中学校編3
「──つまり、お前とつるんでるせいで俺が悪口叩かれたと思って、それを気にしてたわけ?」
「……、うん」
「それが嫌でダイエットなんかしてんの?」
「………う、うん」
「ハァ。悩んで損した」
「?」
疲れた顔で智尋がそんなことを言うから僕は驚いた。
智尋でも悩むことがあるんだ。そんな当たり前のことに、僕は今の今まで気が付いていなかった。
そんな智尋は眉に皺を寄せ口元に手を当てながら少し考える素振りを見せた後、チラ、と僕を見る。そして、
「みのり。ちょっとこっち来て」
ちょいちょいと軽く手を招いた。
「うん。分かっ…、た!わぁっ」
「もっと」
智尋に言われるまま近寄っていった僕は、智尋にまた腕を引かれ、胸の中に抱き込まれた。
もっと、と言って智尋が僕の腰を強く抱くものだから、僕は今にも叫びだしたい衝動を必死で堪え、ぎゅうと強く目を閉じる。
「……はは。やべえ。お前汗臭え」
「だ、だっ、だっだだだったら、はな、はなし、て!」
「嫌だ。ちょっと待ってろもう少ししたら不快感も消えるから」
「…っそ、そんな」
そんな我慢してまで何で汗っかきの僕を抱き締めるのか。智尋が何を考えているのか、僕には全く分からなくて頭がグルグル混乱してしまう。
「……ふ~」
一分か、数十秒か、そのくらい経った頃、智尋はようやく僕を抱き締める腕を緩めた。緩めたといっても完全に離したわけではないので、僕は智尋の腕の中からすぐ近くにある智尋の顔を見上げる。
「………智尋?」
「落ち着いた。いきなり悪かったな」
そう言って自分の腕をガリガリと掻いた智尋は、僕に向かっていつものようにニカッと笑う。
「……何で、急にこんな…」
戸惑い、全く頭がついていかない僕に智尋は少しだけ口の端を上げて笑った。
「小学生の頃、お前言ってたな。好きでデブになったわけじゃないって」
「……うう。そんな昔のこと言わないで…」
「そうじゃねえよ、聞け。俺も今になってそう思う。好きでこうなったわけじゃないって、その意味が分かるようになったっつうか…」
「…?どういうこと?」
「俺、サッカー始めてからコンタクトにしたろ。それから潔癖性が悪化したっつうか、元々神経質つうの?そんなんが酷くなったみたいなんだわ」
「………」
僕は小学生の頃の智尋と今の智尋を頭の中で比べてみた。けれど智尋がどう神経質が悪化したのか、いまいち分からない。
そんな顔をしていたせいか、智尋は、はっ、と軽く笑って続ける。
「お前は分かんねえだろ。サッカー部のダチとか隼人が気付く程度だし。あとは同じクラスの奴らかな。潔癖性だよなって言われる回数が増えた」
「…僕は、そこまで気にならなかったけど」
僕がそう言うと、智尋は僕の肩にポスンと頭を乗せた。そして首筋の臭いを嗅いだのかスン、と鼻を鳴らす。
臭ぇ、と言って智尋は顔を背けて笑う。それならやらなきゃいいのに、と僕はいじけ半分、呆れ半分で智尋の胸を押した。
「みのりはどう思う?俺の潔癖性」
「え、どうって…」
「うぜえだろ。潔癖性の俺がお前に綺麗にしろとか、汗かくなとかって言うの。克服した方がいい?」
「……う、ううん、そんなことしなくても……だって智尋は智尋だよ」
「でもぶっちゃけ──嫌だろ?」
「そんなことない!…もしかして、今僕にこんなことしてるのって、そのせい?だ、だったらダメ。今すぐ止めて」
「なんで」
「だって…だって智尋、辛そうだったし、そんな、無理しなくちゃいけないことじゃないと思う」
「──ああ、俺もそう思う」
智尋が急に真顔になるから、僕はビックリして体を固くした。
「俺の潔癖性は俺の問題で、自分が気にしてねぇんだからそれでいい話だろ。もし周りが何か言ったとしても」
「………うん」
「だったら、お前のダイエットは何だ。俺たちの為って。なんだそれ。お前が無理して痩せたって、俺も隼人も全然嬉しくねえ」
「………」
「みのりが自分で痩せたいって言うんなら俺は何も言わねえけど、そうじゃねえよな?だったら、お前も俺も、そのまんまでいいんじゃねえの」
「……そのまんまで…」
「違うか?」
智尋がじっと見つめてくるから、僕は、違わない、という意味をこめて緩く頭を振った。
「………ちが、わない」
どうしよう。
また泣いてしまいそうで、僕は智尋から目を逸らして唇を噛み締めた。
太ってても、潔癖性でも、そのまんまでいいんだ。僕も。智尋も。
「それになぁ、みのりがダイエット始めたって聞いて隼人めちゃくちゃブチ切れてるから。お前あとでフォローしとけよ」
「ええっ」
「まーアイツもアイツで……特殊な悩みみたいなモンあるから」
「隼人にそんなものあるのかなぁ」
「………相変わらず鈍いな。だからこんなにぷよぷよなんだろうな」
「っ、うわあ!」
智尋はそう言って、いきなり僕の二段腹をつまんでプニプニ触りだした。
腹から脇腹に移動した指が、どんどん脇に近付いてって、こういうのに弱い僕は体を捩りながら涙を流して笑ってしまう。
「あはっ、あははは!やめ、智尋…っストップ!ちょっと……あははっ!」
「みのりはやっぱり笑ってた方がいい」
智尋は僕が笑うのを見て、すごく満足そうに笑った。
それからまた僕の首に顔を埋めて、猫のようにスリスリと鼻を擦りつけて、
「………やっぱ、みのりは他と違ぇな」
と、ポツリと呟いた。
「智尋、何か言った?」
「いや。……そろそろ行こうぜ。昼飯まだだろ」
「あ、うん!」
さっと体を離してドアに向かう智尋の後を追って、僕も続く。
美術室を出る途中、何かを思い出したらしい智尋が、あ、と声を上げた。
「みのり、お前今日のこと隼人に言うなよ」
「…なんで?」
「何でもいいから!隼人に気付かれる前に行くぞっ」
「あ、う、うんっ」
どこか焦った様子の智尋に急かされて僕も小走りで廊下を走る。
──隼人。
智尋の潔癖性は小学生の頃から知っていたけれど、あの完璧な隼人にも悩みがあるという。
僕はふと、考えてみた。どんな悩みなんだろうと。
女の子にもモテるし、見た目なら短髪できつめの性格の智尋よりも人気がある、と思う。
部活でも先輩後輩とも上手くやってるというし、お金に困ってる風でもないし…
「………隼人も、か」
智尋はああ言っていたけれど、本当に隼人にも悩みがあるんだろうか。
もしあるんなら、相談に乗ってあげたい。僕で役に立てたらいいなぁ。
今日の智尋のように。