さざれ石
雨がしとしと降る里山の沢の近くに古く苔が湿るさざれ石があった。
そこにふらりと迷いこみ、立ち寄る人影がある。
「おい、さざれ石。ここいらに、宿のような休める場はないか?無いのならば寺でもよい。」
石は腰を下ろされムッとしながらも暫く間をおき答える。
「ここの先に里があるらしいから、そこで休めばよい。」
「これは驚いた、さざれ石ともあれば口もきくのか。」
浪人風の男は大して驚きもせずに返し、興味ありげに顎ひげをなでた。
男の言葉が雨にのみ込まれ沈黙が続くと、
「さざれ石よ、お前は先ほど"らしい"と、断定はしなかったな?
すると、もしかしてお前は知らぬことを儂に申したか。」
さざれ石はまたもや少し間をおくと、唸りながらいう。
「私はこれまで生きてきて、ここを一歩も動いたことがない。
通り行く様々な人の言葉よりこの先にあることは推測できるが、
未だかつてそれらしき現物はみたことがない。」
さざれ石はつづけて、
「私を真後ろに向けることが出来たなら。
遠くの千里先まで見透すことができる。が、後ろまでもは見えん。もし、後ろを見れたならば、貴殿の行く先も見えよう。
そして私も新しき景色が見ることができる。」
さざれ石といえどその幅は6尺はあり、男には到底無理と見えた。
しかし、
「よかろう、よかろう。力自慢の太郎丸、いざ石ころの為、そして自らの為、動かしてしんぜよう。」
と意気込み着物を脱いぐ。
男は褌ひとつになり、懐の手拭いを頭に結うと、大岩ともいえるさざれ石に食らいつく。
初めはぴくりとも動かないが、次第に男が大粒の汗を滲ませる頃にはじわりじわりと動いていった。
そうして、しとしとと降り続く雨も上がる頃にはさざれ石は真後ろへと方向を変えていた。
「これは、これは良い景色。澄んだ空気もより一層晴れやかに見える。
そして、見える、この三里先に寺がある。真っ直ぐ歩いていきなさい、すると日が暮れるまでには着くだろう。」
男は大汗をかきながら、
「そうか、それは良かった。この先で良いのだな。少しくたびれたが、その程度なら行けよう。」
するとさざれ石は満足そうに、
「そして、礼をしよう。石としてこのような機会はお前無しにはないもの。
この先、道に迷うことがあれば、私を思いなさい。必ず願う道へ導こう。」
そうして男はさざれ石を後にすると、その後道に迷うことがなかったそうだ。