鋼鎚のレイナ ~鍛冶職人と貴族令嬢は復讐契約を結ぶ~ 「私の鍛えた魔剣で暴虐公爵を断罪してください」「Sランク剣聖の私にお任せくださいまし。そのかわり恋人になってくれませんか?」
0
「レイナ、君のことを心から愛している。どうか僕と結婚してくれ」
公爵家の長男、バルシュファンは目の前で戸惑う茶髪の少女にそう言った。端正な顔立ちに太陽のように輝く金髪、そのまっすぐな瞳に淀みは一切ない。
「えっ……」
呆然と立ち尽くすレイナの手をとったバルシュファンは、優しい口づけを与える。静かな温もりが彼の唇から全身に伝わってくるのを感じた。
バルシュファンはそっと笑みを浮かべた後、数歩後退してレイナの返答を待つ。
レイナの胸の鼓動は止まらない。どくんどくんと脈打つばかりだ。
「いつも庭園で物憂げに空を見つめていたその瞳。周りの少女たちとは違う、一歩引いた目線で世界を見ている。そんな君に僕は――」
「うそ……」
「本当さ。僕は君と子供を作りたいと思ってさえいる」
「ねぇ……どうして……嫌……」
しかしレイナの蒼い瞳はバルシュファンには向けられていなかった。
冷や汗が全身から噴き出し、身体の内側から絶望がせり上がっていく。
目の前の異様な光景に、レイナは恐怖以上のなにかを感じていた。
「父さん、母さん、ニーナ、ロビン――」
そこにあったのは4つの生首だった。
「いやぁぁああぁぁああぁああぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁッ!!!」
感情の爆発を引き起こし、レイナは喉の奥から絶望を吐き出す。
バルシュファンの後ろにあるテーブルは鮮血に濡れている。そこに置かれた父と母と妹と弟が、生気の抜けた眼でレイナを見つめていた。
「……そうか。それが本当の君か」
落胆の声を呟いたのはバルシュファンだった。
赤黒いシミが広がっている袖口と、左手に持った直剣から滴る血は、彼がテーブルの上の4つの惨劇を生み出した張本人であることを示している。が、その声はまるで自分が被害者のようだった。
「君が時折見せる冷たい瞳は、僕と同類であることを証明しているのかと思っていたよ。でもどうやら違ったようだ。君は俗物、つまらない普通の人間だった」
「ぅっ、えっ、っぶっ……! ぁあぁっ!」
絶叫の途中で喉にこみあげてきた酸味を抑えきれず、高級絨毯の床に吐瀉物を撒き散らしたレイナをよそに、バルシュファンは続けた。
「家族を殺されても平然とした態度を取ってくれることを期待していた。それなら僕らは似た者同士、互いに理解しあえる存在になれたというのに」
「あぁあっ……ああぁっ、嫌、いやぁ……」
「君には心底失望したよ。結婚の話は白紙に戻そう」
「あぁあっあぁああぁっ!」
「泣かないでくれ。悲しいのは僕も同じだ」
――今まで普通に暮らしていたのに。
レイナは役人の家に生まれて貴族の子供たちも通う学校に入学し、友達は少ないけどそれなりに上手くやっていた。家に帰って学校であったことを話すと、ニーナは「貴族の青年たちとのロマンスは!?」と意気揚々に聞いてきた。
弟のロビンは興味なさげに、フンッと無視している素振りを見せつつ、聞き耳はしっかり立てていた。可愛いやつ。お年頃のようだ。
父さんと母さんが仕事から帰ってくると、5人でちょっと遅めの晩御飯を食べた。完璧ではなかったけど、満ち足りた日常。学校でどんな嫌なことがあっても、家に帰ったら救われた気分になった。それなのに――。
涙で滲んだ瞳で、レイナはバルシュファンを睨みつける。
「信じていたのに! あなたが誠実で、優しい人だと!」
バルシュファン・フォン・ルベルデリ――貴族連邦の最高権力者を父に持つ青年。
公爵家の長男と聞いて嫌味な人物かと思ったが、平民であるレイナにも平等に接する態度と思慮深い言動に、レイナは次第に心を許していく。初めてのキスだって捧げた。その頃には、許した心は恋色に染まっていた。
両親に紹介するよと言われて訪れた彼の屋敷で、自分の家族の変わり果てた姿と対面するまでは、将来をともにしても良いと思っていたぐらいで――。
「僕は誠実で優しいさ。ただ人間のことを無機物としか見られないだけで。なんていうんだろう。昆虫みたいに見えるんだ、普通の人間がさ」
「ふざけるな!」
ヤツは正真正銘の悪魔だ。
今のレイナに躊躇うことはなかった。今さっきまで絶望に打ちひしがれていた灰色の心が、真っ赤な怒りへと変色していく。そして突き動かされるように、レイナは叫んだ。
「殺してやる!」
壁に立てかけてあった直剣を手に取り、レイナは駆け出す。無論、レイナに剣術の心得はない。ただその諸刃に、人の皮膚と肉を切り裂きその命すらも奪う力があることのみを知っていた。
「ああ、女の子って感情的になりやすいんだっけ? 悪かったよ、謝るから」
「家族の仇だッ!」
バルシュファンはレイナの気迫に押されて思わず右腕を前に出した。次の瞬間、レイナは彼の右腕を直剣で斬り落とす。
ただ怒りに任せた斬撃が、偶然にも彼の肉と骨を断ったのだ。
「これで!」
そのまま刃を引いて、レイナは直剣を不格好な動きで構えなおし、まっすぐ力を込めてバルシュファンの胸部に突き刺した。
否、その切っ先は寸前で止まる。
バルシュファンの“右手”が切っ先を掴んでいたのだ。
「痛いなぁ。再生するからって酷いじゃないか」
「な……っ、なんで!」
「魔剣の力だよ」
バルシュファンが左に持っていた直剣からは赤い瘴気が立ち昇っており、彼の全身を包んでいた。それがなにかレイナには分からない。
禍々しい感触のみが地肌を伝ってきた。
「貴族の保有する大量の魔力は、魔剣によって超常の力となる! それこそがスキル! 平民には知られていないことだったかな?」
貴族は魔剣を使って、戦場において絶対的な力を振るうらしい。
都市部で安定した収入のある家に生まれたレイナが、知ることのできる情報などそれぐらいだった。
「僕の魔剣が出力したスキルは【自己再生】。どんな傷も瞬時に回復できる」
常日頃からバルシュファンは剣を腰にさしていた。貴族としての心構えとか意識とかそういうものだとレイナは思っていたが、どうやら違ったらしい。
いつ襲われても良いように自己再生能力を自分自身に付与し続けていたのだ。
「バケモノめ……」
「ああ、そうさ。僕たち貴族は普通の人間とは違う。選ばれし特別な存在さ」
バルシュファンの剥き出しになった漆黒の精神が、彼の瞳を通して感じられた。ガラス細工のように美しい瞳なのに、この世で一番醜悪な有機物にも見える。
「こうして絶対的優位な状況に立つと、人と違う何かになれた気分に浸れるんだ」
「あんたを殺す! 絶対に殺す! 家族の仇を討ってやる!」
「どうやって? 君は平民。魔剣は使えない。それにか弱い乙女だ」
「こんなことをして、タダで済むと思ってるの!」
「こんなことをしてもいいのが、僕のような特異体質の貴族さ」
悠然と語るバルシュファンの声が、レイナを絶望へと落としていく。
「通常の貴族よりもさらに高い魔力量で、将来的には国を背負って戦う魔剣使いになるであろう男だ。平民の家族を殺すぐらいは許されるんだよ」
「あぁぁぁあぁあぁぁぁぁッ!」
絶叫。現実を否定したいがために心の底から発せられたそれは、今の状況に影響を与えることはなかった。
悔しさと怒りが交互に湧き上がり、やがて絶望感が渦巻いてくる。
どうしょうもないんだ。
バルシュファンという男に騙されたが最後。彼の狂気によって家族全員が殺されて、きっと自分ももうすぐ殺されるであろう状況を受け入れるしかない。
「うるさいよ。そろそろ黙ってくれ」
「がッ――」
バルシュファンの冷淡な声とともに、彼の魔剣がレイナの胸を貫いた。
真紅が胸部に広がっていき、口から血だまりが吐き出される。今までに感じたことのない激痛が襲いくるが、声は出ない。
全身が段階的に眠っていくような感覚だ。
意識が薄らいでいくうちに、レイナは理解した。
――これが死ぬってことなんだ。
父さん、母さん、ニーナ、ロビン。
私、なにもできなかった。
ごめんなさい――。
そうしてレイナは冷たい世界のなかで、16年という短い生涯を終えた。
1
◆
その赤子は大陸では珍しい黒髪だった。
国境沿いの河岸で田舎町の人間によって発見されたとき、まだ生後半年といった成長具合で、決して泣くことも笑うこともない不思議な赤子だった。
おそらくは捨て子だろう。
以後、その赤子はアンジェリカと名付けられ、町の孤児院で育てられることとなった。
次第に笑うようになり、なにかして欲しいことがあれば泣けばいいことも覚えた。5歳にもなれば、普通の子供たちと一緒に遊ぶようになり、周囲は一安心したという。
だが、ときよりアンジェリカは夜中に起きてはパニックを起こしていた。生首が4つ現れては、なにかを自分に訴えかけてくる、そんな恐ろしい夢だ。
パニック状態の彼女から恐怖心はあまり感じられなかった。
どちらかというと、なにか取り返しのつかないことをしてしまい狼狽えている様子である。
落ち着いてから聞いてみても、なにも記憶にないようで。しかしそれも成長するにつれて頻度は落ちていき、誰も問題に感じなくなっていった。
その後はアンジェリカも順調に成長し、11歳になる頃――。
「私、公爵の屋敷のメイドさんになりたい!」
孤児院の面談室のテーブルから身を乗り出したアンジェリカは、艶やかで長い黒髪を揺らしながら、蒼の瞳の奥を輝かせて言った。純粋無垢という言葉を体現したような少女だった。
対面していた院長の中年女性は、その姿を真っ向から否定するわけにもいかず、しかして現実を教えるのが大人の役目であると溜息をつき、
「あのね、アンジェリカ。公爵の屋敷に仕えるっていうのはとても名誉なことだけど、それだけ難しいことでもあるのよ?」
「知ってる! でも私、最近よく公爵の屋敷にいる夢を見るんだ~」
「は、はぁ……」
年頃の娘である。キラキラしたお屋敷に、白馬に乗った公爵の美男子に憧れる時期なのだろう、と院長は聞いてやることにした。
「生首の夢は見なくなったけど、代わりによくその夢を見るようになった! きっとこれは運命なんだよ! 公爵家の美少女メイドとなって、跡取り美少年と禁断の恋をするっていう~」
「いきなり公爵の屋敷勤めは厳しいと思うわ。まずは下積みから始めなきゃ」
「それもそうね! 頑張って成り上がってみせるんだから!」
意気揚々と語るアンジェリカの顔を見て、院長は微笑みを浮かべて手元の書類をめくった。
孤児院では12歳になると、外で住み込みの仕事を見つけて働きに出なければならない。ただでさえ戦争で忙しいこの国に、12歳以上の子供を養う力はないということだ。
今の院長にできることは、12歳になる前に働き口を見つけさせてやるぐらいしかない。それでも悲壮な表情を一切見せないアンジェリカは、まるで外の世界に出ることを楽しみにしているかのようだった。
「他には鍛冶職人の工房のお手伝いさんとかもあるけど、どうかしら? そこなら“あなたの才能”も活かせるかもしれないわよ?」
「うーん……それはそうなんだけど、なんか地味かも」
「ここ数年、人手不足で困っているそうよ」
「わかった! 前向きに検討するね!」
つまるところ、女の子はキラキラしている世界のほうが好きということだ。
自分も12歳の頃は華やかな世界に憧れていたため、まぁそういうものだよねと院長は微笑みを浮かべて頷いた。
「あ! 今日の買い出し当番私だから、そろそろ行かなきゃ!」
「ええ、そうね。行ってらっしゃい、アンジェリカ」
面談を終えたアンジェリカは孤児院を飛び出して、町まで駆けていった。
「やっぱり野菜は値上がりしているなー」
今日の献立はカレーだが、肉は高級品なので滅多に買わない。比較的安価で手に入るジャガイモやニンジンも、最近は手を出しにくい。
そうして市場の野菜と睨めっこしていると、アンジェリカの背後に兵士の男たちが立って、
「ニンジンとジャガイモ、それとあそこのタマネギも」
兵士のうち一番大柄な男は指名した野菜を買うと袋に詰めて、それをアンジェリカに差し出した。
「黒髪の嬢ちゃん。この前は世話になったな」
「えっ、いいの!? 兵士のおじさん、ありがとう!」
その様子を見ていた若い兵士が男に尋ねた。
「隊長、その子どうしたんすか?」
「ああ、この前な。直剣が壊れかけているのを教えてくれたんだ。見た目じゃ普通の直剣と大した差はないんだが、鉄の質が極端に悪い箇所があったそうでな……」
「それ不良品じゃないっすか」
「鍛冶職人に文句つけたら返金してくれたよ」
「しかしよく分かったなー」
若い兵士が感心して視線を向けていると、アンジェリカはドヤっと表情を変えてピースサインで応える。
「私のちょっとした特技なんです、ぶいっ!」
「ほう……?」
「見ただけで金属がどういう状態かとか、なんか直観で分かるんですよね! 触れたらもっと正確に分かるよ! どう、すごいでしょ?」
「じゃあ将来は鍛冶職人かー」
「いえ、貴族の屋敷のメイドさん志望です」
「はははっ! それでお婿さん探すのかい?」
「はい! 素敵な旦那様を見つけます!」
フンスッと鼻息を荒くしながらうなずくアンジェリカに、兵士たちは苦笑いを浮かべつつも、隊長が若い者らの肩を叩いて言う。
「俺たち一兵卒は眼中に無いんだとよ。さ、見回り再開だ。最近は北の国境付近が敵の攻撃をよく受けるらしい。ここも油断してると攻め込まれるかもしれん」
「はいよ。おっかねぇ世の中だこと」
アンジェリカたちが住むノブレス同盟と、その隣国の貴族連邦は戦争状態にある。どちらも貴族が主権を握り、貴族によって統率されている軍隊で成り立っている大国だ。
この大陸を統治する王は存在しない。何百年も前からずっと、魔剣を使う貴族たちによって統治されている。そのような国家が大陸に点在し、お互いにしのぎを削り合い、まさに群雄割拠の様相を呈していた。
「敵国の公爵、バルシュファンと言ったっけ。最前線の兵士が言ってましたよ。まるで鬼神だって――」
遠のいていく兵士たちの会話から、ふとアンジェリカはそんな言葉を耳にした。
――バルシュファン。
その言葉がアンジェリカの頭蓋骨を突き抜けて、脳に直接響いていく。まるで己の肉体に刻み付けられた古傷が開いて、鮮血が噴き出してくるがごとく、冷や汗が全身を濡らした。
脳内に何度も声が響く。絶対に許すな、殺せ――と何度も、何度も、何度でも。
「あぁッ……!」
アンジェリカは思わず声を上げて、その場に蹲ってしまう。なにか分からないが、猛烈な不快感と吐き気が混ざりあい、アンジェリカの精神を侵食していく。
それに気づいた大柄な兵士の男が駆け寄ってきて声をかけるが、
「おい、大丈夫か、嬢ちゃん?」
「ぁぁッ……バル、シュファンは――」
「今はそれどころじゃねぇだろ」
「バルシュファンはどこにいる!」
脳に直接溶岩を流し込まれたかのように、頭が燃えるように熱くなっていた。それは次第に深い怒りへと変貌していき、アンジェリカの心の奥底に眠る“何か”を呼び覚ます。
さっきまで貴族の屋敷で素敵な恋をしたいなんて言っていた自分に対し、そこはかとない嫌悪感が湧き出してくる。今までの価値観が反転し、ドス黒い感情がアンジェリカの精神を変貌させていった。
少しずつ意味が分かってきた。
幼少期に見ていた4つの生首の正体、なぜ公爵の屋敷にいる夢をよく見るのか、バルシュファンとはどういう人物か。すべて繋がった。
あれは記憶だ。しかしアンジェリカが体験したものではない。
レイナという前世の記憶だった。
「どこって。そりゃ貴族連邦のどこかだろうさ。あー、いや、今は北の国境地帯か。どっちにしろ会いに行くのはやめておいたほうが――」
「あぁっ……ああ! そうか……! そうかァッ!!」
「嬢ちゃん、本当どうしちまったんだ!?」
奴は母を殺した、父を殺した、妹と弟も殺した。
テーブルの上に彼らの生首を置き、悪びれることなく自分に結婚を申し出てきた。
狂人、悪魔、最低最悪のクソ野郎!
差し伸べられた兵士の手を振り払い、野菜の入った袋をその場に置いて、アンジェリカは駆け出した。
町を出てしばらくしたところにある丘の上。崖の向こうに森が広がり、そのまた向こうに国境沿いの河岸があり、その先は貴族連邦の領地となっている。遠くに見えた渓谷の先が北の国境地帯――兵士たちの最前線だ。
「そこか! そこにいるのか、お前が!」
そう言わせたのはレイナだった頃の記憶。アンジェリカはもうそこにはいない。前世の怒りが今の自分を塗り替えていったのだ。
「バルシュファンッ! お前のせいでみんな死んだ!」
脳裏に蘇ってくるは世界で一番醜悪な瞳。金髪の美男子、鮮血に濡れた両手。
将来を期待されている貴族であることを利用して、平民であるレイナたち家族の命を弄んだ。
己の身勝手で狂気的な考えのもと、悪びれることなく平然と。
「お前が奪ったんだ! 両親を明日を! 妹と弟の未来を!」
孤児院での生活のことを忘れたわけじゃない。
アンジェリカの温かな記憶に逃げることもできた。すべて忘れて11歳の夢見る少女として生きることもできた。
前世のことなんて忘れて、幸せに生きることだって――。
しかしそれを振り切るように、両手を振って、手のひらに爪が食い込んで血が滲んでくるほど拳を強く握って叫んだ。
「必ず報いを受けさせてやるッ! レイナとして、お前が地獄へ落ちる様を見届ける! それが私の人生だ!」
その日より、少女は〈アンジェリカ〉として生きるのをやめた。
復讐のためにすべてを捧げると誓った〈レイナ〉として、生きることを決意したのだから――。
2
前世の記憶が戻った少女は〈アンジェリカ〉ではなく、〈レイナ〉として生きることを決意した。
すべては家族の仇であるバルシュファンに復讐するため。
前世の記憶から、バルシュファンは常人では太刀打ちできないほどの強さを持っていることが分かっていた。兵士として前線に赴くのはあまりにも無謀だ。
かと言って、貴族連邦に潜入して暗殺するのも成功率は低い。
バルシュファンの心は常人では理解しがたい狂気に満ちた混沌だ。
騙すはずが騙されている、というのがオチだろう。
現にレイナは一度、誠実で思いやり深いバルシュファンの表の顔を信じて、彼の本質の部分を見つけることができなかった。悔しいが、受け入れるしかない事実だ。
バルシュファンが魔剣の力を受けていない瞬間を狙うのもまた難しい。それぐらい奴は想定して動ているだろうから。おそらく寝ている間も、魔剣を傍に置いているはず。
ならばどうするか。レイナの答えは決まっていた。
「はい、院長。私、鍛冶職人を目指すことにしました!」
「本当にいいの? 屋敷勤めに憧れていたんじゃ……」
「たしかにそうでしたが、あらためて考えなおした結果、自分の才能を世のために活かすことが私の道だと思ったのです!」
今のレイナには生まれつきの才能がある。
鉄に触れただけで、その性質と状態を直観的に理解できる才能だ。
たとえば子供が泣いていたとしよう。どうして泣いているの?と問いかけると、お母さんとはぐれたからと答える。そこで人間は「子供が親と離れて不安になり、怖くなって泣いている」と子供の気持ちを理解するだろう。
信じられないことだが、レイナはそれを鉄に対しても行える。
通りすがりの兵士の直剣の様子がなにか変だと感じる。少し見せてと兵士に止まってもらい、それに触れると「鉄に不純物が多く混ざっていおり、致命的に脆い箇所がある」と直剣の状態を理解した。
理屈や論理ではない、共感という曖昧な現象。
本来、無機物であるはずの鉄と、レイナは共感することができるのだ。
レイナはこれを【鉄の感受性】と呼ぶことにし、神が復讐のために自分に与えてくれたささやかな贈物と捉えることにした。
この才能を活かして鍛冶職人となり、自己再生能力を持つバルシュファンを殺せる魔剣を製作する。自己再生能力さえなんとかできれば、奴だって死ぬはずだ。
それがレイナの考えた復讐の手段だった。
もちろん直接手を下せないことへの悔しさはあった。だがそれ以上に問題なのは、バルシュファンのような生物がこの世に存在していることの許せなさだ。
生きていること自体が間違いのような、あの男がこの世から消え去るのなら、自分が手を下すか否かの問題は些事とすら言い切れる。
「人手不足なんだよね! じゃあ、誰かが頑張らないとっ!」
「アンジェリカ、あなたは本当に優しい子なのね」
「えへへっ! 院長のおかげだよ」
院長の手がレイナの頭を撫でてくる。分厚い皮膚とその奥から伝わってくる温もりが心地よいと感じた。
今の自分はレイナだ。アンジェリカとしての生き方は捨てた。
しかし11年間、自分のことを面倒見てくれた恩人の前ではアンジェリカで居続けようと決めている。復讐とか、前世とか、変なことを言い出して院長を不安にさせるようなことがあってはならない。
「怖い夢を見て怯える私を優しく抱きしめてくれたから……」
「私にできることなんて、これぐらいよ」
「うんん。本当に感謝している」
院長にギュッと抱きしめられたレイナは、その大きな体に顔を埋めた。この人ともあと数日でお別れだ。今までありがとう、そう思うのに涙が出なかったのは、今の自分がアンジェリカではないからだろう。
「強く生きてね、アンジェリカ」
振り絞るような声が聞こえた。きっと泣いているのだろう、とレイナは冷静に考えてしまう。もし人間に、無条件に涙が流れてくる切替装置があれば、迷うことなくレイナは押していたはずだ。
しかし人間は不便なもので、悲しいときにしか泣くことはできなかった。
(ごめん、院長。泣いてあげられなくて、本当にごめんね……)
今のレイナはバルシュファンへの復讐のことしか考えることができないのだから――涙なんて、きっとどこかへ消えてしまっていたのだ。
それからほどなくして、レイナは12歳になった。
自分を育ててくれた孤児院と別れを告げ、住み込み先である町の工房へと向かう。場所は孤児院から小さな山ひとつと、森ふたつを越えたところにある田舎町アルケン。
ボロい馬車の荷台から飛び降りたレイナは、御者に軽くお辞儀をして町へと駆けていく。小さなリュックひとつに収まった荷物を背負い、洗濯したての絹色のチュニックを着て、石造りの町並みを進む。
やがて街並みを少し外れた川沿いの場所に、ひときわ目立つ建物があった。天高くそびえ立つ炉の煙突からは黒煙が絶え間なく吹き出している。
レイナが住み込みになる鍛冶職人たちの工房だ。
外では下働きの職人たちが木材や素材の金属を汗水流しながら運搬している。男、男、男――男しかいない。女で、しかもまだ子供のレイナにとってはこの上なく居心地の悪い環境だった。
孤児院とは打って変わって排他的な雰囲気すら感じる場所だったが、レイナは臆することなく玄関の呼び鈴を鳴らす。
「ごめんください」
静かにそう言うと、しばらくして煤まみれの大男がドアを開けて周囲を見渡した。が、どこにもいないので怪訝な表情を浮かべつつ、下を向いたときにようやくレイナの存在に気づいたようで、
「お、そこにいたのか。おめぇが今日から住み込みになるっていう――」
「はい。レイナと申します」
アンジェリカの名は捨てた。今の自分はレイナだ。
静かな決意とともに、レイナは深く頭を下げた。これからお世話になる人で、少しでも良い印象を持ってもらうためでもある。
男はどうやらこの工房で一番偉い、親方という存在らしい。
工房の中に案内されると、絹色のチュニックは煙と埃で瞬く間に煤汚れていった。慣れない場所に思わず咳き込んでしまう。
「まさか女の子が来るたぁな。だが、ここじゃ男も女も関係ねぇ。平等に汗と煤で汚れてもらうからな」
「承知の上です。私は魔剣を製作するためにここに来ましたから」
「……は?」
「ここでは魔剣を製作しているんですよね?」
その瞬間、工房の誰もが手を止めてレイナに視線を向けた。ポカンと情けなく口を開けたままの者や、聞き間違いか最近は耳が遠くなったからなと自分の聴覚を疑う者まで、反応は様々ではあったが――。
「ちょっと待ってください。なにか変なこと言いましたか?」
「……お前、本気で言っているのか」
「はい、本気です。そのために人生を捧げると覚悟もしました」
笑う者はいなかった。が、感心する者もいない。一様に哀れみの目を向けつつ、作業に戻っていく。かける言葉もない、と言わんばかりに。
「将来の夢を語ってるとこ悪いが、ここじゃ魔剣を打ったりなんかしねぇよ」
「え、それってどういうことですか?」
「どういうこともなにも、こんな田舎町の工房に魔剣鍛冶なんざいるわけねぇさ」
親方は呆れるようにそう言うと、続けて、
「魔剣鍛冶ってのは俺たち鍛冶職人の中でも、選ばれた人間しかなれねぇエリート中のエリートだ」
そもそもレイナは魔剣がどういうものかも知らなかった。バルシュファンの自己再生能力の理由であり、貴族の絶対的優位性を証明するもの、という認識しかない。
平民出身の前世でも詳しいことまでは誰も教えてくれなかった。剣や銃がどんな構造をしていて、誰がどのようにして製作しているのか知らないのと同じ。
つまるところ、レイナは“にわか”だった。
「そもそもだな……」
そんなレイナのにわかを見抜いた親方は、仕方がねぇとばかりに腕を組んで語り始める。
「貴族は俺たち平民とじゃ比べ物にならないぐらいの魔力を持ってる。だが、魔力はそれだけじゃなんの役にも立たねぇ。出力するための装置が必要となる。それが魔剣だ」
「じゃあ魔剣が特別な力を持っているわけではない……?」
「世間一般じゃそう思われているが、実際は違う。貴族持つ魔力の中に眠っている能力――すなわちスキルを最大効率で発現させることが、魔剣に求められている性能ってやつだな」
つまりバルシュファンの自己再生能力は彼の魔力によって生まれたものであり、魔剣はそれを最大効率で出力していたに過ぎないということか。
「で、だ。魔剣を使う貴族が戦場じゃ大局を左右するまで重要な存在だ。だからこそ魔剣の製造技術は国家機密であり、俺たちには触ることすら許されちゃいねぇ」
「特別な資格が必要ってことですか」
「そうだな。しかも資格取得に必要な試験の倍率は非常に高い。最低でも5年以上の鍛冶職人としての実務経験、それに――」
ここは一番の問題だ、とばかりに親方は溜息をひとつ吐く。
「品評会などでの結果、実績評価が必要になってくる」
「つまり品評会に作品を出せばいいというわけですね?」
「簡単に言うんじゃねぇ。こんな田舎町じゃ、品評会のひとつも開催されてねぇ。かと言って品評会のたびに都会に出るんじゃ、旅費で工房が潰れちまう」
田舎町で魔剣鍛冶を目指すのは絶望的であるということだ。
親方は野心を持って生きているようには見えない。生活のために鍛冶職人をやっている、大多数の人間のひとりだ。ここにいる皆が同じだろう。
レイナも前世の記憶がなければ、きっとお屋敷のメイドになったところで現実に気づいて、将来の夢や憧れに対して無難な落としどころを付けて満足するタイプの人間だったはず。
しかし事情が違う。魔剣鍛冶を目指さねばならない理由が、レイナにはあった。
復讐という、妥協点のないたったひとつの終着点のみがそこにはある。
「ウチの工房は主に調度品と一般兵士の使う直剣の製造をしていて……あと最近じゃ、歩兵銃の金属部品の下請けの話もきてたな。まぁ、そんな感じだ。夢を壊したら悪かったな」
「……それでも諦めません」
「そうか。じゃあまぁ基礎部分は教えてやれる。しばらくウチで働いて基礎を覚えたら、本格的に目指す。それでいいだろ」
夢見がちな子供が現実を突きつけられながらも努力を重ねる、そんなのはよくある光景だ。だがそれを何年も続けられた者は少ない。
大多数は安定路線で妥協し、諦める。
それを理解していた親方は、レイナに諦めろと諭すこともなく、隣にあった屑鉄の詰まった木箱を指さして言う。
「ま、まずは雑用からだがな。こいつは廃棄予定の屑鉄だ。こいつを捨ててきてくれ。いいな?」
「はい、わかりました」
親方はレイナの返事を聞く間もなく、工房の奥へと向かっていった。
やはり最初はそうなるか、とレイナは冷静に状況を分析しつつ、どうすればいいかを考えていく。
専門知識のない自分に、都会に行って自立した生活を送りながら工房で魔剣鍛冶の修業を受けるようなことはできない。あるのは鉄の感受性という才能のみ。
これでまずは工房で信頼を勝ち取り、それから考えていくしかない。
長い道のりだが、それ以外に道がないのなら歩むしかないということだ。
「しかしすごい数の屑鉄だな……ん?」
木箱の中詰まっていた鉄屑の中に、質の良い鋼が混じっていた。鉄を鍛えていたときに間違って廃棄になったのだろうか。見た目は煤汚れているが、洗えばまだ使える。
見ただけでそう分かったのは、やはり鉄の感受性のおかげだ。
気づけばレイナは屑鉄の中に眠る、まだ使える鋼を取り出すことに夢中になっていた。彼女にとってはゴミ箱の中に子猫が埋まっているような感覚で、放っておくことなどできなかったのだ。
「こいつで全部かな……」
「嬢ちゃん、なにやってんだ?」
それに気づいた職人の青年がレイナに問いかける。
「この中に良質な鋼鉄が混じっているんですよ」
「おいおい、ただの屑鉄じゃないのか?」
「いえ、聞こえるんです。鉄の声が。自分たちにはまだ可能性が残ってる、って」
「妖精とかに憧れる時期なのかねぇ。ま、ほどほどにしとけよ」
レイナはその後も淡々と作業を続けた。
鍛冶職人たちにとってまだ使える鋼鉄であっても、製造効率を考えれば捨てても良いものばかりかもしれない。無論レイナも、もったいないとは思っていなかった。
ただ、可哀想という感情だけが彼女を突き動かしていたのだ。
やがて親方が戻ってきて、その様子に驚きつつも呆れて、
「おい、レイナ。廃棄はどうした?」
「まだ使える鋼を選別しています」
「そんなこと素人のお前に分かるわけねぇだろ……」
半信半疑ではなく、全疑な感情を表情に出しつつも、親方はレイナが選別した薄汚れた屑鉄を手に取る。すると表情が半疑へと変わっていき、もうひとつ手に取る。
次第にいくつも手に取っていき並べていく。
その頃には親方の表情から半信半疑は消えており、確信と驚きに変わっていった。
「……この短時間で見極めたのか?」
「はい」
「驚いた。これだけ集めれば直剣を1本打てるぞ!」
「私には生まれつき、鉄の性質や状態を見極める力があります」
驚愕せずにはいられない親方の顔をまっすぐ見て、レイナはハッキリとした口調で言葉を紡いでいく。
「この力はきっと魔剣製作にも役立つと考えております」
「だから志したのか、魔剣鍛冶の道を」
「ですが、私には才能があっても知識はありません。鉄を鍛える技術もまるでない」
レイナはそう言って頭を下げ、喉の奥から叫んだ。
「どうか私を、あなたの弟子にしてください! 私に鍛冶に関する知識と技を! そのためならなんでもします!」
「おい、ちょっと待……」
「私には魔剣鍛冶にならなきゃいけない理由があるんです!」
家族の仇、バルシュファンを殺す魔剣――奴を地獄に落とせる力、それを作る。レイナには地位も名誉も、他人からの称賛も、なにもいらなかった。
ただそのためだけに、魔剣鍛冶になると決めたのだ。
「なんでもします! 工房の床を舌で掃除しろと言われたら、迷わずに煤を自分の舌で舐めとります! それぐらいの覚悟でここに来たんです! だからッ――」
レイナは顔を上げて、親方の目をまっすぐ見て、
「私に魔剣鍛冶の道への第一歩を歩ませてください! それが私の進むべき、ただひとつの道なんです!」
親方もさすがにレイナの気迫と、そして否定することのできない才能を前に納得するほかなく、静かにうなずくと言葉を返した。
「魔剣鍛冶を目指すってんなら、ここにいる奴らの10倍は汗水を流し、煤にまみれて、そして肌をも焼かれる覚悟をしてもらわにゃならん」
「10倍で済むなら安いものです」
「気に入った! お前の覚悟を信じよう。俺が教えられることは限られているが、40年分の経験はある。そのすべてを2年でお前に叩きこむ」
レイナの背中を親方の大きな手が叩く。
「そっから3年間は自らの技術をひたすら磨け。失敗に失敗を重ね、しかし挫けることなく前に進み続けろ。けっして止まるな。どうだ、やれるか?」
「やらねばなりません」
全身に伝わる衝撃を受け止めたレイナは、静かに燃える炎が如くそう答えた。
その日、レイナは孤児院で丁寧に手入れしてもらっていた長い髪を切り落とし、人生を賭けて鋼の鎚を握ることを決意した。
3
それからレイナの鍛冶職人としての修業の日々が始まった。
朝早くに起きて雑用をこなしつつ、親方から一対一の指導を受ける。日が落ちるまで指導は続き、指導後も個人練習を何時間も続けた。
終わった頃には身体が緊急停止したかのようにその場で寝込む。
そしてまた起きて指導を受ける。その繰り返し。
レイナも大変だったが、親方も相当だっただろう。だからこそレイナは弱音を一切吐かなかった。火炉の炎を見つめながら、鋼とひたすら無言の対話を続けていく。
脳に流し込まれていく知識と、身体に染み込んでいく技術と感覚をたしかに掴みながら、一心不乱に進んでいった。
才能だけでは何事も上手くいかない。それをあらためて実感する日々だ。
やがてレイナは独りで火炉に向かうようになり、1年経った頃には外からの依頼をうけて直剣を製作するまでに成長していった。異例の成長スピードに周囲は驚きを隠せないでいた。
2年後――。
「俺が教えられることはもうねぇ。お前は俺の40年を、たったの2年で喰いつくしたってわけだ。恐ろしい奴だな、まったく」
「親方の指導あってこそです」
さらに月日は流れ、やがてレイナは工房の外からも評価されるようになっていく。
「この直剣、14歳の鍛冶職人が打ったんだぜ? 信じられるかよ」
「台所の包丁、あの工房の子が作ったんですって。切れ味が本当によくて……」
「レイナというのか。是非、あの子に仕事を頼みたい」
「俺もだ! 鎧の新調を依頼したい!」
「わしも頼む!」
工房にはレイナを指名して依頼する者が急増し、親方は彼女専用の小さな工房を建てることまで決めた。小さな木造の工房だったが、設備はすべて最新のものが用意されている。
弟子とはいえ可愛がられすぎているなとレイナは思いつつも、その気持ちはありがたく受け取ることにし、魔剣鍛冶を目指して修行に没頭した。
そして17歳。ついに魔剣鍛冶の試験に挑戦できる歳までになったある日――。
その日もレイナは工房でひとり、火炉を見つめていた。
煤汚れた柔肌、灰で薄っすらと白みがかった黒髪。細くしなやかなボディラインに浮き上がった筋肉は引き締まっており、鍛えられた鋼のようにすら見える。
成長につれて邪魔になってきた胸にはさらしを巻いて潰し、その上には何も着ない。下もショートパンツを履き、そこから先は生足をさらけ出している。
火の粉は気にならない。むしろ心地よいぐらいにレイナには感じられた(親方は心配していたが)。
外見は大人に近づいた。しかしレイナの精神は、前世の記憶を取り戻した日から変わることなく復讐心に染まっていた。
魔剣鍛冶を目指す。
そしてバルシュファンを殺せる魔剣を製作する。
この目標は一切ブレることなく、レイナの思考の中心に常にあった。
魔剣鍛冶の試験まであと半年。なんとしてでも最速で魔剣鍛冶になり、事を前に進めないと――。
「包丁は売り切れか。増産しないとな」
とはいえ、レイナが鍛冶職人を志せたのは親方を始め、工房の皆のおかげだ。そのためには魔剣鍛冶の修業ばかりしているわけにもいかない。
商品を作ることもまた必要なことである。
レイナの作った調度品や直剣は、軒並み好評だ。
特に包丁は隣町やそのまた隣の町からも、買い手がやってくるほどだった。
「金属部品は既定の数は生産できそうね、よかった」
最近はノブレス同盟からの滑腔式歩兵銃――俗にいうマスケット銃の部品の注文が増えてきている。量産体制が整ったことから、戦場の歩兵の武器は剣から銃へと変わり始めているらしい。
ただそれ以上に感じるのは、戦争の激化だ。
5年前はレイナの住むアルケンは内地にある平穏な町だった。しかし今は少し東に進めば国境付近の緊張が続く場所となっている。
そう、貴族連邦の攻勢が昔以上に強くなったのだ。
仕事柄、兵士と話すことが多くなったレイナは、そのあたりの情報を仕入れることができていた。
理由はバルシュファンだ。彼は今や貴族連邦の大陸南部侵攻にあたる最重要職に付き、最前線を指揮する〈南部方面公爵〉という地位についている。
バルシュファンの類稀なカリスマ性と強力な魔力、そしてそれを出力できる魔剣の存在が後押しして、常勝無敗の魔剣使いとさえいわれているほどだ。
「奴はまだ生きている。しかも勢いを増して」
焦る気持ちは鎚を鈍らせる。そうは分かっていても、焦ってしまうのが人間だ。
火炉の炎はそんなレイナの心情を表すかのように、いつもよりも荒々しく燃え盛っていた。
そんななか、工房の外がなにやら騒がしいことに気がついた。
大きな仕事の依頼でも入ったのか、もしくは面倒な客か。しかし騒がしさはレイナのいる工房へと近づいていく。
足音、数人か。うち1人は布製の服。あとは金属鎧、ということは兵士か――。
やがてそれは工房の扉を静かに開けて中へと入ってくる。
(しまった。鍵をかけてなかった! というか、ノックぐらいしろ!)
「お邪魔しますわよ!」
邪魔するなら帰ってくれと、フザけた口調の客人に思うレイナであった。しかしながら無下にするわけにもいかず、火炉から視線を外して後方へと移す。
そこにいたのは6人の兵士を従者につけた、おおよそ鍛冶工房に似つかわしくない服装の女性、いや少女だった。
「作業中、ごめんあそばせ」
「は、はぁ……」
純白と真紅が交差する美しい柄のドレスのような上半身に、下はフリル付きのミニスカートとブーツを履いている。動きやすさを重視しているのか、オシャレを重視しているのか、イマイチよく分からない服装である。
オシャレとは程遠い場所にいるレイナですら分かる、コンセプトの渋滞っぷりだ。
しかしそんな奇妙な服装も滑稽には見えない。
その美顔が、すべてのマイナス要素を吹き飛ばしている。
もし目の前のそれが彫刻かなにかであれば、見物料だけで一生遊んで暮らせそうなほどよくできた造形の顔立ちをしていた。
翡翠の瞳はエメラルドの宝石のように輝き、ウェーブのかかったロングヘア―の金髪が風になびくと、微かに花の香りがする。
(あー、綺麗。アンジェリカだった頃にこれ見てたら、絶対影響受けてたな)
なんてことを考えていると、少女はレイナの顔を覗いて、
「そんなに私に見惚れましたの?」
「いえ、まったく」
「遠慮しなくても、どんどん目に焼き付けてくださいまし。私の高貴な美顔と美ボディと美脚を。なんなら、美おっぱいも、美おしりも。どちらも自信がありましてよ」
「…………はぁ」
レイナはその瞬間、無性に“美”という言葉に苛立ちを覚えた。
嫌いな言葉ランキング上位に急浮上だ。
「お嬢様、それはやめてください。マジでやめてください」
さすがに胸とか尻とかはダメだろうと、従者の兵士が止めにかかる始末だ。
いったい何者なんだと、レイナが考えていると少女は自己紹介を始めた。
「私はノブレス同盟の公爵家、エルフリード家の末女。リリエラ・エルフリードでございますわ」
「……貴族か」
貴族は普通の人間とはかけ離れた価値観を持っている。バルシュファン男のという存在で、レイナは身に染みてそれを理解していた。
リリエラからは狂気までは感じなかったが、それを上手く隠しているだけかもしれない。
ゆえにレイナは警戒を緩めるようなことはせず、あくまで冷静に返事をした。
「私はレイナと申します。工房への仕事の依頼でしたら親方に……」
「いえ。あなたに直接依頼したいことでしてよ」
「そうですか。では手短に頼みます」
魔剣鍛冶を目指す以上、貴族との接触は避けては通れない道だ。無礼なことはしてはならない。
そうは思いつつも、レイナはついつい態度に出してしまったようで。後ろに控えていた兵士が眉をひそめている。
「では手短に。私にふさわしい魔剣を作ってくださらない?」
「は?」
「だから、魔剣の製作依頼ですわよ」
「…………あの、すみません。最近、耳が遠くなってきたようで」
「あなた、私と同じぐらいのプリティ若いガールでございましょうに」
なにをバカなことを。
そう思ったが、ふと5年前の自分を思い出してみる。当時、12歳だったレイナは田舎町の工房で魔剣を作れるようになりたいと、さも当然のように言ってみせた。
今から思えば、なんとバカげたことを、だ。
なるほど、あの頃の親方の気持ちはこういうことだったのか、とレイナは納得しつつ冷静に返答をする。
「あのですね。魔剣の製作には国家資格が必要なんです」
「それぐらい知っていますわよ」
「田舎町に魔剣鍛冶がいるわけないんですよ」
「それぐらい知っていますわよ」
「というかそもそも、私は国家機密である魔剣の製造方法も」
「存じ上げないのでしょう? それぐらい知っていますわよ」
つまりリリエラは魔剣鍛冶の資格を持たず、製造方法も知らない人間に、魔剣を作れと言ってきているのだ。
まるで地べたを這いずり回っている蛾の幼虫に、今すぐ蝶になって飛んで来いと言っているようなものだ。無茶苦茶の度合いが桁違いである。
「それを承知の上で、私はあなたに依頼するのですわ!」
「…………」
ああ、もう言ってしまおうか。
言わずにはいられなかったし、そういうことを取り繕うのが苦手なのだと、その瞬間にレイナは自覚した。
「バカですか?」
「はっきり言うと、私は相当なバカでございましてよ!」
「貴族の家の生まれで!?」
「お勉強はあまりしてこなかったのでしてよ!」
「素直だな……。というか、あなたほどの貴族であれば仕事を引き受けてくれる魔剣鍛冶は、都市部にたくさんいるはずでしょう」
エルフリード家といえばノブレス同盟の首相である、アルギス・エルフリードが当主の由緒正しい名家だ。
つまるところ国家の最高権力者の娘が、田舎町の個人の工房に出向いて、作れるはずもない魔剣製作を依頼して来ているのだ。
「もちろん魔剣鍛冶の方には依頼を出しましてよ。ですが、私の魔力量を受け止めきれる魔剣を作れた者はおりませんでしたの」
「魔力量……?」
「私はいわゆる、通常の貴族よりも遥かに大量の魔力を保有する特殊体質――剣聖、そのSランクなのですわ」
ランク制度があったのをレイナは知らなかったが、要はバルシュファンと同じような体質だということと理解した。
「通常、AからCまでの剣聖体質は、それだけであれば単なる才能ですの。ですがSランクは別。魔力量が多すぎるがゆえに、全力を出して振るえば魔剣は崩壊してしまうのですわ」
「へぇ……そういうのは知らなかったです」
「すごいでしょう? 高貴でしょう? 最強でしょう? でも困った体質でもあるのですわよ」
「そりゃー困りましたねー」
やはりこの貴族令嬢、常人からかけ離れた感性をしている。バルシュファンとは違う方向だが、かと言って安全というわけではない。
どうせ平民の命など軽く見ているに違いない。そう、レイナは思った。
「私はあなたの噂を聞いてやってきたのです」
「噂?」
「ええ! あなた、触れるだけで鉄の性質や状態が分かるのですわよね!」
「見るだけでもある程度は。触れたら大体のことは分かります」
「すごい!!! やはり鉄の声が聴こえる少女という噂は本当だったのですわね!」
リリエラはレイナの手をギュッと握ると、同じ目線になるまで腰を下げて、そのキラキラした瞳で見つめてきた。彼女の手は燃える炎のように熱く、その吐息からは甘い香りがする。
「えっ、あ、ちょ……」
「是非! その才能で! 私の魔剣を作って欲しいのですわ!」
「ちょ、近っ」
キスしてしまいそうな距離まで顔を近づけてきたリリエラ。
この距離で見ると、どうしょうもなく美しく感じてしまう。言葉は世間知らずの幼い少女のようなのに、顔立ちだけはレイナが今まで見たなによりも美しい。
レイナは思わず赤面した頬を隠すようにうつむく。
(くそっ……貴族なのに。中身は最低最悪なんだ。だから気を許したりするな。美しい外見に騙されちゃダメだ)
「どうしましたの?」
「なんでも」
「見とれたのなら、このままキスしてもよろしくてよ?」
「しません。女同士でなんて!」
一歩引いてレイナは、リリエラから顔を背ける。これ以上見ていたら、気が変になってしまいそうだ。バカなのに、貴族なのに。
そんな反応を見て微笑んでいるようで、レイナの心はさらに騒がしくなっていく。
腹が立っているのか、恥ずかしいのか、警戒しているのか。分からなくなる。
「ふふふ、ウブな反応ですこと」
「……本題に戻りますね。魔剣のことですが、依頼は――」
「迷っていらっしゃるのなら、実際に魔剣を作れるかどうか、鉄に聞いてみてはいかがですの?」
「鉄に聞く?」
「魔剣の素材、ヴェルンド鋼ですわ」
リリエラは従者のひとりが持っていた木箱を受け取り、その中にある鉄の塊を取り出してレイナに手渡した。
自然銀に近い外観をしているが、それよりもはるかに重い。内側からはほんのりと緑色の光が漏れ出しており、温もりすらも感じる不思議な鋼であった。
「これが、あの、ヴェルンド鋼。実物を触るのは初めてです」
ヴェルンド鋼は魔剣の素材であり、その流通は国家によって厳重に管理されている。原料となる鉄鉱石の産出地域も一般には明かされておらず、その加工方法も当然ながら国家機密扱いだ。
普段はお目にかかれない貴重な一品。
「そうでしょう! 珍しいでしょう! さぁ好きなだけ――」
「炭素量は鋳鉄に近い2%ほどだけど、靭性は悪くない。熱の通りは上々、加工に関する難しさは殆どない。一般的な武器に使用されるステンレス鋼と似た触感で、この感じだと焼き入れも問題なくできそう。ただ普通に作ると密度の高さから重量が増加し、扱いずらさも出てくるか。素直に熱して打てば良いってわけでもなさそうね」
レイナは手のひらから伝わってくる、ヴェルンド鋼の感覚を言語化していく。専門的な知識を身つけた今では、昔よりもさらにハッキリと状態と性質が理解できる。
「……もう少し分かりやすく言ってもらえますの?」
「つまり武器を作る素材として申し分ない、ということです。ただひとつ疑問があります。この鋼の中を流れる温かい光のようなものはなんでしょうか?」
「それが“魔力”ですのよ」
「魔力? 貴族の方が多く持っているという……」
「はい。ヴェルンド鋼の素材となっている鉱石には元々、微量の魔力が流れておりますの。魔力とはすなわち生命の生み出すエネルギー。そう考えれば、あなたが今持っているヴェルンド鋼はひとつの生命とも言えるかもしれませんわね」
鉄が生命エネルギーを有している。
突飛もない話だったが、鉄の感受性を持っているレイナにとってそれは納得のいくものであった。人間に個性があるように、同じ種類の鉄でもその性質は違ってくる。
ならば鉄もまた、生きているといえるのではないか。その感覚を自分以外の人間も持っていることを知って、レイナは少しだけ嬉しくなった。
「鉄はどう答えてくださいましたか?」
リリエラの問いかけに、レイナは暫時黙り込み、そして顔を上げて答える。
「可能性を引き出して欲しい。そう言われました」
「可能性、ですか」
「はい。魔力という未知の不確定要素がありますが、それを加味してもヴェルンド鋼には無限の可能性がある。だからこそ私は、この子の可能性を信じたい」
5年間、苦楽をともにしてきた鉄。レイナにとっては隣人のように感じられる存在だった。火炉の中で熱を帯び、鎚で打たれるたびに強靭になっていく鉄は、レイナに向かって叫び続けていた。
もっと強くなりたい、と。
「どう打てばいいか、ある程度は感覚で分かります。ですがそこから先はおそらくは試行錯誤。最初から綺麗なものは作れないかもしれません」
「構いませんわよ。時間ならたっぷりありますの」
そう言うとリリエラはレイナに背を向けて、
「引き受ける、ということでよろしいですわね?」
「はい。やれるところまでやらせていただきます」
正直、リリエラのことは気に食わないが、魔剣鍛冶の試験を受けるよりも前に、魔剣を打つ経験ができるのはある意味で貴重な体験だ。もちろん魔剣製作の技術が国家機密である以上、むやみに口外はできないが……。
それにこの仕事が上手くいけば、リリエラという貴族にも取り入ることができる。
つまるところ、今回の依頼を足がかりにしようとレイナは考えていた。
(自分なりのやり方で、まずはヴェルンド鋼を使った武器を打つ。それが魔剣として成立するかは出たとこ勝負だ!)
賭けではあるが、案外そういうのも悪くないとレイナは思えた。
4
その日からレイナの行き当たりばったりな魔剣製作が始まった。
鉄の感受性である程度の加工方法はイメージできたが、やはり実際に打ってみないと分からないことは多い。
翼があるからといって雛鳥が今すぐ飛び立てるわけでもなく、何度か試行錯誤を繰り返した後、ようやく翼を広げて空の世界に踏み出せる――それと同じような感覚だ。
火炉で熱を帯びたヴェルンド鋼を火箸で取り出し、金床に移して鎚でひたすら打ち延ばす。飛び散る火花と立ち昇る熱気がレイナの肌を焼いた。
何度か打ち叩き鍛えたのち、水槽に入れて焼き入れをしつつ仕上げていく。
色々試した結果、鋳造(溶けた鉄を型に流し込んで固める手法)よりも、鎚で叩いて変形させていく鍛造のほうがレイナにはしっくりきた。
「……ダメだ。炭素の比率とかは考えられるけど、魔力ってなんだ、魔力って!?」
魔剣というのだから、魔力がどうとかはあるはずだ。
しかしそれら情報が一切ない状態だと、鉄の感受性を持っていたとしても難しいところが多すぎる。
いちおうはできた直剣を前にして、レイナは頭を抱えた。
なにか違う。いつものように『これで完成!』という感覚がまるでない。筆記試験をすべて直観で回答したときのような、そこはかとない不安感が渦巻いていた。
「苦戦してますわねー」
「してますねー……って、オイ!」
気配を感じさせることなく、レイナの隣に座っていたリリエラが突然声を上げたのだから、レイナはびっくりして数歩退く。
「ごきげんうるわしゅー。どうも、高貴な貴族令嬢リリエラでございますわよ」
「あんた、真昼間からなにしてんですか」
今日は従者の兵士もいない。
変に気を遣う必要もないし、そんな余裕もレイナにはなかった。
「暇だからやってきたのですわ」
「暇つぶしなら余所でやってください」
「うふふ、面白い子ですわね」
「私は面白くありませんけどね」
冷やかしにでも来たのか。と、レイナが吐く唾を口元に溜めていたところで、リリエラは出来上がったばかりの直剣を手に取った。
「見事な仕上がりですわね。試しに魔力を込めてみても?」
「ええ、どうぞ」
そう言うとリリエラは工房の外に出て、木々が並び立つ裏山へと足を運んだ。レイナもそれについていく。
「少し離れていたほうが良いですわよ?」
「は、はぁ……」
なにを大袈裟な、と思いつつもレイナはリリエラから距離を取った。
それを確認したリリエラは直剣を両手で握って、静かに瞳を閉じて――力強く見開く。すると直剣から緑色のオーラが立ち昇り、リリエラの全身を包んでいった。
「破ッ――!」
リリエラが咆哮すると、魔剣自体からも緑色の光が輝き始め四散。光は刃のような鋭さを持ち、周囲の木々を切り裂いていく。
木々が音を立てて倒れるなか、轟音とともに光は最大級の輝きを放ちながら、振り上げられる。
しかし振り上げた瞬間、直剣に亀裂が入り、内側から光が吹き出していき、最終的には砕け散っていった。
「はぁ、またこれですわ」
「…………」
レイナは絶句した。
前世で見たバルシュファンの魔力とは違う、純粋で膨大で暴力的ともいえるエネルギーの奔流。これがリリエラの魔力――。
「安心してください、あなたの魔剣はまだ“もったほう”ですの」
「これがあなたの全力……」
「いえ、2割ですのよ」
途方もない話のようだ。
鍛冶職人として修業を重ねた結果、ようやく魔剣鍛冶になれたような熟練の人間でも、リリエラの全力に耐えられるものは作れない。鉄の感受性があるとはいえ、鍛冶職人としての経験が浅いレイナが作れるようなものではなかった。
自分はまだまだ未熟だ。そう言って諦めても、誰もレイナを咎めたりはしないだろう。しかし、レイナ自身はそれを許さなかった。
「どうしました? もうやめにします?」
「いいえ。私には魔剣鍛冶になって成さねばならぬことがあるのです。ここで諦めるわけにはいきません」
砕け散った魔剣の破片を拾い集めて桶に入れ、レイナは喉の奥から掠れた声でそう言った。まるでなにかに憑りつかれているかのように、挫折という選択をレイナは持てなかったのだ。
しかしどうすればいい。
なにが正解だ。
レイナの思考は、目の前の高すぎる壁に惑わされて混沌を極めていた。
「レイナさん。あなたには魔剣鍛冶への憧れを感じない。かといって、鍛冶への情熱も人並み程度。いったい、なにがあなたを突き動かすのです?」
「あなたには関係ありません。私の仕事は、あなたの魔剣を作ること。必要なのはそれだけでしょう?」
干渉するな、とレイナが目で訴えかけているのを察したのか、リリエラはそれ以上なにも聞かなかった。
「私はあくまで魔剣使いです。魔剣の製造方法は知りません。ですがひとつだけ――」
リリエラは人差し指を立てて、レイナの瞳を見つめ返すと、
「魔剣の中を魔力が流れることによって、力となって出力されるのです。ゆえに良い魔剣ほど、魔力の流れがスムーズなのでごさいましてよ」
「それが魔剣の良し悪しを決める、と?」
「もちろんそれだけではありませんの。使用者の魔力の特性を理解し、それを最大限に引き出す形状。魔力を利用して稼働する技巧。どれも重要ですわ」
その瞳が煌めき、レイナの固まっていた心に突き刺さる。
「魔剣鍛冶いわく『魔剣製作の極意は無限にある』。作るのは簡単かもしれませんが、極めるのは己の技量とセンス。常に進歩を続ける魔剣鍛冶こそ、我々ノブレス同盟が求める人材なのですわよ」
つまるところ答えは自分で探せということか。レイナはそう理解した。
「もう一度見せてください。今度は、あなたの全力を。間近で」
「というと?」
「全力を出したときに魔力の流れが見えるはずです。その流れに逆らわない構造にすれば、強度を高めずともある程度耐えられるように作れるかもしれません」
「なるほど! 銃を持って剛を倒すってヤツですわね!」
「柔よく剛を制す、です。あと使い方微妙に間違ってますよ」
壁は高い。しかし乗り越えるためには試行錯誤を繰り返さねばならない。
鍛冶というものの基本に立ち返ったレイナは、それから1ヶ月以上、ひたすら直剣型の魔剣を打ってはリリエラの全力で砕かせるという事を繰り返した。
そしてようやくリリエラの魔力の特性と、魔剣への流れ方が見えてきた頃――。
5
「ごきげんうるわしゅー! レイナ、今日も来ましてよ!」
魔剣の制作依頼を受けてから2ヶ月が経過――。
このところ、毎日のようにリリエラが真昼間から工房にやってきては、レイナの心を乱してくる。別に邪魔してくるわけではないのだが、どういう意図があるのかさっぱり分からず、レイナは困っていた。
「どうして毎日工房にやってくるんですか!?」
「そりゃ――」
「国境付近の警備を担当する魔剣使いとして、この町に派遣されたからでしょう」
「すごい!!! さすが、レイナは直観でなんでも分かるんですわね!」
「もう10回以上、あなたから聞いていますからね」
要は警備任務のついでに魔剣の製作依頼を出してきたということだ。
期間は半年。レイナが依頼を受けようと断ろうと、その間はアルケンの国境付近に滞在する予定だったということである。
「私が聞きたいのは動機ですよ。町には酒場とか、もっと賑やかな場所がたくさんあります。なのにどうして、煤まみれた女しかいない工房に遊びに来るんですか」
「煤まみれた女に会いたいからでしてよ」
「なっ……」
「私はあなたのことが気に入ったのです。その無礼極まりない態度、私の高貴さに一切動じない心、たまに見せる殺してやろうかってぐらい鋭い目つき。ゾクゾクしましてよ!」
やはり貴族は倒錯した性感情を持っているということなのか。
興奮するリリエラに対し、レイナはあくまでも冷静に作業に戻っていく。
「あなたのことが好きなのですわ」
「そうですか。じゃあ嫌われるように努力します」
適当に流す。貴族の好意など考えただけでもゾッとする。
どうせ前世のときのように、裏に潜むのはロクでもない感情だ。
「ねぇねぇ、レイナ。今はなにをしていらして?」
「見て分かりませんか。“沸し”の準備ですよ」
「専門用語でございますわよ、まったく意味が分かりませんの」
四角形に加工された鋼に泥を塗り、藁をまぶして火炉の中に突っ込んでいく。火炉の炎を調節しつつ、中で鋼が赤く染まっていく様子をレイナは真剣に見つめている。
鉄の感受性のおかげで、どこまで熱されて、どのタイミングで火炉から出せばいいのかは直観で分かる。あとは――。
「はいそこどいて!」
レイナはリリエラを突き飛ばして下がらせると、火炉から熱された鋼を火箸で取り出し、金床の上に置くと鎚で勢いよく打ちつける。何度も鋼を打ち鍛え、その形状を少しずつ変えていく。
真ん中に折り目を付けさせると、鎚で打って折り重ねていった。
「ヴェルンド鋼は非常に頑丈な鋼です」
「高貴な私を突き飛ばすなんて、やりますわね!」
「何度も折り重ねることで、鋼の層を作り出す」
「ミルフィーユみたいですわね!」
「そのうち鋼が繊維のように縦方向に集中することで、さらに強度は上昇――」
1本の矢では折れてしまっても、何本か束ねれば折れにくくなる、その理論とおおよそは同じことだ。
「直剣の製法ではどうしても強度を確保できない。そこで私は、調度品として製作した包丁の製法を応用したのです」
「レイナって、専門分野になると多弁になりますわよね」
「専門なので」
昨日のうちに何度も折り重ねて打つことは繰り返しており、既に鋼の層は3万層を越えている。
この製法は調度品の包丁を作成する際に用いた、試行錯誤の副産物のようなものだ。武器に応用するのは初めての試みで、上手くいくかどうかレイナにすら分からなかった。
聴こえてくる鉄の声を頼りに、ギリギリまで鋼を鍛えていく。
やがて板状の鋼がU字に折れ曲がると、その隙間に別の鋼板を挟み込んでいった。
「これが私の考えた魔剣の製法――」
その2つの鋼板は材質からしてまるで別物であった。
「魔剣の軸となる部分にはヴェルンド鋼は用いりません。強度を重視した素材を用いります」
「それって……」
「はい。砂鉄鋼です」
「なるほど! なんのことかサッパリですわよ!」
はぁ……と溜息を吐きつつ、レイナは2つの鋼板を何度か打って、泥と藁をまぶして火炉に戻した。
「炭素量が極端に低く、靭性の高い――」
「…………うぅ」
「要は細くしなやかな鋼を軸にすることで、たとえ一時的に曲がったとしても、折れることはない魔剣を作ろうと考えたのですよ」
難しい言葉がことごとく理解できないリリエラがさすがに可哀想に思えたのか、レイナは言葉を変えて説明してやることにした。
「芯が柔らかいほど折れにくい。頑固者じゃダメってことですわね」
「まぁ人間に置き換えるならそういうことです」
リリエラの魔力の流れは切っ先に向けてまっすぐ伸びていた。だからこそ振り上げる前は、それほど魔剣にも負担はかかっていなかったのだ。
しかし振り上げた瞬間に横方向からの負荷がかかり、大きな亀裂が入った。
折れずに硬い魔剣を作ることばかり考えていたが、魔力の流れをよく見れば答えは別の場所に合ったと分かる。むしろ曲がってもいい、と考えるべきだったのだ。
曲がったうえで形状が元に戻るようにすれば、それは折れない魔剣として成立する。
ようやく答えが見えてきた。
「で、次は――」
「ぐぅがぁ……」
ようやく魔剣製作が軌道に乗り出し、機嫌が上向きになったレイナが振り返ると、リリエラは工房の端っこで丸くなって眠っていた。
レイナが作業に戻った数分間の間に、完璧な睡眠に入っていたのだ。
「また寝てるし」
真昼間にやってきたと思えば、少し会話してあとは夕方になるまでずっと眠っている。リリエラが工房に訪れるときはずっとそうだ。
おかげで今では工房の端っこに、リリエラ専用の昼寝スペースができるぐらいである(彼女の従者たちが“勝手に”設置した、クッション付きのベッドだ)。
いったいなにがしたいのか、レイナには理解できなかった。
理解しようとも思わなかったが。
魔剣鍛冶になるために利用できる人間、それ以上に思うことはなかった。
6
その日は結局、リリエラは夕方近くまで爆睡し、従者の兵士たちに担がれて撤去された。
ただ寝ていただけなのに、レイナの気分としては嵐が過ぎ去っていったような感覚である。
「こんなところに半日もいれば、煤でドレスも汚れるというのに。いや、そんなの気にするわけないか」
独り言をぶつくさと呟きながら、レイナは鋼を打ち続ける。火炉で熱しては、水のついた鎚で叩き鍛え上げるのを何度も何度も、気が遠くなるほどの回数続けていた。
少しずつ伸びていった鋼はレイナの腕をも超える長さにまでなっている。
「所詮は金持ちの道楽。煤汚れた女を見物して楽しんでいるに違いない。だってあいつは貴族なんだ。貴族は――」
独りで鋼を打っていると嫌でも思い浮かんでくる、前世の記憶。
今でも怒りで狂ってしまいそうな、暴虐公爵バルシュファンの悪行の数々。家族の命を蹂躙し、その死体まで弄び、さも当然かのように今も生きている。
バルシュファンはこの世界に生きてはいけない生物なのだ。だからこそ奴を殺せる魔剣を、少しでも早く作れるようにならなければ。
「――殺す」
レイナの精神をドス黒いなにかが浸食してくる感覚があった。
怒りで全身の細胞が燃え上がってくるような。止められるはずもないし、止めたいとも思わない。
そう思っていたときだった。
「あんたがリリエラ嬢の魔剣を打ってる鍛冶職人か?」
男の声だった。しかしバルシュファンのものとは違い、年齢を重ねた深みのある声調だったため、肩がビクッと震えるだけで過剰な反応はしなくて済んだ。
レイナは静かに振り返り、男のほうを見る。
「ええ、そうですが。あなたは?」
「オジサンはロベルト。国境付近の警備を担当している魔剣使いだ」
見た目は初老の男性で、少しばかり腹が出ている。おがくずみたいな髪型に整えられた髭が特徴的な、どこにでもいるような男だとレイナは感じた。
魔剣使い、ということは貴族なのだろうか。
「あなたも冷やかしに来たのですか?」
「ま、そんなところだ。名前は――」
「レイナです」
「レイナちゃんか。手土産もあるぞ。ささ、食べようぜ」
ロベルトは腰に提げていた紙袋を手に持って、ニッと笑ってみせた。
町の名物〈ジャガイまん〉だ。ふかしたジャガイモが小間切れになって入っている饅頭である。ジャガイモは大陸では金持ちから庶民まで幅広く食する、代表的な作物のひとつだ。その味を好む者は多い。
レイナは貴族などからは施しを受けるつもりなどなかった。
「いただきます」
しかし、発したのは思考とは正反対の言葉。なにを隠そう、レイナはこのジャガイまんが大好物なのである。
親方が厳しい修行の終わりにくれたもので、その思い出による補正もあるが。
「んむっ……美味しい」
外はモッチリ、中はホクホク。ジャガイモの素朴な香りが凝縮された湯気が、レイナの唇を撫でた。口の中に広がった旨味が、1日の疲れに寄り添ってくれる。
レイナは思わず人前であることを忘れて、気の抜けた声を出してしまった。
「ははは、気に入ってくれたようでなによりだ」
「ありがとうございます……」
「それぐらい大したことはないさ。それよりも、リリエラ嬢の様子はどうだ?」
「工房に来ては私に話しかけてきて、会話が弾んだと思ったら勝手に爆睡して。正直、あの人の考えることはよく分かりません」
「そうか……」
ロベルトはしばらく考え込むと、
「しばらく夜警のシフトを代わってやったほうがいいかもな」
「夜警?」
「あいつ、オジサンだからって夜間警備を率先して引き受けたのさ」
「ってことは、リリエラは夜の間、ずっと起きて警備をしているというのですか?」
「そりゃそうさ。いつなんどき、貴族連邦の魔剣使いが国境を越えて侵攻してくるか分からない状況だからな」
真昼間に現れて、すぐに爆睡して帰っている理由はそれか。
レイナは少しだけリリエラの行動の意味に納得した。
「魔剣使いっていうのは、良くも悪くも戦場じゃ重要な存在なのさ。そのぶん今回の魔剣製作の依頼だったり、無茶なこともできるわけだが」
「貴族の特権ですか」
「ああ、そうさ。おかげでオジサンも妻と3人の娘に安定した生活を送らせてやれてる」
「そうですか……」
今まで会ってきた貴族とはまるで違うロベルトに、戸惑うレイナ。
その様子を見て彼女の心情を察しつつも、ロベルトは続けた。
「だが特権もあれば、義務もある。戦争になれば先頭に立たなきゃならないのは、俺たち魔剣使いの貴族だ。それはリリエラ嬢だって変わらない」
「…………」
返す言葉が見つからなかった。
リリエラは悪人じゃないのか。貴族は全員、悪いヤツじゃないのか。
復讐心で濁っていた心が洗われるたびに、迷いが生じてしまう。
「ワケあって私は貴族が嫌いです」
「じゃあリリエラ嬢のことも嫌いか?」
「わかりません。でも、貴族が嫌いなら、あいつのことだって……」
「それはそれでいいんじゃないかな」
ロベルトはちゃっかり用意していた自分のぶんのジャガイまんを口に運びつつ、レイナのほうを見て言った。
「貴族は嫌い。でもリリエラ嬢のことは嫌いじゃない。そういう関係性もアリだと、オジサンは思うけどね」
「……それは矛盾では」
「矛盾じゃないさ。オジサンだって貴族連邦の横暴には嫌気がさしてるけど、3年前に戦った貴族連邦の魔剣使いのことは気に入ってる。倒すのがもったいないぐらい、堂々とした人物だったさ」
「貴族っていうよりも武人ですね、そこまでくると」
「もしくは武人が貴族なのかもしれないよ」
言葉遊びみたいだな、とレイナは笑みをこぼす。
「あまり無理するんじゃないぞ。オジサンは心配だよ」
「無理なんて。成し遂げねばならないことがあるので、そんなこと気にしている場合じゃないですし」
「……そうか。ま、心に留めておいてくれ」
最後まで貴族というものがどういう存在なのか、レイナは確たる答えを出せぬままだった。きっと貴族には貴族の、平民には平民の、鍛冶職人には鍛冶職人の事情というのがあるはずなのだ。
それを理解するべきかもしれない、だけど――。
なにも分からず、ただレイナは前に進むため、鋼を打ち続けることしかできなかった。
◆
アルケンの東にある貴族連邦領との国境線付近。
ノブレス同盟の野営地がそこにはあった。青と銀色の旗印が掲げられたドーム状のテントがいくつも設置されており、兵士たちが行き交っている。
その最前列、先端が鋭く尖った木の柵や車輪付きの榴弾砲(大砲)が並べられているなかで、おおよそ戦場には似つかわしくない純白の丸テーブルと椅子が置かれていた。
座するは貴族令嬢リリエラ。今宵も白磁のような肌を月の光に照らされながら、優雅に紅茶を嗜んでいる。
「今日は随分と静かな夜ですこと」
その横には、布でくるまれた大剣が地面に突き刺さっていた。リリエラが現在使用している魔剣〈センチネル〉だ。しかしこれもリリエラが全力を出してしまえば、耐えきれずに砕け散ってしまうだろう。
ティーカップをテーブルに置き、双眼鏡を持っている従者の兵士に尋ねた。
「敵の様子は?」
「はっ。兵士たちが頻繁に持ち場を交代しております」
国境地帯は一面が平地となっており、その向こうには赤と金色の旗――すなわち貴族連邦軍の野営地があった。両者にらみ合いといったところだ。
かれこれ半年以上、この状態が続いているという。
「おそらく近々、ありますわね。兵士の方々は交代でしっかりと睡眠を取ってください。疲労で倒れられては困りますゆえ」
「それはリリエラ騎士卿も同じでは……」
「いいえ。私は紅茶をゆっくりと嗜みたいのでしてよ」
こうして最前線で優雅に振る舞うこと、それが重要だ。
戦線で貴族が狼狽えていれば、その指揮下で戦う兵士たちも動揺に狼狽えていく。いかなる状況でも余裕を持った振る舞いを心がければ、兵士たちもまた同じように余裕を持つ。
そしてそれは敵軍にも伝わる。奴らに一切の心理的な隙を見せないこと。それが貴族たるリリエラの役割でもあった。
「こんな時間に珍しいですわね。真夜中のお茶会に参加するような方ではございませんのに……」
リリエラがそう言ったのは兵士にではなく、その後ろに立っていた男に向かってだった。
「ロベルト子爵、交代の時間には早くてよ?」
「リリエラ騎士卿こそ、夜更かしするには堂々としすぎでは?」
ロベルトはそう返すと携帯用のスティックバーを口に運び、お土産とばかりにテーブルの上に、ジャガイまんを1つ置いた。
「その呼び方は堅苦しくてよ」
「じゃあ、オジサンのことも子爵とは言わないことだな」
「お厳しいこと。で、レイナのほうはどうでした?」
「複雑な感じの子だ。随分と自分を追い込んでいたようだが――」
ロベルトは少しだけ深刻そうな表情を浮かべつつも、
「リリエラ嬢のおかげで、なんとか自分の気を緩められているようだぞ」
「はて? 私はあの子を気に入っているだけでしてよ。恋人にして溺愛したいほどに」
「少し前までは寝小便垂らしてた嬢ちゃんが色を語るなんて、オジサンには信じられんがね」
「……ッ」
リリエラは赤くなった顔を俯くことで隠して「お、お下品でしてよ」と声を漏らした。その様子を見て、まだまだ子供だなという表情を浮かべつつも、ロベルトは口に出すことなく背中を向ける。
「オジサンは今月いっぱいで引退だ。交代の人員ともうまくやってけよ」
「さぁ。うまくやるのは、交代の方のほうでしてよ?」
「言っても聞かねーか。ま、職場は人間関係が大事よー」
意地の悪い初老の男性の背中は野営テントへと消えていく。
子供の頃から少しも変わっていないその背中に、リリエラは静かに一礼をして、前線の警備に意識を戻した。
7
◆
レイナの工房では、ようやく形になってきた魔剣の焼き入れが行われていた。
長細い水槽に、熱されて赤々と輝く魔剣を勢いよく沈める。すると表面に塗っていた粘土と木炭の混合物が剥がれていき、ゆっくりと魔剣の刀身が“反った”。
この反りこそ、レイナが求めていた形だ。
「よかった……」
鉄の感受性である程度の設計図は頭の中にあり、どうなるかというのも予想できたが、実際に試してみないと分からなかったので、レイナは胸を撫で降ろす。
この製法をレイナは独自の発想と鉄の感受性で編み出したが、親方が言うにこれは〈剣〉ではなく〈刀〉というらしい。遠い昔、魔剣という概念が存在しなかった古代において用いられていた武器のひとつだとか。
古代のことは文献にはほとんど残ってはいないものの、いくつかの事実は口伝で現代まで残っている。
「もっとも作り方はとっくの昔に忘れ去られていたはずだ。我が弟子は、それを蘇らせたといっても過言ではない! さすがだな!」
親方は「偉大なる弟子の伝説に新たな1ページが加えられたな」と大声で喜んでくれた。レイナも悪い気はせず、そのときばかりは素直に嬉しくなっていた。
あとはひたすら刀身を研ぐという、地道な作業が待っている。
何日ものあいだ、レイナは一心不乱で研ぎ続けた。今が朝なのか昼なのか夜なのかも気にすることなく、目の前の煌めく刀身に意識を集中させていった。
そろそろ完成だ。レイナがそう思っていた頃、事件は起こった――。
太陽が昇ってしばらく経った頃。町がいつもより騒がしくなっているなか、工房に男の声が響き渡る。
「レイナはッ、レイナはいるか!」
工房の扉を押し倒しながら入ってきたのは、ロベルトだった。
ただならぬ声調に、レイナも砥石の上に置かれた魔剣から手を放して、玄関まで駆け出す。そこでは鎧を着こんだ大きな体が、腹部から大量の血を流しながら倒れていた。
「ロベルトさん!」
「おお、よかっ、た……魔剣は、できた、か?」
「え、ええッ! そんなことより傷が! 町の医者を呼んできま――」
「呼ぶな」
ロベルトはレイナの腕を掴むと、掠れた声で強く語りかけた。
「よく聞け……。東の国境地帯は分かるな?」
「ええ、はい!」
リリエラが魔剣の試し斬りを行った裏山の向こうの平原地帯。その先に国境線がある。
「今、貴族連邦軍の魔剣使いが野営地を攻めている。奴らの力は圧倒的だ。今のリリエラじゃッ……!」
「ロベルトさん!」
「レイナ、君が打った魔剣を、リリエラに……!」
出血が止まらない。みるみるうちにロベルトの表情から血色が消え始めている。
レイナは震える手で彼の身体を持ち上げ、
「死んじゃダメです! あなたには娘さんが!」
相手は貴族だった。しかしそれ以上に、誰かの父親だった。
突然家族を失った前世を持つレイナだからこそ、目の前で死にかけている“父親”であるロベルトを見捨てることなどできない。
「成し遂げたい、ことが……ある。ン、だろ? でも、それにはリリエラが必要、だ。違うか?」
ゆっくりとロベルトは体を起こして、レイナをまっすぐ見た。
「オジサンのことは、気にしないでくれ。魔剣のスキル、【治癒】なんだよ。だから……じきに、怪我は治る。動けるようになったら合流、する」
たしかにロベルトの声はさっきよりも少しだけハッキリしている。魔剣のスキル――バルシュファンのものが【自己再生】だったので、ロベルトが似たようなスキルを持っていても不思議ではない。とはいえ……。
レイナは完全に飲み込めないまま、しかしロベルトの声に押されるように、
「行け! リリエラを助けてくれ!」
「……わかりました!」
細かいことは考えないことにした。
考えているうちに時間がリリエラを殺すかもしれないからだ。そうなってしまえば、レイナの製作した魔剣は使い手を失ってしまう。
完成度は7割といったところだ。
刃を保護する鞘もなければ、グリップやガードも取り付けられていない。
だが刃は十分に鋭くなっている。実戦で使えるはずだ。
レイナは完成した魔剣をボロ布で巻きながら、工房を飛び出した。
◆
ひとり工房に残されたロベルトは、我ながら上手いのか下手なのか分からない嘘をついたなと、自嘲気味に笑ってみせた。
鎧の下では飛び出したハラワタが踊っている感覚がする。それだけで、もう助からないと確信が持てた。全身の骨のいくつかは折れて、そのうちの数本が肺に突き刺さっているのか、息がしずらい。
敵の魔剣使いは今までにない恐ろしい力を持っていた。自分は果敢にも立ち向かったが、まったく歯が立たずだ。リリエラに逃されたが、その頃には致命傷を負っていた。
このまま逃げても生き残れる道はない。ならばレイナの魔剣に賭けよう。
そう思ってここまで魔剣のスキル【韋駄天】を使って、高速移動してきたのだ。
「父さん、ちょっと痩せたぞ」
ポケットから娘たちが描いた自分の絵を取り出して、ロベルトは静かに呟いた。何重にも塗り重ねられた色、実際の姿よりも腹は強調されて描かれている。
「次はもっとイケ、オジに……描……」
実のところ、ロベルトは死ぬ覚悟など微塵もしていなかった。
でもこうなった以上は割り切らねばと自分に言い聞かせて、それでも最後に一筋の涙が流れてしまったとき――彼は永遠の暗闇の中へと落ちていった。
◆
国境線を乗り越えた瞬間、ノブレス同盟側の野営地に並んでいた車輪付きの榴弾砲は一斉に火を噴いた。
たった1人の男めがけて、集中砲火の黒煙が舞い上がる。
しかし男は無傷だった。
返礼とばかりに男は両手の盾を合体させ、そこから巨大な衝撃波を発生。日中の警備を担当していた魔剣使いのロベルトごと、野営地の兵士たちを吹っ飛ばして行った。
そして今、戦場と化した野営地には兵士たちの死体が折り重なるように倒れている。倒壊したテント、破壊された木の柵と榴弾砲。そこに立っているノブレス同盟の人間はただひとり。今しがた駆け付けてきた魔剣使いのリリエラだけだ。
彼女は負傷したロベルトを逃がしつつ、目の前の敵と対峙する。
「俺が名乗る前に、みんな死んじまったなァ」
声の主は全身を真っ赤な鎧兜で身を包んだ男だった。立ち昇る赤い瘴気のなか、両手には半円刑の巨大な盾を持っている。装備はそれだけ。
それだけでこの野営地を死屍累々の地獄へと変貌させたのだ。
「俺はよォ、慎重派だからよォ……名乗ってるうちに奇襲受けて殺されるかもって思うからよォ……。自分の勝利を確信しないうちは名乗らないようにしているんだぜェ。カッコつけたくても我慢するぜェ……」
リリエラは目の前で喋っている男のことよりも、撤退したロベルトの身を案じつつ、己の大剣型の魔剣〈センチネル〉を握る右手に“ほどほどの力”を込めた。
貴族連邦軍側に一般兵の姿は無い。彼が単騎で突破してきたようだ。蛮勇か、もしくは別動隊として運用しているのか、あるいは……。
考えても仕方のないことだ。リリエラは目の前の敵に集中する。
「だがよォ! 今! 俺は勝利を確信したぜェ! ゆえに名乗るッ! 名乗らせてもらうぜェッ! 俺は貴族連邦南部方面第二侵攻軍所属、フォレリウス辺境伯だァ! 我が魔剣〈デンジャラスゾーン〉に防げぬ攻撃なしッ!」
彼が両手に持っていたのは盾だ。しかし魔剣は別に“剣”である必要はない。
貴族の持つ膨大な量の魔力を出力する機能があれば、たとえ槍だろうと斧だろうと羽ペンだろうと、魔剣と呼称するのがこの世界のルールだ。
「ノブレス同盟軍アルケン国境防衛隊所属、リリエラ騎士卿。いざ、参りましてよ」
リリエラは手にした〈センチネル〉を大きく振り上げながら、地面を蹴ってフォレリウスに接敵する。敵は重厚な鎧に、巨大な盾型の魔剣だ。
先手はこちらにある。
「破ァッ!」
勢いよく繰り出した縦方向の斬撃は、微かに魔力の光を帯びていた。
たとえ盾で受けようともタダでは済まないはず。そう思っていた、リリエラだったが。
「無駄だぜェ。双盾、合体ッ!」
「止めた!?」
「魔剣〈デンジャラスゾーン〉によって引き出された俺のスキル! それは【完全自動防御】だァ! どんな攻撃だろうと、完璧なタイミングで、完全なガードを決めるッ! そしてェ――」
リリエラの〈センチネル〉を軽々と受け止めた〈デンジャラスゾーン〉は、その衝撃を吸収し――放出した。
至近距離で発射された衝撃波がリリエラを襲う。
「これが魔剣〈デンジャラスゾーン〉のスキル!」
「貴族1人にスキルは1つと決まっているはずでしてよ!?」
「違うんだなァ! 俺のは“魔剣自体にも”スキルが存在する! それこそが【衝撃の吸収と放出】!」
魔剣自体にスキルが存在するなど、リリエラは聞いたことがなかった。
しかしその事実に驚くよりも、目の前の事態への対処が最優先だ。〈センチネル〉を前方に構えて衝撃波を受け止めつつ、後方へと吹っ飛んでいく。
「受け流したか……凄いなァ」
「はぁッ……はぁッ……!」
魔剣によって自身の魔力が出力されている間は、身体能力も強化されている。Sランクの剣聖体質であるリリエラは強化度合いも、それに見合ったものとなっていた。
しかしそれでも衝撃波はガラス片のように鋭く、リリエラの身体の各所に突き刺さり、人体を確実に破壊していた。
リリエラは諦めることなく何度もフォレリウスに突撃していく。
奴の【完全自動防御】の隙間をかいくぐることさえできれば、勝機は見えるかもしれないと思ったからだ。そしてなにより“コイツを放っておくわけにはいかない”という考えが、彼女の背中を突き動かしていた。
「オイオイオイオイ! 随分と諦めの悪い、お嬢様じゃねぇかァ!」
熟練の魔剣使いであるロベルトを無傷で倒し、Sランク剣聖のリリエラをも圧倒しているフォルネウスとかいう人物。おそらく数千、いや万単位の兵士でも倒しきれるか怪しい相手だ。
こんな奴を町に入れるわけにはいかない。
だからこそ猛攻撃を加えることで、リリエラは時間稼ぎをしているのだ。
僅かな勝機と、援軍の可能性。そしてなにより貴族としての意地ゆえに。延々と続く決め手のない打ち合いを繰り返していった。
「さっきから単純な攻撃ばかり……さてはお前、スキルを使えないんだな?」
「使うまでもないのでしてよ」
「いいや、まだ使いこなせる魔剣がないと見た! それに聞いたことあるぞ……、ノブレス同盟にもSランクの剣聖体質の奴がいるってよォ! って、バルシュファンと同等かよォ! こいつはヤベェ、強者だァ!」
急にフォルネウスは怯えだしたと思えば、近くの倒壊したテントで倒れている1人の兵士を引きずり出して、自分の横に叩き落とした。
そのときの衝撃で、兵士の両足は逆方向に折れ曲がる。
「止まれェ! この兵士はまだ生きてるぞォ!」
「人質など卑怯でしてよ! 貴族としての誇りも捨てたのですか!?」
「たしかによォ、貴族としての誇りは重要だァ……だが物事には優先順位ってヤツがあってよォ。たとえ自分の勝利を確信できる状況だとしても、目の前の奴がとんでもねぇ才能の持ち主だったらよォ……警戒するじゃあねぇかァ……」
両足を折られた兵士に〈デンジャラスゾーン〉の右側を向けて、
「さっき貴族としての誇りがなんたらと言ったなァ? お前はどうなんだ?」
「リリエラ騎士卿! 私のことはッ……」
人質となった兵士が苦悶のなか、声を振り絞り叫ぶ。
「たしかに兵士1人の命と、Sランク剣聖の魔剣使いの命は対等なわけねぇ! 後々のことを考えりゃ見捨てるのが常識……だが、お前は迷っているッ! 貴族としての誇りとやらに背くからなァ!」
「…………」
リリエラは沈黙した。
「見捨てたとして、お前は平静を保てねぇはずだ! 心が揺らぐッ! 罪悪感ってやつが、お前の足を掴むッ……。あとは動揺したお前を、丁寧に、確実に、安心できる方法で殺すだけだァッ!」
「……いいえ、見捨てませんわ」
「はァ? ならば魔剣を地面に置けェッ!」
魔剣を手放すこと。それは魔剣使いにとって絶対的な敗北を意味している。
リリエラはまだ十分戦えた。しかし〈センチネル〉を地面に突き刺し、グリップから手を放すことを選択する。
そして後方にて息を切らした1人の少女に向かって、静かに言う。
「レイナ、駆けつけてくれたのに申し訳ありませんわ。私、負けてしまいましたの」
8
◆
その言葉を聞いたとき、布にくるんだ魔剣を抱えていたレイナは絶句。
目の前では大剣を地面に突き刺し、無手の状態で立ち尽くしているリリエラがいた。
「ま、負けたってどういうことですか!」
「言葉の通りだァ! 通りすがりの可愛い嬢ちゃーん!」
フォルネウスは真っ赤な鎧の内側で下種な笑みを浮かべつつ、人質にとった兵士とリリエラを交互に見て、
「こいつはたった1人の兵士、しかも足が潰れてもう使い物にならねぇっていう奴のために、自らの負けを認めやがったんだよォッ!」
「リリエラ!」
本当に彼女は貴族なのか? 平民と自分の命が同等だと……否、それ以上だ。
普通、自分の命と見知らぬ誰かの命、天秤にかければ自分のほうが重くなるはず。それが人間じゃないのか。それが貴族じゃないのか。
レイナは戸惑いながらも、リリエラの背中に声をかけ続ける。
こんなところで死んでくれるな。
お前は私が魔剣鍛冶になるために必要な人間なのだ、なにより――。
「意味の分からない死に方をするな!」
「意味ならありますわ」
この状況であっても、リリエラは余裕ぶった微笑みの表情をレイナに見せてきた。
(今から自分が死ぬっていうのに、どうしてこいつは――私を安心させようとしてくるの!?)
そんななか、フォルネウスはまだ少し心配だと唸り、リリエラを指さして言った。
「服もだァ」
「は?」
「もしかすれば、お前の服も魔剣かもしれねェ! 髪飾りも魔剣かもしれねェし、下着だって魔剣かもしれねェ! つまりハダカになれって言ってんだよォ!」
「わかりましたわ」
躊躇なく即答だった。
リリエラはまるで未来予知でもしていたかのように、その唐突で意外すぎるうえにゲスの極みな要求を受け入れたのだ。
しかし動揺はしているのか、若干リリエラの服を脱ぐ手つきは拙く感じた。上着を脱ぎ捨て、スカートも地面に落とし、髪留めを外すとそれもまた地面へと吸い込まれていく。
瞬く間に下着のみとなったリリエラに、もはや貴族のような高貴さは感じられなかった。
「ヒッ、ヒッ、いいぞォ。早くしろォ……心配だからなァ……」
実際のところフォルネウスはそこまで心配する必要もないと思い始めていたようだが、それはそうと目の前で麗しい女性が服を脱いでいく様にとても愉しくなっている様子だ。屈服させたい。そんな男としての欲望が彼を暴走させている。
本当に魔剣を警戒しているのなら、レイナにも手元にある布にくるまれたモノを置けとも言うはずだ。
すなわちフォルネウスにはリリエラしか見えていなかった。
「私はブラのホックを1人では外せませんの。そちらの少女に手伝わせても?」
「たしかにアレは1人じゃ外せないもん、だよなァ? よく分からねぇが、女っていうのは大変だなァ。いいぞォ」
許可が取れると、リリエラはレイナを手招きする。
「いったいなに考えてんですか、あなたは」
「……レイナ、よく聞いてくださいまし」
レイナが駆け寄ってブラのホックに手を伸ばしたとき、リリエラは小声でそう囁いた。
「……おそらく奴はこのあと“俺に近づけ”と言ってくるはずでございましてよ」
「……だったらなんです?」
白く美しい背中の柔肌にレイナの指先が触れて、静かにブラのホックを持ち上げて、
「……私がレイナの名を呼んだ瞬間、私に向かって完成した魔剣を投げてくださいまし」
外す。
「なッ……」
「……奴のスキル【完全自動防御】は私の攻撃に、自動で反応するはず。奴の間合いにはいれば、一撃は打ち込みにいけるはずでしてよ」
なるほどと思いながらも、レイナはその作戦の無茶苦茶さに驚愕もしていた。
たしかに一撃は入る。それで倒せれば人質の兵士も助かるだろう。しかし前提条件が多すぎるうえに不確定だ。
レイナの魔剣が完全に機能すること、そしてリリエラが間合いに入れること、上手く魔剣がリリエラの方向まで飛んでいくこと。そのすべてが成功しなければ、この作戦は成立しないのだ。
「……信じてますのよ、レイナ」
「ちょ、リリエ――」
リリエラはレイナの返事を聞くよりも先に、脱いだパンツを空に投げ捨て、一歩前に歩み出した。
「いいぞ、そうだァ! 分かってるじゃあないか! 俺に近づけ、もっと、もっとだ!」
「かしこまりました……」
「ああ、本当に惨めだなァ! Sランクの剣聖体質だっていうのに、貴族だっていうのに、裸にさせられて歩かされている! 恥ずかしくねェのか、あァ!?」
しかしリリエラの表情は静かだった。恥辱を受けているにもかかわらず、その顔のどこにも赤らんだ箇所はない。嫌悪感も、後悔も、絶望すらもない。
「これのなにが恥ずかしくてよ?」
「なにがッて、そりゃ……」
「私は高貴であろうとしているだけでしてよ!」
リリエラは拳を握りしめ、喉の奥から荒々しく言葉を吐き出した。
「名も知らぬ兵士にも帰るべき場所はありますわ! 守るべき命に変わりはない! 乳房がなんだ、尻がなんだ! 守るべき命のためなら、私は皮膚の内側まで晒す覚悟がありましてよッ!」
彼女は裸だ。しかし情けなくなどは見えない。神々しく輝くその姿は、服など一切の衣を必要としていなかった。
「我が矜持、高貴ゆえの義務に一点の曇りもなしッ!」
たった1人の平民のために、なにも持たず、なにも着ず、重厚な鎧と巨盾型の魔剣で完全武装している男に立ち向かう。
レイナの目にはバルシュファン以上の異常者に見えた。
しかし同時に、リリエラの行動に高貴さの真髄も感じた。
相反する2つの感情が渦巻くなか、レイナは胸に抱いた魔剣の感触を確かめる。
レイナの鉄の感受性をもってしても、この魔剣がリリエラの全力に耐えられるかは未知数だ。だが今日まで死力を尽くして鍛えぬいた。妥協はない。
「レイナ!」
合図だ。レイナは魔剣をくるんでいた布を外し、反った銀色の刃を持つそれを構える。
「あとは頼みましたわよ!」
(これでダメなら私も終わる。だから終わらせない! バルシュファンが地獄に落ちるのをこの目で見届けるまでは! この魔剣が、いつか奴の身を打ち滅ぼすまでは! 絶対に死んでたまるか!)
渾身の力を込めて、リリエラに向けて魔剣投げた。
「受け取れ、リリエラァァァァァッ!」
魔剣が宙を舞う。リリエラはレイナの絶叫に呼応するように駆け出して、地面を蹴って跳躍。そして手を伸ばす。
持ち手に指先が触れ、魔剣は吸い込まれるようにリリエラの右手に収まっていく。
「なァ! あれは魔剣かァ!? しまった、あの女ァ!」
「たしかに受け取りましたわよ、あなたの作った――」
手にした魔剣に魔力を流すとき、貴族たちは本能的にその魔剣につけられた名を理解する。それがなぜかは分からない。
だが、リリエラはたしかに理解った。
「〈無銘刀・試作〉!」
同時にリリエラは〈無銘刀・試作〉が自分の全力を受け止めるにたるシノモノであることを理解する。それもまた本能的に。
〈無銘刀・試作〉の刃はとても長く、細く、反っていた。白銀の刃が陽光を浴びて煌めき、その煌めきをリリエラの魔力が緑色に染め上げていく。
魔力の奔流が巨大な刃となって顕現し、リリエラはそれを大きく振り上げて、
「この一撃で貴方を討ち取らせていただきますわ!」
「バカめェ! 俺の【完全自動防御】は鉄壁! お前の攻撃は既に捉えてあるんだよォ!」
直線距離、ガードを避ける方法はない。
だがリリエラは臆することなく、その魔力の奔流を振り下ろす。
「破ァァァァァァァァァァァアアアアアア―――――――ッ!!!!!」
その奔流は鋭い刃となってフォルネウスの合体した双盾――〈デンジャラスゾーン〉に深く斬り込み、その向こうにいる重厚な鎧ごと両断していく。
双盾によるガードなど無意味である。
「な、なン、でッ……」
「我が魔剣に断てぬものなし」
大地に降り立ったリリエラは、一撃のために全力の魔力を流してボロボロになった〈無銘刀・試作〉を持ち上げ、崩れ行くフォルネウスに切っ先を向けて返した。
「今ハッキリと理解しましたわ。私のスキルは【絶対切断】。あらゆるものを無条件で斬り伏せる能力。今は物質だけですが、極めればそれ以外も斬れるようになるでしょう」
リリエラはたしかに感じた。
発現したスキル【絶対切断】の持つ、無限の可能性を。
「なン、だッ、て……んだァ……」
「高貴で在り続けたものが勝つ。ただそれだけのことでしてよ」
その言葉を最期にフォルネウスは両断された身を地面に崩していき、絶命していった。
「凄い……」
レイナは目の前で起きた奇跡にも等しい出来事に、ただ茫然と立ち尽くしているのみであった。魔剣使い同士の戦い、そしてリリエラの強さ。
彼女の全力によって放たれた魔力の奔流――。
「私の魔剣、そしてあなたの魔力。それがあれば、バルシュファンを殺せるかもしれない。いや、殺せるッ! あなたが私の運命の人だった!」
復讐に必要なもの。それはバルシュファンを殺せるほどの魔剣と、それを操れる強力な魔力を持った貴族。今、たしかに目の前にいる。
リリエラこそが、レイナが必要としていた“復讐に必要な最後のピース”だったのだ。
9
◆
その後、フォルネウスの扱っていた魔剣は回収するよりも前に、赤い瘴気となって消えていった。機密保持のためだろうか。原理は不明だ。
今回の戦いには謎も多い、そうリリエラは言っていた。
フォルネウスが単騎で野営地まで攻めてきたのは、兵士と並んで戦うのを彼が嫌ったからなのかもしれないが、肝心の貴族連邦の兵士たちが1人も見つからない。
国境地帯の彼らの野営地にも、人の気配はまるでなかった。つい先日までは兵士たちが忙しく動き回っていたというのに。
貴族連邦軍の兵士たちはいったいどこに消えたのか。
そしてフォルネウスの持っていた、『それ自体にスキルを有する魔剣』はどうやって製造されたのか。
いずれにせよ戦争や貴族、魔剣を巡るあれこれについて詳しく知らないレイナが、その謎を深く考えることはできなかった。
荒れ果てた野営地で、負傷した兵士たちが援軍としてやってきた部隊の衛生兵たちから手当てを受けている。
この戦いで相当な数の兵士が死んだが、それでも2割ほどは一命を取り留めていたという。
「くそっ……。俺たち一般兵じゃ、魔剣使いの貴族どもには太刀打ちできねぇのか」
「一瞬だった。一瞬で俺以外の全員が死んだ……」
「はやく家に帰りたい。女房と子供に会いたいっ……」
その様子を見ていたレイナは、この世界の戦争がどのようなものかハッキリと理解した。貴族という存在がいかに特別か、そして自分たちがいかに無力かも。
戦いの勝敗を決めるのは魔剣使いだ。兵士たちは魔剣使いの邪魔にならないように、その戦いをサポートするだけの存在――。
――だからこそ、そんな兵士のために命を賭けたリリエラは、異端中の異端だろう。
援軍としてやってきてくれた魔剣使いたちに野営地の警備を任せ、リリエラとレイナは工房のほうへと戻っていった。
するとそこには1人の男の冷たくなった姿が転がっていた。
「そんな……ロベルトさん……」
ロベルトの嘘にレイナは薄々気がついていた。しかしあらためて彼の死体と対面すると、その嘘が本当であって欲しかったと心の底から思ってしまう。
「最初、負傷していたロベルト子爵と数人の兵士が、敵の魔剣使いと正面からやりあっていたらしいですわ。交代して町まで戻ろうとしていた私が駆け付けるまでの時間稼ぎのために、勝てるはずのない戦いをされていたのです」
リリエラも同様に、彼の死に動揺しているようで、震えた手を隠すように後ろに向けて、涙をこらえていた。
「もう少し私が野営地に長く留まっていれば……。今日は早上がりしろと言ってくれたロベルト子爵の厚意を受け取っていなければ、結果は違ったかもしれないのに!」
悔しさを表情に滲ませたリリエラの隣で、レイナは静かに言う。
「もし最初から結果が分かっていたのなら、きっとそんな選択はしなかった」
「レイナ……」
「でも選んでしまった。もう二度とその選択を取り消すことはできない」
前世で自分がバルシュファンに心を許していなければ。彼が表面上だけ見せていた誠実で優しさに溢れる立ち振る舞いに、恋心を抱いていなければ。家族は死ぬことはなかった。
そんな後悔を何度も抱いていたレイナだからこそ、その言葉は自然と出てきた。
「私たちにできるのは、選択の先にある未来を少しでも良くすることだけです」
ほんの少し喋っただけの相手だ。どういう人間なのか深く知ったわけではないし、ましてや貴族という鍛冶職人とはまるで立場も違う存在だった。
ゆえにレイナは涙を流さない。
締め付けられる胸を手でおさえ、我慢した。
貴族という偏見を捨てきれなかった自分が流せる涙などないと感じたから――。
ボロボロのドレスをそのままに、ロベルトの亡骸の前にしゃがみこんだリリエラの背中を見つめながら、レイナは呟く。
「この人、私に嘘をついたんですよ」
「どんな嘘でして……?」
「自分は【自然治癒】のスキル持ちだから、はやくリリエラ嬢のところへ向かえと」
それを言われなければ、レイナは応急処置をしたか、親方たちを呼びに向かっていただろう。
「私はその嘘を信じてしまった。信じるという選択をしてしまった」
助かったかは分からない。だが――。
「その選択を私は後悔しません」
「…………」
「おかげであなたに魔剣を届けることができたから」
ロベルトはレイナに言っていた。
成し遂げたいことがあるのだろう、と。
それにはリリエラが必要だ、と。
それが彼の選択だったのだ。レイナはそのおかげで今、リリエラと一緒にいる。今まで見たことがない、彼女の弱りきった背中を目の前にしていられるのだ。
「いい加減、泣いたらどうですか」
「……でも、私は高貴な貴族で。強くあらねばならないと決めた身ですの」
「そうですか。じゃあ勝手に強くあり続けてください。私は魔剣の手入れを行ってきますので」
レイナは冷たく突き放すようにそう言うと、リリエラの持っていた〈無銘刀・試作〉を手に取り、早足でその場から立ち去った。
これ以上、彼女が涙をこらえる理由にならないように――。
◆
――リリエラ嬢、寝小便癖は治ったか?
「もうそんなこと言わないでくださいまし! 私は立派なレディーでしてよ!」
たくさんの思い出がリリエラの心に流れ込んでいく。幼少期からずっと、自分の成長を見守ってくれていた存在だった。けっして人並み外れて高い戦闘力を持っているわけでも、突出したカリスマ性のある貴族でもない。
だが貴族の家に生まれ、魔剣使いを志すようになったリリエラがずっと追い続けていた背中だった。
――オジサンな、そろそろ引退しようと思ってんだ。もう歳だし? 子爵までなれたら、あとは隠居生活でもいいかなってさ
「……いいと思いますわよ。ご老体の放つ加齢臭には嫌気がさしていましてよ」
嘘だ。もっといて欲しかった。教えて欲しいこともたくさんあった。
でも彼には家族がいる。これ以上、危険な戦場に立つべき人間ではないとリリエラは思った。だから突き放す。むしろ嫌われるようにとさえ振る舞って。
本当は尊敬していた。憧れていた。あなたのようになりたいと思っていた。
――ああ、あとは頼んだぜ。リリエラ騎士卿。
「ああぁっ……」
目の前の冷たくなった男の体に、温もりが戻ってくることを願いながらも、それが叶わぬことであると思考は理解し、リリエラの心はぐちゃぐちゃになっていった。
そこにあるのは1つの後悔。
大切だと想える人に対して、もっとまっすぐな気持ちを伝えるべきだった。
そうすればきっと、後悔しないで済んだはず。
胸を張って、堂々と、さよならを言えたのだ。
「あぁあぁああぁぁぁぁぁぁっ!!!」
気づけば涙が止まらなくなっていた。せき止めていた悲しみが一気に流れ込んでくる。
誰もいない工房の片隅で、リリエラは恩師の喪失に感情を露わにした。
◆
親方のいる大きな工房の前。
レイナはリリエラから預かったボロボロの〈無銘刀・試作〉を見つめていた。
たしかにリリエラの全力の魔力には耐えられた。しかしそれは辛うじてだ。おそらく次は振り上げた瞬間にダメになるだろう。
現状では1回の全力にしか耐えられないということになる。
「これじゃ足りない。もっとなにか――」
バルシュファンを一振りで倒せるとは思っていない。彼を殺しきるには、リリエラが常に全力を出し続けられる魔剣が必要だ。
鉄の感受性で、ある程度の改善案は思い浮かぶ。しかしそれでも2回が限界であると、レイナの脳内予測は結論付けた。
足りないものはなにか。その答えを導き出すには、もっと時間と試行回数が必要だ。
「レイナ」
そんな彼女の前に、心なしか目元が赤くなっているリリエラが立って言う。
「お願いがありますの!」
「また魔剣製作ですか」
「いえ。あなたに、私専属の魔剣鍛冶になって欲しいのでございますわ!」
「魔剣鍛冶の資格のない私に、ですか」
今さら驚くことはあるまい。リリエラは貴族だ、それも公爵家の令嬢ときた。特権を使えば、レイナが魔剣を打つことも特例で認めさせることだってできるはず。
「ええ。資格試験に合格するまでは、さすがに公にできませんので、エルフリード家の屋敷の敷地内でひっそりと鋼を打つことになるでしょうが……」
「なるほど、考えましたね。ですが、そもそも私のような平民が貴族の屋敷に理由もなく出入りするのは不自然では?」
「それに関しては問題ありませんわ。ちゃんとした理由がありましてよ」
魔剣鍛冶は国家機密である魔剣の製造方法を知り、その素材となるヴェルンド鋼の取引が許されているからこそ、資格として成立しているのだ。
鉄の感受性のような特殊能力で製造方法を見出すことは前提とされていない。
限りなくブラックに近いグレーな行為といえよう。
「私の魔剣はレイナにしか打てませんの」
「だとしても、それが公になれば――」
「ええ。ですが、そうであっても私にはレイナの魔剣が必要なのですわ。今回の戦いでよく分かった……貴族連邦は特殊な技術を使い、強力な魔剣を製造している」
「対抗できるのは、あなたの魔力と、私の魔剣だと?」
「ええ、すべては平民のためですの」
「……そうですか」
レイナの魔剣鍛冶としてのキャリアに傷がつくだろう。魔剣鍛冶の資格を持たずに、魔剣を製作した罪人として処罰される可能性もある。
いや、今さらだ。
レイナはボロボロになった〈無銘刀・試作〉に視線を向けた。
これを打った時点で、レイナは足を踏み入れてしまったのだから。後戻りはできないし、するつもりもない。バルシュファンを殺せる魔剣を作るためには、必要な賭けだ。
「いえ、大した問題はありません。私が最速で魔剣鍛冶の資格試験に合格すれば」
「随分と自信があるようですわね」
「そのための今日まで鍛錬を重ねてきました」
まっすぐと見つめ返したレイナは、しかしと言葉を繋げて、
「条件があります」
「ほう……契約ということですわね?」
「はい。復讐の契約です」
「聞きましょう」
「私の鍛えた魔剣で暴虐公爵を断罪してください」
「暴虐公爵……それはいったい、誰のことなのでしょうか?」
「貴族連邦南部方面公爵、バルシュファン・フォン・ルベルデリ。奴は私の家族を奪った」
その名前、当然ながらリリエラも知っていたようで、
「彼が貴族連邦最強の魔剣使いといわれる人物であると知ってのことですの?」
「だからこそ、あなたでなければ殺せないでしょう」
「たしかに――」
瞳を閉じて、レイナの言葉を聞き入れたリリエラは返事をする。
「復讐。それがあなたを突き動かしていたのですわね」
「はい。で、答えは?」
「Sランク剣聖の私にお任せくださいまし。そのかわり恋人になってくれませんか?」
そっと頬に右手を添えて、リリエラは瞳の奥に映る黒髪の少女――レイナに囁いた。
指先からほんのりと伝わる温もり。リリエラの人差し指がレイナの頬を伝い、唇へと当てられる。
「馴れ合いは必要ありません」
「私は必要としています。レイナとの馴れ合いを」
「正気ですか……?」
「ええ。魔剣使いとなった貴族令嬢の間では“女色”という文化がございましてよ」
すなわち女同士の同性愛文化ということだ。
「マジですか……」
「中性的な顔立ちの少女を屋敷に住まわせて、身の回りの世話や夜の営みを行うのです。多くの貴族令嬢はそうしていましてよ。ゆえにレイナが屋敷にいようと、不自然ではないのです」
「なるほど」
レイナはリリエラが言っていた“ちゃんとした理由”の意味を理解し、不本意ながらも納得した。
「しかし本気ですか? あまりにもいきなりすぎるというか、恋人になるのはちゃんと段階を踏まなきゃというか……」
「私は決めたのですわ。大切だと想える人には、その気持ちをはっきりと伝えるべきだと。多少、強引な手を使ってでも」
白磁のような肌が少しずつ近づいてくる。それにつれてレイナの心臓がドクン、またドクンと跳ねあがった。
「あなたの復讐契約は、私にとっての恋人契約。条件を呑むのでございましたら、静かに頷いてくださいまし」
「ッ……」
「そうすれば、あなたの唇に触れている邪魔な人差し指をどけますわ」
互いの唇同士の間にあるのは、1本の人差し指。
蒼の瞳と翡翠の瞳が交錯する。
目線は同じ場所にあった。
レイナの頬が微かに赤らむ。
この状況に興奮している自分もいた。相手が美しすぎるからだ。
それでも恐怖のほうが大きい。もしリリエラがバルシュファンと同じ、歪んだ本性を持っていたとすれば――自分に見せた気高い一面の裏に、悪魔のような本性があるのだとすれば。
前世での記憶。
バルシュファンもこうやって自分を信じ込ませ、唇を奪ってきた。あのときの感触が、今でも精神の中心部にこびりついて離れない。
思い出しただけで、全身の内側に冷気が充満したような寒気に襲われる。
「……安心して」
静かに囁いたリリエラの声。ギュッとレイナの手を握り、身体の震えを止めてくれる。
聞いているだけで安らぐ声。いっそ身を任せたいとさえ思う。
違う。
身を任せるな……。これは私がやると決めた復讐契約だ。
レイナはリリエラの手を握り返し、目を見開く。
そして唇にあてられた人差し指を払いのけ、リリエラの唇を勢いよく奪った。
「んっ……レイナ」
「……ッ、ン!」
深く入り込んで、息を止め、レイナはリリエラを貪る。するとリリエラは身を任せるとばかりに全身から力を抜いていく。レイナは心地が良いと感じて、もっと深くまで彼女に食らいつく。
そして唇を離し、レイナは静かに言った。
「こうして欲しかったのでしょう?」
「これもアリですわね」
リリエラは静かに笑みを浮かべる。その笑みの奥になにを考えているのか、レイナには分からない。だがそれは関係ない。
目的はただひとつ。なにも変わっちゃいないのだから。
「私はあなたを利用します。けっして心を許したわけじゃない。それでも構いませんよね?」
「ええ、もちろん。好きなだけ利用してくださいまし。私もあなたを利用させていただきますゆえ。して欲しいこと、全部してもらうつもりですの」
「なんでもしてあげますよ、リリエラ様」
ここに歪な2人の契約が結ばれた。
片や復讐の契約、片や恋人の契約。
鍛冶職人と貴族令嬢。
交わるはずのなかった2つの道が交わった――。
読んでくださり、誠にありがとうございます!
少しでも「面白い!」や「続きを読ませて!」と思いましたら、
《ブックマーク》と、広告下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしていただけると幸いです!
評価ボタンは、モチベーションに繋がりますので、どうか応援よろしくお願いします!
また作品に対するご意見、ご感想もお待ちしております!
好評でございましたら連載版も視野に入れている作品ですので、どうかよろしくお願いします!