9. 東屋から見た景色
ゆるやかな坂を上り終えると、白亜の宮殿がその全貌を現す。
屋根もすべて白で統一された建物は、中央にドーム型のホールを挟み、左右対称になっている。噴水はないが、小さいながらも庭園も整備されている。
宮殿の前にそびえ立つ門を守るようにして立つのは二人の騎士。けれど、ミュゼはおらず、代わりに年配の騎士がいかめしい顔つきで立っている。
足音に気づいたのだろう、フランツがこちらを見て敬礼する。続いて横にいた騎士も敬礼し、シャーリィは微笑みとともに手を振る。
「公女殿下、そちらは?」
フランツが緊張した面持ちで尋ね、シャーリィは体を横にずらし、後ろに控えていたアークロイドを紹介する。
「トルヴァータ帝国第六皇子、アークロイド殿下と従者のルース様です。わたくしの客人です」
「失礼いたしました。どうぞお通りください」
頭上よりはるかに高い門が開かれ、シャーリィは先を歩く。
夜の花が咲く庭園を通り過ぎ、裏道に出る。宮殿からの灯りはここまでは届かない。知る人ぞ知る細道を記憶を頼りに進んでいくと、小高い丘に出る。
「……どこまで行く気だ?」
アークロイドのつぶやきに、シャーリィは足を止めずに口を開く。
「もう少しで着きます。観光客がごった返す中だと落ち着かないでしょう? 今から行く場所は穴場なんです」
「俺たちが入って大丈夫なのか?」
「わたくしがいれば平気です。それに、こんな日に誰も来ませんよ」
丘の上には東屋が建っている。藤棚には無数の紫の花房が垂れ下がり、その合間にランプが吊り下げられている。藤によく似た花は魔力を持った外来種で、光ることはないが、稀少のため宮殿でのみ栽培されている。
ベンチのそばには、菫色の髪を高く結い上げた女性騎士が待っていた。シャーリィに気がつくと、頭を垂れる。
「姫様。お待ちしておりました」
「ミュゼ、頼んでおいたものは用意できた?」
「もちろんでございます。フランツに内緒で用意するのはドキドキしましたが、たぶんバレていないと思います」
「ふふ。二人だけの秘密だものね」
女だけの話し合いを終え、シャーリィはアークロイドに席を勧めた。木製のテーブルの上にはすでにテーブルクロスがかけられており、ティーセットの準備も万端だ。
拍子抜けしたようにアークロイドが着席し、主君の背中を守るようにルースが両手を後ろで組んで立つ。
ミュゼは無言で瓶漬けのレモンを取り出し、ティーカップの中にそっと入れる。そしてティーポットから紅茶を注ぎ入れ、各自の席へカップを置いた。
「姫様。それでは、私は職務に戻ります」
「ありがとう」
「いえ」
キビキビとした動作で立ち去っていくのを見送り、シャーリィは向かい側に座るアークロイドに紅茶を勧める。
「蜂蜜漬けのレモンティーです。よろしければ、どうぞ」
「…………」
手で示すが、アークロイドは気まずそうに自分の従者をちらりと見やる。視線だけで会話しているのを見て、ふとダリアから聞いた話を思い出す。
「……あ、毒味が必要ですか?」
背後に立つルースに向かって言うと、少し驚かれた表情をされた。毒殺の危険が日常となっている彼らからしたら、いきなり知らない場所に連れてこられて警戒をするのは当然だ。
(浅慮だったわ……喜んでもらいたかっただけなのに)
暗殺や毒殺の話も、どこか現実味がなくて、つい聞き流していた。しかし、シャーリィにとって夢物語のような話でも、アークロイドには紛うことなき現実だ。
シャーリィは自分の分の紅茶を一口飲み、彼らを安心させるように笑みを浮かべる。
「この国に、あなたたちを害そうとする者はおりません。どうぞご安心くださいませ」
「……別に疑っているわけではない」
アークロイドはそう断ってから、ティーカップを傾けた。そして驚いたように目を瞠り、波打つ紅茶をジッと見つめる。
「これは……飲みやすいな。いつも飲んでいるレモンティーとは違う風味だ」
「お気に召していただけて何よりです」
秘蔵の蜂蜜漬けを開けた甲斐もあったというものだ。内心一息ついていると、それはそうと、とアークロイドの声がワントーン低くなる。
「ルースから魔木が虹色に光ると聞いたが、いつ変わるんだ?」
素っ気ない口調を装っているが、周囲が気になって仕方がないというように、そわそわと視線が落ち着かない。
(思ったより楽しみにされていたみたいね。よかった)
腕時計の針を確認し、シャーリィは視線を上げた。
「もうすぐですよ。……あ、ちょうど今、打ち上がったみたいですね」
「なに?」
夜空に夏の花が咲く。ドーンという音が遠くからし、また次の花火が打ち上がり、大小さまざまの花の形を描いていく。
「アークロイド様。光り出しました」
シャーリィが指で示す先には、淡い光を放つ木があった。
周辺の木々も、ぽつりぽつりと白い光を纏っていく。はじめは弱かった光が徐々に強くなると、白いもやが広がっていく。
すると、その中に赤やオレンジの光が混じり合う。そして、パレットの試し塗りのように青や緑、黄色に変わっていく。くるくると変わる色はやがて虹色になり、もやが晴れる。
「これは……」
魔木の変化を合図する花火は終わり、雲ひとつない夜空を埋め尽くすのは無数の星。その下には家の中より明るい、虹色に輝く魔木がある。
東屋を囲む形で魔木が光っているのを眺め、アークロイドがほうっと息をつく。
「幻想的だな……」
「ええ。公国自慢の景色です。実際に触れてみますか?」
「……俺が触って平気なのか?」
「ただ光っているだけなので、危険はありません」
東屋から出て、近くにある魔木まで歩く。虹色の光は呼吸しているように一定のリズムで明滅を繰り返している。
シャーリィが木の幹にそっと手を触れ、問題ないことを見せる。それを確認し、アークロイドも同じように手のひらを伸ばした。
「……温かいな。いつもこうなのか?」
「いいえ。ここまで熱を持っているのは、星祭りの日だけです。目に見えるほどの魔力を帯びていると、こうなるそうです」
「なるほど。面白い」
一人納得したようなつぶやきの後、アークロイドの灰色の瞳がきらめく。
「新月の夜にしか光らないのだったな? なぜ、この時期にだけ光るんだ?」
「わたくしも詳しくありませんが、一年で魔力が一番活発化するらしいです。魔木に貯まった魔力を放出するので、魔力が成長している証しだともいわれています」
公国の者なら誰でも知っている知識を述べると、俄然興味をそそられたのか、アークロイドが早口で質問を繰り出す。
「これは前兆のようなものはあるのか? 確信があるから、星祭りも日付を指定しているのだろう?」
「よくわかりましたね。毎年、同じ時期の新月に決まって光り出すんです。ちなみに、二週間前から徐々に魔木が温かくなります。熱を閉じ込めているみたいに」
「なるほどな」
「昔は熱を持つ日から逆算し、魔力が噴出する時期を特定していたそうです」
ひとしきり唸っていたアークロイドだが、自分の中で答えがまとまったのか、おもむろに口を開く。
「つまり、これは魔力がある土地だからこその景色というわけか……」
「そうですね。学者の中でも意見が分かれているようです。レファンヌ公国は魔木があることで不毛の土地といわれますが、この景色は守りたいと思っています」
「同感だな。この眺めは、何度でも見たいと思うだけの価値がある」
「お褒めに与り、恐縮です」
東屋に戻ると、紅茶はすでに冷めていた。ティーカップを変えようとしたら、手で制された。
「これは冷たくても美味しい。喉に優しいしな。……貴重なものだったのだろう?」
「どうしてわかったのですか?」
「顔に書いてあった」
反射的に両手で頬を押さえる。客商売で感情はうまく隠せるようになったと思っていたが、うっかり気が抜けていたか。ひとり焦っていると、なぜかアークロイドの肩が小刻みに揺れている。まさかと思いながらも、念のために尋ねた。
「当てずっぽうだったとか、そんなことは言いませんよね?」
「…………」
「人を試すような真似をする方だったとは思いませんでした」
「わ、悪かった。なんとなく、そんな気がしただけだ。シャーリィはちゃんと表情を取り繕っていた」
弁解のような声が聞こえてきて、シャーリィは少し膨れた。だが、その顔色が今度は焦りに変わったのを見て、溜飲を下げる。
(まだちょっと釈然としないけど、また少し距離が近づいたと思えばいいかな?)
自分なりの妥協点を探し、シャーリィは今まで聞きたくて聞くのをためらっていた質問を口にした。ちょっとした意趣返しだ。
「アークロイド様は皇位に興味がなかったんですか?」
「……直球だな」
「す、すみません。皇位継承権で身内が争うということが、あまり想像できなくて」
素直に謝ると、アークロイドは前髪をかき上げた。
「まぁ、この平和な国で育ったのなら無理もないか。トルヴァータの次期皇帝は指名制だということは知っているか?」
「え、ええ。歴史の授業で学びました」
「優秀な者を帝位につかせるために、生まれた順で継承順位を決めるやり方を、我が国は取り入れなかった。すべては、実力のある者を選ぶために」
言葉の重みを感じ、シャーリィは自然と背筋を伸ばす。冷めた紅茶を飲み干し、ティーカップをソーサーに置く。
「指名権は現皇帝にあるのですよね?」
「そうだ。父上がすべての命運を握っている。そして、兄弟同士の競争で、勝利した者が次期皇帝に就く」
「……その競争は絶対参加というわけではないのですよね?」
「ああ。前もって辞退を申し出ていれば、それが受理される。それでも自分の陣営に取り込もうとする連中も少なくない。……だから俺は国を出た」
人はそれを逃げとも呼ぶ。けれど、シャーリィは逃げてもいいと思う。どうにもならないことがあったら、逃げるのも一つの手段だ。戦うことだけが戦いだけではない。離れた場所から戦うやり方もあると思うから。
「アークロイド様は、誰が次期皇帝に就いてほしいとお考えなのですか?」
「……そうだな、一番親しいという意味ではシリル兄上か。カミーユ兄上とはそりが合わなくてな。いろいろ苦労させられた」
「兄弟でも何かと大変なのですね」
ただの兄弟であれば、幸せだったかもしれない。なんでもないように装っているが、心中はきっと複雑だろう。
励ましの言葉が思いつかず口を閉ざすシャーリィを見て、アークロイドは会話を続けた。
「だが、カミーユ兄上は強敵だ。シリル兄上が裏をかけるかは運との勝負になるだろう。本当はそばで応援しなければならないところを、逃げるように国を出た俺を兄上は許してくれるだろうか」
「……推測はいくらでもできますが、肝心の心は直接聞くしかわからないですね」
言葉に出さなければ、わからないこともある。自分の考えは相手に伝わっていると決めつける行為は、思わぬすれ違いを生むこともある。
アークロイドは目を細め、カップのふちを指先で弾いた。
「俺が逆の立場だったら、裏切りだと思っただろうな……」
「裏切り……ですか?」
「唯一の味方だと思った者が国外逃亡したんだ。ひどい裏切りだろう?」
自虐の言葉に、後ろでルースが顔をしかめた。その様子を一瞥し、シャーリィは光り輝く魔木に視線を移した。
「…………逆かもしれませんよ」
「逆? どういうことだ」
目を合わせると、アークロイドは眉根を寄せて困惑した表情を浮かべた。
シャーリィはティーポットから紅茶を注ぎながら、突き放すような口調にならないように気をつけて言葉を選ぶ。
「国にいれば、何かしら被害を受ける可能性はあります。ですが、他国にいれば、その心配をする必要はないでしょう?」
「……なるほどな。だが、それを知る術は今の俺にはないな」
目元を伏せて落ち込んだ様子にシャーリィは迷った末、言葉をかける。
「手紙は書かれないのですか?」
「……今は本当に大変な時期なのだ。手紙ひとつで神経をすり減らすような状態で、暢気に手紙を送れるものか」
「それは……お互いつらいですね」
正直なところ、近況報告も気軽にできない状態までとは思わなかった。このぶんだと、トルヴァータ帝国の宮城は、どこもピリピリとした雰囲気にあるのだろう。
(私だったら息苦しく感じるでしょうね……)
自分にできることは何があるだろう。このまま情勢が安定しなければ、宿泊延長という流れもあり得る。
(せめて、この国にいる間は心安らかにしていてほしい)
どうか、彼らの平穏が続きますように。シャーリィは空を見上げ、心の中で強く祈った。