009 咎人のベルフラウ
アサンディオス封国から南へ百キロほどの距離に一つの中規模都市ある。そこにある中級上位の宿屋の一室に一人の女性が寝ていた。
「ああ、お父様! 私を家畜の様に愛して……」
等身大の自作アザンディオス人形に抱き着きながら、彼の娘の一人であるベルフラウは毎晩のように背徳的な夢を見る様に努力していた。一月ほど前にアザンディオスへの反乱に加担した咎人として追放されたベルフラウはそれでも実父への愛を呟き続けた。夢の中であろうとも、彼女は無意識に首筋にある二つの穴をなぞり、痛みと快楽に身悶える。ヴァンパイアに取って、その行動を監視し裏切る様なら体内から苛む呪いの口付けを付けられる事は死ぬよりも恥ずかしいとされた。ベルフラウは「父様が体の中に!」と光悦の表情で宣言する筋金入りのファザコンだ。この状態で夢で思い続ければいずれ父にその思いが通じると強く信じていた。
成功する可能性が一切無かった反乱に加担したのは父であるアザンディオスに見て貰いたい欲望の発露であった。囚われ、そのまま父の寝室に引き摺り込まれるのが理想だった。しかしベルフラウに取って不幸な事に、アザンディオスは実娘に手を出す気は一切なかった。永遠の夜の国で腐るまで濃縮された純粋培養のベルフラウと違い、アザンディオスの倫理観は一般的な人間とそう大差無かった。あるいはベルフラウが純粋なヴァンパイアなら手を出していたかもしれない。ベルフラウは人間の女との間に産まれたダンピールだ。彼女の倫理観も人寄りになると期待されたが、母親が悪かった。ザーンボルド帝国の帝室に連なる聖女に子育ては荷が重すぎた。いつからか、ベルフラウはアザンディオスの他の子供たちと一緒に専用の離宮で育てられた。そしてその離宮は悪い意味で「アザンディオス狂信者」の巣窟だった。
大人になったヴァンパイアの兄弟がアザンディオスの下で爵位を得、人間の兄弟が外に出される中、ダンピールと言うわりかしレアな種族であったベルフラウの立場は宙に浮いていた。ダンピールとしての戦闘能力は鍛えられたので、並の人間相手には勝てる。しかしアザンディオスの血を引かないヴァンパイアには劣る。どうしても中途半端で微妙な日々がベルフラウを焦らした。そんなある日、アザンディオスが突然動いた。
これまで300年の歴史ではあり得ない非常事態だ。多くのヴァンパイアは混乱した。しかしその中で一人だけアザンディオスを追放して国を取ろうと画策するエルダーヴァンパイアが居た。彼は魔王討伐を夢見る愚かな聖女をだまくらかし、借金で縛ったヴァンパイアを動員し、更には勝利後の栄達を餌に様々な勢力を誘引した。ベルフラウもその栄達の餌に釣られた哀れな豚の一匹となっている。
負けて追放されて一月余り。アザンディオスに罪を注ぐために与えられた最初の任務は無事に完了した。次の任務が来るまでは宿屋で許されざる夢に浸るのは当然と言えた。そんなベルフラウの個室の窓が突然開き、一陣の風が吹き込む。
「はぁ、何?」
眠たい体を半起こしにして、何も無い影を見る。露わになった胸を特に隠す仕草すらしない。ただ命より大事な自作アザンディオス人形は素早く彼女の影に避難させた。
「良いご身分だな、ベルフラウ!」
ベルフラウを睨む腰の骨が曲がった老人の様なエルダーヴァンパイアが不機嫌を隠さずに言う。
「あら、ゲフェインじゃない。次の任務?」
ゲフェインこそが反乱の首謀者であり、失敗後は「百回は死んだ方がマシ」と言われるほど苛烈な拷問と罰を受けた。砕かれた背骨は真っ直ぐに戻らず曲がったままだ。そして焼けた鉄板で裸土下座した後は未だ所々に見える。そして何よりが水膨れした様な禿げ頭だ。鉄板で焼かれている最中に聖女の聖水をぶっ掛けられて、その神聖な力とヴァンパイアの自然治癒能力が反発し、もう人前に出られない程醜悪な顔を作り出した。
「そうだ! ええい、くそ! 何故エルダーヴァンパイアたる私がこんな使い走りの真似事を!! ああ、許さん。許さんぞ、アザンディオス!!」
ゲフェインは追放を免れたが、レッサーヴァンパイアがヴァンパイアになって初めて与えられる外の任務であるメッセンジャー役を命じられていた。代理を使う事を禁じられたので、ゲフェインはその姿を外にいる多くの同胞に見られる結果になった。それが彼の中で燃え滾る怒りを更に燃え上がらせた。
「ちょっと、父様への悪口は許しませんよ!」
「は! 貴様も私と同じ咎人。しょせんは娘と言えどその程度の扱いよ!!」
ゲフェインはベルフラウの神剣を逆なでするような事を平気で宣言する。例えベルフラウが怒りに任せて襲い掛かってもゲフェインなら赤子の手をひねより簡単に無力化出来る。だが憎きアザンディオスの娘ではある。手を上げたとすれば呪いの口付けが発動するかもしれない。
「はいはい。それで任務は? 聖女を無事に送り返したから、かなり自由に動けるわ」
ベルフラウはアザンディオスの命令でゲフェインがだまくらかした聖女を彼女の実家に送り届けていた。帝国公爵家の次女と言う非常に面倒な立場の人間だったので、アザンディオスが約束通り無傷で返したのは納得できた。アザンディオスは彼女を無傷で返す条件として、衆人環視の中で焼き土下座しているゲフェインの頭に聖水を掛ける事を命じた。そして魔法を封じられた彼女は唯一体から自然に出せる液体をゲフェインに掛けた。その経験は蝶よ花よとして育てられた聖女の完全に破壊した。聖女の体に傷一つ付いていない。しかしその精神は修復不可能なほどの完全に砕けた。
ベルフラウは公爵の親戚で無ければ、公爵に娘を返した場で八つ裂きにされていたかもしれない。ベルフラウは切り抜けられると自惚れていたが、公爵が本気であれば確実に死んでいた。
「喜べ、フェリヌーン隷国行きだ!」
「!? ちょっと、どうやって帰ってきたらよいのよ!」
「そんな事は知った事か!」
睨むベルフラウ。勝ち誇るゲフェイン。
「父様の命令書は?」
「ここだ」
ゲフェインは乱雑に命令書を投げた。本来なら王と等しく扱う事が義務付けられている大事な書類だ。ゲフェインは怒りに任せて破らなかっただけ自分を褒め称えたかった。ベルフラウはゲフェインを完全に無視して命令書を開ける。彼女は命令書の内容に興味など無かった。見たいものはたった一つ。
「『余の娘ベルフラウ』……うふふ、父様」
命令書に自分の名前が書いてある。命令書の下には直筆の署名がある。これはもう「自分の名前を直接書いたに等しい」と勝手に解釈して悦に入る。
「受理したな?」
その余りにキモイ光景に流石のゲフェインですら辟易した。ベルフラウを誘ったのが反乱が失敗した最大の要因ではないかと半ば信じる程にベルフラウは幸せそうな顔をしていた。
「すぐに発つと伝えて」
ベルフラウはアザンディオスに手紙を認める欲望を押し殺した。下手に手紙を渡せばゲフェインが何をするか分からない。ゲフェインはその返事を聞くと一陣の風となって部屋から消えた。残されたのはベルフラウただ一人。ベルフラウは窓辺まで進み空を見上げた。そして窓を閉め、日々着ている冒険者用のコートを羽織った。
宿屋の二階から降りると、ベルフラウのパーティーメンバーがまだ酒盛りを続けていた。ベルフラウは最初一人で聖女を公爵家に送るつもりだった。しかし道中は彼女が思っていたより過酷だった。彼女一人ならどうとでもなったが、精神が壊れた聖女を介護しながら進むのは不可能だった。どうすべきか思案に暮れていたおり、聖女の顔見知りと言う男が声を掛けて来た。聖女も彼の名前を呼ぶ程度の理性は残っていた。
気付けばその男のパーティーの一員として公爵家を目指す事になった。ベルフラウが頼みとした「私に一騎打ちで勝てたら」の条件も男の圧勝で終わった。ダンピールの優れた身体能力を持つはずのベルフラウは気付けば土を舐めていた。もし男が真剣を使っていれば確実に死んでいた。かくしてベルフラウは外が自分の考えているより遥かに恐ろしい所だと分からされた。
「どうしたベルフラウ?」
道中で勇者だと知ったレイオスが問う。多少武骨だが女受けが良い甘いマスクが取り柄だ。
「お別れを言いに来た」
「ええ! 何でですの、お姉さま!! 一緒にあの駄姉の無念を晴らすと誓ったではありませんか!」
やたらテンションの高いポニーテールの女の子が抱き着いて来た。このパーティーのもっとも新しいメンバーで公爵家の三女だ。即ち、あの聖女の妹だ。
「誓っていない」
「もう、いけずぅ」
酒の力があって拗ねる。酒の力が無くてもそう大差ない。
「聞いてエミリー。私は受けた命令を遂行しないといけない身なの」
ベルフラウはエミリーに真実を伝えていない。レイオスにも伝えていない。聖女が伝えていれば別だが、誰もベルフラウがダンピールだとは知らないはずだ。
「で、どんな命令なんだ?」
レイオスと他のメンバーが興味深そうに問う。
「フェリヌーン隷国に迎え、としか」
「ええ! あそこに行ったらもう帰って来られませんよ!!」
エミリーが皆が分かっている事を殊更大声で言う。
「分かっている。だからここでお別れよ」
勇者を利用できれば心強い。しかしベルフラウはいつ自分に向くかもしれない刃に全幅の信頼を置く事は出来なかった。
「グラースエヴァン、いや旧ティファ―ニアまではこのルートで行けるか?」
レイオスがそんな事を話す。
「この街道よりこっちの横道の方が実入りが良いって」
やたら指輪を多く嵌めている魔法使いの女の子が言う。
「三日ほど遅れるが……許容範囲か?」
レイオスがベルフラウを見て聞く。
「え? 来るの?」
「勿論ですー!」
エミリーが再度抱き着く。
「俺は勇者だ。フェリヌーンに入るのは難しい。だが関門までは付き合う」
「馬鹿ね。ならよろしく頼むわ」
断ってもついて来る。そして面倒事を大量に引き起こす。それが勇者と言うものだとベルフラウはこの一月で嫌と言うほど理解した。この選択がもっとも被害が少ない。そう信じた。
「なら、明日の出発の前に一気飲みーー!!」
「加減してエミリー! またカーペットの弁償は嫌よ!」
ベルフラウが必死にエミリーを止める。あの癖は姉妹共通らしい。もしそれをアザンディオスが知っていたとすると、一体いつからゲフェインの反乱計画を把握していたのか。ゲフェインの真の黒幕はアザンディオス本人では無いか、とあり得ない妄想にベルフラウが浸るほどアザンディオスの手は長かった。
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