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008 クイーンの駒 カレンティーナ

昨日投下した007の最後を少し加筆しました。

 大陸西方には国を追われた種族が細々と暮らす難民キャンプが多くある。ゴブリンに大草原を追われた獣人が固まって生活するキャンプも複数ある。生活環境は劣悪であり、獣人の強靭な肉体を持っても必要最低限の食糧を集めるのが困難だ。そんな獣人は生活のために南方の防衛戦に傭兵か人夫として安く雇われる。他の国は安い肉壁のために難民キャンプを維持していた。そして難民キャンプの人間がそこから抜け出せない様にしっかりと支援を絞った。


 獣人は他国の思惑に気付ける程度に強かったのが彼らの最大の不幸だ。気付けなければ毎日空かせた腹を抱えて、この世界を捨て去った神々か隣で黄昏ている同族に責任を転換できた。難民キャンプが作られるようになって70年余り。獣人は複数回蜂起したが、いずれも同族の裏切りで鎮圧された。今では野性味あふれる獣人は少数になり、獣人の大半は人間に飼いならされるのが運命と諦めていた。人間に飼われていれば戦場と酒に困る事は無い。そう自分を誤魔化せば今の生活だって悪くないと思えた。


「イテェ! クソババア、もっと優しくしやがれ!!」


 魔城が復活して2日。獣人の難民キャンプで細々と薬師の真似事をしている人間の老婆はモンスターと戦い怪我を負った獣人を治療していた。


「はっ! 情けないね。うすのろなアーマービーストの尻尾で怪我をするなんて、『輝く牙』もすっかり色褪せたね!」


 老婆は抗議する獣人の男に負けずと口汚く罵る。アーマービーストは鎧の様な外皮を持っており、その外皮を加工すれば金属鎧より固くで軽い装甲素材になる。獣人が狩るには相性が最悪な相手だが、難民キャンプで食用で消える肉以外の部分を商人が買い取ってくれる数少ないモンスターだ。獣人は気付いていないが、実際は市場価格の1/10で買い叩かれている。


 獅子獣人レグが率いる中規模チーム『輝く牙』はそんなアーマービーストをある程度の頻度で狩れる程度には強い。そんなレグが今日狩ったアーマービーストは外皮の傷が酷いと言う理由で市場価格の1/30で買い叩かれた。それでもチームを10日間食わせられる程度の肉と少量の外貨のためにアーマービースト狩りをやめるわけにはいかなかった。


「グ……」


 反論の前に手が出そうだったが、それは連れの獣人が物理的に止めた。この難民キャンプで獣人相手に治療を施す奇特な存在はこの老婆だけだ。大金を積めば神官が回復魔法を掛けてくれるが、そんな金を持っていれば難民キャンプでなんか生活しない。他には流れの薬師や辻ヒーラーが訪ねて来る事があるが、難民キャンプに常駐する事は無い。生きて去れたのか、獣人の胃袋に入ったのかはその時々で変わる。


「ほれ、代金を出しな!」


「ちっ、業突張りめ」


 レグはアーマービーストの外皮を売って得た外貨を差し出した。手のひらに不格好な銅貨が一山あった。複数の国の銅貨が混じっており、中には国が滅びて価値が大幅に減って硬貨すらあった。


「子供の小遣いじゃないんだよ!」


 それを見て老婆は怒った。適正額より遥かに安く治療しているとはいえ、ビール数杯が飲める小銭で払えるほど安くはない。アーマービーストを売ったのならこんな端金しか無いなんてあり得ない。


「これで全額だ」


 レグが悪びれずに答える。


(潮時かね)


 老婆は頭の中で呟いた。それは果たしてこの難民キャンプの事か、それともレグの事か。


「はぁ、また騙されたのかい」


 呆れてそれ以上は言えなかった。獣人は細かい事を気にしない性格だ。上手く行っている時は問題無いが、難民キャンプで生活するには向いていない。


「グ……これまではこんな事は……」


 レグが反論しようとうするも言葉が続かない。ない。での獣人の扱いが身に染みている。騙されても不思議ではないと頭では分かっている。レグの周りの獣人たちも不安そうにレグを見る。


「思い出すかい、あんたの親父の末路を?」


「……」


 レグの父親はレグ同様に折れなかった。それ故に人間にリンチされボロ雑巾の様にされて捨てられた。彼の最後は分かっていないが、彼が捨てられた場所は人を食うモンスターが多く徘徊している。当時5歳だったレグではどんなに頑張っても何も出来なかった。


「はぁ。あんたら兄妹を取り上げた誼だ。難民キャンプを出る気があるのなら一つ道を示せる」


「出る!? ここを……」


 レグは躊躇した。周りの獣人は明らかに拒否寄りの反応だ。口では何とでも言える。しかし難民キャンプで生まれて死ぬのが当たり前になった獣人に取って外の世界に出るのは怖い。人間に尻尾を振れば生きて行けるのに、死ぬのが分かっている外へ行くにはそれ相応の勇気がいる。勇気とはき違えた無謀がいる。


「出ようよ、お兄ちゃん! ここに居ても未来はないっていつも言っているのはお兄ちゃんでしょう!」


 その沈黙を破ったのはレグの妹だった。レグに守られて現実を見た事が無いからこそここまで前向きに育った。


「そうだったな! おいクソババア、その道ってのは何だ?」


 レグは妹の前で格好付けたかった。震える声を必死に隠して老婆に問う。


「北東の空が赤くなったろう? あの地では魔城が復活したに違いない」


「魔城? 魔城討伐の傭兵を募集している?」


「ヒヒヒ、または魔城の尖兵となるか」


「……」


「劣勢の方が厚遇するさね」


「それはそうだ」


 レグは同意する。


「とにかくあそこは荒れる。そして荒れる所ならあんたらは生きやすい。違うかい?」


「違わない。分かったぜ! 俺は北東を目指す! 付いて来たい奴だけ来い!!」


 かくしてレグは妹とチームの1/3を連れて難民キャンプを出る事にした。老婆はレグに道順と路銀、そして旅先で気を付けるべき事を伝えた。道順以外は確実に無駄になると踏んだが、それはレグの責任だ。老婆は立ち去る一団を見送ってから使っているボロ屋に帰った。


 部屋には水が入った錬金術用の釜と少しばかりの食糧。そしてゴミにしか見えない絨毯しか無かった。こんな場所で寝起きしたらすぐに死にそうだが、老婆は健康そのものだった。誰も見ていない事を確認して絨毯をめくる。そこには大きな穴が開いていた。老婆は躊躇なくそこから落ちた。


 50メートルをフリーフォールした老婆は穴の下に作った空洞に降り立った。その姿は老婆のものとは似ても似つかない。180センチある妙齢の美女が大地から数ミリ浮いていた。陶磁器の様に白い肌には傷一つない。紫が掛かった黒い長髪と赤い線が見える悪魔の羽根を際立せている。そして何よりも頭よりも大きい胸が激しい自己主張をしている。老婆の正体は魔将の一人、放蕩の女王カレンティーナだ


「お許しください、陛下」


 彼女は地下室に入れたベッドに頭を乗せ、涙を流しながら必死に魔城に謝った。


「今すぐ陛下の下にはせ参じたいのです。ですが私が動けば監視しているサキュバスに気付かれます。そうなっては陛下にご迷惑を掛ける事になります。なので今しばらくお待ちください。期待出来ませんが、私が送った獣人が多少の役に立つはずです」


 その声が届いていない事を知っていても、謝罪の言葉が途切れる事は無かった。


***


 魔城が勇者と相打ちになって滅んだおよそ300年前。アザンディオスは108重積層結界に囚われ、マッガデウスは勇者が雑に殺した。マッガデウスが討たれたと人類が分かったのはその勇者が戦死して、彼の遺品を整理していたらマッガデウスの愛用している斧が発見された時だった。ケーレニオンは魔城が滅ぼされる前から行方不明になっていた。そしてそのまま偶然所在が判明する90年ほど前までは行方不明と扱われた。この情勢でカレンティーナだけは勢力を維持できた。それどころか魔城が滅ぼされた後に勢力が広がったほどだ。


 過去の魔城は内政と外交が出来なかった。なのでサキュバス種の最上位種たるカレンティーナが個人の才覚で外交を一手に引き受けていた。外交と言っても決して表の外交では無く、裏の外交一本だった。カレンティーナは店舗単位で独立していた各国の娼館をまとめ上げ、大陸娼婦の元締めとして君臨した。各都市の娼婦のまとめ役には配下のサキュバスを配置して、緩やかな支配体制を構築した。それ以上強固な支配を実行すれば離反するサキュバスが増えていたのが真相だ。新しく設立した娼婦ギルドは娼婦からみかじめ料を取っていた盗賊ギルドと和解して強固な同盟相手とした。両ギルドは今でも存在しているどころか、その協力関係は今日まで継続している。全てカレンティーナの個人的な手腕によるものだが、彼女は「陛下の手腕を真似たに過ぎない」といつまでも謙虚だった。


 魔城と人類の最終決戦のおり、カレンティーナは魔城を必死に守ろうとした。しかし如何に「奴隷から皇帝までカレンティーナの娼婦を抱いた」と言われるほどの権勢を誇っても人類の悲願を止めることは叶わない。カレンティーナもまた無理な活動は自粛した。勝ち目が無い戦いに興じ討たれてはそれこそ魔城への裏切りだ。そこで彼女はたった二つの行動に絞った。


 一つは前線への遅配。前線に送られる食糧の1割が腐ったり、矢玉の補充が決戦に半日ほど間に合わなかったり。どれ一つを取っても大した影響はない。しかしそれが10年間絶えず行われたら効果は抜群だ。中にはカレンティーナの真似をして、カレンティーナの代わりに処刑された人間まで出て来た。特に輸送中の聖戦士装備が馬車ごと崖下に落ちたのは最終決戦の趨勢を直接変えるほどの働きだった。


 一つは人類同士の対立煽り。特に貴族家の嫡子と次男を対立させ、魔城攻略で足を引っ張り合う様に仕向けたりした。国同士で諍う様に仕向けるのは不可能でも、国の決定権を握る貴族を誘導するのは赤子の手をひねるより簡単だった。カレンティーナの狙いとは違い、これは魔城攻略後に大爆発し、アザンディオスの封印を機に大陸大乱時代の幕が明けた。


 カレンティーナが人類の足をこうやって引っ張ったからこそ、魔城歴1000年まで魔城の歴史が続いた。そして彼女が魔城攻略後も権勢を維持したから大陸大乱時代の開始が遅れた。皮肉にもカレンティーナの娼婦ネットワークが世界平和に大きく貢献した。それ故に各国の上層部はカレンティーナを討ちたかった。しかしカレンティーナは表に出ず、仕事のほぼ全ては彼女が任命したサキュバスの上位種が担っていた。カレンティーナは上位種同士の争いがあった場合にのみ調停役として動いた。そのためカレンティーナ討伐は暗礁に乗り上げたかに思われた。


 しかしカレンティーナは討たれた。神の奇跡でもなく、勇者の努力でもなく、人類の祈りでもなく、ただ一人のサキュバスの愛によって。カレンティーナにはベルナドッテと言う妹の様に可愛がっていたサキュバスの上位種がいた。人類の10人中9人はベルナドッテを「可憐な少女」と評す。同じ10人なら7人はカレンティーナを「ちょっとけばい」と評す。カレンティーナとベルナドッテは二人とも絶世の美女と知られていたが、人類の好みとサキュバスの美的感覚にはかなり大きなズレがあった。


 そんなベルナドッテはとある男に惚れてしまった。愛を知ったサキュバスは頭では無く子宮で考える。これはカレンティーナですら例外ではない。カレンティーナを始めサキュバスの上位種はこれをサキュバスの種族的欠点と認識しているが、それを改善するのは不可能と諦めている。ベルナドッテの相手が町人か農民なら問題が無かった。貴族であってもカレンティーナが何とかした。しかしベルナドッテが全てを捧げると誓った男は自分を殺しに来た勇者だった。勇者はベルナドッテに愛を囁き、「カレンティーナさえ討てば二人で幸せに暮らせる」と信じ込ませた。そしてカレンティーナ討伐の日取りが決まった。


 カレンティーナは久々に調停に出向いた先で人類に攻撃された。他のサキュバスと一緒に撃退に成功したが、多少の手傷を負った。共闘したサキュバスが裏で糸を引いている懸念からカレンティーナは一人安全なセーフハウスで回復を待つ事にした。そこを勇者パーティーとベルナドッテが奇襲した。カレンティーナはよりにもよってベルナドッテが敵になった事に動揺して、勇者と戦うよりもベルナドッテを説得する事に重点を置いてしまった。


 カレンティーナは勇者を一目見て見抜いていた。勇者はベルナドッテを愛していない。カレンティーナを殺したら次はベルナドッテの番だ。勇者の槍に貫かれて絶命したカレンティーナの最後の言葉は「逃げて」だった。そして勇者に無防備で近寄ったベルナドッテはカレンティーナの血糊がまだこびり付いた槍で切り裂かれた。ベルナドッテはこの結末を知って愛に殉じた。


***


 カレンティーナがクイーンの駒の力で転生したら100年の月日が経っていた。ゴブリンと違い純粋種のサキュバスは中々生まれないので仕方がない。しかし転生直後のカレンティーナは勇者が何か介入したのではと疑心暗鬼になった。そう思ったのは仕方がない。何せカレンティーナが転生した時代は大陸大乱時代の真っ最中で、カレンティーナが作り出した娼婦ネットワークも複数に分裂して熾烈な暗闘を繰り広げていた。カレンティーナはそんな派閥に属するレッサーサキュバスの娘として生まれた。


 カレンティーナは困った。カレンティーナはサキュバス種としては最弱の個体になっていた。30年ほど修行すれば中位種になれるだろう。でもそんな余裕を他のサキュバスは与えない。名乗り上げたら彼女の身柄を得たサキュバスの上位種に徹底的に調教され、そのサキュバスの操り人形にされる未来しか見えなかった。カレンティーナはサキュバスを纏める旗印としては最高に価値があったが、絶大な権力を行使出来るサキュバスの上位種に権力を放棄する気はさらさら無かった。


 それを可能とする野心と実力を持った上位種の三人はサキュバスの三巨頭と呼ばれ、それぞれの組織を率い激しく争った。いつしかこれらは纏めてトライホーンと呼ばれる様になり、この三組織が大陸の娼婦ギルドと盗賊ギルドを支配した。今日まで暗闘が続いており、カレンティーナは隠れ続けるしかない。そんなトライホーンが魔城の復活を無視する事はあり得ない。必ず近くの娼館から事態を監視する。カレンティーナが現れたら魔城と一戦交えてでもカレンティーナを捕える。サキュバスなら他の国が魔城を全力で攻撃する様に仕向けるはずだ。しかしカレンティーナの存在が確認できない限り、トライホーンは魔城攻略に本腰を出す事に及び腰になる。カレンティーナは動かない事でトライホーンにプレッシャーを掛ける道を選んだ。


 少女に育つまでカレンティーナはその実力をひた隠しにした。いずれ男の抱き方を仕込まれるレッサーサキュバスとして生みの親の仕事を手伝った。そして娼婦デビューをこれ以上引き延ばせなくなったある日、適当な行商人を魅了で操り生まれたサキュバスの経営する娼館から逃げた。逃亡が明るみに出れば追っ手が出る。なのでカレンティーナは老婆に扮した。サキュバスが自分の美しさを損なう事などあり得ない常識を逆手に取った。それと同時に逃げてから150年も処女を守り通した。処女の老婆となれば、どんな凄まじい看破能力を持つサキュバスですらカレンティーナを見抜けない。過去に一度、裕福な女性に変装した三巨頭の一人が至近距離まで来たが、その三巨頭ですらカレンティーナの事を見抜けなかった。逆にカレンティーナは三巨頭の一人が彼女の知っているままの性格だと言う事に安堵した。いずれ地位を回復する時に有効に活用できると踏んだ。


 そうしてカレンティーナは旅の薬師として諸国を歩いた。道中で新しい薬のレシピを仕入れたり、錬金術師に師事したり、野良魔女から怪しい呪いを習ったりした。そして50年ほど前から難民キャンプを拠点に生活し続けている。10年ほどしたらフラッと消えて次のキャンプへ向かった。短命の難民では同じ老婆が50年もキャンプを行ったり来たりしているとは気付けない。サキュバスは手を変え品を変えカレンティーナを探しているが、彼女の影すら踏めない。どうしても世界でもっとも多くの男と関係を持ち、日々煌びやかな衣装に身を包んだサキュバスの女王のイメージが強すぎる。実は弱小だった最初の魔城から仕えている魔将は泥水を啜って利用できるものは何でも利用する狂戦士である事を知る者はいない。カレンティーナは勝利のためならサキュバスの本能すら捻じ曲げる。そんな最凶の魔将が奪われた全てを取り戻すべく動き出した。

応援よろしくお願いします。

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