五十六
小さな北方の国々は、時の流れの中で形や大きさを変えて、その時々で名を変えて、しぶとく生き残っていったが、大きな世の動きにはついぞその名は出てこない。
権力とはもともとあるものではない。
天下を取る者が、他者を大きく巻き込んで振り回す力のことを権力と称するのだ。
今は誰がどのような権力争いをしているのかは、もはや下々の者には見当もつかない。
混沌としている中で、どうか戦がここらで繰り広げられるなんてことがないように、戦乱の火がここで燃え広がることがないようにと、願うだけだ。
ーーー
鈴に、子が出来たと言われ、弥勒よりも茅野が大喜びではしゃいだ。
まだ膨らんでもいないお腹を大事に愛おしそうに目をやり、誰よりも心配した。
暑い寒いを下女によくよく気づくよう言い含め、細やかに世話をさせた。
産衣や襁褓の布地を自ら仕入れて、縫うところを熱心に見ていた。
果ては、悪阻のせいで食べ物の匂いが苦手だとわかると、屋敷を飛び出し、市で金平糖や、南蛮渡来の果物や少しでも香りの良い食べ物を山ほど買い込んでくる。
その心配ぶりは、弥勒が止めるほどである。
「弥勒、堪忍してな。
やりすぎは、認めます。
でもなぁ、聞いとおくれやす。
あたしはねぇ、あんさんの育ての親の和尚と若気の至りで暴れまわっていたころに、これ以上ないほどのいい女子に出会って、頼んで頼んで、拝み倒して妻にしましたんや。」
茅野の手元のでんでん太鼓は、それは無事に生まれてからにしてくださいと言われて、仕方なく手慰みにしているのだ。
弥勒は初めて聞く茅野の若い頃の話をききながら、部屋に散らかる赤子の玩具を
片付け始めた。
「でもなあ、その頃、戦が続いててな。この辺りもひどい有様で、それこそ食うに困ること、略奪に怯えること、しょっちゅうやったんや。
そんな時、お腹にやや子が出来たいわれてなぁ。
嬉しくて、こそばゆくてなぁ。
毎日、お腹を大事に撫でて、少しでも滋養がつくように芋を掘ったりキジをとりに行った。
でも、ある日、妻はあっけなく死んでしもた。
本当に、今でもなんでやと、なんで死んだんやと、わからないんや。
お腹の子ぉと二人で、それこそな、スゥッと消えてしまうように、魂があの世に連れて行かれたんや」
弥勒は手を止めて、茅野をじっと見た。
茅野はでんでん太鼓をトントン、トントンと回して、寂しそうに庭先に目をやっていた。
「こんな白髪で禿げたジジイがなに言うてんねんと思うやろ?
でもなぁ、あたしの子ぉは、命をこの世に咲かせることが出来んかった。
かわいそうになぁ。
もう少しだったのに。
もう少しで会えたのに。
だからなぁ、弥勒。
今、あんさんがなにより大事と思うお鈴さんに、万一があったらと思うと、怖くて怖くて仕方ないんや。
あたしはねぇ、弥勒。
あんたを、息子にしたし、息子やと思ってる。
さすがにこんな図体でかい男を可愛いとは言えへんけどな、大事な息子なんや。
あの和尚も同じように、あんたを大事に思うてた思うわ。
だからな、大事なあんたが大切にしているものを、親として、なんとしても守ってやりたいんや。
小さな命を咲かせてやりたいんや。」
寂しそうに笑むと、弥勒の方を見てから、うつむいた。
「父上。私は親なし子でしたが、二人の父親に大事に育てられて、幸せでございます。
鈴のこと、孫のこと、これからもどうかお守りください。」
弥勒がそう静かに言うと、茅野はほろほろと涙をこぼした。
こう見えて敏腕やねん、という言葉通り商いには鋭い眼光で戦うように買い付け売り付ける茅野が、老いた小さな背中で泣いていた。
そうしてしばらくすると、ぐっと顔を上げ、弥勒の目をじっと見て笑った。
「この父に、まかしとき」




