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第参話 ~魔王ト書イテ馬鹿ト読ミ、勇者ト書イテ気狂イト読ム~ 中

長らくお待たせしました。第参話の中です。本編完結までもう少しかかりそうですが、これからもよろしくお願いいたします。


「――おい、嘘だろ?」

「……現実だよ」

「ふざけんじゃねぇぞ! あいつが、あいつが消えてなくなっちまうだと? 信じられるかよ!」


 浜辺に男女数人が集まって何事か叫んでいた。

 年は十六から十八あたり。高校生くらいの年齢の男女と、一人だけ三十路すぎの大人が混じっている。

 その姿は、傍から見るとその大人を糾弾しているかのようで、けれど自分たちではどうしようも出来ないと云う悲壮感も伴っている。周りから見れば大層奇怪きっかいな集団に見えることだろう。


「なんで、なんであいつが、俺たちにそんな大事なこと云わないで、アンタにだけ……クソがぁぁっ――!!」


 明智五郎は涙を流しながら虚空に向かって吠える。何とも言えないその慟哭を一身に受けるしかない彼、佐伯一雄は、もう一度宣告する。それが彼の選択なのだと。


「――それが彼の遺言だ。彼は知っていたんだよ、自分がVRここでしか生きられない命だと…………」

「なら、ならせんせーは……せんせーはそれで諦めろっていうんですか!? ずっとこれまで戦ってきた仲間を――――!!」

「――――――――――」


 諦めたくはない。だが、諦めなくてはならない。

 このVR(世界)は様々な物を私たちに与えた。様々な物を私たちから奪った。戦って、闘って、やり遂げた先に彼は私に願いを託して去った。彼はそれを選択した。

 恐れただろう、怖かっただろう、だがそれよりも彼は私たちの世界・・・・・・ではなく私たちが・・・・生きる世界・・・・・を優先したのだ。たとえ己の生がそれで終わったとしても――。


「諦められるわけがないだろうが――! だが仕方ないんだ! 私に彼を止めることはできなかった…………許すな、呪え――この私を。そして一頻り呪ったら、私たちの信じる彼を、信じるんだ…………」


 彼は泣きながら、彼の遺言を、その風景を思い出していた。あの終末のような美しささえ伴う夕焼けを背景に、妙な色香と妙な既知感、そして普段聞き慣れた声とは幾分か違った風に聞こえる声は、そこから紡がれる言葉は到底信じられるものではなくて、彼が事象の地平線に消え去った時、ようやっと真実だと、はっきりと理解した。


 そう、あの時を――――




 海辺を一望できる展望台で、佐伯一雄と清宮和聖は並んで夕焼けを見ていた。和聖が誘った外出だった。

 最初は不思議に思った。壊れてしまった学校、ひしゃげた東京スカイツリー、大きく抉られた立花家の裏手にある山と山中にある寺院の壊れた山門、彼らが生きてきた証を順に巡っていく。何か、別れを惜しむ老人のような炯眼けいがんはまだ自分の生きた年の半分しか生きていない若造の癖に真に迫る物があった。

 やがて、あの闘いの中で唯一難を逃れた灯台、その足元の展望台にやってくると、数十キロ、もしくは数百キロの徒歩での往復にもかかわらず全く疲れた様子のない足を見やって苦笑すると、けれど感覚的には疲れているのか、はたまたその景色はそうする・・・・のが自然・・・・と思ったのか、展望台の椅子に豪快に腰かけて落下防止の手摺に背を預けると、彼は胸ポケットから煙草を取り出し慣れた手つきで火を付け煙を吐いた。

 とある台湾の零細たばこメーカーが作った、とびっきり甘ければとびっきり辛いのもあり、酸っぱいのもあればしょっぱい物もある、一本一本味にムラのあるくじ引き感覚の煙草。今日のはとびっきり酸っぱかったようだ。

 酸っぱい煙に多少むせながら、けれども“これだ”という妙な味わいに舌鼓を打ちながら、彼は和聖に話しかけた


「ようやっと、終わりが見えてきたな。まさか突然こんなことになるだなんて、俺は思ってもみなかったぞ」

「俺もです。まさかスライム一体倒すのに核爆弾百発でも足りないだなんて、思いもしませんでした」

「それもだがなぁ――いや、やっぱりお前さんとは少し考え方がずれてる。このままだと平行線だからやめよう」

「そうしましょうか」


 お互いがお互いに黙り、しばらく時間が流れる。

 良くもまぁ、此処まで再現したものだと、思わず吐息が漏れる。吐き出される不健康そうな白煙は教え子から指摘されても辞めようと思えない不思議な魔力があって、その悪い魔法に操られている俺は悪くない――教え子に呆れられながらも、それが彼、佐伯一雄と清宮和聖の関係だった。

 二人を明確に分けていた白線は奇妙なほどの偶然、奇妙なほどの運命、奇妙なほどの必然によって今ではどちらにも白線などまるで無かったかのように何もなくなっているはずだった。


 意外とそんなものかと自嘲しながら、彼は三分の沈黙を破り、和聖に語りかけた。


「何か悩みでもあるのか? 一応これでも教師なんでな、聞いてやらんこともないぞ。どうした? あの二等陸佐殿とやり合うのがそんなに怖いか? ん?」


 そう捲くし立てるように云うと、隣で当てなく座っていた和聖はおもむろに立ち上がり、椅子の隣にまで伸びている背もたれ代わりに使われている手摺に手をかけ、海を覗きこむような体勢になるとまた再び、沈黙が訪れる。

 一分、二分、三分――十分は越えようかと云う間、彼は生来の面倒臭がりと教師としての経験で、変にせかすこともなく、都合三本目の煙草に手を伸ばすところだった。


「――肺癌になっちゃいますよ?」

「うるせぇ良いんだよ。大人ってのはな、ストレス抱え無いように生きようとしてもストレス抱えちまう面倒臭い生き物なんだよ、これが」

「ふっ――――――」


 今度は少し辛い煙草に当たって、けれど一度頂いた宮内省用特製口付紙巻き煙草を喫んだことのある彼には別段噎せるほどでもなく、そのまま健康に悪そうな白煙を吐く。


 三度みたび沈黙。けれど彼が再び話し出すのにそう時間はいらなかった。時間で言えば一分から二分程度なところか、ミドルサイズの煙草が半分を切っている。


「別に、怖いわけじゃないんです。ただ、先生には知っていて貰いたかったんです。俺は――」


 導火線のように伸びた灰がこぼれるのと、彼がそれを言いきるのはほぼ同時だった。




――――俺は人間じゃないんです




「灰、白衣に落ちてますよ――――先生は若いころ、こういうことを考えたことありませんか? 今目の前にいる親友は本物じゃなくて、本物と入れ替わっている別人だ、って」

「いやまぁ、そりゃあ考えたことは無きにしも非ずだが――――――まさか……」


 急いで灰を落としながら答えていた彼は、その問いの指し示す意図に感付いて、煙草が口から零れるのにもアスファルトに転がるのにも気付かずに彼を凝視した。

 いつの間にか彼の方向へ向けられていた上半身と、彼を見据えるその顔はどこまでも穏やかだった。まるで何でもないことを云う子供のようでありながら、死期を悟り子に孫に願いを託そうとする老人のような――その景色は不思議な神々しさを孕んでいた。


「――俺は、俺じゃないんです。この空間でのみ実体を保って居られる幽霊、生霊いきりょうみたいな物で、だからこの闘いが終われば、俺は死にます」


 そうであることが当然と云わんばかりに手摺に乗せられた左手は、ピンと張った背筋は恐怖を感じさせない巨木の如き佇まいだった。

 目的と願いを以て仕事に打ち込もうとする者のような生命力と、戦地に赴く直前の戦士のような寂寥せきりょうと、残すモノを残し終えて後悔のない病人の諦観と、生きるだけ生きて目標に辿り着いた老人のような寂滅じゃくめつ――全てが綯い交ぜになりながらも不可思議なほどの調和が取れて落ち着いている。


 相変わらず、若者らしくない。

 いつもいつも、この教え子に思っていた感想だった。今日はそれがより一層極まっている。こいつは若者じゃない―――― 一点に海を見据える瞳からは一欠けらとして恐怖の感情を見出すことはできなかった。


「――先生、俺は怖いです」


 嘘だ。直感でそう思った。伊達や酔狂で二十年も教師をやっていない。だがその恐怖が別の面からの恐怖で在ると云うのなら、それもまた詮無いことだと理解できた。


「あいつらに、あの最低で最高の、唯一無二の大馬鹿野郎どもに――面と向かって告白するのが怖いんです……」

「――――――」


 どこまでも落ち着いた声音が、一瞬上擦った。一瞬だけ、震えた。

 先ほどまでのいっそ神聖なまでの気配が、たったの一瞬だけ、恐怖と涙を見せた。

 こいつは見た目不相応に大人で、こいつは見た目相応に子供だった。それだけの話のはずなのに、彼は――佐伯一雄は清宮和聖の横顔から目を離せられないでいた。

 煙草の火は消えていた。


「あいつらは、きっと憤るでしょう。あいつらは、きっと怒ってくれるでしょう。あいつらは…………きっと泣いてくれるでしょう。それを見るのが――――辛いんです……怖いんです……」


 一滴、涙がこぼれおちたのを、彼は見逃さなかった。笑いながら、清宮和聖は泣いていた。

 そして和聖は残酷な伝言(遺言)を、彼に与えた。預言者ムハンマドに彼を選びそれを伝えてくれと、彼は頼んだ。責任のほぼ全てを彼にかぶせる形になって申し訳ないと思いつつも、非在英霊エインフェリアは幽霊らしく静かに消えることを望んだ。


 夏休み終盤に全員で問題集と睨めっこしたり、見ているこちらが呆れ返るほど大量の、佐伯一雄が買いこみ過ぎたプラモデルの空き箱を処理している最中に起こった小火ボヤ騒ぎ――

 たとえ虚構で在ったとしても、それは少なくとも和聖にとっては何物にも代えがたい記憶で、たとえ記憶が改竄されて生まれたひずみに過ぎなくとも、ならば彼らの生きる世界を、彼女・・の生きる世界を、和聖は和聖の全力を賭してでも守りたかった。


 全ての記憶が偽りだったとしても、ここでの経験は本物だった。だからそれを、目覚めた彼女にも与えてやってほしい。これは死出しでの旅路ではなく、新しい明日を掴む為の闘いなのだと、己に言い聞かせて。


「先生、楽しかったです。これまで、ありがとうございました!」


 そして彼は消えて行った。事象の地平線へ、彼を待つ魔王と彼が解放すると云った彼女の許へと――




「ふざけるなよ……! 嘘なら嘘と云ってくれよ、清宮ぁぁ――――」




 砂浜に膝を落とし、絞首台にかけられたように跪くと、佐伯一雄は静かに慟哭する。為せけないと云う叱責、罵詈雑言が飛んできてもいいという覚悟だった。それでも激情を止めることはできないそのもどかしさは恨み節のようでいて、釣られて他の者も静かに涙を流した。

 情けない。生徒一人すら救えない。あの大混乱の時と同じように懊悩する。一度は見えた出口がまた遠のいてしまったようなドロリと濃厚な血の如き絶望感はそれでもなお、事実であると目の前に突きつけてくる。


「出たら絶対――出たら絶対■■■■■■■を見つけだして、それで――それで、生まれてきて良かったと思えるような地獄を見せてやる! だから、勝て! 勝ってそれで、一度でいいからその顔面ツラ殴らせろ!」


 顔を上げて、星空に投影される勇者と魔王の戦争に、いや――清宮和聖に向かって佐伯一雄は吠えた。此処にいる皆の代弁者として――


 そして古代インド神話の『恒久的な正義の不滅なる守護者』が召喚された。




第参話 魔王ト書イテ馬鹿ト読ミ、勇者ト書イテ気狂イト読ム 中




 那羅延天ナーラーヤナと呼ばれた光の塊が顕現すると同時、想像を絶するほどの圧迫感を伴ってただ“死にたい”という意思が和聖の全身を包み込み嵐のように渦を巻いた。

 殺意による強制ではない。これはただただ己のうちから巻き起こる己へと向けられた殺意。自己殺害願望とでも呼ぶべき殺意の嵐が、ただ勝てない、勝ってはいけないと云う重圧が五体に重しのように圧し掛かり動けなくさせる。


 雷音轟き、裂光が乱舞する。それはこの光の範疇に在って未だに実体を保つ天使からの砲撃だった。

 いや、実体を持っていないから影響を受けないのだ。

 実体を持っていない、それは基督教の定義するところにおける天使とやらの特権、つまるところ精霊とやらから拡大して定義されたことによる非実体性の権化だからこそ、相いれない宗教の神の放つ“絶対勝利の光”も届かない。故に実体を・・・保って・・・いられる・・・・


 知覚してからのタイミングがずれる。それは那羅延天の放つ光によって術式の出力が落ちていると云うのも根底にあったのだろうが、違う。避けようと云う意思がどこまでも減衰されていた。

 死にたい、死にたい。無条件勝利の光は勝利を阻む全てを減衰する。当たれば確実に死ぬ一撃を避けようと云う意思すらその範疇で在り、故に回避行動さえままならなくさせる。そういう意味で、とてつもなくいやらしい連携が取れていると言える。和聖は思わず舌打ちをする。


 世界を維持する絶対神、トリムルティの一柱ナーラーヤナヴィシュヌとは本来甘粕とは相いれない。それはそうだ、甘粕は裁きを与える側で在り、ヴィシュヌの役目とはバイラヴァマハーカーラが破界を行うまでの世界の維持。世界の維持の為に必要な間引き(サバキ)ならいざ知らず、甘粕のそれは理由こそ大層だがとどのつまりやっている事は所詮ただの破壊にすぎない。

 故に相性は云わずとも最悪で在るし、たとえ下ろせたとしても無駄にエネルギーを消費して産廃同然のゴミが生まれるだけで終わったはずだ。だった、と云った方が正しい。

 別に破壊を好む神などいくらでもいるし、那羅延天と同質の存在と要素要素を継ぎ接ぎする――梵天の焔杖ブラフマー・ストラでやったことをそっくりそのままやれば出来なくはないだろう。

 そして甘粕と最も相性の良い神など古今東西いくらでもいるが、敢えて今現在少数マイナーの神に多数メジャーの要素を混ぜるとすれば、これ以外いない。

 話は変わるが、ヴィシュヌには多数の尊称がある。一つは『恒久的な正義の絶対的な守護者』、一つは『直視し難い至高の光』、一つは『形容するだに恐ろしい姿形を持つ者』、一つは『ありとあらゆる姿形を持つ者』、一つは『それは宇宙で在り、それは絶対普遍の真理ブラフマン』――こいつが好きそうな言葉が満載だ。


「お察しの通りだ。本来俺とこいつとは相容れない。ただ破壊するだけの木偶と、維持するために破壊と殺戮を呼ぶ者ではそもそもからして立場と云う物が違う。故に何をすればよいのかなど簡単だ」


 古今東西そんなのは在り触れている。在り触れているからこそ面白みがない。もっと昔から存在するのだっているだろうが、甘粕にとってはメジャーだろうとマイナーだろうと関係ない。奴にとって、使える道具を使っているに過ぎない。

 そりゃあ、神さえ人間だと言いきる姿は大層人格者だ。実際甘粕ならば毘沙門天やらと出会ったところで対等に話そうとするだろう。

 けれど神も、天使も、精霊も、全ては人間の作り上げた幻想。究極的には道具だ。たとえばY.H.V.Hなら自らが被害者だと名乗る彼らユダヤの都合のよい逃避場所を得る為に作られた己ら民族の存在を認める為の偶像に過ぎない。特に日本なら、その思想はより濃い物となる。

 たとえば菅原道真を太宰府に送った話などが一番分かりやすいだろうか。

 たとえ、もしも、本人が最後に納得して死んだとしても、後ろ暗いことを仕出かす連中は霊魂と云った実体のない恐怖におびえる。権力を欲して、最後はその権力におびえるなど本末転倒、釈根灌枝しゃくこんかんしに過ぎる話であるが、その恐怖を薄めるために忌み嫌った相手を神として祀りあげる。

 神など所詮、後ろ暗い者かもしくは逃げ道を用意したい者たちのためか、従来その用に使われ銭洗いなどの寺社仏閣が多く建立こんりゅうされてきている。なぜなら己を律する勇気も持てなければ己の選択に自信を持てるほど自信家でもなくそして覚悟も足りないからだ。

 故にこいつは神さえ対話するなら対等に対話しようとするだろうが、根底には願いは自ずから叶えて行く物であると云う思想があるように、こいつは神さえ道具だと断ずる。だから彼はただ力を貸せと命令する。どこまでも傲慢に。


 古いか新しいかは関係なく、メジャーどころを選ぶなら選択肢など両手の指ほどまでに狭まってくる。

 たとえば――――


「世界で最初のDVパパ、アブラハムの宗教ではどれでも主神の位に置かれる絶対存在。己が意に沿わぬ進化をするなら∀滅ぼして一からやり直させる鬼畜の権化∨、虐殺そのものを絵にかいたような存在だ。それは濁り水を知らぬ幼子のように純真無垢だ。

 あぁ、だからと云って全て混ぜ合わせたわけではない。モノには限度と云う物があるのでな、限界ぎりぎりまで頑張って貰っているとも。いま、この瞬間もな」


 虐殺の絶対正義とは言い得て妙なのか、確かに在る一面をそうとらえるならばそうとらえることもできるだろう。ノアの箱舟、ソドムとゴモラ、そして黙示録。枚挙に暇がない。

 変質した特性は、光以て照らせば全てが無条件に平伏する。遍く全てを照らしあげると云う特性ともまた相性が良いと言える。甘粕は那羅延天との親和性を上げるためだけに比較的マイナーになってきた神にメジャーもいいところの神を混ぜたと云う。こいつが云うところの、人の勇気の発露の為に。


「さぁ、もっとお前の勇気を見せてくれ! お前の勇気を見せ付けてやれ! もろとも滅ぼうともなぁ!


オン・ハラジャ・ハタエイ・ソワカ

帰依し奉らんナウマク、遍く諸仏より・サマンダ・ボダナン万物創造の神へ命ずる・ボラカンマネイ・ソワカ


出でぃ! 梵天の焔杖ブラフマー・ストラァァァァ!」


 直後、最初に発射した一基がチャージを始めるのとともに、静止衛星軌道上に総計で三十万基もの梵天の焔杖ブラフマー・ストラが現れ、天使は羽ばたき神は悠々とそこに在り、和聖にも目に見えて分かるほどに、術式の出力が低下して行く。

 勝てない、勝てるはずもない。支持者たちの声が聞こえてくるかのようだった。もしくは聞こえているのかもしれない。甘粕のように理不尽じみた強制条件を持たないがゆえに双方向性を持っていたとすればあり得ない話ではない。その声が一つ聞こえればその分だけ。十聞こえればその分だけ、百聞こえればその分だけ。左足のガワの再生など一秒どころか0.003345秒もあれば済んでしまうところを、低下した術式は最大稼働させても左足の側の再生に一秒を要し、明らかに手間取っている。

 瞳孔が限界まで開いて眼球が乾くのが手に取るように分かる。口の中の水分が蒸発して行く。鼻の穴の水分が風邪をひいた時のようにひり付く。耳鳴りが止まらず全身が総毛立つ。

 黙示録のごとき光はその光量を強めて行く。一度に飛来する三十万の物理エネルギー弾頭と追尾性光線ホーミングレーザー、いるだけで術式を阻害する神に、魔王(馬鹿)。八方ふさがりどころではなく、逃げ道なんてどこにもない。

 だが、負ける? 逃げ道がないからか? それとも避ける算段がつかないからか? なら聞くがお前たち、避けられないから負けると断じて屈するのか? 逃げ道がないから逃げるのか? 避ける算段が思いつかないから唯当たるのをボーっと待つというのか? ふざけたことをぬかすなよボンクラども。一度死んで出直してこい。

 退路がなければ逃げなければいい。負けそうだと云うなら勝てばいい。避ける算段が思いつかないのなら避けなければいい。簡単なことだ俺がそれを見せてやる。


 甘粕にとっても予想外だった。

 甘粕は己自身が相当な馬鹿だと云う自覚は当然のことながら持っているし、普通の人間ならば諦めてしまうだろうことなど分かり切っていて実行しているこれも、大抵の人間ならば即応すらできないことも良く知っている。

 だから必然、また和聖は千日手と分かっていながらも何かの対症療法をぶつけてくると踏んでいた。

 別に千日手も考えようによっては作戦と言える。そもそもの話、和聖が立ち向かえば立ち向かうほど強化されていくのだから最終的に行きつくのは千日手以外にはないと云うのもその通りだ。

 だがこの瞬間、和聖の出力は一人で数十万人分を凌駕していた。

 これだ、これが見たかったのだ――甘粕は滂沱の涙を流しながら再びあの凄絶な笑みを浮かべてその姿をたたえた。やはりお前は勇者だ。

 諦めないその姿、立ち向かおうとするその勇気、何を取っても――やはりお前を選んで良かった。


「立ち上がれよ人類! お前たちの敵は此処にいるぞぉっ! さぁこいよ勇者イェホーシュア! 俺はお前の全てを受け止めてやる!」

「云われなくてもヤッテやる!」







 光が新宿歌舞伎町を包み込んでいた。いや、世界を覆っていた。

 腰を抜かしたようにへたり込む男、失禁しながら恐怖に打ち震える女。

 路地裏の塵に隠れながら光を見上げるネズミ、排水溝から顔を覗かせながらも動けなくなったゴキブリ。

 初老の女性の胸に抱かれたチワワは虚空に吠え、メガネを掛けた浅黒い肌の細身の男性の隣で、猫は炬燵に逃げ込んだ。

 巨大なテディベアのような白衣を着てメガネをかけた男は、同じく白衣を着たスキンヘッドの男と並んで空を見上げていた。


 老若男女貧富貴賤を構わず鏖殺みなごろし。この光に包まれた瞬間誰もが抗いようもない自分への殺意と勝てないと云う事実が齎す底なしの恐怖に震えるしか出来なかった。

 一体自分たちに何が出来る? 若い少年が戦っているのに、自分たちは何もできない。いっそ諦めたほうが楽になれるのではないか? 耳が痛くなる沈黙が世界に流れ始めて行く。

 在る男は詐欺に加担する己を自罰して、ある女は身体を売る今の仕事の背徳に。

 本来明確化された敵に対してのみ振るわれるヴィシュヌの権能、そこに無理やり甘粕が云うところの虐殺の絶対正義が混ぜられた結果、最悪の化学反応を起こした。いや、これでも生温い方なのかもしれないが。


 梵天の焔杖ブラフマーストラ明けの明星ルシファーも単一個体で全てが完結していた。一言で表すなら、濃度と云ってもいいかもしれない。梵天の焔杖も明けの明星も濃度の濃い物を濃いままに行使出来ていた。

 しかしこの那羅延天とは文字通りに全体への攻撃で、その光は地球を、宇宙を包み込んでいる。濃度の濃い物は広がれば広がるほど、次第に濃度が薄くなっていく。国が大きくなればなるほどに国主が軽んじられるように、これでもまだ・・・・・・薄い方だったのだ。

 たとえばスポイトで色のついた水を一滴垂らしてみたとしよう。紙に垂れた一滴は濃い色の染みを作り、水分だけが乾けば残るのは濃い色の染みだけだ。だが、この垂らした先が水だったとしたらどうなるか? 濁った水は清浄な水の中に広がり色彩は薄まっていく。全体への強制力を含むがゆえに力は均一に広まっても強制力は薄まっていくのだ。

 もしも、もしもこれが本来の力を発揮した場合、単純に勝てないと悟るだけでは済まされなかっただろう。それこそ、光に当てられた瞬間に気が振れたかのように皆が考え得る限りの全ての方法を使って自害を繰り広げる虐殺劇、いや自殺劇が繰り広げられたことだろう。

 そう、ユダヤがそうでなければ己を律することが出来なかった自己批判と自己正当化を批判する存在として生まれた存在が故にそれは一切の不浄を許せない。全てが清くあらねば、約定が全て果たされなければそれは無いも同然であると云う自己矛盾を孕む極端性は甘粕と那羅延天を繋げるのにはちょうど良かった。

 この術式は単純にを持つ者すべてに働きかける。殺人姦淫窃盗強盗事故虐待戦争、それらだけではなく虐殺を善しとする絶対正義にとっては“他人を慮っての嘘”であろうと嘘は嘘・・・として罪と見なされる。

 病床に伏した母を想っての盗みも、法律学的にリベラルではない状況下において選択させられ自分で選択した事物も、究極的には生きるために家畜を育て生きるために家畜を殺し生きるために家畜だった物を食することも、人が息をするたびに死ぬ生物死ぬ生命があることも、赤ん坊が生まれたいがために母親が死ぬことも、この世のありとあらゆる全ては罪となる。


 故にこの世に罪なき者はいない。


 微妙で絶妙な拮抗の元、那羅延天ナーラーヤナユダヤの神ヤハウェは結果として、あるいは甘粕の力配分が故か『罪のある人間が光を見れば無意識に負ける』程度・・で済まされていたのだ。

 故に、勝てない。勝ってはいけない。そういう術理でありそういう物だ。そもそも、唯の・・人間では・・・・神になんてとてもではないが勝てない・・・・。たとえ甘粕の云うように、神など人間の道具に過ぎないのだとしても、神にその役割を・・・・・求めた・・・のは人間であるがゆえに、勝てないのだ、普通ならば。


 暴的で渦を巻く自己殺害願望が最高潮に達し、再び世界を厭世感が覆い尽くした。あぁ、やはりこの魔王キチガイには勝てないのかと。

 一つだけ、幸運で在り不運だったのは、彼らは和聖を支持したためにこの自己殺害願望の奔流の只中にあっても、自殺する者が一人としていなかった。死にたいとは思っても、死ぬことが出来なかったのだ。術式の効力から考えて、ここで自殺することは『勝手に支持し信頼した和聖を見捨てた』となってしまうことがありありと分かっていたのもあるが。

 だからと云って死ぬこともできず生きることもできない。半死半生ではなく、言葉どおりに死んでいて・・・・・生きている・・・・・。もうこんな状態、どうすればいいと云うのか。




「なぜ――――」


 どこかの街中、どこかの誰かが、少なくとも少女が、浮かび上がるようにして空に映し出される彼を茫洋と見据えていた。

 それは問いかけだった。絶望と希望と倦怠と興奮と悲壮とが混ざり合って幾何学模様がごとき混沌カオスを描きながら、もう勝つことは不可能だと云うのになぜあなたは立ち上がるのか――それは世界中の全ての総意だった。

 老若男女貧富貴賤は問わず、人間動物精霊幽霊森林河川も問わず、それらすべてが言葉に出したくて出すことのできない言葉を、彼女は問うていた。


「なぜあなたは立ち上がれるのよ? こんな出鱈目を相手にして、勝つって謂うの? 負けないと嘯くの? 何故――なんで? アナタはそう言いきれるのよ!」


 それが彼に聞こえていたわけではなかった。いや、もしかしたら聞こえていたのかもしれない。支持者と繋がり力を増して、当初の数十倍以上の出力を得た今の彼になら、聞こえていたのかもしれない。

 彼女の問いが人類、いや世界全ての問いかけなら、これは彼が全てに掛ける鼓舞の言葉だった。

 怒鳴りつけるがごとく荒々しく、吹き荒ぶように痛々しく、慟哭するかのように胸に響く。非在英霊(幽霊)が彼らに掛ける奮励の言葉だった。




『諦めるな! 俺たちはまだ終わっちゃいない!』






話の内容的に説得力無いですが、私はどの宗教に肩入れするわけでもなければこの宗教の根底はこれだと断言したいわけでもございません。あくまでも甘粕の自論に矛盾が出ないように張り合わせただけのパッチワークですのでそこのところのご理解よろしくお願いします。

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