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彼女がいなくなった

 もはや一刻の猶予もなかった。泉には悪いがそのまま携帯電話をポケットにしまいこみ、全速力で寮内の廊下を駆け抜けていく。

 目的地は二十一号室、急ブレーキで立ち止まりその扉を力いっぱい殴りつけた。


「おいユタぁ! てめえ三秒で起きろ!」


 蹴破りかねない勢いでドアを開く。

 豪雨が降っている中、のんきにも眠りこけていたらしいユタがしょぼしょぼした目をこすりながらベッドから起き上がった。


「え、なに、なに? どうしたジミー? 何でそんなに怖い顔してんだよ」


 答えることなく、やつが着ているパジャマの襟首を両手でつかみ顔を近づけた。


「自慢のゴムボートを今すぐ出せ! さあ早く!」


「ゴムボート? そんなの今どうすんだよ……」


「やかましい! ゴムボートなら水に浮くだろうが! さあ出せ早く!」


 それが、とユタの野郎は口ごもってしまう。


「この間五年生の先輩に持ってかれちまったんだよ……。どうせ年中通して女に縁のないおまえなんかにゃ過ぎた代物だ、おれらがちゃんと有意義に使ってやるよって……」


「──どいつだ、そのクソ野郎は」


「ジミーも知ってると思うけど、合田先輩だよ。ジャイアン先輩。あの人タチが悪いから正直泣き寝入りするしか」


「バカかおまえは!」


 部屋から廊下中に響き渡るほどの大声でユタを一喝した。


「怖くて返してもらえねえっていうなら、代わりにおれが行ってきてやるよ。おうバットだバット、バット貸せ!」


 もはや正常な判断ができなくなっているのは自覚している。だが今は手段を選んでいる余裕なんてない。もう姫ヶ瀬の街は水浸しだ。刻一刻と状況が悪化しているに違いなかった。少年野球をしていた頃からの愛用品だというユタのバットで合田某を適度にぶちのめし、回収したゴムボートを携えて葵を探しに行かなくては。


 そんなことを真剣に考えていたおれの背中へ、「バカはおまえだ」と辛辣な言葉が浴びせかけられる。

 振り返ると、開けっ放しとなっている二十一号室の扉の前で蜂谷が立っていた。


「あんなおもちゃでどこへ行ける。少しは落ち着け」


 落ち着けるわけねえだろうが、と反射的に怒鳴りつけようとしたおれはすんでのところでその言葉を飲みこむ。

 蜂谷の傍らで、濡れた金髪の少女が息を切らして立っていたからだ。


「相変わらずバカだね、陽ちゃんは」


 どういうわけなのか有坂泉がここにいた。上から下までずぶ濡れの姿で、元男子校である星見台学園の、現在においても純然たる男子どもの巣窟であるこの寮に。

 ため息をつきながら蜂谷が口にする。


「きちんと泉さんの話を聞かないおまえが悪い」


「蜂谷くんの言う通りだよ。どうしてちゃんと最後まで聞いてくれないかな。ほんとバカじゃないの」


 泉にしては珍しく、本気で怒っている様子だ。

 だけどおれには「今の言い方、少し葵に似ていたな」と思えて仕方がない。


「あのね陽ちゃん、途中で勝手に会話を打ち切らないでよ。すぐ近くまでお父さんの車で来てるから、一緒に葵ちゃんを連れ戻しに行こうって言うつもりだったのに」


「で、仕方なくおれの携帯に泉さんからかかってきたわけだ」


 蜂谷が手の平でスマートフォンを綺麗に一回転させてみせる。

 そして体を脇へ寄せ、通り道を作って言った。


「さっさと行け、志水。宮沢先輩にはおれから伝えておく」


 もちろんこの場は彼の厚意に甘えさせてもらう。手伝ってくれと頼んできた宮沢先輩と約束を違えるような形になるのは気が引けるが、しかし葵を捜すのとではとてもじゃないが天秤になどかけられない。

 すれ違いざま、おれは蜂谷にひとつだけ頼みごとをするつもりだった。


「その、何だ。できれば葵のことをあまり大っぴらには……」


「案ずるな。そのあたりは上手く濁すさ。というか、こっちも詳しい事情まではわからんから濁すしかできん」


 なあ藤村、と蜂谷が声をかける。ぽかんとしていたユタは慌てて頷く。


「お、おう。任せとけ。何が何やらさっぱりだけど」


 持つべきものはやはり友達だ。気のいいこいつらと親しくなれたことには感謝の気持ちしかない。寮に入ればこその出会いだ。


「ありがとさん」


 いろんな思いが混ざりあって、自然と口をついて出た。

 だが蜂谷もユタも「早く行け」とばかりに手で追い払ってくる。

 かすかな苦笑いを浮かべたおれに、しびれを切らしていたであろう泉から声が飛ぶ。


「急いで陽ちゃん、お父さんが待ってる。きっと葵ちゃんも」


 それから彼女はおれの腕を強く引っ張って駆けだした。

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