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〈オルタンシア〉にて 2

 すぐに駆け寄っていった常盤くんの後を追い、彼の肩越しに眺めてみれば、細かくカットされた色とりどりの野菜たちがキッチンの床へとぶち撒けられていた。


「あはは、ごめんね。ちょっとスチコンにバットを入れ損なっちゃって」


 肩を竦めて唯さんが苦笑いする。ただしその表情にはいつもの明るさがない。


「久しぶりに予約ゼロの夜だけど、時間ができたってプラスに捉えていろいろ仕込んでおこうとテリーヌを作ってたの。でもまた最初からやり直しだねえ」


「ユイ、ここはいいからホールで座ってなよ。ボクが片付けておく」


 言うが早いか、常盤くんはすぐに箒とちり取りを持ってきた。ほらほらキミたちも、と彼から促されて唯さんと同じく客席に腰を下ろす。

 泉が慣れた様子で人数分のグラスに水を注ぎ、おれたち全員の前に配ってくれた。しばらく待っていると常盤くんも掃除を終えてやってくる。だが彼はテーブルを素通りして入口へと向かい、そして扉に「本日お休み」の看板を掛けた。


「かまわないよね、ユイ」


 ようやく戻ってきた常盤くんが事後承諾を求めると、唯さんは短く「そうね」とだけ口にした。どういうことなのか、二人の間に流れる空気がどこかぴりぴりしているように感じられてしまう。


 四人掛けのテーブルにはおれとまどかと有坂姉妹が、二人掛けのテーブルには唯さんと常盤くんがといった形で別れて着席している。少しだけ無言の時間が流れた。

 そんな居心地の悪い沈黙を破ったのはまどかではなくおれだった。


「何となく察しはついていると思いますが、花南が誘拐された事件の顛末を詳しく伺いに来ました。おれの口からだと彼女が納得してくれなくて」


 向かいに座るまどかをちらっと見遣る。


「失礼を承知で単刀直入に申し上げますが、誘拐犯を殺害したのは陽平先輩かありさ……いえ、葵先輩だったんじゃないかと疑っているのです。そして花南はその事実を誰にも話せずずっと沈黙を貫くことしかできなかった。声を発することができなかった。あたしはそう確信しているんですが、違いますか」


 背筋を伸ばした彼女の言葉は淀みなかった。

 隣にいる泉が驚きを通り越したような表情で見つめてくるが、まどかの後を受けておれはそのまま続けた。


「それともうひとつ、お伝えしておかなければいけないことがあるんです」


「ヨウヘイ。もしかしてそれは、カナのことなのか」


 唯さんではなく常盤くんが鋭い目つきで訊ねてくる。

 アイドルグループに所属していると言われてもすんなり納得してしまうほど中性的な容姿でありながら、いつだって場の空気を和ませてくれていたのが常盤くんだ。彼のこんな目は今までに見た記憶がない。

 気圧されながらもおれは頷く。


「はい。ここにいるまどかの話によれば、先週末にうちの実家へ遊びに行った際、花南が二年ぶりに言葉を発したんだそうです。『このままでいい』と。ようやく一歩前進ではあるんですが、それにしたっておれにはあの子が何を言わんとしているのかがまったくわからなくて」


 このザマじゃ兄失格だなと内心で自嘲しつつ、言うべきことはすべて口にし終えた。

 固く目を瞑った常盤くんがゆっくりと息を吐きだしていく。体中のすべての空気を絞りだそうとしているような、やけに長い吐息だった。

 なぜか悲壮感を漂わせるそんな彼とは対照的に、唯さんは「よかったね」と朗らかな声でおれへと笑顔を向けてきた。


「これで何もかも元通りじゃない。ね」


 それから葵と泉、二人の娘に向かって頭を下げる。


「花南ちゃんが事件以来口をきけなくなっていたこと、今まで黙っていてごめんね。あなたたちに伝えるには少しばかり重すぎるし、いずれは知るにしてもまだ早いと大人たちで判断したことなの」


 そもそもの提案者が花南であることを唯さんは口にしない。それを言ってしまえば葵と泉のことだ、この二年間何も知らずにいたことへの罪悪感がよりひどいものとなってしまうだろう。さすがに母親である唯さんは彼女たちをよく理解していた。

 葵と泉が黙って俯く中、一人冷めた表情のまどかは臆せず言い放つ。


「ずいぶんとご自分たちに都合のいいお話ですね」


「あなたの言う通り、そう捉えられても仕方のない部分はあるわ。誘拐事件によって花南ちゃんが深い心の傷を負ったことを、わたしたちは勇気を出してもっと踏み込んで考えなければならなかったのよ」


 神妙な面持ちで唯さんは頭を振る。

 上手くかわされたと感じたのか、まどかが苛立ちを隠そうともせず「そういうことを言っているんじゃありません!」と叫んで立ち上がった。


「あたしは事件当時のことをいろいろと調べました。もし陽平先輩か葵先輩が誘拐犯を手にかけてしまったのであればすべてに説明がつくんです。いくら目の前で誘拐犯が射殺されたからってPTSDを発症してしまうものでしょうか。少なくともあたしなら自分に危害を加えようとしていた犯人の死に安堵こそすれ、ショックを受けたりなんてしないでしょうね。それだけでは根拠として弱いと思われるかもしれませんが、葵先輩のお父さまが五発の銃弾すべてを犯人に撃ちこんだこと、これを証拠の隠滅として考えてみれば前後が綺麗に繋がります」


「なかなか想像力の豊かな子ね」


 苦笑交じりに唯さんが眉を寄せる。


「でも憶測の域を出てない。全然出てない。だいたいうちの子や陽平くんがどうやって素手で大人の男性を殺せるっていうの? そこの部分がクリアにならないかぎり、あなたの屋上架屋な推測は単なる言いがかりでしかないのよ」


 反論の内容自体はおれとほとんど同じはずなのに、説得力がまるで違うのはどういうわけなのか。マウントをとられたまどかは言葉に詰まり、悔しそうに唇を噛んだ。

 ややあって彼女が再び口を開く。


「でも、花南は『このままでいいの』とあたしに言ったんです。それは陽平先輩か葵先輩のため、事実を詳らかにせず自分が飲みこんでおく、そういう意味にしかとれません」


「友達といってもこの事件に関しては部外者でしかないあなたが、今になっていろいろ探っているのをたしなめようとしたんじゃない? 話を聞いていてわたしはそう感じるな」


 こんなきつい物言いをする唯さんは珍しい。というか、見たことがない。

 彼女の向かいで常盤くんが「ユイ」と静かな声で呼びかけたが、火がついたような唯さんの耳には届いていないようだった。


「そもそも花南ちゃんが言葉を発したってこと自体、本当のことなのかどうか。それを確かめられるのは兄である陽平くんだけなんだし、あなたの自己申告だけでは何とも言いようがないってのが正直なところかしら。友達ってところも含めて、ね」


 依然立ったままのまどかがテーブルの上で拳を握りしめて震えている。

 さすがにこれは言い過ぎだ。止めなければ、とおれが腰を浮かしたそばから唯さんはまたまくしたてだした。


「ミステリ小説を読んで自分も探偵ごっこをやってみたくなったのかもしれないけど、そういうのは学校のお友達相手にでも──」


「ユイ!」


 割って入ってきたのは、その場にいた全員がたじろいだであろう常盤くんの鋭く厳しい声だった。

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