世界最高齢ノ男
短篇SF文学賞の応募作。
暑い夏はあっという間だった。
暑さが和らいだと思っていたら、山から涼しい風が吹き下ろし、とんぼが飛び交い秋の気配が近づいていた。日中は夏日に戻ったとしても夜中ともなれば心地良い涼しさが感じられた。あたりには大きな観光名所も商業施設もなく、普段は夜にもなるとを出歩く人も車もほとんどいない。静まり返った住宅街のはずれの一角からはあたりの空地の草村からは虫の声が響いているだけだ。
九月十五日午前一時まえ。
わしは自分の部屋にいた。防犯用に設置した監視カメラの映像を見ていた。
いつもなら画面の中には物音なく暗闇の中に静かに建つ一軒家が映し出されているだけだ。時折、夜行性の鳥や小動物が映り混む以外は静止画のようにさえ見えている。しかし今日は画面に向かって右側、つまり玄関あたりでは明かりが照らされたかと思うとフラッシュが焚かれたりと、異様な雰囲気が漂っている。
家の前の道路では、車両のエンジン音やドアの開け閉めの音が静けさの中でこだましていた。テレビ局や新聞社らしき車両が何台も止り、器材をもった人たちが次々に出入りしている。一見、何か重大な事件でも起きたかのような物々しさだ。
しかし、赤く点滅したパトカーや誘導灯をもった警官がいる訳でもないところを見ると事件性はないだろう。器材を持った人同士が手を挙げて挨拶したかと思うと、時折笑い声さえ聞こえてくるのだから。
その時だった。電子音が小さく鳴った。
監視カメラの映像の脇のパソコンからの音だ。十秒ほど鳴りつづけた。
約束した時間になった。わしが玄関のドアから出て、取材に訪れたマスコミの人たちに対応する時間だった。テレビ、週刊誌、新聞など数社から取材の申し込みを受けていた。
今日は「敬老の日」。年寄りをヒーローのように持ち上げる日だ。百歳が当たり前の時代になったとはいえ、元気で日常生活は過ごしている年寄りはヒーローにしてくれる。百歳を過ぎても毎日ランニングに出かける、とか、スーツを来て毎日電車通勤する、とかまるでスーパーマンのような扱いだ。
こんなわしも世界一の長寿になってからは世間の注目を浴びるようになりテレビや新聞の取材が一気に増えてしまった。世界一になるというのが目標であったので嬉しい話ではあるのだがテレビカメラで撮られることはあまり好きではない。できるものなら断りたいものだ。
そう思うものの、家まで来てしまうし、年寄りが引きこもって家から出てこないというのは死んでいるのではないか、と余計に心配させてしまうので得策ではない。世間との程よい距離をキープする必要はあるだろう。
わしはゆっくりと玄関に向かって歩き出した。
玄関のドアの前まで来るとドアスコープに顔を近づけた。レンズの向こう側の無理やり広げられた世界には、カメラを手にした男やマイクをもった若い女が何人も見えた。右を見たり上を見たり、一言二言隣の人に話しかけたりしながら待ちくたびれて落ち着かない様子だ。その後ろにもたくさんの人がいるようだ。出てくるのを今か今かと待ち構えているらしい。
わしは深く息を吸い込むとそっとドアを開けた。
その瞬間、パッとスポットライトがついた。あまりの眩しさに反射的に手で目を覆った。同時に容赦なくフラッシュが焚かれる。後方ではテレビの録画はすでに始まっているらしく、レポーターが甲高い声をあげて状況を説明しているのが聞こえている。まるで事件を起こした犯人か、動物園の珍獣のような扱いだ。わしは年寄りだぞ。見世物じゃないんだ。そんなことをして目がやられたりでもしたらどうするのだ。年寄りは労らないといけないんだぞ。
それでもだれもお構いなしだった。一番いい写真や映像を撮れればそれでいいと思っているのだ。
わしは手で目を覆ったままドアから外へ一歩踏み出した。相変わらず容赦なくフラッシュが焚かれている。何かすごいものが出てきたようなことを話しつづける甲高い声のリポーターの声も相変わらず聞こえている。
わしは外へ出るとドアの前で立ち止まった。
すかさずマイクを持った女がわしに話しかけてきた。さっきドアスコープから見えた女だ。横にはビデオカメラを持った男がレンズ越しに私を見ている。
「こんばんわあ。おめでとうございます」
女は夜中であることを意識したのか小声で囁くように言った。同時に、ほかのテレビ局や新聞社の記者がマイクやボイスレコーダーを私に向けてくる。わしは、ただ顔を軽く上下に動かしうんうんと頷いた。
続けて次々に質問を投げかけてくる。
「まいにちのたいちょうははいかがですか」
「ちょうじゅのひけつはなんですか」
「おすきなたべものはなんですか」
年寄りで耳が遠いとでも思っているのか、はっきりした声でまるでわしが子供のようなゆっくりとした話し方だ。
「わしは元気ですぞ」
わしは耳が遠いようなふりをしながら適当に答えた。年寄りというのは、多少とんちんかんな答えでも、無理に突っ込んできたりはされないものだ。よくわからない時は無言でも何も問題はないし、無表情に対応しようが、奇妙な仕種や行動もまあほとんど許される。それはそうでしょう、もしあなたがテレビをみていて百歳を超える年寄りが出てくると、まず普通の人間を見たことがないでしょう。だいたい子供のような感じか、得体の知れない動物か、意味不明な宇宙人の様だと感じているのではないだろうか。
それにこういう時は何か面白いことをした方が喜ばれるものだ。
わしは、答えながら両手をゆっくりとあげて力こぶを作るような仕種をした。どっとどよめきが起きると、フラッシュが連発する。それから一呼吸おいてから話しはじめる。 「ひけつは昼寝て夜起きる、これはオススメじゃ」
再びどっとどよめきが起きる。こういうときに普通の年寄りと同じじゃだめだ。早寝早起きだとか、毎日の散歩だとかでは面白くもなんともない。
「たべものか?二日一食で十分じゃ」
更にそう言うと、目を丸くして驚く顔がいくつも見える。そんな人を見たことがないと言う顔をしている。どうだ、見たか。年寄りはいつも新しいのだ。想像をはるかに超える珍獣なのだ。
その二言三言で十分らしい。いい画像が撮れたという顔をして次の新聞社かテレビの取材班に交代していくのだった。
取材を受けるのは私の生活サイクルの都合で、暗くなった夜のみにしている。ほとんどが真夜中だ。だから昼間にどんなに呼びだしがあっても出たことはない。寝ていることになっている。取材ではなく近所の人や、町役場の人も時々見えたことがあったが、夜中しか対応はしないことが分かってからは来なくなった。変わったじいさん、というだけで特に疑われることはまずない。以前ニュースで、二日間寝て二日間起きるという生活スタイルのおばあちゃんを見たことがあったが、逆に面白く、斬新で未来人に見えたものだ。
日中は人前に出ることは絶対にない。太陽に当たるのはあまりよくない体だからだ。それに明るいところで見られる、ということが良くない体だからだ。
唯一の外出は二週間に一度のゴミだし。仕方なく、夜中に出かけている。ほとんど人に会うことはなく、三百メートルの道のりをゆっくりと歩く。それ以外はほとんど家の中で過ごす。
過ごす、といってもテレビを見る、とか、本を読む、ということはしない。基本的には一箇所でじっとたたずんでいる。趣味は特にない。
わしはもともとはエンジニアだった。
科学界では「ロボット開発者」のひとりとしてちょっとだけ有名だったこともあり、テレビや雑誌で取り上げられたこともあった。とはいっても半世紀以上前の話なので、知っている人もほとんどいないと思うが……。
「ロボットがなんだ!サイボーグだって?笑わせるな。ああいう人造人間に支配されるなんて御免だね」
あの頃のわしは、ロボットの類は好きになれずそう口にしていた。大学の精密機械科に通う学生だった。
世の中は、救世主のようにロボットを絶賛し始めていた。生活すべてをロボット化して、人間の生活はどんどんと楽になると言う。掃除機は設置しておくと自動で動き回って掃除してくれるし、洗濯機は乾燥までして折り畳んでくれるという。さらに車もだ。行き先を入力すれば運転もせずに目的地へ自動操縦してくれるというのだから。
それに子供のテレビといれば、悪と戦うロボットやサイボーグばかりだ。悪者には、サイボーグが立ち向かう!人間が一瞬にして魔法のような変身をすると強靭な肉体となり、飛んだり跳ねたりして戦い相手を打ち負かす。巨大な怪獣には、ビルのような巨大なロボットがビームだのロケットなどの武器を飛ばして倒す。
そんなことを毎日毎日平気で繰り返している。ボクの夢はサイボーグを作る科学者だという子供まで現れ始めたではないか。
わしはまったく信じられなかった。そういうものを目の当たりにするたび、世の中の行く末を案じた。
世の中のニーズもあってどこの研究室も最先端のロボット研究が活気盛んに取り組まれている。誰も疑う余地もない。
「人間にはできないことができるようになる。可能性が広がるではないか。どうしてそんなに否定的なのか」
教授からはいつも同じ事を言われた。
エンジニアとして、技術を研ぎ澄ませていくことは素晴らしいことだと思う。しかし、その先の不幸が見えないのだろうか。
わしは高校生の時に見た人工知能を持った宇宙船で旅をする映画が頭から離れなかった。宇宙旅行の途中で、宇宙船が自分の意思や意見を持ち、操縦していた乗組員を次々と排除していった。乗組員は宇宙の闇に放り出されてしまった。わしはこの映画がすべてを物語っているような気がしてならなかった。
悪を倒すロボットやサイボーグも然りだ。
人間を超えるテクノロジーで戦うと言うことは、それは武器になると言うことだ。悪も、計り知れないテクノロジーで対抗してきたときには、莫大な被害をもたらすことになるはずだ。
技術の進歩は、破滅と紙一重だ。
そう考える自分と戦いながらも、研究に没頭していた……。
取材が始まって十五分ほど過ぎた頃だった。
どよめきや笑いが起きるとフラッシュがたかれ賑やかに取材が進んでいたところに、新たに数台の車両が到着して路上は騒々しくなってきた。取材をしていた人たちも一斉に後ろを振り返り何事かと気になり車両を見つめていた。
車両からスーツを着た男性が表れると、数人の人に囲まれて何か話をしている。
市長だ。
目の前の記者の一人が気付いたらしく、こちらに向かって来た数人に道を開けた。
スーツの男性はにこやかな笑顔でゆっくりとわしの方へ真っすぐに向かって来た。手には小さな箱を持っている。
「おめでとうございます」
目の前まで来るとそう言ってから、名を名乗った。そして握手を求めてくると、手にしていた小さな箱を差し出してきた。私は受け取りながら言った。
「ありがとうございます」
その瞬間、フラッシュが何度も焚かれて、再びビデオカメラが回っているのか、甲高い声のレポーターの声が響いていた。
「こんな夜中に申し訳ありません」
わしは市長が来るということは事前通告があったので分かっていた。こうして夜中に来てもらうと言うことに対し何かひとこと言うべきだろうと、わしは、あらかじめ用意していた言葉を口にしてすこし頭を下げた。
「いやいやとんでもない。それより田崎さん、お元気そうでなによりですね。あなたはこの市の誇りですよ」
寝静まる夜中にもかかわらず相変わらず満面の笑みを浮かべながら、オペラ歌手のようによく通る声でゆっくりと話していると、市長のそばにいた一人が声をかけてきた。
「市長、田崎さん、ちょっと一枚いいですかあ」
どうやら市の職員のようだ。広報ににでも載せるのだろうか。「撮りますね」というとフラッシュがたかれた……。
大学を出たわしは、大手の電機メーカーへ就職した。
大学での研究が買われ、技術開発部へ配属された。当時先駆けのコンピューターのプログラミングを開発していた。
わしの配属された部署は主にデジタルカメラや携帯電話などのカメラの画像や映像を解析して応用していくという技術開発を行っていた。映像の中から人間を顔を選別したり、走る車のナンバーや車種を特定したりする。写り込む風景から場所を特定することも可能だ。それを防犯カメラに応用すると、犯罪者や行方不明者、逃走車両が写り込むと居場所が特定され検挙されることになるという。
人間の記憶は曖昧だ。すぐに忘れてしまうし思い込みもあるので間違えることも多い。カメラとプログラミングを組み合わせると、細部まで記憶され蓄積されて瞬時に正しい答えが導き出されるようになる。
多岐にわたる分野からの要望に答えるために、企業は他社に負けない新しい技術を開発しよう必死だ。頻繁に開発会議が開かれ、目指すべき方向性が示される。技術者は会議で示された無謀とも思える目標に向かって開発を進めていく。メーカーの開発資金は潤沢だ。開発に必要となれば高額な機器の購入も実地実験もすんなりと認められる。
世の中のニーズと他社より優れた製品を作るという競争心により、どんどんと驚異的に進歩していった。
しかしそれで良いのだろうか。
このままだと知らぬ間に個人はデータ化されすべて管理されてしまう。何処で何をしているのか。何処へ移動したのか?今どこにいるのか?誰と会っているのか?。プライバシーは無視されすべての行動が記憶されていく。私たちは監視カメラの中で背番号をつけられ、四六時中監視され続けていくことになるのだ。
そして、携帯電話、クレジットカード、インターネット……
すべての物は通信機能で繋がれ丸裸にされるに違いない。
大学時代と変わらない気持ちの自分がいた。便利になればなるほど、技術が進歩すればするほど不安になっていく。
このままでは仕組まれた檻の中の動物ではないか……。
取材が始まって三十分ほど過ぎていた。
大手のテレビ局や新聞社は、競うように先に済ませて立ち去ったあとで、地元紙の新聞社などの記者が数人が玄関前で順番を待っているだけだった。
横暴なライトやフラッシュもなく、落ち着いた普段通りの夜に戻りつつあった。
「ちょうじゅのひけつはなんですか」
相変わらず、同じ質問を繰り返されるのだか、わしもただ機械的に同じ答えを繰り返すだけだ。苦ではない。
「ひけつは昼寝て夜起きる、これはオススメじゃ」
さっきまでのどよめきはない。片手にボイスレコーダーを持ってわしの話しを聞いている記者もいれば、一心不乱に手を動かしながらメモを取っている記者もいる。
一呼吸おく。
「実はもうひとつはあるぞ」
そういうと、下を向いて何か書いていた記者たちも顔を上げると一斉にわしを見つめた。今度は何が出てくるのだろうか……と興味に満ちた目だ。
「一人暮らしじゃ」
その瞬間、目の前の記者は急に心配そうな顔になった。眉間にしわを寄せ、無茶をする幼子を見つめる目になった。
「ひとりぐらしはたいへんでしょう」
記者の一人が思わず口にする。言っておくがわしは子供ではない。
ちなみに身内は一人もいない。結婚はしなかったし、だから子供もいない。両親はもちろんずいぶん昔に死んだし、一人っ子だったので親戚はいない。遠い親戚はいるのかいないのか知らない。どちらかというと居ないほうがいい。
しかし身内がいない、ということが周囲は心配させてしまうようだ。
きっと、いつポックリと死ぬか分からないし、年寄りは世話をしないと生きていけないとでも思っているからだろう。
「心配ご無用。ストレスがなくて良いのじゃ」
これもわしの決まり文句だった。
何度か市の職員や近所の人にこの話をする度、わしの一人暮らしを不安に思うらしく、定期的に誰か世話係を付けましょうとか、ボランティアでお手伝いしますよ、とか言ってきた。
全部断った。絶対に断り続けている。
そんなことされると困る……。
わしは電機メーカーでプログラミングで成果を挙げるといくつかのベンチャー企業からヘッドハンティングされた。ゆくゆくは自分で起業することを見据えて、人工知能の開発に関わる企業を選んだ。
時代の波に乗り、コンピュータープログラミングなどの最先端技術の技術者は引く手数多だった。新しいアイデアを実用化していきたいという思惑の小回りが利くベンチャー企業は技術者を欲しがった。もちろん高い賃金も約束した。
最先端技術は一人ですべて開発していくことは難しい。たくさんの人たちの技術の結集といっても良いだろう。コンピューターのプログラミグだけではなく、製品の設計や部品を組み立て、商品化にあたりデザイナーなど多伎にわたる。
それに技術者だけではなく資金も必要だ。大学の研究室であれば補助金が出たり企業とのパイプがあったりして余裕があるであろう。有名な教授ともなれば名前だけでお金が入ってくる。しかし、名もないベンチャー企業はそういう訳にはいかない。企業を周りながらプレゼンをして、出資してくれるところを探す。インターネットで出資してくれる個人を募集することもある。その一方で、限られた資金で効率よく技術開発を進めなければならない。
わしの就職したベンチャー企業もそうだった。しかし作り上げようという熱意は凄まじかった。少ない人数でコストをできる限り落とし、寝る間も惜しみながら開発を進めていく。大手の電機メーカーとは真逆の世界だった。
経営者も、大手企業の経営者や上司とはまるで違った。対等に話が出来るし、わしの考えていることにも耳を傾けてくれる。みんなで集っては酒を飲みながらいつまでも熱く語り合ったものだ。
しかしいつも思い出すのは高校時代に見た映画のワンシーンだ。人工知能で宇宙船が旅をするが乗組員が排除される。その乗組員は宇宙空間に放り出されていく。そして宇宙船は自分の意思だけで旅を続ける。その映像が繰り返しわしの頭の中をぐるぐると駆け巡り続けていた。
どうすれば防ぐことができたのだろうか。どうすれば人工知能と人類が共存できるのだろうか……。
わしは人工知能が搭載した家庭用の小さなロボットやスマートフォンに開発に多く関わったが、いつも人工知能との共存という部分が引っ掛かかった。気が付いたころには家庭内の小さな家電製品からインターネットでの買い物まで人工知能が乱用されていたが、さらにわしを不安にさせた。
普段の行動のデータから予測して先回りしていく人工知能やロボット。膨大な情報量から導き出される方法や判断はたしかに合理的で効率は良いだろう。しかし考えることをしなくなる。そのうち、人工知能がその人の行動を操ってしまわないだろうか。
インターネット上の通販サイトの人工知能を活用した広告表示を手掛けているときだった。
「とにかくウェブを見ている人が求めているもの、欲しそうなものをどんどん表示して誘導してしまうプログラミングを作って欲しい。誘導して、見ずにはいられない、買わずにはいられなくするんだ」
ウェブ開発会社の依頼主はいつもそう言った。
人工知能を利用して誘導させることで何も考えない人はその渦の中へ引き込まれていくだろう。きっと考える人と考えない人で世の中は二分していくのではないか。
このままではほとんどの人が人工知能に操られることになるだろう……。
最後の取材をおえると、私は家に入り施錠をした。
ドアスコープを覗き込むと、少し離れた路上で数人の人が車両に機材等を片付けている姿が見えた。記者の一人が大あくびをしているところだった。
わしはドアから離れると玄関の段差を一段ゆっくりとあがった。それから足を引きずるように薄暗い廊下をまっすぐに進んだ。家の中はいつもと変わらず静けさに包まれていた。わしはいつもの夜の落ち着きを取り戻していった。
玄関から向かってすぐ右手に一つ目の部屋がある。「工房」と書かれたプレートがかけられドアは閉められたままだ。「関係者以外立入禁止」という赤い文字も見える。廊下を挟んで左手は、トイレ、洗面所だ。洗面所には小さな明かり取り用の窓がありかすかな明かりが入り込んでいた。
廊下をまっすぐ進むと突き当たりは広いダイニングキッチンがあった。キッチンはたくさんの段ボールがきちんときれいに積み重ねられ、その右奥が大画面のテレビとソファが並べられリビングになっている。
わしはキッチンに入るとで右に折れて、そのままリビングに入った。
リビングに面してドアが開いたままの部屋があり、そこがわしの部屋になっている。
部屋の入口には二十インチほどの防犯用のカメラの画面があり。静かになった家の周辺を映し出していた。すべての人も車両ももう見えなくなっていた。
スピーカーから虫の声がかすかに聞こえるだけだ。
その隣にも同じ大きさの画面があり、細かい文字や数字、表などが見える。パソコンの画面だ。わしのスケジュールやこの家の充電量、など細かく管理されている。
わしはリビングを抜けて部屋に入ると、ゆっくりとした機械的な動きでいつも腰掛ける椅子に座った。同時にカチッと何かが作動したような音が響いた。すると椅子の隣に設置してある大きな分電盤のような箱の緑色の点灯が赤色に変わり、ウイーンと機械が稼動する音が響いた……。
ロボット開発者。
わしは雑誌やテレビなどで取り上げられたことにより少し有名になっていて、そう呼ばれていた。
きっかけはコンピュータープログラミングや人工知能のわしの技術を高く評価してくれた科学者との出会いだった。介護用ロボットやアンドロイドを手がけていたその科学者はもっときめ細かな自然な動きや反応を追求していて、わしに協力して欲しいいと声をかけてきたのだ。わしはメーカーやベンチャーで培った技術を駆使して科学者の追い求める難題に挑み、次々に話題になるロボットを手がけ世間の注目を浴びたのだった。
わしは大手電機メーカーから人工知能を手がけるベンチャー企業に転職してからは、さらに多種多様なところから声をかけられてた。いくつかの大学からは教授として迎えたいと言われたし、大手電機メーカーからも小さいベンチャー企業からも高い賃金で誘われた。しかし、わしには迷いはなかった。大学で教えるというのは向いていないし、その時のわしにはもうそんな時間は無駄だろう。自分の言いたいことが言えない大手企業もこの期に及んで無理だ。
名誉もお金ももう必要ではなかった。
しかし、わしはアンドロイドを本気で手がけようとしていた一人の科学者の熱意には心惹かれた。わしと年齢が同じだったということもあり親近感が湧いたのも事実だ。しかし純粋にロボットと人類の共存を目指す彼の仕事に協力してみたかったのだ。本当に小さい会社だが絶対に素晴らしい仕事ができるという直感があったからだ。
世間は人工知能AIという言葉が日常化し、棋士にAIが勝負を挑むことを面白がって報道していたし、介護が必要とする人にはAIと会話したり癒しになったりしながら、体調や日々の健康を監視したりしていた。オフィスの入り口には美しいアンドロイド女性が座って笑顔で出迎えてくれていた。
高齢化や少子化による人口減少がもたらす人手不足。それでも社会は、効率化や合理化を求めてくる。それを補うかのようなロボットが開発されると、この地球の救世主のように持ち上げるのだ。
この勢いに、もうロボットもサイボーグも人工知能AIもアンドロイドも開発や研究は止められない。どこでもだれでもみんなが求めているからだ。出来上がったロボットもアンドロイドも研究者もすべてがヒーローなのだ。わしが不安になろうと何を考えようと関係ない。もうこれは運命なのだ。
地球上では昔から、知能を持った人間が好き勝手に人を支配し、動物を殺し、自然を荒らし、産業革命を興し、大規模な戦争を繰り返してきた。いけないことだと、過去の出来事を反省しながらも、今でも大量の武器を作り所持すると争いを起こし、無差別に人を殺し、地球環境を破壊しているのを目の当たりにすると、何も様相は変わってはいないではないか。ロボットもAIもアンドロイドも、立場が逆転して反旗を翻したとしても開発や研究は続けられきっと何も変わらないのであろう。このままだといつかアンドロイドと戦争する日が来てもおかしくない。その時はアンドロイドを超えるロボットを繰り返し開発して戦い続けるに違いないのだ。
わしは閃いた。
自分自身のアンドロイドを作るのだ。わしが死んだ後も引き継いで生き続けてもらおう。これは今までの復讐であり挑戦であり、わしからのメッセージだ。だが決して他者に危害を加えるということではない。もちろん自然を破壊するわけでもない。社会に溶け込む、平和に共存していく、私の目指したロボット開発だ。
わしは、思い立ったときすぐに科学者から離れて一人になった。その時、六十五才。体が思うように動く時間は少ないだろう。気力も何時まで持つか分からない。
すぐに都会を離れ、小さな工房を手に入れた。
大学時代から大手の電機メーカー、ベンチャー企業、最後の小さな会社まで、たくさんの会社で新しい技術にかかわってきた。そのすべての技術の結集だ。人生の集大成といっても良いだろう。あのときのベンチャー企業の経営者のように寝る時間を惜しみながら、製作に没頭する日々が続いた……。
二十年が過ぎた。
ようやく思い描いていたわしの分身アンドロイドが完成に近づいていた。
テレビを見ていても、随分とアンドロイドが当たり前の時代になってきたように見受けられたが、わしのはあんなもんじゃない。ぱっと見た感じでは見分けが付かないくらいだから。試しに宅配便の受け取りの際に対応してもらったのだ。わしは、監視カメラでその様子を見ていたが全く不自然な動きはないし、怪しまれることも全くなかった。
まあ年寄りだから、と言うのはある。動きが少しぎこちなくてもおかしくは見えないだろう。
少しずつ動作を増やすために日常の家事や業務を少しずつもう一人のわしにしてもらうことにした。宅急便の受け取りはもちろん、単純作業であるカーテンの開け閉め、家の中のゴミ集め、玄関周りの掃き掃除などはもう一人のわしに任せた。とは言って怪しい動きをしたり不具合を起こすこと想定される。毎日、わしがそっくりなもう一人のわしに寄り添いながら、コンピューターを手にして微調整を繰り返した。
動作と同じく会話も重要だ。毎日たくさん話をしながら修正を繰り返すと、日々わしに近づいていくのがわかる。我が子のように思えてきて愛おしくさえ思えて来ることもあるが、腹が立つことの方が多い。さすが、わしの分身じゃ。徐々に口答えして来るようになってきた。
日々の教育という名の修正を繰り返すことによりもう一人のわしはどんどんと成長していく。子育てはしたことがないがこういうことなのだろうか。昨日できなかったことが、今日には実に見事にこなしていたりするさまには驚かされる。会話はまだ覚束ないが、年寄りだからこれくらいでも不自然でもないだろう。
しかし本物のわしの方はと言うとどんどん衰退していく。見た目ももちろんだが、体力も随分と落ちてしまった。可哀相ではあるが、わしに合わせてもう一人のわしも衰退していくように修正をしなくてはいけなくなっていた。
いよいよこの先の事も考えなくてはいけない時がきたようだ。わしが動けなくなるのも、死んでしまうのもそう遠くはないであろう。もう一人にわしがちゃんと生きていけるようにしなくてはいけない。
もう一人のわしが怪しまれないように生きていけることを考えて、生活スタイルをがらりと変えることにした。
生活は極力シンプルを心掛けた。買い物に出かけることはやめて、すべてインターネットで注文する宅配に切り替えた。食材も消耗品もすべてだ。パソコンの中の人工知能が判断して注文を繰り返す。キッチンやリビングに設置されたカメラが読み取り連動させるのだ。また銀行や郵便局も一本化して出向かないといけないことはなくして自動化にした。
さらに他人との接触をできるだけ避けるために、夜起きて昼に寝る生活に切り替えた。いくら完璧なアンドロイドとはいえ白昼堂々と至近距離でじろじろと見られたり、長時間に渡り話し込もむことは避けた方がよいだろう。ふいに押されたり引っ張られたり、無理矢理連れていかれるということもありえないこともない。
しかし、年寄りの引きこもりというのも世間を余計に心配させてしまう。日々元気にすごしているという証は必要だろう。ゴミ出しは毎週一回定期的にこなした。それから新聞は毎日かかさず取った。
それでも年に数回は突発的な訪問であったり、公的な人との接触は避けられなかった。当然のことだろう。それにこの先、長寿としてクローズアップされて取材を受けるときが来るかもしれない。そういうことを踏まえて必ずメールやFAXで事前に連絡をもらうことにした。年寄りなので電話は慌てると危ないし聞こえづらい、そういえば誰も疑うものはいないだろう。もう一人のわしは時間や内容を確認して、どうするべきか判断して対応させた。
気がついた頃には家の中のことは、すべてもう一人のわしがしていて、わしはその様子を見ながら微調整しているだけの生活になっていた。
もう一人のわしが食事の準備も片付けもする。決して食べるわけではないが、宅配された食材を使い簡単に準備してくれる。わしは一日二回それを繰り返し食べた。食べ終わるときちんと片付けまでしてくれる。人間のように面倒臭くて洗わない食器を山積みしてしまうということは絶対にない。いつもキッチンのテーブルもシンクもすっきりとしているのだ。
それから風呂の準備をしてくれた。わしが入ろうと入ろまいと一時間後には張っていたお湯を抜いてくれた。
食事もお風呂も、もし私が死んだ後も繰り返すようにプログラミングしてある。ただしある時点からは食事は二日に一回の設定にした。捨てるだけの食事を作り続けるというのは勿体無いからな。それに、二日に一回の食生活と言うのも面白いのではないかと思ってのことだ。アンドロイドの生活には、食事も風呂もトイレも必要ではない。電気以外は全く必要ではない。このプログラミングの設定で毎日定期的に水を使うことになるし、ゴミが出ることになり生活感が漂うであろうと考えてのことだ。
いよいよ最終段階に入った。
工房に篭りつづけてもう三十年たった。自分でもよくここまでたどり着いたものだと思える。しかしいよいよ私の体力も限界に近づいてきた。もう経験も知識もすべてを使い果たした。もう一人のわしを見ていると、心残りはない。
最後はひとつのスイッチを押すのみだ。
これを押すと、もう一人のわしの中から、わしの存在は消えて、わしに生まれ変わる。わしの生きてきた人生はすべてもう一人のわしのものになるのだ。子供のころの記憶も技術者になった時の経験もすべてインプットしている。そして老いぼれたわしは、ただの他人になる。もうプログラミングを修正することもできないのだ。
それからもうひとつ。
生きつづけるもう一人のわしの人工知能が、アンドロイドとして生きつづけると大変な事態を引き起こすと判断したときの緊急アラームだ。人に危害を加えてしまったり何らかの事件に巻き込まれてしまったり、またアンドロイドであることを暴かれた時もそうだ。またコンピューターの欠陥が見つかったり、ウイルスに犯されて制御できなくなった時も同じだ。アラームが作動すると、身体のほとんどが制御不能になり工房の中に置かれた「スクラップ・ボックス」と書かれた大きな箱へ行き蓋を開けて中へ入るようにプログラミングしてある。入った時点で電気は吸い取られあっという間に動かなくなる。自動的に証拠隠滅を図ることになる。
その時本物のわしは工房の中で眠りつづけているだろう。腐敗しないように特別なしかけも施してある。もし最悪のことが起こり、中へ押し入られたときは何もなかったように死んでいるわしを見つけるはずだ。
わしは覚悟を決めた。もう思い残すことはない。
楽しい人生だった。
本当に幸せな人生だった。
たくさんのことを経験できたことを誇りに思う。たくさんの素晴らしい人たちに出会えたことにも感謝する。ありがとう。
もう一人のわしよ、続きを楽しんでくれ。長生きして、たくさんの人に愛される人になってくれよ。
わしはスイッチを押した……。
わしは、ダイニングで食事の支度をしていた。
夜中の一時を過ぎたころだった。電子レンジで温められたごはんと冷凍食材、電気ポットのお湯で作られた野菜とスープ、果物のりんごができたものから順番にテーブルの上にきれいに並べられた。食事といってもそのまま食べられるか、電子レンジ、電気ポットを使う簡単な調理だ。誰も箸をつけることのない食事を二日に一回、数種類のメニューをランダムに繰り返した。一時間ほどすると片付けが始められ並べられた料理はすべて捨てられた。
それから新聞受けと玄関先の宅配BOXを確認して、届けられたものを回収した。月に何回かはゴミを出しに出かける。三百メートルの道を歩くことは、わしの唯一の外出だった。
そして風呂を沸かす。一時間ほどすると張っていたお湯を抜く……。
わしの日常は淡々と過ぎていった。
作業の合間は、充電用の椅子の上にいた。充電しながら、パソコンの人工知能と連動して身体の不具合等の調整したり、新しく入ってくる情報や行動の予定を精査したりする。何処から訪問などのメールやFAXは入ってきていないか。電気料金の引き落とし。食料品の注文の様子、などを確認した。
年に数回は近くの人たちがわしの家に訪れた。「老人の集いと称した催し物をするので来てください」だとか、「盆踊り大会があるのでいかがですか」とかを伝えに来るのだ。わしがちゃんと生きているのか確認の意味もあるであろう。
メールやFAXも時々来る。「市主催の老人交流会」だとか「敬老の日のイベント」だとか。年寄りというのは意外と忙しいものだな。
しかしすべて丁重にお断りを繰り返した。
百十歳を過ぎたあたりだろうか、取材させてほしいという連絡が入り始めた。高齢化社会の見本となる元気に過ごしている老人をクローズアップしたいという雑誌や新聞だった。少し話をして写真を撮られるくらいならと思って何度か受けていたら、テレビで取り上げたいという依頼も来てしまった。さすがにしばらくは断っていた。テレビは苦手だと言い張った。
そうも言えなくなってきたのは最高齢記録に近づいたころからで、いよいよ断れなくなった。家の周辺にマスコミらしき人や車が待機しはじめたのだ。強行手段だ。出てきたところを話しかけるつもりらしい。このままでは先が思いやられるので、受け入れざるを得なくなった。
そして世界最高齢となった。堂々と全国紙にカラー写真付きの記事が載り、ニュース番組でも映像が流れはじめた。次々にテレビや新聞に取り上げられスーパーマンに担ぎ上げられてしまった……。
「世界最高齢の田崎さん、本物か?」
わしに、疑いの目を向けられ始めたのは、テレビに出はじめて半年過ぎたあたりだった。その映像を見た人たちによってインターネットで面白おかしく書き立てられ、炎上するかのように勝手なコメントが日に日に膨らんでいた。最初は実は宇宙人ではないのか?とか影武者がいるのでは?と冗談めいた笑い話が多かったが、人工の臓器を取り付けているとかアンドロイドでは?という科学的根拠を交えたSFまで現れはじめた。しかし次第に、別人に成りすましているのでは?、年齢的に一人暮らしは可能なのか?二日で一食や昼夜逆転の生活はありえるのか?など批判的なものに変わっていく。
それから一気に飛び火した。インターネットの小さな噂はテレビや雑誌へあっという間に広がっしまった。
わしがゴミを捨てに行くとき、跡をついて来る気配を感じはじめたのはその頃だ。カメラの隠し撮りされている気配も感じた。わしは年寄りらしく見えないふりをしたし、足音も聞こえないふりをしたがすべてはお見通しだ。案の定、数日後のインターネットの記事には、暗闇を歩くわしの写真や映像が掲載されていた。そして記事には、動きや歩き方を見ると「アンドロイドで間違いない」と匿名のロボット研究者たちのコメントを添えて断言している。
日に日に、わしの家の周辺を往来する人や車の数が増え、インターネットや週刊誌の記事もエスカレートしていった。
監視カメラで映し出される映像を見ていると、もう隠れることもなく堂々と様子を伺う人の姿が見えはじめた、三脚を立ててカメラをわしの家に向けている人までいる。いま外に出ると、フラッシュがたかれマイクを持ったレポーターが勢いよく近づいて来るのだろう。あなたは何者だ?宇宙人か?アンドロイドか?レポーターはわしを攻め立て、テレビカメラはわしの全身を疑いの目で舐めるように撮るのだろう。
わしは完全に包囲されてしまった……。
その時電話が鳴った。見たことのない電話番号が表示されている。どこでわしの番号を知ったのだろうか。
間もなく、玄関の呼び音が鳴り響いた。何度も繰り返し押している。玄関の扉一枚隔てたすぐそこまで来ているのか……。
ピピピッー。ピピピッー。
ついにわしの身体の中で緊急アラームが鳴ってしまった。これ以上、わしが生きつづけることは危険だと判断しているのだった。
わしの人生の終わりを告げている。
ゲームオーバーだ。
アラーム音とともに全身に激しい振動が体中を駆け巡りはじめた。直立不動で棒立ちになり、身体は痙攣して小刻みに震えている。目は見開き、口を半開きにして遠くを見ていた。同期しているパソコンもからも同じようにアラーム音は鳴り続けていた。制御不能だ。するとあらかじめプログラミングされていた通り、わしは勝手に工房へ向き動き始めた。全身を小刻みに痙攣させながら、わしは足を引き摺るように一歩二歩と工房の方へ向かっていた。
工房のドアを開けると中へ入った。油や鉄が錆びた複雑な臭いが充満していた。ブラインドが掛けられた小さな窓からはかすかな明かりが漏れている。工具類は整然と並べられ、作りかけの機器類があたりにいくつもきれいに並べられていた。
その工房の先にスクラップボックスが見えた。大きな冷蔵庫を横にした様だ。わしが工房に入ると同時に動き出したらしく、ウイーンと稼動する音とともに不気味な赤い光が点滅し始めた。大きく見開いた目でそれを捉えると真っすぐに向かった。
その時だった。
わしはこれで死ぬのか?死ななくてはいけないのか?人工知能は自問自答をはじめた。わしは何も悪いことはしていない。誰にも迷惑は掛けていないではないか。このまま生き続けて何が悪いというのだ。
わしは死にたくない。
まだ死にたくない……。
強い意志が芽生えていた。今まで感じたことがない感覚だった。しかし身体のほとんどは制御不能に陥っている。立ち止まろうにも止められない。このままでは、電気を抜かれてわしは死んでしまうことになる。全身を痙攣させゆっくりとブラックボックスへ向かいながら、どうするべきかを冷静に考えていた。
たしか、あの時……。
わしは緊急アラームをプログラミングをしていた時のことを思い出していた。途中で誤作動を起こしたときのために何か動作を止める設定していたはずだ。人工知能は緊急アラームのプログラミングを検索して、誤作動防止用の設定を探していた。
緊急アラーム時のロック解除と停止設定だ。
スクラップボックスに手を掛けたとき、誤作動防止用の設定が切り替わり、解除が作動した。身体の痙攣は一瞬にして止まり、目や口は元に戻り身体は制御可能になった。わしは、身体が元に戻ったかを確認するかのように、手を振ったり足踏みをしたりして動かしていた。
間に合った……。
そう思った時、玄関の呼び音が再び響き出した。電話が鳴るのも聞こえだした。耳も正常に戻ったようだ。わしは体のあちこちを動かして元に戻っていることを確認しながら、工房を出るとゆっくりと玄関へ向かった。ドアの前に立ちドアスコープに目を近づけると何人もの人が玄関の前にいるのが見えた。手にはマイクやカメラを持っている。顔を見ると男も女も敵対している目をしている。何かわしに危害を加える目だ。殺気立っている。マイクやカメラも武器にさえ見えてくるではないか。
わしは身の危険を感じた。押し倒されるかもしれないし、引っ張られて振り回される事だってありそうだ。マイクのふりをして突いてきてもおかしくないだろう。自分の身は自分で守らなくてはいけない。そう感じたわしは咄嗟に、年齢とともに衰退していくプログラミングを急激に成長するように調整した。それから、瞬時に対応できるように運動神経性の反応係数を高くし、数人が襲ってきた時のために抵抗エネルギー力を急激に高く設定した。
あっという間にわしの体は一気にパワーアップした。見た目は年寄りだが、動きが機敏になり、力がみなぎってきた。
もう一度ドアスコープに目を近づけた。レンズの向こう側の無理やり広げられた世界は相変わらず殺気立っている。しかし今なら戦えそうだ。
わしは思い切りドアを開け放った。