4. 資材提供の打診 前編
「公女殿下、おはようございます」
宮殿の門を守る騎士二人が揃って敬礼をし、シャーリィは挨拶を返す。
「おはよう。フランツにミュゼ。今日もお勤めご苦労様です」
「姫様もご公務、お疲れさまです」
フランツは二十二のまだ若い騎士で、雑談をほとんどしない、仕事に忠実な男だ。灰色の短髪に黒曜石と同じ瞳が瞬く。
一方のミュゼは成人したばかりの女性騎士である。高く結い上げた菫色の髪が揺れ、桃色の瞳がきらきらと輝く。平均身長より高く、すらりとした手足で、フランツとの身長差は拳一個分だ。
本来は二人とも、シャーリィの専属護衛が任務だが、庶民のように働く公女に護衛は不要だ。そのため、国賓や貴族を招くような社交の場を除き、護衛業務はお休みしてもらっている。
「昨日は工房の下見でしたよね? 何か、収穫はありましたか?」
ミュゼが興味津々といったように質問を繰り出してくるので、シャーリィは笑みを深めた。
「ええ。ガラス工房での、吹きガラス体験はなかなか楽しかったわ。親方も乗り気だから、今度のツアーに組み込んでみようと思っているの」
「新たな客層を取り込めそうですね」
「渋る親方の説得には骨が折れたけど、私の熱意が伝わってよかったわ」
レファンヌ公国の公都は、大小さまざまな工房が集まる職人の街でもある。観光業が主力産業だが、熟練の職人が作った工芸品はお土産としても人気が高い。
国主体で行うツアーに参加するのは、ほとんどがリピート客だ。温泉宿とも提携したツアーは一番人気のため、リピート客を飽きさせない工夫が必要になる。
「ふふふ。今日も稼ぐわよー!」
「応援しております」
騎士二人に見送られ、シャーリィは坂道をくだる。
レファンヌ公国は、国民がおおらかな気質で、さらに護身術を身に付けることが義務になっているため、周辺諸国に比べて治安がよい。
坂のすぐ下が温泉宿だ。今日の予定を思い浮かべながら、いつもより軽い足取りで自分の仕事場へと向かった。
*
シーツの洗濯は腰を痛めていた従業員が復帰したので任せ、消耗品の在庫チェックをしながら館内を歩く。
廊下の中央で、電球が切れかかっている場所を見つけ、脚立を持ってくる。よいしょっと設置するが、どうも据わりが悪い。左右に動かすと、ガタつきがある。これは、そろそろ交換が必要かもしれない。
どうしようかと唸っていると、後ろから声がかかる。
「そんなところで、どうしたんだ?」
「……アークロイド殿下。おはようございます」
館内の部屋着姿が馴染んだアークロイドは不可解そうに目を細め、シャーリィは簡潔に状況説明をする。
「電球が切れそうなので交換するところでした」
「それは従業員の仕事なのではないか?」
「わたくしも従業員でございます。館内のメンテナンスは気づいた者が行うルールですので」
「なるほど。ここでは、公女と民の区別はほとんどないのだったな」
納得したように頷き、アークロイドが語を継ぐ。
「貸せ。子どもに無理はさせられない」
手を差し出され、シャーリィは目を瞠る。子どもではないという反論をグッと飲み込んで、低姿勢で腰を折る。
「……せっかくのご厚意ですが、お客様にそんなことは頼めません」
「その脚立は古いのだろう? 無理して怪我をすれば、仕事に差し障りがあるのではないか? それに俺は今、暇を持て余している。少し手を貸すくらい、なんともない」
口を閉じると、後ろについていたルースと目が合う。小さく頷きが返ってきて、この行動は珍しくないのだということがわかる。
(本当はだめなんだけど、頼んでもいいかな?)
このまま押し問答する時間がもったいない。シャーリィは心を決め、口を開く。
「では、お言葉に甘えてさせていただきます。お願いできますか?」
「任せろ」
シャーリィが脚立を押さえている間に、アークロイドがギシギシと音を鳴らして脚立の上にあがり、古い電球をくるくると回す。
「……お前は何か夢はあるか?」
古い電球を渡すついでに言われ、シャーリィは新しい電球を渡しながら眉根を寄せる。
「何ですか、急に」
「これだけ仕事に精力的に取り組んでいても、一応、お前も公女だろ」
「正真正銘の公女です」
新しい電球に付け替えながら、アークロイドは雑談を続ける。
「展望とか野心とか、そういうのはあるのかと思ってな」
「野心……ですか? 例えば?」
「国を大きくしたいとか」
「ああ、なるほど……。それなら、ひとつあります」
「なんだ?」
アークロイドが慎重に脚立から降り、首をひねる。埃で汚れた手が目について、ハンカチを差し出すと、無言で受け取って手を拭く様子を見つめる。
角張った大きな手なのに、きれいな指だなと思った。側仕えが身の回りの世話をすることが当たり前の皇族の手だ。水仕事もするシャーリィの手とは違う。
返されたハンカチをぎゅっと握りしめ、目をつぶる。
野望なら、ある。
悔しさと思い焦がれた熱は、まだ心の中でくすぶっている。
前世の記憶を思い出した、そのときから。
「新鮮な野菜が食べたいです」
シャーリィが厳かに言うと、怪訝な顔をされた。
「野菜……? 野菜なら今でも食べているだろう」
「私が言っているのは、採れたての野菜のことです。みずみずしいミニトマト、ポリポリのきゅうり、シャキシャキの水菜! きっと美味しい……はずなんです!」
身を乗り出して告げると、勢いに押されたのか、アークロイドが一歩後退する。
「そんなに食べたければ作ればいいだろ」
「この国は神に見放された土地なので、作物が育ちません。他国から持ってくるとしても、陸路は輸送時間がかかります。私の口に入る頃には新鮮さは失われています」
「…………」
この国での食事を思い出したのか、同情的な視線を向けられる。シャーリィは視線をふかふかの絨毯が敷き詰められた床に落とし、悲壮感たっぷりの声で続ける。
「作物が根付かないんです。もう、どうしようもないでしょう?」
「……方法はまだあるぞ」
「やめてください。下手な慰めは余計に傷つくだけです」
「まあ聞け。畑が駄目でも、まだ方法は残っている。……鉢植えならどうだ?」
「え……」
思いもよらない提案に顔を上げる。
灰色の瞳は凪いだ海のように穏やかで、シャーリィはその瞳の奥にからかいの色がないことに気づいた。
「要するに土壌の相性がよくないんだろう。だったら、他国の土を持ってきて、鉢で栽培すれば採れたて野菜が食べられる」
それは寝耳に水の言葉で。
最初から無理だと諦めていたシャーリィの心を揺さぶるには十分だった。
「……アークロイド殿下。あなたって実は神の使いだったりします!?」
「しない。ちょっと落ち着け」
「これが落ち着いていられますか! なぜ、その発想にたどりつかなかったんでしょう! それなら私でも挑戦できるわ!」
途中から素の言葉遣いになっていることに気づかないくらい、シャーリィは喜びで打ち震えた。絶対溶けない氷が突如割れたぐらいの衝撃だ。
(これで夢が叶う……!)
手塩にかけた野菜を新鮮なうちに味わえる。なんと甘美な夢か。一度は諦めた未来が手に入るのだ。もう後悔を引きずる必要もない。