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天体観測にはうってつけの夜

作者: 吉野茉莉

「ねえ、見てる?」

「ああ、見てるよ」

 僕は空を仰ぐ。

 右手にはスマホを持っていて耳に当てている。鼻にかかったかすれた彼女の声が、雑音混じりに聞こえる。通信の具合はあまりよくない。これが二人の関係の比喩でなければいいのだけれど、と僕は思った。

 左手に力を込める。

「すごいね」

「うん、でもこっちはそんなに暗くないから、まだあんまり見えないよ」

 感嘆する彼女に、僕が言い返す。胸が苦しくなって、思わず声が詰まりそうだった。

 今日は流星群が見られるというので、僕は近くの公園まで来ていた。公園には僕以外誰もいなくて、申し訳なさそうに電灯が明暗を繰り返していた。

 公園に誰もいないことは何となくわかっていた。ここで流星群を見ようとする人はいないのだろう。でも、電話の向こうには彼女がいるから、さみしいとは思わなかった。

 たぶん。

 彼女はどうだろうか。

 彼女はいつもいるあの窓から見ているのだろう。

 僕は電波の入りを良くするためか、あるいは彼女に少しでも近づけば良く聞こえると思ったのか、自分でもわからず数歩足を進めた。

 それから目の前のベンチに腰を掛ける。

 誰かが見ていたら怪訝な顔をしていたかもしれないけど、別に誰に見られても関係ない。冷たい感触が服を通して皮膚に伝わる。

 僕と彼女の距離は数百キロメートルもあるのだからこんなのは誤差の範囲なんだろうけれど、それでも差を縮める、という行為に意味があった。

 水気を存分に帯びた風が僕の頬を打つ。油断してしまうと体ががたがたと震えてしまいそうな寒さだ。もちろん、彼女がいる場所、そして少し前まで僕がいた場所よりは幾分かは暖かいに違いない。

 僕は、遠くで頬杖をついて空を見上げている彼女を想像する。

「あ、今の!」

 彼女が一際大きな声を出す。

 なぜだかそれを取りこぼしたくなくて僕は反射的に耳にスマホをくっつけた。

「え?」

「今大きなのが流れたのに。見えなかったの?」

「うん、ごめん、よそ見していたみたいだ」

「まったく、もう。いつもそうなんだから」

「ごめんごめん」

 僕は素直に彼女に謝る。

「でも、不思議だね」

「どうして?」

「こんなに離れているのに、同じものを観られるなんて」

「うん、そうだね」

 宇宙の星々に比べれば、僕らの距離なんて取るに足らない。

 でも、比較に意味はないだろう。

「……遠いね」

 そんなことはない、と否定をしかけて、結局僕は何も言えない。

 彼女が『遠い』と思っていることを否定するなんて、僕にはできない。

「ねえ……」

 消え入りそうな、まるで僕が長距離バスに乗ったあの日のような声で、彼女が言葉を漏らす。

「私、ごめんね、わかっているのに、ごめんね……」

 僕は、彼女の名前を呼ぶ。

「好きだよ。大丈夫、大丈夫だから」

「う、うう……」

 彼女がくぐもった声を出す。

 弱虫の僕は、彼女が弱音を吐きだしてしまわないように、嗚咽を抑える彼女に言葉を覆いかぶせてズルをした。そうすれば、彼女はもう何も言えないということくらいわかっていた。それはどんなに卑怯なことか知っているつもりだけど、そうせざるを得なかった。

 きっと、今ここで彼女が弱音を言ってしまえば、僕らは砂の城のように崩れてしまうかもしれない。細い細い糸をようやく紡いで、つぎはぎだらけの補修を繰り返してずっと耐えていた二人が、ぷちんと音を立てて切れてしまって、がらんどうの闇に放り出されてしまい永遠に離れ離れになってしまいそうだった。

「まだ見てる?」

 僕が彼女に言う。

「ううん、もう消灯みたいだから」

「じゃあ、また明日かけるよ」

「……うん、おやすみ」

「おやすみ」

 なるべく僕は軽い声で、彼女に別れの挨拶をした。

 言葉は、ただの言葉だけど、今の僕らをつなぐのは、言葉しかない。

 言葉を信じられなくなったら、もう僕らはどことも、誰とも、繋がれない。微かな熱をもつスマホを、僕はそっと握る。それは控えめに見てもただの幻想かもしれないけれど、僕らはまだ繋がっているということを実感していたかった。

 右手に持っていたスマホをポケットに押し込み、僕は立ちあがる。

「ああ、本当に、天体観測にはうってつけの夜だ」

 僕はひとりごちる。

 その言葉は、誰にも聞こえなくても、本心から出ていたのは確かだった。

「愛してるよ」

 僕は、一度も彼女に言ったことのない、とても大事な言葉を溜息とともに零す。いつか面と向かって言えるときのために、とっておいた言葉だった。

 それは、いつか来るだろうか?

 わからない。

 でも、それがいつか来ることを信じるしかない。

 そして、僕は左手に持っていた傘を頭上に差し直した。

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