やがて馬車が止まった。
「……お嬢さん、悪いがこれ以上は無理だ。この先は、帝国の連中の領分だ。生きて戻った奴はいねえ」
御者が怯えた声で言う。私は礼を言い、わずかな手荷物を持って馬車を降りた。
目の前には、巨大な鉄の門があった。
王国の終着点であり、帝国の入り口。
(さあ、4回目の人生の、本当の始まりね)
私は覚悟を決め、重い鉄の門を押し開けた。
錆びついた音が、静寂の荒野に不気味に響き渡る。
門をくぐり、一歩、また一歩と進む。
冷たい霧が立ち込め、視界を塞ぐ。魔獣が飛び出してくるか、あるいは冷たい風に凍えるか。
そう身構えていた私を待っていたのは――。
「――全軍、剣を収めよ! 彼女を怯えさせるな!」
鼓膜を震わせるような、低く、威厳に満ちた男の声。
霧が風に流されるように晴れていく。
そこにいたのは、魔獣ではなかった。
黒鉄の鎧に身を包み、整然と整列した、数千人もの重装騎士団。
そしてその中心に、一頭の巨大な白馬に跨った男がいた。
夜の闇を溶かしたような漆黒の髪。
全てを見透かすような、鋭くも美しい氷の瞳。
その男――帝国の皇帝、レオナルト・バルシュタインが、私を見ていた。
(えっ……どうして、ここに軍隊が?)
私は呆然と立ち尽くす。
帝国は、隣国の人間を容赦なく排除すると聞いていた。
それなのに、そこにはまるで私の到着を祝福するかのように、真っ赤な絨毯が敷かれ、豪奢な天蓋付きの馬車まで用意されている。
レオナルト皇帝はゆっくりと馬を下り、私の方へと歩いてきた。
その足取りはどこか危うく、まるで信じられない奇跡を目の当たりにしているかのように、かすかに震えている。
彼は私の数歩手前で止まると、跪いた。
帝国の絶対君主が、追放されたばかりの薄汚れた令嬢の前に。
「……エルゼ」
その口から漏れたのは、私の名だった。
初対面のはずなのに。この国と王国は、何十年も国交がなかったはずなのに。
「ようやく……ようやく、私の元に来てくれた。この瞬間を、どれほど待ちわびたか」
「あの……陛下? 失礼ですが、どちら様でしょうか。私はただの追放者で……」
私が混乱して声を震わせると、彼は悲しそうに、けれど愛おしそうに目を細めた。
その瞳には、どうしようもないほどの熱と、痛々しいほどの情念が宿っている。
「君は何も知らなくていい。ただ、ここにいてくれるだけでいい」
「は、はい……?」
「さあ、行こう。君の部屋は、君がかつて好んでいたバラの香りで満たしてある。食事も、君が世界で一番好きだと言っていたあの菓子職人を隣国から……いや、招いて用意させた。……疲れただろう? もう、眠っていいんだ。私の腕の中で」
レオナルトは、呆然とする私を軽々と横抱きに――いわゆるお姫様抱っこをして、馬車へと運び始めた。
その腕の力強さと、不自然なほどに温かい体温。
私は混乱の極致にいた。
私は聖女でも何でもない、ただの公爵令嬢だ。
なぜ、この人は私の名前を知っているの?
なぜ、私の好みを、私がかつて(どの人生だったかも思い出せないほど昔に)好きだったバラの香りのことを知っているの?
何より――なぜ、初めて会うはずのあなたの瞳が、そんなに泣き出しそうなほど、私への愛に溢れているの?
こうして、私の4回目の人生は、予定していた「静かな孤独死」から大きく逸脱し、狂気的なまでの溺愛へと舵を切ったのである。
――レオナルトの胸の中で、私はまだ気づいていなかった。
彼が今、心の中でどれほど深い安堵と、狂おしいほどの独占欲を燃やしているかを。
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