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五十八

西国の賑わいは、まるで他の国々から浮き上がるように異質だ。


いつも人が溢れて、物が溢れて、常に目に見えない動きが渦を巻いて、大きなうねりのような風が吹き抜けている。


商人が幅を利かせているため、武士の往来は少ない。

この土地の益を狙う国はたくさんあれど、実質的に支配できた武将はいまだいない。

それほどの強みがこの場所にはある。



だが、時代の波はじわりじわりと、この西国にもその容赦のない爪を立てようとしていた。


そしてそれは、情報を最大の糧としているこの国の人々には、しっかりとした足音として聞こえていた。







鈴の兄は家督を継いだ後、才覚を発揮して若き家老として国の一大事をその都度柔軟に凌ぎ、信頼を得た。


この北の小さな国々は時代の流れに乗り切れず、形を変えて、大きさを変えていく。

そんな中で脈々と生き残る国と、呆気なく衰退する国と、明暗が分かれた。

その差はなんだったのだろう。

時代の波とか、当主の才覚とか、要因は様々だが、どう立ち返ってみても消えゆく国をどうにか救う手立ては考えつかない。






鈴の消息は、実はずっと兄のもとに報告されていた。


家督を継いで、父の手足となっていた草の者たちもそのまま兄が継いだ。

ゆえに、落ち延びてからすぐに放たれた監視の者から様子を知らされていたのだった。




鈴が元気な男の子を生んで、しばらくした時に、誰からとは分からない祝いの品が届いた。



鈴は産後の肥立ちは良かったが、体力がないためなかなか床上げができなかった。


届いた品を皆で怪しんでいるのを聞きつけ、床まで持ってきてもらうと、一目見てポロポロと涙をこぼした。




「・・・兄上様」



弥勒は驚いて、その品を今一度凝視する。



贈られたのは守り刀であった。


青い糸で綺麗な装飾が施された柄は、祝いにふさわしく、また、この子がいつか武士として身を立てたいと願う時には兄が後ろ盾となってくれるという証でもあった。



ただ、どこにも、佐渡川の家紋や旗じるしは入っていない。



添えられるべき文もなかった。




国へ帰ってこいとも、二度とその顔をみせるなとも。


はこんできた使いの者も、何も言わずに去ったため、この祝いの品がどのような所以としているかは分からない。



だがこの祝いの品が届けられたことで、兄は、鈴がここにいることも、この生まれたばかりの子のことも知っていると、如実に語っているようなものだ。




見守っている。

いつも。

だから、もう、好きに生きろ。

困ったら助けてやってもいい。

ーー亡き父の代わりに。




鈴には、兄がそっぽを向いたままそんなことをつぶやいている様子が目に浮かんだ。







鈴の腕のなかで小さな命が大きな欠伸をして、周りの者が笑った。



小さな手に、果てしない夢を握りしめて、今は夢と現実の狭間でまどろんでいる。


願わくば、いつでも健やかであれ。

案ずることはない。

その手足を大きく伸ばし、希望に満ちた未来を駆け巡るその時を夢見て眠れ。





弥勒は、腕の中に小さな命を抱えた鈴を包みこんだ。

小さなこの子がやがて大人になるまでにはこの西国も何度か戦乱の只中に放り込まれる。


果ては、日の本一の城も業火に包まれ、栄華を誇った商いの国は失意に満ちた。


そんな中でも、弥勒の後継は、後々増える兄弟姉妹とともに、その乱世の最後を強かに生き抜いていった。


若き後継は、商魂たくましく、新たな城造りや街づくりで大いにその腕を振るい、大きく方向転換した時代を見極めて、その家を、血を守り抜いて行った。


弟の一人は武士として名を挙げた。

弥勒に似て大きな体で、弓の名手となった。

大乱の中をしぶとく生き残り、やがて東のある国へと出仕し、西国へは戻らなかった。

妹は都の身分いと高き公家の一つに奉公に上がり、そのまま公家の世界で身を立てて行った。


末の妹は幼い頃から知った仲であるが、商いで名を馳せた大家に嫁ぐ。

以来、弥勒や長兄と同じ世界で強かに、柔軟に時代の荒波に乗った。



戦国の世は、なにも武士だけが命を燃やしていたのではない。

歴史の光の当たらぬところでは、商人も百姓もそれは見事な飛躍を遂げていたのだ。

いくら戦いに明け暮れる血なまぐさい日々だとしても、より良き世の中を願って、祈って、今日という日を精一杯生きてきたのだ。


命は誰もが一つしか持っていない。

命を燃やすとは、華々しい生き様を目指して、死を受け入れ、その恐怖に打ち勝つことと見えるがそれはちがう。

生にしがみついて、生き恥を晒し、泥にまみれても、次の一歩を踏みしめることだ。

「時」という残酷で冷たい流れのなかでもがき、自分に出来ることを探し続け、どんなに道が険しくとも、どんなに風が強くとも、一生懸命歩き続けることなのだ。







ーーここの桜は見事だな。


満開の桜が、そのたおやかな花びらを散らしていた。


舞う桜の花びらを、鈴はいつかのように弥勒の背中で眺めていた。


春の温かな風が吹いては花びらを舞わせる。


目に見えぬ風の流れは、花びらがその形をなぞって、まるで生きているかのように飛び去っていく。


鈴の頬を花びらがなぞる。


ーーこうしているうちに、全部散ってしまう。

なんだか惜しいな。


ーー散るまで、などと、また言わないでくださいね。


ーー私の足になるなどと、また言わないならな。


ーー今も足のつもりですが。


ーーもう、おろしてくれていい。


ーーいやです。

わたしが、あなたを、背負いたいんです。

だから、もうそろそろおとなしく、背負われていなさい。


夫の言葉は、絶対だ。

鈴は弥勒の肩に頬をつけて、おとなしく、背負われることにした。


そんな鈴を愛おしく肩越しに見て、また、桜に目を移す。

桜の散る中、この世に二人しかいない錯覚に陥りそうだ。


優しい春風は二人の間を通り抜けることはできない。

嫉妬に似たつむじ風は二人の周りに花を吹き付ける。

二人はそんなやっかみなど知らないが、温かな風を感じて、舞い散る花びらの行方を目で追った。


ーー桜はこうして散っても、また芽吹き、花をつける。根の強さは執念すら感じるが。

人が桜に魅せられるのは、美しくて、儚く見えるが、実は強いからなんだろうな。


ーー貴女に似ていますね。


ーー桜に失礼だ。


ーー貴女に似ています。


ーーしつこい。


ーーこの桜が枯れるまで、私は貴女の側にいます。


ーー期限を切ったな。


ーーまあ、桜は永遠に咲き続けるでしょうから。

死んだら、とか、死んでも、ではなく、来世も、その次の来世も、いつも貴女の側にいます。


ーーいつまでも?


ーーいつまでも。


ーーずっと?


ーーずっと。





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