五十七
間も無く夜明けだろうか。
しとしとと、縁に打つ雨の音を聞きながら、隣の温もりに目をやった。
あれから半年。
お腹も少しずつ膨らんで、明らかな新しい命を感じるたびに、温かな気持ちになる。
死はいつもそばにあった。
いつも、部屋の隅に佇むように、寄り添っているかのように、そこにあった。
だが今は。
常に「生」がここにいる。
常に未来が待っている。
死は、その「生」の輝きを嫌って、何処へかと姿を隠している。
不思議なことに、死した父が闇から睨んでいて、生き長らえていることを咎めているように感じていたのが、最近では、孫の顔を待ち望むような柔らかな笑顔が思い浮かぶ。
自分自身も少しずつ変わったように思う。
死へと誘われることが当たり前に思っていたのに、今はなんとしても生きなければと強く思う。
それは祈りにも似て、「死」には、いずれは死ぬのだからそれまで待てと、言いくるめて少しでも先延ばしにしたい。
この子が生まれるまで。
この子が育つまで。
この子が一人前になるまで。
私が守らねばならない。
死など、近寄らせてなるか。
ひたひたと、近くに死が感じられるときには、強くその気配を制する。
子を持つとは、母になるとは、命がけである。
命がけであるから、真正面から命を見つめ、死の前に立ち塞がり、なんとしても子を守り、そのために我が身をも守らねばならないのだ。
お腹に手をやると、その場所を胎内からの合図があった。
「ここにいます」
そう訴えるように。
「ともにいますよ」
そう答えてやる。
嬉しくて、さすっていると、その手を包むように弥勒の手が重なった。
はっと見やると、弥勒も嬉しそうにお腹を撫でてくれた。
「私も、ともにいるよ」
弥勒はそう言うと、お腹に口付けて、
「この父も、母もお前を待っているよ。
安心して大きくおなり。」
と囁き、何度もお腹を撫でた。
鈴はポロポロと涙をこぼしていた。
自分が生まれるときもきっと父や母は待っていてくれたに違いないと、そう思った。
最近はよくこうして、幸せが心に膨らみすぎて泣き出してしまうのだ。
弥勒はだまって鈴を引き寄せて、頬に目に額に口付けた。
懐に深く包んで、慈しんだ。
安心するように、何度も名を呼び、何度も鈴が愛おしいと、鈴が大事だと優しく囁いた。
鈴はそんな温かさの中に丸ごと飲み込まれているような気さえする。
「生」の輝きは胎内から。
「生」の温もりは弥勒から。
ーーいつか、ずっと死に満ち満ちていた私から返せるものはあるのだろうか。
ーー私もまた、この輝きや温もりを、誰かに伝えることはできるのだろうか。
手をまたお腹にやる。
ーーともに、強く生きよう。
口に出さなくても、胎内には伝わるらしい。
トン、と、また、合図があった。
「さあ、もう少し休もう」
弥勒にそう言われると、小さく欠伸が出て、またまどろみの中へと誘われて、眠りについた。
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