赤いおじいさんと薄い少女
「クリスマスツリーじゃないけれど、名前にツリーって入ってるし、クリスマスツリーでいいよねー」
展望デッキから街を見下ろすと、クリスマスのイルミネーションやビルの明かりが綺麗に輝いていた。クリスマスの夜だから、やっぱりみんな大切な人と同じ時間を過ごしているのかな。
私は影が薄いことを良いことに閉館後の展望デッキに忍び込んでいた。影が薄すぎて警報装置にすら探知されないけれど、だからこそ楽しめることもある。窓に映る私は、服が本体なのか、私が本体なのか分からないくらいに、もこもこしていた。窓にはこれでも一応映る。実体は存在している。あと、ブランケットと毛布も忘れずに持ってきた。完璧。
家で炬燵に潜り込んで過ごすことも考えたけれど、折角のクリスマスだから外で過ごすのもいいかなーって思った。展望デッキの中にいるけれど。外じゃないけれど。
「家の外だからーここもー外なのだーそれでいいのだー」
ブランケットと毛布でミノムシさんみたいになる。あったかい。もふもふでほかほかでちょっと幸せな気持ちになった。猫さんや犬さんはいつもこんな感じなのかなー。羊さんはちょっと暑そう。
「こんばんはお嬢さん」
「はぇー?」
声のした方を振り向くと、見知らぬ人が立っていた。私以外にもここに忍び込める人がいたことにちょっとだけ驚いた。この人も、影が薄いのかなー。赤と白の帽子がよく似合っている。私も被ってくれば良かったなーなんて思った。
「こんばんはー」
「君はこんなところで何をしているんだい?」
「夜景を見てるんだよーここから見える夜景綺麗なんだーお兄さんも一緒にどうですかー」
「ぜひ、ご一緒させてもらおうかねぇ。それにしても、ははは、お兄さんと言ってくれるのかい?ありがとう。でも、もうそんな歳じゃないからねぇ」
「そっかーじゃあおじいさんねー」
「それはおじさんでもちょっと傷付くなぁ」
おじいさんが困ったように笑う。私もつられて笑った。
深夜の展望デッキに人が二人もいるなんて、バレたら管理会社さんは大変だろうなー。私は影が薄いから逃げられるけど、責任問題は難しいよねー。社会の闇だぁ。おじいさんは逃げられるのかな。
「おじいさんも影が薄いのー?」
「おや、もうおじいさんで決まりな感じなのかね……おじさん、いや、おじいさんは影が薄いわけじゃないよ。むしろ世間的に言えばちょっと有名な方かもしれないねぇ」
「えーすごいー!有名人なんだー!すごいなー私は影が薄すぎて有名どころか誰にとっても無名だよー」
「それは……あぁなるほど」
おじいさんが何かを察したような相槌を打った。有名人なおじいさんは一体何者なのだろう。何をしている人なのだろう。
「おじいさんは何をしている人ー?」
「何をしている……ふむ、そうだねぇ。プレゼントをあげる仕事をしている人……かな」
プレゼントをあげるなんて素敵だなー。誰にあげるのかなー。やっぱり大切な人がいるのかな。でも、お仕事でプレゼントをあげてるなら……
「サンタさんみたいだねー」
「ははは、そうだね。まるでサンタクロースだ」
「サンタさんはさー良い子のところにしか来ないみたいでねー私のところには来たことがないんだー特に悪いことしてないのになー」
「展望デッキに忍び込んでいることは悪いことじゃないのかい?」
「それ言われるときついなー」
「ははは、すまなかった」
久しぶりに誰かと会話をした気がした。話しかけたところで、いつも自分の存在に気付いてもらえないから、長い間人と話していなかった。人は話しかけるものではなく、避けるものだった。ぶつかったらお互い痛いから。痛いのは嫌だから。苦痛は少なく、幸せは多い方が良いよね。
「君は何でも好きなものを貰えるとしたら何が欲しい?」
「んー?何かなー何でもいいのー?」
「ああ、何でもいい。参考意見を聞かせてくれないかね」
「そうだねーお金がいいかなー友達がいいかなーお家やゲームもいいなー何がいいかなー」
「欲しいものが沢山あるんだね」
「うーんあるのかなー欲しいものー。どれも同じくらい欲しくて同じくらい欲しくないみたいな感じかなー。折角さークリスマスだからさークリスマスにちなんだ物がいいよねー」
「クリスマス限定品が欲しいのかな?」
「クリスマス限定品……うーん物よりも思い出とかそういうのが欲しいかなー。私は誰の思い出にも残れないからさー思い出とか記憶とかそういうのに憧れるんだー」
そういえば、クリスマスの思い出は展望デッキから夜景を眺めるくらいしか覚えていない。昔はもっと色んな思い出があったような気がするけれど、周りが誰も覚えていないから、確認出来ない。私だけの勘違いのような気もする。
「思い出……お友達と遊んだりとか、家族と食事をしたりとか、恋人と過ごしたりとか、そういうことかい?」
「うん。そういうのもいいけどさーたぶん忘れられちゃうからさー私が関与しない思い出がいいかなー例えば……」
私が全体に関与しなくて、私が楽しめて、みんなも楽しい、そんな思い出、そんなクリスマス……
「ホワイトクリスマスかなー」
「ホワイトクリスマス?」
「うん、雪が降ってるクリスマスのことーみんな雪好きだよねー特に小さい子は喜ぶ気がするよー」
「君はそれで良いのかい?」
「うん。何故だかホワイトクリスマスに遭遇したことないんだー何故かいつも雪の降ってない場所にいるんだよねぇ。それに……」
「それに?」
「雪はさー積もったら足跡が残るでしょー?自分が存在していることを確認出来て嬉しいんだーえへへ」
雪で足跡を確認するのならクリスマスでなくても良い。でも、ホワイトクリスマスは経験したことがなかったから、ホワイトクリスマスの思い出が欲しかった。自分自身が確かにいることを、感じることが出来る、クリスマス。
「聞かせてくれてありがとうお嬢さん」
「いえいえーどういたしましてー」
「それじゃあ、おじいさんはそろそろ失礼するよ。クリスマスだけど最後のお仕事がやっとできるようになったからね。お嬢さんとお話が出来て楽しいクリスマスになった。ありがとう」
「そっかーもう行っちゃうのかーお仕事がんばってねー私も楽しかったーありがとー」
展望デッキの階段に向かうおじいさんの後ろ姿は、誰かに似ているような気がした。知らないはずなのによく知っているような不思議な感覚だった。
私の存在は誰も知らない。おじいさんの存在はきっと多くの人が知っている。おじいさんはどうして私に気付けたのかな。誰をも見ることが出来る人もいるのかなー。誰にも気付かれない私がいるのだからいてもおかしくはない?
「分からないなー世界は不思議でいっぱいだからねーそんな不思議も許されていいよねーだって今日はクリスマスなんだから」
夜が更けても、窓の外の街並みは輝いていた。イルミネーション、ビルの明かり、街灯、車のライト……どれだけ世界が輝いていても私に影はできない。光が強くなるほど、影も濃くなるはずだけど、私の影は濃くならない。存在は薄れていくばかり。
「あれ…?」
窓に映る自分の顔の前を白い粒が通った。後から次々と白い粒が続いていく。空全体に白い粒が舞い始めた。雪だった。
「やったー初めてのホワイトクリスマスだーえへへー嬉しいなーおじいさんももう少しいたら見れたのになー」
街が白く染まっていく。色とりどりの明かりと、黒い影に染まっていた街が、塗り替えられていく。一粒、また一粒と雪が積もっていく。雪も積もれば存在が証明できる。朝にはきっと真っ白な世界が広がっている。広がっていたらいいなーなんて思いながら、追加でもう一枚毛布を被った。サンタさんからのプレゼントなのか、自然の気まぐれなのかは分からない。だけど、私が今幸せなのは間違いなかった。
メリーホワイトクリスマス。
みんなにも幸せがありますように――