005 奴隷少女アリシア
「旦那様、元気な女の子です!」
産婆が赤子を抱き上げて旦那様と呼んだ青年に見せる。
「そ、そうか! それは……素晴らしい!」
青年は長女の誕生を喜んだ。しかし祝福する前に一瞬だけ顔が陰った。
「あの、お名前は……」
「アリシア。曾祖母から名前を貰うとしよう」
複雑な感情を込めて赤子をアリシアと名付けた。
『これはアリシアの過去か。何故こんなものを見ている?』
この光景を一つの異物が眺めていた。ロギは何故かアリシアになっていた。『リージョン・オブ・ジ・エターナル・フレイム』にはこの様な展開は無かった。この世界特有の演出なのか、それとも玉座を使って力技で転生させた弊害か分からなかった。
『だがこれはチャンスだ』
ロギはこの世界の知識が無い。魔城になった時になんの知識もインストールされなかった。実は言葉すら通じていない。念話と言うイメージを相手に直接伝える方法が無ければアリシアとすら話せなかった。同じ魔城の駒であるアザンディオスには額の駒が自動通訳してくれたのか問題無く話せた。このままアリシアの半生を追体験するのなら、これを機に言葉を覚えれば良い。世界の常識と地形情報まで手に入れば儲けものだ。
アリシアは五歳まですくすくと育った。このまま育てば美しい少女になる。ロギが見たボロ雑巾とは似ても似つかない。アリシアがああなるまでどんな生き地獄を体験したのかロギには想像もつかなかった。そして造像せずとも追体験出来る事に戦慄を覚えた。
『ここまでの事を纏めるか』
アリシアはグラースエヴァン王国の東領で産まれた。父と母の三人家族だ。アリシアが産まれた農村は平均より少し裕福な村だ。両親は領主と村付き騎士の中間の身分に位置するらしく、生活苦とは無縁だった。アリシアの行動範囲から分かる限り、村の規模は200人から300人程度だ。治安は良く、山賊とモンスターからの襲撃とは無縁だった。
『ここまでだと懸念は二つか。収穫高と……』
ここ3年の収穫高を「豊作」と言っていたが贔屓目に見ても「並作」でしか無かった。ロギの知識は前世の動画サイト頼りなので、この世界ではあれで豊作なのかもしれない。しかし老いた農民の言葉に耳を傾けると、やはり年々収穫が悪化していると愚痴っていた。しかしロギは農業のやり方に問題がある様には思えなかった。気温が少し涼しく感じたので、一時的な寒波だろうと結論付けた。
ロギの洞察は確かだった。アリシアが産まれた王国の東領は大陸の食糧庫だ。ここの収穫が落ちれば大陸全土の収穫が大幅に落ちる。この世界は四属性のバランスで四季が成り立っている。その一つである火属性が大幅に弱まっているために世界全体が冷え込んでいる。そう遠くない未来にアリシアの産まれた村では夏に雪が降り出す。
『アリシアの両親の身分だ』
ただの裕福な農民と偽っているがその所作は洗練され過ぎていた。それに父親の背が180センチを超えていた。農民なら150センチ、大柄な冒険者のガルスですら170センチを超えていなかった。明らかに幼少の頃から食っていたものが違う。だが今は他の農民とそう大差ないものを食べている。アリシアの耳に入る言葉から両親の過去を探ろうにも、その話題は不自然なほどでなかった。まるで村ぐるみで何かを隠蔽しているかの様だった。
そして時はアリシアが六歳の誕生日を迎える少し前まで飛ぶ。彼女に弟が産まれた。しかしお産で母親が落命した。
「この子はティモシーにしよう。アリシア分かるかい? 君の弟だよ?」
「……」
アリシアは警戒して近づかない。それとも母がもういない事を悟って無意識に弟を恨んだか。
「あの、ティモシーは余りにも……」
産婆が何かを言おうとした。
「平民過ぎるって? 良いじゃないか。もうこの家が羽ばたく事は無い」
その発言を聞いてお祝いムードで来た農民は水を挿された。
『やはりアリシアの実家は没落した貴族家か』
ロギは得られた情報で一先ず満足した。
ここから何か大きな動きがあるかと思われたが、何も無かった。収穫高が年々先細りしている以外は平和そのものだ。ロギはアリシアを通じて来客を注視したが、アリシアの父親は貴族関係者と家では会わなかった。外で会っていれば分からないが、それだと村で噂になるはずだ。そんな噂は聞こえてこなかった。
次に大きな動きがあったのはアリシア10歳、ティモシー5歳の頃だ。
「お姉ちゃん」
「何ティム? またおねしょ?」
「ち、違うよ!」
ティムは顔を真っ赤にして否定する。この頃になるとアリシアは子供ながら弟の母親代わりを務める様になった。アリシアの善性から来る行為か、そうする事で父親と村の皆に褒められるからの行為かは判断が付かなかった。そんな母親ぶるティムが反発して実に微笑ましい光景が広がっていた。
「ならどうしたの?」
「あっち! 何か煙が出ている!」
「えっ! 本当じゃない! 大人たちに知らせないと……」
それは大規模な襲撃の狼煙だった。農村側はアリシアの父親を筆頭に頑張った方だが、多勢に無勢。アリシア一家三人を除いて全員が殺された。女の悲鳴がまだ聞こえる事から襲われている女性は運が良ければ生き延びられるか?
「貴様……こんな事をして……」
アリシアの父は襲撃者のリーダーを睨む。
「もう貴方様は必要ないのです」
それだけ言って一刀の下にアリシアの父は斬り殺された。
「きゃあああ!」
「その女を黙らせろ!」
ドガッと男のゲンコツがアリシアの上に落ち、アリシアは大地に倒れた。
「良い気味だ、呪われた女め!」
アリシアが何をしたのか皆目見当がつかないが、敵はアリシアを異常なまで目の敵にしているのが分かった。アリシアの意識はここで落ちたが、ロギの意識は落ちなかった。それゆえにアリシアが聞いたが気絶して覚えていない会話を拾えた。
「お姉ちゃん……お姉ちゃん」
敵は泣きじゃくるティムをそのまま抱え上げ、いつの間にか到着した馬車に乗せた。
『あの紋章……しかと覚えたぞ』
アリシアの片目が少しだけ開いていたのが幸いした。不完全な形でしか見えなかったが、ロギは来たるべき復讐のためにそれを必死に記憶した。そしてその馬車から出て来た女性を見て余りのショックで声を失った。
「まあお可哀想に。下賤な農民として育てられるなんて嘆かわしい。今日からは私が貴方様の母として……」
煽情的な紫色のナイトガウンに身を包み、溢れんばかりの巨乳を左手で支えている女性だった。
「違う! 僕のママはお姉ちゃんだけだ!」
「そうですか。……それは要らない知識ですから忘れましょうね」
一瞬、その女の目が赤く光った。
「や、やめ……助け……」
「さあ、私の可愛い子、母と共に行きましょう」
「はい、お母様!」
鮮やか過ぎる手際で子供を洗脳したのはサキュバスだ。現実では洗脳されてから相当な日数が経っている。ティムに取っては洗脳で植え付けられた記憶が本物になっている可能性が高い。アリシアが姉と名乗っても信じて貰えるか分からない。それでもアリシアがティムを探すのならロギは全力で力を貸すと静かに誓った。
『カレンティーナの部下だとすると、この一件はカレンティーナの差し金か? しかしサキュバスが介入する程の案件とは?』
ロギはサキュバスの方に興味が行った。子供を誘拐して洗脳するのまでは分かる。サキュバスなら平気でやる。だが村人と家族を全員殺してまではやらない。そこまでやると足が付く。付いても構わないのか、そもそも付かないだけの権力を持っているのか。
馬車が去り、生き残った女たちの声が聞こえなくなった。残ったのはリーダーを含めて数人のみだ。
「どうするんで閣下?」
『閣下と言う事は伯爵以上の貴族か?』
「焼き鏝を持て」
「はっ!」
「呪われた女が万が一子供でも生み落とせば面倒だ」
『貴様! そこまでする必要が何処にある!』
ロギは殴りかかろうとしたが、アリシアの過去を追体験しているだけなので何の効果も無かった。
「ぐぅぅ……」
「起きたか。生まれたのが間違いだった名前を語るだけで汚れそうな女よ!」
『そこまで思いつめるのは病気だぞ』
「……」
「これから貴様の女陰を焼く! さぞ良い悲鳴で鳴いてくれ!!」
「ひぃ……」
「その後は貴様が生まれて来た事を後悔する様に最悪の地で最低の主人に捨て値で売りつけてやる! 喜べ、貴様にはそれでも過ぎた待遇だ!!」
その目には狂気が宿っていた。そしてこの男の独演会は続く。
「そうだ! 良い事を思いついたぞ!! 私は天才かもしれない! いや、天才に違いない」
『周りの家臣もドン引きしているぞ?』
「貴様は弟を同じ目に会わせたいか?」
「やめて! ティムには酷い事をしないで!!」
「虫唾が走る貴様の言葉で無ければ美しい姉弟愛だ。だから約束しようではないか! 貴様が生きている限り貴様の弟には同じ地獄を味わわせないと!」
「私が生きている限り……」
『なんて恐ろしい呪いをこんな少女に掛けるんだ! これでアリシアは死にたくても死ねない!』
アリシアはティムが大事に保護された事を知らない。自分と同じ地獄行きだと信じるしかない。そこを突いた鬼畜外道の極みみたいな呪いだ。
「ははは! 精々あがけ! 貴様が苦しみぬいて死んだ時に祝杯をあげるのを楽しみにしているぞ!!」
そう言いながらリーダーは焼き鏝を素手で受け取る。リーダーは自分の手が焼ける事すら気にせずアリシアの女陰を焼いた。
「ぎゃああああ!!」
アリシアの悲鳴が夜の闇を裂く。
その後奴隷商人の馬車に乗せられたアリシアは半死半生で数週間死の淵を彷徨った。
「奴隷の持ちたる国、フェリヌーン隷国へようこそ!!」
意識を取り戻したアリシアが最初に聞いたのは、自分がこの世の不用な人間を捨てる姨捨国に居る事実だった。
それからガルスに買われて初日から死んだ方がマシな生活を続けた。それでも弟の幸せのためだけに生き続けた。弟が本当に無事なのか確かめる術なんて無いのに、アリシアはそれに縋るしか無かった。いずれ限界が来る。それは薄々分かっていたが、その時が来るまで弟のために頑張ったとあの世の父母に報告出来ると自分をだまし続けた。
そしてアリシアはロギ・アルスヴァータに出会ってしまった。彼は幼気な少女を悪の道へ誘う悪魔だった。それでもアリシアは彼の手を取った。自分のためか、弟のためか、それとも復讐のためか。理由は定かではない。それでもあの日、あの場でロギとファイアブリンガーを見た時に「死ねない」と強く思った。
***
「暗い?」
アリシアは長い悪夢からやっと覚めた。最後の最後だけは悪夢では無かったが、それでも夢の9割以上が悪夢なら全体的には悪い夢だった。アリシアは最初両目が潰されて盲目になったのではと思った。そうでないと分かったのは暗いだけのはずの何かが脈打ち、色鮮やかな線が所々に走ったからに他ならない。
「……思い出した。私はロギ様のポーン。こんな所で寝ているわけにはいかない。あの御方に仕えなくては」
仕えると呟いた瞬間、アリシアの体は硬直した。どうやって仕えれば良いのか皆目見当が付かなかった。いつもしていた様に体を差し出せば良いのか迷った。アリシアはロギに触れられない。ロギもアリシアに触れられない。そんな中でどうやった体を重ねれば良いのか迷った。
とにかくこれ以上待たせるのは失礼と判断したアリシアは手を伸ばした。既に三日も経っているとはつゆほども思わなかった。アリシアの転生で枯れた子宮は中からバリバリと割れ、新しい体を得たアリシアが玉座の間に現れた。
「アリシア、調子はどうだい?」
「良好です、ロギ様」
このまま二人、そして後方師匠面のアザンディオスが今後の事を話すと思った矢先、ゴブリンの一団がグギャグギャと騒ぎながら玉座の間に押し入った。
応援よろしくお願いします。