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楔 1

 その日の放課後、呑気に教室を出ようとしていたおれを葵が待ちかまえていた。


「さ、陽平。ついてきて」


 相変わらず何の説明もしてくれないまま、短すぎる用件だけを告げる。

 こちらとしても質問したいのはやまやまなのだが、教室内から一斉に巻き起こったブーイングがそれを許してくれない。お遊びの延長ではなく本気の大音量すぎるのだ。もちろん親指も下へと向けられていた。サッカーワールドカップ予選の敵地もかくや、である。


 だが当の葵にはまるで気にした様子もなく、「ほら早く」とおれの腕をぐいっと引っ張る。そんなことをすればさらなる怨嗟の声が背中に浴びせかけられるのは自明の理だ。

 一身に元男子校の負の感情を受けながら、流されるようにして葵とともに靴箱へとやってきた。ヘビーローテーションで愛用しているお気に入りのスニーカーはもはや履き潰す寸前といっていい。


「あんたそれ、さすがにもうやばいんじゃない? 特に踵とかぼろぼろだし」


 目ざとい葵からも指摘を受ける。うん、おれもそう思う。

 とはいえすぐに買い替えられるようなお金はない。もうしばらく頑張ってくれよ、と靴に対して念じながら葵と並んで外へ出た。


 さすがにまだ真夏のような酷暑ではないが、日射しを受けているとうっすら汗が背中ににじんでくる。雲は控えめに隅っこで浮かんでいるだけの、抜けるような青空だ。


「こりゃ予報通りになるな」


 それだけの言葉だったが葵にはちゃんと伝わったらしい。

 表情を少し陰らせながら「雨の季節にはちゃんと雨が降ってほしいよね」と口にした。


「でもお天気には勝てないか」


 ふう、と小さく息をついた彼女が今度はじっとおれの目を見据えてくる。


「ねえ陽平、明後日の放課後に葛見神社へ行ってみようよ。晴れるとしてもせっかくのレイニー・デイなんだし。あと一応、泉も誘ってみるつもり」


 四年前とは言っていることが真逆である。

 しかし悪くない提案だ、と思った。どういう風の吹き回しなのかはわからないが、葵と泉の距離が少しでも縮まっていくのなら、それはおれにとって諸手をあげて歓迎すべきことなのだから。


 懐かしい、という感情は高校生になりたてのおれにはまだ早いのかもしれない。だとしてもそのようにしか形容できないものが心の中で静かに広がっていく。

 葵はどうなのだろうか。前を向いた彼女の横顔はとても大人びて見えた。


「ほら、いろいろお話してくれた神主のおじいちゃんが元気かなって」


「あの人はもう隠居の身だって。四年前にそう言ってただろうが」


「そうだったっけ?」


 最近ところどころ記憶が抜けてるんだよね、と葵が苦笑いする。

 ほんのわずかに距離を空けたおれたち二人の足は校門へと向いていた。ただ単に「ついてこい」という、いかにも葵らしい雑すぎる誘いではあったが、おそらくはもうすぐやってくるレイニー・デイの予定についていろいろと話したいのだろう。


 歩くたびにすり減ったソールから地面の感触を受け止めつつ、おれは今朝の宮沢先輩との会話を何とはなしに思い出していた。朝食時のことではない。登校の際、寮の玄関で再び顔を合わせたときのことだ。


 おう、と軽く手を上げたきりしばらく彼は無言のままだった。

 並んで歩きながらも沈黙が続く。高等部の校舎が視界に入ってきた頃、どうしたことか宮沢先輩が立ち止まって「まどかはさ」とようやく口を開いた。


「花南ちゃんが身代わりだったって思いこんでいるんだよ。本来なら誘拐されるのは自分だったのにってな」


 一気に言い切り、そのまま大きく息をついた。

 だけどおれには唐突に思える宮沢先輩の言葉の意味がよくわからない。それをすぐに察したらしく、彼はまた話を戻す。


「あの二人、最初に出会ったのは花南ちゃんが誘拐される直前だってゴールデン・ウィークにおまえも聞いたろ?」


「はい。そのときはほんのちょこっと話しただけってまどかが言ってましたよね」


 夏が近づいてきているせいなのか、妙に喉の乾きを意識してしまう。


「ああ。それがな、まどかの中では会話を交わしたせいで誘拐犯がターゲットを取り違えたってことになっているみたいなんだわ。ほら、うちって金持ちだろ? だから犯人が狙っていたのは絶対に自分だったんだってな」


「営利目的じゃないってのは警察から正式に発表もされていたはずですが」


「すっかり思いこんじまっているんだよ、あいつ。いくらおれが『それは違う』って言ってみたところで聞きゃあしねえ」


 どこか疲れたような顔つきで宮沢先輩が力なく首を横に振った。

 そう言われてみれば何となく腑に落ちるものがある。自分のせいだ、と思っているからこそまどかは花南に対してひたすら誠実な友人であろうとしているのか。

 どうしてそうなるんだ。贖罪なんてのは中学一年生の女の子が考えることじゃない。


「ただの友情、それだけでいいんですけどね。兄としては」


「おれだってそうさ」


 このことは近いうちにまた話し合おう、そう告げて立ち去る宮沢先輩の背中を眺めながら、天候とは裏腹に心が分厚い雲で覆われていくような気がしていた。

 いつの間にか傍らへとやってきていた葵の話は続いている。


「だからさ、街中へ寄ったついでにあんたの靴も買い替えればいいかな──ってちょっと陽平、人の話を聞いてるの?」


「おー聞いてる聞いてる」


「返事がぞんざい! 天誅!」


 適当に答えた罰として、おれの脇腹へ軽いパンチが浴びせられてしまう。

 ちょうど正門のところへ差しかかっていた。オーバー・アクションな身振りとともにうめき声を漏らしつつ、鉄の門を動かすためのレールをまたぐ。


 姫ヶ瀬の街並みからその向こうの海までが今日は綺麗に見える。そうだ、晴れの日だってきっと悪くはないはずだ。

 内心にいまだかかったままの靄を振り払うようにそんなことを考えていたおれの背中へ、突然氷にも似た冷たさを感じさせる声がかけられた。


「お待ちしていました。陽平先輩、それに有坂先輩」


 振り返ってみれば、気だるげな姿勢の宮沢まどかが真っ白に塗られた外壁へもたれかかっていた。

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