表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/27

4. 資材提供の打診 前編

「公女殿下、おはようございます」


 宮殿の門を守る騎士二人が揃って敬礼をし、シャーリィは挨拶を返す。


「おはよう。フランツにミュゼ。今日もお勤めご苦労様です」

「姫様もご公務、お疲れさまです」


 フランツは二十二のまだ若い騎士で、雑談をほとんどしない、仕事に忠実な男だ。灰色の短髪に黒曜石と同じ瞳が瞬く。

 一方のミュゼは成人したばかりの女性騎士である。高く結い上げた菫色の髪が揺れ、桃色の瞳がきらきらと輝く。平均身長より高く、すらりとした手足で、フランツとの身長差は拳一個分だ。

 本来は二人とも、シャーリィの専属護衛が任務だが、庶民のように働く公女に護衛は不要だ。そのため、国賓や貴族を招くような社交の場を除き、護衛業務はお休みしてもらっている。


「昨日は工房の下見でしたよね? 何か、収穫はありましたか?」


 ミュゼが興味津々といったように質問を繰り出してくるので、シャーリィは笑みを深めた。


「ええ。ガラス工房での、吹きガラス体験はなかなか楽しかったわ。親方も乗り気だから、今度のツアーに組み込んでみようと思っているの」

「新たな客層を取り込めそうですね」

「渋る親方の説得には骨が折れたけど、私の熱意が伝わってよかったわ」


 レファンヌ公国の公都は、大小さまざまな工房が集まる職人の街でもある。観光業が主力産業だが、熟練の職人が作った工芸品はお土産としても人気が高い。

 国主体で行うツアーに参加するのは、ほとんどがリピート客だ。温泉宿とも提携したツアーは一番人気のため、リピート客を飽きさせない工夫が必要になる。


「ふふふ。今日も稼ぐわよー!」

「応援しております」


 騎士二人に見送られ、シャーリィは坂道をくだる。

 レファンヌ公国は、国民がおおらかな気質で、さらに護身術を身に付けることが義務になっているため、周辺諸国に比べて治安がよい。

 坂のすぐ下が温泉宿だ。今日の予定を思い浮かべながら、いつもより軽い足取りで自分の仕事場へと向かった。


       *


 シーツの洗濯は腰を痛めていた従業員が復帰したので任せ、消耗品の在庫チェックをしながら館内を歩く。

 廊下の中央で、電球が切れかかっている場所を見つけ、脚立を持ってくる。よいしょっと設置するが、どうも据わりが悪い。左右に動かすと、ガタつきがある。これは、そろそろ交換が必要かもしれない。

 どうしようかと唸っていると、後ろから声がかかる。


「そんなところで、どうしたんだ?」

「……アークロイド殿下。おはようございます」


 館内の部屋着姿が馴染んだアークロイドは不可解そうに目を細め、シャーリィは簡潔に状況説明をする。


「電球が切れそうなので交換するところでした」

「それは従業員の仕事なのではないか?」

「わたくしも従業員でございます。館内のメンテナンスは気づいた者が行うルールですので」

「なるほど。ここでは、公女と民の区別はほとんどないのだったな」


 納得したように頷き、アークロイドが語を継ぐ。


「貸せ。子どもに無理はさせられない」


 手を差し出され、シャーリィは目を瞠る。子どもではないという反論をグッと飲み込んで、低姿勢で腰を折る。


「……せっかくのご厚意ですが、お客様にそんなことは頼めません」

「その脚立は古いのだろう? 無理して怪我をすれば、仕事に差し障りがあるのではないか? それに俺は今、暇を持て余している。少し手を貸すくらい、なんともない」


 口を閉じると、後ろについていたルースと目が合う。小さく頷きが返ってきて、この行動は珍しくないのだということがわかる。


(本当はだめなんだけど、頼んでもいいかな?)


 このまま押し問答する時間がもったいない。シャーリィは心を決め、口を開く。


「では、お言葉に甘えてさせていただきます。お願いできますか?」

「任せろ」


 シャーリィが脚立を押さえている間に、アークロイドがギシギシと音を鳴らして脚立の上にあがり、古い電球をくるくると回す。


「……お前は何か夢はあるか?」


 古い電球を渡すついでに言われ、シャーリィは新しい電球を渡しながら眉根を寄せる。


「何ですか、急に」

「これだけ仕事に精力的に取り組んでいても、一応、お前も公女だろ」

「正真正銘の公女です」


 新しい電球に付け替えながら、アークロイドは雑談を続ける。


「展望とか野心とか、そういうのはあるのかと思ってな」

「野心……ですか? 例えば?」

「国を大きくしたいとか」

「ああ、なるほど……。それなら、ひとつあります」

「なんだ?」


 アークロイドが慎重に脚立から降り、首をひねる。埃で汚れた手が目について、ハンカチを差し出すと、無言で受け取って手を拭く様子を見つめる。

 角張った大きな手なのに、きれいな指だなと思った。側仕えが身の回りの世話をすることが当たり前の皇族の手だ。水仕事もするシャーリィの手とは違う。

 返されたハンカチをぎゅっと握りしめ、目をつぶる。


 野望なら、ある。


 悔しさと思い焦がれた熱は、まだ心の中でくすぶっている。

 前世の記憶を思い出した、そのときから。


「新鮮な野菜が食べたいです」


 シャーリィが厳かに言うと、怪訝な顔をされた。


「野菜……? 野菜なら今でも食べているだろう」

「私が言っているのは、採れたての野菜のことです。みずみずしいミニトマト、ポリポリのきゅうり、シャキシャキの水菜! きっと美味しい……はずなんです!」


 身を乗り出して告げると、勢いに押されたのか、アークロイドが一歩後退する。


「そんなに食べたければ作ればいいだろ」

「この国は神に見放された土地なので、作物が育ちません。他国から持ってくるとしても、陸路は輸送時間がかかります。私の口に入る頃には新鮮さは失われています」

「…………」


 この国での食事を思い出したのか、同情的な視線を向けられる。シャーリィは視線をふかふかの絨毯が敷き詰められた床に落とし、悲壮感たっぷりの声で続ける。


「作物が根付かないんです。もう、どうしようもないでしょう?」

「……方法はまだあるぞ」

「やめてください。下手な慰めは余計に傷つくだけです」

「まあ聞け。畑が駄目でも、まだ方法は残っている。……鉢植えならどうだ?」

「え……」


 思いもよらない提案に顔を上げる。

 灰色の瞳は凪いだ海のように穏やかで、シャーリィはその瞳の奥にからかいの色がないことに気づいた。


「要するに土壌の相性がよくないんだろう。だったら、他国の土を持ってきて、鉢で栽培すれば採れたて野菜が食べられる」


 それは寝耳に水の言葉で。

 最初から無理だと諦めていたシャーリィの心を揺さぶるには十分だった。


「……アークロイド殿下。あなたって実は神の使いだったりします!?」

「しない。ちょっと落ち着け」

「これが落ち着いていられますか! なぜ、その発想にたどりつかなかったんでしょう! それなら私でも挑戦できるわ!」


 途中から素の言葉遣いになっていることに気づかないくらい、シャーリィは喜びで打ち震えた。絶対溶けない氷が突如割れたぐらいの衝撃だ。


(これで夢が叶う……!)


 手塩にかけた野菜を新鮮なうちに味わえる。なんと甘美な夢か。一度は諦めた未来が手に入るのだ。もう後悔を引きずる必要もない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ