2 受動的な人生の選択
弟、寛幸のユーチューブ登録者が、爆発的に増加していった時、秀一はそのことが信じられなかった。
―この程度の言葉で、かくも多くの人が熱狂的に支持するのか。
が、ではあっても寛幸が天才的な弁論家であるということは、秀一も認めざるを得ない。
秀一は、ドイツ国民を熱狂させる演説を行った、アドルフ・ヒトラーのことを思った。
しかし、寛幸の弁論は、アドルフ・ヒトラーとはまるで違った。
寛幸は静かに語る。身振り手振りもほとんどしない。
ヒトラーのように、敵となる憎悪の対象を定めることもしない。
真っ直ぐ前を見て、ただひたすらにおのれの理想を語る。
世界はどうあるべきか。
全ての人が幸福になるためには、どんな社会体制を構築すべきか。
そして、その社会において、人はどのような価値観を持って生きていくべきか。
ー勘弁してくれ
秀一は、そう思う。
聞いているだけで恥ずかしくなる。
寛幸は、もちろん間違ったことは言っていない。
言っていることの正しさは認めざるを得ない。
そのような社会が完成されたらそれは素晴らしいことであろう。
だが、それができないということは、これまでの人類の歴史を見れば明らかではないか。
そもそも、寛幸が説く、善だけで構成される世界が本当に幸せな世界であるとは秀一には思えない。
そんな世界に住みたくはない。
秀一も、今の世界は、富の偏在、社会的格差、激しい競争、資源の浪費、気候の変動など多くの矛盾、問題を抱えているということは痛感している。
世界は今、人々の思潮も含めて根源的な変化を行わなければならない時代を迎えたのであろう。
おのれのもつ才能にもそれなりの自信はある。
その才能を使って、今の世界を少しでもよい方向に進めることに寄与する、そんな仕事をしたい、と将来を夢見てもいた。
だが、弟である寛幸には、そんな着実な思考はない。
おのれの考えを基軸とした、人々の組織化を図るということもしない。
ただ理想を語るだけ。
そしてその理想は、…うねりとなって多くの賛同者を生み続けている。
ー仕方ないな
秀一は思った。
寛幸とともに進むこと。その傍らにあり続けること。
俺にとっては、それが最も大きな仕事ができる人生になるのだろう。
この世界を一度、叩き壊そう。
寛幸によって。
そして、そのあと。
寛幸の説く、夢幻的な理想社会ではなく、重層的で着実な思考に基づいた社会を築こう。
現代世界の持つ矛盾、余剰を縮小し、過剰な競争を制御する。
ブルシット・ジョブの排除により人類の総労働時間を軽減させる。
人間のもつ本源的な欲望にも配慮し、巨悪ならざる小悪を包含できるだけの大きさを持った社会を築こう。
それが、秀一の選んだ人生だった。