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二年前、六月十四日 4

 市内を流れる二級河川、石切川沿いに〈らぶみー〉はある。土手を走るおれたちは時折車から迷惑そうにクラクションを鳴らされながらもお構いなしだ。お世辞にも綺麗とは言えない川の水面が日差しを受けて場違いなくらいに輝いていた。

 全身から汗が噴きだしたのがわかる頃、ようやく目的の場所へとたどり着く。


 すでに廃業しているらしいにもかかわらず、誰にも顧みられることなくそのまま放置されているラブホテル〈らぶみー〉。

 看板代わりなのだろう、それぞれの文字を彩る電飾の色は互いに調和することなく一際騒々しく映る。電気が通っていた頃はさぞ異彩を放っていたに違いない。愛を語らう雰囲気には程遠そうなこの場所をいったいどういうカップルが利用していたのだろうか。


 二階建ての建物の外には見るからに安っぽい合皮のソファーが打ち捨てられていた。あちらこちらから黒ずんだ黄色の綿が飛びだしており、とてもじゃないが座ってみようという気にはなれない。

 かつて駐車場だったと思われる場所には古い型のハッチバックが一台止まっていた。廃車なのか、まだ現役なのかは判断がつかない。ただこれが花南をさらった犯人の車だという可能性はあるだろう。

 自転車から降りたおれたちはすぐに建物内へと入るつもりだったのだが、葵が自身の携帯電話へ着信があったことに気づいた。


「お父さんからだ……」


 相手を確認した彼女がおれに視線を送ってくる。

 もしかしたら何かわかったのかもしれない。そう考えて頷くと、すぐに葵は折り返しの電話をコールした。


「あ、もしもしお父さ──ちょっと、いきなり大声出さないでよ!」


 どうやら辰巳さんが怒っているらしい。いつも穏やかなあの人にしては珍しいことだ。

 今日は非番のため、唯さんの店で皿洗いを手伝っていると聞いていたが、泉から連絡を受けた今は警察官の顔になっているのだろう。

 誘拐事件と思しき状況へ、大事な娘が深く顔を突っ込むことを快く思わないのは当たり前だろうな。花南を保護した後にきちんと謝らなければ。


「────うん、そう。一緒にいる。──今? えと、その、ラブホテルの前。ほら、潰れて放置されているのが危ないって前に言ってたでしょ。──そう〈らぶみー〉。────仕方ないじゃない、きっとそこに花南がいるんだってわかってしまったんだから!」


 葵も段々と言葉がヒートアップしてきている。むちゃくちゃな内容だな。

 これは長引きそうだと判断したおれは、「先に行く」と建物を指し示してから大股の早足で向かいだした。


「ちょっと陽平、一人で勝手に行かないでよ! ──こっちの話! 悪いけどもう切るからね!」


 おそらくはスマートフォンを叩きつけるような勢いで通話を終了させたであろう葵が、玄関の手前でおれに追いついてきた。

 例によって何か文句を言いたそうにしていた彼女へと振り返る。


「ここからはできるだけ静かにな。気をつけていこう」


 先回りしてそう声をかけ、磨りガラスでできた扉を開けてホテル内に入る。


 当然ながらラブホテルに足を踏み入れるのはこれが生まれて初めてだ。思春期男子のバカな想像では、もっとピンキーでめくるめく陶酔に満ちた体験になるはずだったのだが、残念ながら目の前には廃墟というほかない殺伐とした光景が広がっていた。

 ひしゃげた空き缶、煙草の吸い殻、割れた蛍光灯や窓の破片。おれと葵は縦に並び、幅の狭い廊下に散乱しているそれらを器用に避けながら奥へと進む。


 客室は通路の両サイドにそれぞれ配置され、おれたちは左右で分担して花南がいるかどうか確認していく。間もなく一階のすべての部屋を見終えたが、どこにも花南の姿はなかった。というより誰もいなかった。気落ちしそうになるところをまだ半分捜しただけだと言い聞かせ、そのまま二階へと向かう。

 潰れたのも当然だと納得がいく、これまた狭くて急な階段を上がりながら後ろをついてきている葵がささやくような小声で言う。


「さっきお父さんがさ、危ないから自分が着くまで待ってろって」


「そんなちんたらやってる余裕はねーよ」


「だよね。陽平ならそう言うと思った」


 かすかに微笑んでいるような、そんな気配がした。

 それにしてもだ。現役警察官の辰巳さんまでが葵の直感に信頼を置いているのは、冷静に考えてみれば相当に異様ではある。ただ、どのみち今のおれにはそこにすがるしか手立てがないし、彼女なら十中八九は外さないだろうという気がしていた。

 当の葵は、おれの内心でまるで巫女のように扱われていることなど知る由もない。


「もし犯人がここに隠れているなら、わたしたちが侵入しているのに気づいてるかもしれないよね」


「怖くなったか」


「はん、あんたじゃあるまいし」


「心配するな。誘拐犯がいようがどうしようが、おれにかかれば一捻りよ」


 そう豪語しながら、まるで大したことのない力瘤を誇示してみせる。


「陽平あんた、もしかして前よりさらにバカになってるんじゃない?」


 あきれはてたようなため息を葵がつく。うん、いつもの彼女だ。

 行き止まりにあった階段を上がると通路は左右に伸びていた。一階では駐車場として使用されていたスペース分だけ床面積が増えたため、ぱっと見た感じ二階には倍の客室数がありそうだ。


 かかる時間のことを考えると手分けしたいところではあるが、さすがに葵を一人にはさせられない。先ほどと同じ要領でテンポよく各部屋を捜していく。一階ほどひどい有様ではなかったが、それでも部屋によってはドアに大きな穴が開けられたり、割れて木材が剥きだしになったりしている。

 いくつめの部屋だっただろうか、おそらくは面白半分にドアの上と下が壊されて、西部劇によく出てくるスイングドア風になっていた。


 その部屋の奥に花南らしき少女が無造作に転がされているのをおれは見逃さなかった。いや、間違いなく花南だ。すぐ近くにはかなり大きいキャリーバッグがあるのも見える。

 猿轡を噛まされているのは遠目からでも確認できたが、他はどうかわからない。起き上がれないところから察するに、身動きできないよう腕と足は縛られているのではないか。


「いた」


 自分の意思とは関係なく声が体の中から漏れてきたような、そんな奇妙な感覚だった。

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