小学校編
学校に必ず一人はいると思う。
デブで動きが鈍くて、汗っかきで要領悪くて、女子からも男子からも馬鹿にされるデブ。
「おいどけよ、デブ!」
僕です。
名前を文谷みのりと言います。
身長は141cm、体重は68kgのデブ。
小学6年生にして皆から「力士養成員」と呼ばれています。
普通、デブのあだ名だったら横綱とか大関とかつけられるんだろうけど、僕があんまりにも気が弱くて横綱なんて呼ぶに堪えない、という理由でつけられなかったらしい。
「おい聞いてんのかよ、デブっ!どけっつってんだよ」
ちなみに、このあだ名をつけたのが今まさに僕につっかかってるこの男子、いじめっ子筆頭の杉内君だ。おじいちゃんとよく相撲を見てるらしくて相撲にも詳しい。
あだ名をつけられた僕が言うのもなんだけど、杉内君はあだ名をつけるセンスが抜群に良いと思う。
「…あ、ごめんね杉内君。すぐどくね」
「っはー!相変わらず鈍くせぇな文谷は。聞こえた時点でさっさとどけよバカ!お前が机と机の間に立ってたら皆そこ通れないから!何でそんなことくらい分かんないの?」
「………」
杉内君に言われて、確かにその通りだと落ち込む僕に周りの皆がくすくす笑う。
中には杉内ひでー、と言ってくれる男子もいたけれど、だいたい皆可笑しそうに笑っている。
さっき僕はいじめっ子筆頭の杉内君と言ったけれど、これをいじめだと思っているのは多分僕だけで、皆はただ単に杉内君がちょっときつい感じで僕に絡んでいる、としか思っていないんだと思う。
杉内君はクラスの中心メンバーの一人で話も面白くって運動も出来るから、皆は杉内君のノリがいじめとは違うって思ってるみたいだ。
でも、デブって言われてる時点で軽くいじめが入ってると思うんだけどなぁ…
「分かったらさっさとどいてくんない?」
「あ、う、うん、ごめん…」
そして僕が急いで机側に体ごと退かすと、杉内君が同時に僕の体を押して押し出し~、と言ったので皆がどっと爆笑した。
こんな相撲ネタで笑う小学生なんて嫌だな…とか別のことを考えながら僕は泣くのを必死に堪えた。だって、泣いたらまた杉内君に泣くなデブって言われるし、皆が笑ってるこの空気を壊すことになるから。
でも、ちょっときついなぁ…と僕が俯いた時だった。
「またふーみん苛めてんの杉内」
「飽きねえなぁ相撲オタク。――おいデブ、帰んぞ!さっさと支度しろよ」
慌てて涙を拭って廊下を見ると、そこには見慣れた友達が二人。
茶色のネコっ毛で髪が少し長い美馬隼人と、黒髪ツンツンの美馬智尋だった。
「い、苛めてねぇよ、バカミマコンビ!つうか、しょっちゅううちのクラスに来んなよなっ」
隼人と智尋の登場に、杉内君はたじたじになりながらも噛みついた。杉内君はどうもこの二人が苦手らしい。
ちなみに二人とも同じ名字だけど双子でも兄弟でもなく、従兄弟同士だ。
そんな二人は僕の幼馴染みで、僕をふーみんと呼ぶのが隼人、僕をデブと呼ぶのが智尋だ。
「別にお前の顔見に来てるんじゃねぇから。デブ迎えに来てるだけだから」
「ふーみん、かーえろ」
「……あ、う、うん。ちょっと待って」
急いで帰る準備を始める僕を見て、何故か苛ついた様子で舌打ちする杉内君。
「…苛めっていうなら美馬智尋!お前が文谷のことデブって呼ぶ方が苛めだろ!」
「何でだよバーカ。俺はな、小学校入学する前からコイツのことデブって呼んでんだよ。お前なんかデブ呼ばわりの上に、相撲オタクが好きそうなあだ名つけてんだって?完全にお前のが苛めじゃん」
「なんだっけ、力士、養成員ってやつだっけ。それよりみんなもさぁ、ふーみんって呼べばいいのに」
「……っ」
智尋と隼人の言葉に何も言い返せなくなった杉内君は、二人からパッと顔を逸らした後振り返った。
その時、ちょうど帰り支度の済んだ俺とバッチリ目が合ってしまう。
杉内君はバツの悪そうな顔を一瞬俯いて隠すと、
「…さっさとあいつら連れて帰れよ。―――文谷」
ぼそっと僕だけに聞こえる声でそう言ってくれた。
「!う、うん。また明日ね、杉内君」
いきなりで驚いたけど僕は何だか嬉しくなって、普段はそんなことしないのに杉内君と皆に向かってペコペコ頭を下げながら教室を出た。
*
その日の帰り道。
「杉内ってさぁ、他のとこじゃ外ヅラいいくせに自分のクラスじゃふーみん苛めてるんだもんねー超性悪」
「あいつ色々小っせぇからな」
隼人と智尋がスタスタ前を歩くので、置いていかれないように一生懸命ついていく僕。
「色々小さいって、具体的に何が?」
「あー、小5ん時の宿泊合宿で一緒の風呂になったから見せあいっこしたんだよ。そしたらさ、」
「分かった。アレが小さいって智尋が杉内のこと馬鹿にしたんでしょ」
「や、馬鹿にしたっつーか……杉内が自信満々だったくせに、そん時いた男子グループの中で一番小っせーからさ。俺は笑っただけ」
「……智尋が何で杉内に嫌われてるか理解したよ、俺」
ため息をついて杉内に同情する隼人。
――と、ここで隼人が振り向いて、歩くのが遅い僕に気がついた。
「おーい、ふーみーん!遅れてるよー」
「……はっ、あ、ま、待ってぇ~二人とも、ぉっ」
ハァハァと息を乱しながら駆け足で二人に近付くと、足を止めて待っていてくれた隼人はニコニコしていて、渋々速度を落とした智尋は不機嫌そうに眉を寄せている。
「ご、ごっ、ごめ、ハァ、ハァ……ごめ、んね?は、はーちゃん、ちーちゃん」
「その呼び方止めろって言ってるだろ、デブ!」
「…え、え?で、も…」
息を整えながらキョトンと智尋を見ると、智尋は汚いものでも見るような目付きで僕を睨んだ。
「でももクソもあるか。――つうかお前な、いい加減痩せろや!去年から10kgも太ってんだぞ。毎日何食ってんだよデブ!あとその息遣いも気持ちわりぃ。何で歩くだけで汗かくんだよ。意味分かんねーし」
「……う、だ、だって…」
僕だって気がついたらこんな体型になっていたのだから、何故かと聞かれても上手く答えられない。
智尋に睨まれてしどろもどろになっていると、横からまあまあ、と優しい隼人がフォローに入ってくれた。
「ふーみんはそのぽっちゃり具合が可愛いんじゃん。智尋はちょっと潔癖過ぎるんだよーさっきの杉内より口悪いし、ちょっと言い過ぎ」
「うっせ。本当のことだろ」
つーん、とそっぽを向く智尋。隼人は、気にしない気にしないと背中を叩いて宥めてくれた。
この二人は小さい頃からいつもこんな感じ。
今は、僕んちが新しく出来て引っ越したので二人が住んでいた家の近くではなくなったけれど、裏表のないハッキリした性格の智尋と、ネコっ毛のフワフワした髪の通り性格も優しい隼人とは幼稚園年中から今までずっと一緒だ。帰りも一緒に帰るし、登校も一緒。
智尋も隼人も、クラスが違うのにわざわざ僕のクラスまで迎えに来てくれる優しい友達だ。
二人とも、クラスじゃ中心メンバーになってるらしいから、杉内君もそんな二人がうちのクラスに来るとライバル視しちゃうんだろうな。
――……そういや、杉内君と言えば。
「あ、あのね、帰る前に杉内君、僕のこと名前で呼んでくれたよ。さっき二人に色々言われたから、名前で呼んでくれたのかも……ほ、本当は、性格悪くないんじゃないかなぁ?」
「………」
「………」
僕が吃りながらも杉内君について気がついたことをポツポツ話すと、二人は一瞬顔を見合わせてからどこか冷たい目をして僕を見た。その目の鋭さにドキッとする。
「……、ふーみんはさぁ、あんまり人のこと悪く言わないよね」
「えっ、そう…?」
「そうだよ。今日だって杉内に何か言われて涙目になってたのに、もう杉内のこと許しちゃうんだもん」
優しいよね、と隼人に言われて、そうかな、と頬をかく僕。
「杉内君、確かに口悪いけど僕、ちーちゃ…ち、智尋のお陰でデブって言われ慣れてるし、それに…杉内君、僕が授業でグループに入れない時とか、たまにだけど、入れてくれたりもするし…」
思い返してみると杉内君の良いところがあれもこれもと思い付いて、僕は何だかちょっと照れてしまって俯いた。
グループに入れてくれるのは僕をいじって笑いをとる為だと分かってはいるけれど、それでも先生より早く気付いて声をかけて貰えるのが嬉しいんだ。
でも、そんな惨めな自分の話を二人には話せなくて俯いていると、
「…………ふーん」
「杉内がねえ……」
二人の声が面白くなさそうで、僕は顔を上げてからそっと首を傾げた。
「――ま、いいか。こんな所でアイツの話してても仕方ないし、帰ろ」
「う、うん…?」
「とりあえず智尋は明日、ってか今日から暴言禁止だから。分かってるよね?」
「………」
「??」
いまいち分かっていない僕を余所に、隼人が智尋にこそこそ説教を始める。
心底不愉快そうな智尋の顔に僕はまた首を傾げるしかなかった。
翌日から、僕は杉内君にあだ名で呼ばれることがなくなった。
そして、何故か智尋もデブと呼ばなくなり、みのりと呼ばれるようになったのはこの頃からだ。