僕には頭を撫でたい人がいる
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僕には、頭を撫でたい人がいる。
だが撫でたいのは、別に好きな人の頭というわけではない。
だから、決して彼女のことは恋愛対象としては見てはいない。
そう、決して見てはいないのだ。
そんなことを考えながら、僕は視線を横に向ける。
目に映るのは、スヤスヤと寝息をたてて眠る一人の女。
どこまでも黒く、ツヤツヤと光沢のある絹のような長い黒髪。
寝ていてもわかるほど整っている容姿。
制服やスカートからスラリと伸びている純白の長い手足。
彼女の名前は棘崎咲乃。この学校の有名人だ。
入学してから今日まで、全ての定期テストで五教科満点。しかも、帰宅部にもかかわらず運動部よりも運動神経がいいときた。天は彼女に与えすぎている。
しかし、棘崎をこの学校の有名人たらしめているのはこれだけではない。
それが、この状況だ。
「―――スー―――スー―――スー―――」
彼女の寝息が僕の耳に入ってくる。
同時に黒板を書きながら説明する教師の声。
そう、今は授業中なのだ。
彼女はほぼ全ての授業でいつも寝ている。寝ていてもテストは満点を取るわけで、教師受けはあまりよろしくないらしい。
単純にこういう生徒は教師にとって、扱いづらいのだろう。
これだけでも相当なものだが、これで終わらないのが棘崎咲乃という女だ。
さっきも言ったが、棘崎は外見は可愛い。もう一度だけ言うが、外見はモデルといっても疑わないレベルで可愛いのだ。
だけど、きれいな花には毒があると言うだろ?
これは約一年前。
僕たちがこの高校に入学して間もない頃の話だ。
棘崎はその他とは卓越した容姿や雰囲気から、入学式の時点でかなり先輩たちの注目を集めていた。
『集めすぎだった』といっても過言ではない。
そして入学式が終わり、クラスでの自己紹介やなんやらが終わって下校の時刻になった途端。
棘崎は大勢の先輩たちから呼び出された。
それはもう絶景だった。
廊下を見てみると、揃いも揃ってイケメンばかり。きっとクラスでは、常にカースト上位に鎮座しているであろう人間たちが、約二十人くらい? 列をなして棘崎に告白しに来ていたのだ。
その全員が『自分になびかない女はいないだろ』みたいな顔で、正直イラついたのを覚えている。
そんな感じで、この学校指折りのイケメンが集まってきたり、それを嗅ぎつけた野次馬が次々集まってきたり(かくいう僕も野次馬の一人だった)、学校全体が注目している中。
事件は起きた。
呼び出された棘崎はカバンを持つとおもむろに立ち上がり、先輩たちのいる廊下へ向かった。
棘崎が教室から出ると一人の男子生徒が棘崎の前に立ちはだかる。
そいつはまるで王子様といった感じのイケメンで、髪を要らなくかき上げながら爽やかに言った。
『棘崎咲乃。俺と付き合え。君が俺に惚れているのは、もうバレバr―――ゴハッ!!』
その光景は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
それは、綺麗な鮮血の赤。それは、綺麗な右ストレート。
イケメンは悲惨にも、告白を終える前に宙に舞った。
そして、当の棘崎はイケメンに右ストレートをかました後。
倒れたイケメンを見下ろしながら一言。
『うるさい。邪魔』
棘崎はそう吐き捨てると、スタスタと帰っていく。
その場にいた棘崎以外の全員が、呆然と棘崎の歩く道を開けるばかりで、今起こった状況を理解できないでいた。
棘崎はそんなことを一切気にせずに、生徒玄関への道を進んでいった。
たぶん。
きっとこのときからだ。
傲岸不遜、厚顔無恥、傍若無人を地で行くようなあの女の―――頭を撫でたいと思ったのは。
◇◇◇
話は戻るが、僕はこの顔はいいのに誰も近づかない女・棘崎咲乃の頭を撫でたいと思っている。
ただ、撫でたいという感情は、『恋』と呼ばれる感情に起因しているわけではないということをわかってほしい。
僕は、『恋』というものがわからない。
自分が感じるこの感情は、決して『恋』などという尊いものではないと自分でも思う。
だけど、僕は、頭を撫でたいのだ。
あの、綺麗な黒髪に触れてみたい。
あの、棘崎咲乃に触れてみたい。
あの、棘崎咲乃の頭を撫でてみたい。
あの日。あの時。あの光景を見たときから、僕はそれを望んでしまったんだ。
◇◇◇
放課後。
僕は忘れて帰った課題を取りに、教室まで戻ってきていた。
誰もいない教室棟の廊下には、運動部のかけ声や吹奏楽部のトランペットの音が静かに聞こえてくる。
昼間の騒がしい雰囲気からは想像もつかないほど落ち着いた空間だった。
春風と、気持ちのいい日差しを感じながら廊下を進んでいく。
しばらく歩くと教室についた。
僕はドアを開ける。目の前には、誰もいない教室が広がっているだけ。
そう思い、自席のある後方に目を向けるとそこには―――
「………………っ!……とげ…崎?」
それは、一枚の絵画のようだった。
桜の花びらが踊るように舞いながら、カーテンもひらひらと風になびく。
それを彩るグラデーションのように陽の光が差し込む。
そして、その場で眠る、一人の女。
僕は思わず、息を飲んでしまった。
その光景があまりにも美しかったから。
気がつけば、自然と足が動いていた。
「―――スー―――スー―――スー―――」
誰もいない教室に彼女の寝息だけが響く。
ドクドクと鼓動の音がはやくなっているのを自分でも感じる。
僕は一度、自分を落ち着かせるために自席へと座った。
「………フー………」
一度深呼吸をすると隣に目を向ける。
そこには、腕を枕にしながら眠る棘崎の姿がある。
ドクッ。ドクッ。
今なら、いいのではないか?
不意に、そんな考えが頭をよぎった。
だが、すぐに頭を振ってそんな邪な考えをしないようにする。
だけど―――眠っている棘崎の姿を見ていると………
僕は席を立つと、棘崎の元で立ち止まる。
棘崎は、もう目と鼻の先だ。
僕は、ゆっくりと手を伸ばす。
本当にいいのか?
僕のかろうじて残っていた理性が最後に警告をしてくる。
だが、棘崎と僕の二人きりという状況と、僕の願望がそんな邪魔な理性をぶち壊した。
「っ!」
手のひらに感じるのは、サラサラとしているのにフワフワともしている心地よい感触。
きめ細やかな棘崎の黒髪が、指をなんの抵抗もなく通り抜けていく。
あの棘崎咲乃の頭を撫でている。
そんな自分の願望が叶って、僕は―――
「……………………ん」
「………え?」
突然だった。
なんの前兆もなしに、棘崎の目が開いた。
僕は棘崎の頭に手を乗せたまま、思わず固まってしまう。
そして、棘崎はその黒い瞳を僕の方に向ける。
僕と、棘崎はお互いに見つめ合った。
あれ?
これは、まずいんじゃ………
背中に冷たい汗が流れているのを感じる。
先に沈黙を破ったのは僕の方からだった。
バッと棘崎の頭から手を離す。
「いやっ!これは………そのっ!……なんといいますか……その……ごめんなさい!」
「…………」
焦りに焦って、全く言葉が出てこない。
まずい。まずい。まずい。まずい。まずい。
チラリと棘崎の方を伺い見ると、ジーっと僕の目を見つめていた。
その漆黒の瞳に呑まれるような感覚に陥る。
僕はギュッと拳を握った。
こんなことをしてしまったのだ。
僕はもう、この学校にはいられない―――そんなことを思っているときだった。
「…………もう、一回」
力の入った僕の腕に、棘崎の細い指が絡まり、彼女の頭へと持っていかれる。
何が起こったのか理解が追いつかない。
僕の腕を引く棘崎の力は、普段の彼女からは想像もできないほど弱々しいものだった。
棘崎は僕の手を自分の頭まで持っていくと、また自分の両腕を枕にして目を閉じる。
これは………、撫でてもいいということなのか?
自分に都合のいい解釈だとは思うが、僕はまた棘崎の頭を優しく撫で始めた。
すると彼女の表情が、ほんの少しだけ、安心したように緩んだ気がした。
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